昨年、携帯…当世風ならモバイルと言うべきか、を替えてしまったので、20年以上使ってきた携帯電話会社のメールアドレスが使えなくなってしまった。
それがため、音信不通になってしまった旧知の友がいる。ツイッターの如く気軽に呟いて連絡したいことがあったが、登録していた相手のアドレスにメールしても戻ってきてしまった。20世紀のころ鉄道の各駅の改札口にあった伝言板の趣で記述する。
毎木曜日に西池袋(要町)の稽古場に寄せていただくようになって幾年かが過ぎた。実は昭和のころ、母方の大叔母が清瀬に住まいしていたので、池袋は私には懐かしい土地なのである。三味線だけでは口に糊することも叶わぬ三十を少し過ぎた修業時代(今も修業時代に変わりはなけれども)主たるたつきの道を浪々していた折、友人が勤めていた会社にバイトとして呼んでくれたこともあった。
池袋西口から山手通り交差点の要町へ向かう途中までの、いわゆる乱歩通りに、八勝堂書店という古書店がある。学生時代古本屋廻りをしていた私には神聖な場所である。昨年、ご店主が亡くなられたので、この2月末でお店を閉めるという。
前世紀中は毎日何かというと本屋へ向かってしまう私であったが、修業の妨げになるので、21世紀になってからは必要でない限り、本に近づかないようにしていた。であるから、古書店先を冷やかすのも稀になっていたのだが、自分を育ててくれた本達、そしてそれを商う方々への恩返しの意もあり、昨年暮れ、稽古帰りに芝居関連書籍を幾冊か購入した。
年が明けて次の予定まで時間があった木曜日、ふたたび八勝堂書店を訪れた。
書店の棚の前というものは、いつ来ても居心地のよいものである。
その日は店の上手側のレコードCD売り場をざっと見まわし、懐かしや、ビクター邦楽名曲選の竹本越路大夫×野澤喜左衛門「寺子屋の段」があったので思わず手に取る。
下手の書籍側も、も一度見たい…と、未練ながら左見右見、先日は目が疲れてよく見なかった文庫本のあたりを眺めていたら、これまた懐かしや、三十代のころ面白かった水上滝太郎の、小説ではなく随筆集『貝殻追放 抄』岩波文庫が目についた。
その日の収獲は以上二点であった。自分自身の稽古のほかに覚え物の譜面を書き直したり、何かと忙しく本を読む暇とてないのだが、さすがに気を休めたい気がして、掌編を一つずつ読むことにした。
先ほど、読んで共感するあまり唸ったのが、そんなわけで水上滝太郎の貝殻追放中の「向不見(むこうみず)の強み」である。
大正7年に発表されたこの随筆が、100年余を隔てた平成30年の世相に身を置くものを共感させるという、不変なる人間の業というもの…。あなたはどう感じるだろうか。
それがため、音信不通になってしまった旧知の友がいる。ツイッターの如く気軽に呟いて連絡したいことがあったが、登録していた相手のアドレスにメールしても戻ってきてしまった。20世紀のころ鉄道の各駅の改札口にあった伝言板の趣で記述する。
毎木曜日に西池袋(要町)の稽古場に寄せていただくようになって幾年かが過ぎた。実は昭和のころ、母方の大叔母が清瀬に住まいしていたので、池袋は私には懐かしい土地なのである。三味線だけでは口に糊することも叶わぬ三十を少し過ぎた修業時代(今も修業時代に変わりはなけれども)主たるたつきの道を浪々していた折、友人が勤めていた会社にバイトとして呼んでくれたこともあった。
池袋西口から山手通り交差点の要町へ向かう途中までの、いわゆる乱歩通りに、八勝堂書店という古書店がある。学生時代古本屋廻りをしていた私には神聖な場所である。昨年、ご店主が亡くなられたので、この2月末でお店を閉めるという。
前世紀中は毎日何かというと本屋へ向かってしまう私であったが、修業の妨げになるので、21世紀になってからは必要でない限り、本に近づかないようにしていた。であるから、古書店先を冷やかすのも稀になっていたのだが、自分を育ててくれた本達、そしてそれを商う方々への恩返しの意もあり、昨年暮れ、稽古帰りに芝居関連書籍を幾冊か購入した。
年が明けて次の予定まで時間があった木曜日、ふたたび八勝堂書店を訪れた。
書店の棚の前というものは、いつ来ても居心地のよいものである。
その日は店の上手側のレコードCD売り場をざっと見まわし、懐かしや、ビクター邦楽名曲選の竹本越路大夫×野澤喜左衛門「寺子屋の段」があったので思わず手に取る。
下手の書籍側も、も一度見たい…と、未練ながら左見右見、先日は目が疲れてよく見なかった文庫本のあたりを眺めていたら、これまた懐かしや、三十代のころ面白かった水上滝太郎の、小説ではなく随筆集『貝殻追放 抄』岩波文庫が目についた。
その日の収獲は以上二点であった。自分自身の稽古のほかに覚え物の譜面を書き直したり、何かと忙しく本を読む暇とてないのだが、さすがに気を休めたい気がして、掌編を一つずつ読むことにした。
先ほど、読んで共感するあまり唸ったのが、そんなわけで水上滝太郎の貝殻追放中の「向不見(むこうみず)の強み」である。
大正7年に発表されたこの随筆が、100年余を隔てた平成30年の世相に身を置くものを共感させるという、不変なる人間の業というもの…。あなたはどう感じるだろうか。