長唄三味線/杵屋徳桜の「お稽古のツボ」

三味線の音色にのせて、
主に東経140度北緯36度付近での
来たりし空、去り行く風…etc.を紡ぎます。

変容・相撲篇

2017年05月05日 08時00分15秒 | マイノリティーな、レポート
 これも一種の、振られて帰る果報者というべきか…幸いにしてlive放送は生業に精を出している時間帯なので、ミラクルの応酬に心が千々に乱れ疲労困憊するという憂き目に合わずに済んだのですが、その大相撲が昭和のころと違うなぁ、と、気づいたのは我が心のエストレリータ(むしろ大きい?)稀勢の里が負傷した時の話。
 SNSで恐ろしいほどの様々な意見を目にした私のアンテナについと引っかかったことば、

 「相撲は格闘技だから、ケガしても仕方ない」…これです。
 
 ずいぶん以前に本稿「無意識下のアイドル」で私の角界に対する何気ない情愛について述べましたが、これまた全くもっての私見で申し述べますれば…

 まず、相撲は、格闘技じゃありません。

 相撲が興行として盛んになった江戸時代、横綱の張り手がすごくて目玉が飛び出しちゃった力士もいたという凄惨な場面もあったようですが、歌舞伎や文楽をご覧の皆さんはご存知のように、当時の相撲は女子供は見に入れませんでした。
 しかし、テレビ放送が導入された戦後の相撲は、そうじゃなかった。
 茶の間で女子供が安心して見られた。ぬるいとかそういうことじゃなくて、穏やかであるけれども、手に汗握る取組みの世界でした。四十八手、技を競う闘いです。少なくとも昭和に生まれ昭和に育った者はそう思ってました。

 そして極め付け、ケガをさせちゃうように取ったんでは、相撲じゃないんです。
 相手に怪我をさせちゃいけないんです。それが相撲の精神です。

 むかーし、文化人類学の授業か何かで、先生から伺ったお話。
 日本人というのは、大陸で繰り広げられる、殺伐とした争いばかりの世界が、ああ、もういやだ~~と、舟で漕ぎだして逃げ出して来た人たちが寄り集まったのだ、と、そんな話を聞いたことがあります。 
 そして、この、決して肥沃とはいえない、自然の脅威の厳しい島国で、細々と生活を始めたそうな。

 究極の選択。自分たちのくふうや才覚だけでは除けきれない同じ災害のうち、日本人は人災よりも天災を選んだ。もはや人間ではない獣が本能を剝きだして闘う修羅場よりも、自然界の予測できない営みを甘んじて受ける道に活路を見出した。
 むかし、大映のシリーズ時代劇だった「大魔神」。人民を虐げる暴君イコール人災を、火山や揺れる大地を象徴する荒ぶる神の具象化イコール天災によって解決してもらうという、日本列島に暮らす無力な民草の祈りのようなものの存在。

 ガチで、という言葉は平成になってから出てきたスラングの成長形で、本気でという意味が、手段を選ばず相手をコテンパンにやっつけるという、別な意味に取り違えられているように思います。
 「どうしても勝ちたくて、ついやってしまった」というのは、闘いの本職さんの発想ではない。ルール違反です。
 卑怯、未練…という自分の中の弱い気持ちに打ち勝つ精神性こそが尊い、というのが、日本における勝負の基本なのです。
 
 自分自身の矜持との戦いです。その世界で一番偉い人は…大相撲で言えば横綱は、そんなみっともないことをしてはいけないのだ…という心意気が大切だったのが、昭和の価値観でした。道に外れたものを罵る、没義道(もぎどう)という言葉だってありました。…死語かな。
 そいえば、武士は相身互い、という言葉も死語だったと、つい先日知りました。

 一般社会において自分さえ勝てれば相手がどうなっても構わないという、乱暴な考え方を許容するようになったのは、たぶんストリートファイターとか何とかいう、格闘ゲームが子供たちに流行ったころから…平成に替わったあたりからだったでしょうか。
 なんだか、ローマ帝国が版図を誇った時代、いろんな国から奴隷を連れてきて、生死を賭けて戦わせた、そんなデスゲームとかぶってしまって、格差社会を当たり前のものとして、同じ人間なのに殺し合いをさせて見世物として興じている、そんな、野蛮な人間に自分が成り下がったような気がして、見ているのが嫌な感じになってくるのでした。

 そんなわけで、相撲は格闘技と違う。痩せさせてダメージを少なくするボクシングとは全く異なる発想で、相撲は自分を肥大化させることによって、損傷緩和となる道を編み出した。治療法なのであろうけれども、玉の肌で土俵に上がる力士がテーピングだらけというのは美しくない。
 利潤第一で世の中が押し切られて、形のない精神性を美しいと感じる価値観はもう今の世では廃れたのかもしれないけれども。
 日本の文化はもろいものでできているのですね。
 もっと丁寧に育てないと、変容していくのでしょう。
 それが歴史というものなのでしょうけれども、惜しいことだと思いました。
コメント
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