長唄三味線/杵屋徳桜の「お稽古のツボ」

三味線の音色にのせて、
主に東経140度北緯36度付近での
来たりし空、去り行く風…etc.を紡ぎます。

忘れじの桜②松林桂月

2010年03月28日 21時38分43秒 | 美しきもの
 歌舞伎座には多くの名画があって、その中でも特に私が好きだったのは、二階の西側の回廊に飾られている、松林桂月の桜の絵だった。
 墨一色と胡粉で描かれた満開の桜、その枝の向こうからさやけく顔をのぞかせる、朧月がほんのり輝いている。
 墨の濃淡で、春の朧夜のにおい立つような、何とも言えない、甘く切ない春の宵のかぐわしさが描き出されていて、心底酔った。墨だけでこのような風情が表し得るものなのかと、びっくりし、感服した。
 歌舞伎座のコレクションはたくさんあるから、時々掛け替えられる。ここ数年は見かけたことがなく、お別れの前にもう一度あいたいものだなあ…と残念に思っていた。
 写真は平成の7年前後だったろうか、本興行とは別の、長唄関係者の追悼記念公演があったときで、長唄協会から贈ったスタンド花の傍らで、同日撮った写真が出てきたので、たぶん、そのころだと思う。
 何かの展覧会で、北の丸の近代美術館でこの絵にあった時にはちょっとびっくりした。
 もう記憶が定かでなくて申し訳ないのだが、歌舞伎座から貸し出したものだったのか、桂月作品の模写がもう何枚かあったのか、そのときは腑に落ちた解説を読んだような気がするが、もう思い出せない。
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忘れじの桜①奈良高畑町

2010年03月28日 17時27分01秒 | ネコに又旅・歴史紀行
 ある年…たぶん平成5年ごろ、一門の旅行会で、京都御所から吉野山へ桜をめぐる旅に出かけた。
 時は春。予測の難しい満開の時期に日程はドンピシャリとはまって、吉野の桜に埋もれて、身も心も全身、さくら色に染まった旅だった。私は仕事の都合があって、3日目の朝に皆と別れ東京へ帰ることになった。
 吉野から車4台ほどに分乗していた一行にいとまして、私は街道の、奈良にほど近い駅のそばで降ろしてもらった。新幹線の時間まで午前中目いっぱい、春の名残に奈良を散策しようと思ったのだ。行きたかった松柏美術館は月曜日であいにくと休みだった。
 志賀直哉の旧宅のある高畑町や、まだ今のように観光地として整備されていなかった奈良町の辺りを彷徨った。そのころ観た戦中の映画の、ロケーションの場所を探してもいた。学校に至る坂道が階段になっている寺町を、教師役だった佐野周二が歩いていた。
 新薬師寺の裏のほうの住宅地を通りかかったところだった。細い路地の、民家の一区割だけが空き地になっていて、破れた築地塀の向こうに、一本だけ桜が咲いていた。
 以前は家が建っていたであろうに、その邸の跡形もなく苔むした庭に、枝垂れ桜の老木だけがあって、見事な白い花枝を垂らしていた。太い幹からして、もうずいぶん長いこと立っているのだろう、小さい庭は桜自身の樹影で、うっそうとしていた。
 辺りはしんと静かで、小鳥のさえずりだけが聞こえた。
 もう何百年もそこに棲んでいるかのように、ひっそりとたたずむ桜樹に、私はしばし時間を忘れて見入っていた。
 それから、もう一度あの桜の木に逢いたい、と思うのだが、奈良に行っても訪れる機会のないまま、もうずいぶん時が経ってしまった。
 あの樹はまだ、あの場所にあるのだろうか。
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