長唄三味線/杵屋徳桜の「お稽古のツボ」

三味線の音色にのせて、
主に東経140度北緯36度付近での
来たりし空、去り行く風…etc.を紡ぎます。

工藤の言い分(或いは、曾我物語前夜譚)

2015年02月11日 22時55分01秒 | お知らせ
 日本の三大仇討のひとつ、曾我兄弟の仇討。
 子どもの頃、何度読み返したか知れない、気に入りの本箱に入れていた児童向け読み物全集のうちの一冊の『そがきょうだい』と平仮名のタイトルが入った装丁を今も想い出す。
 (仇討の具体的な内容に関しましては本稿2010年5月28日付をご参照いただけますれば幸甚也)

 大人になると、仇討ち事件そのものが興味の対象であるが、こども心には、仇討の発端である兄弟のお父さんが何ゆえに殺されたのか、ということのほうが重大事で、それゆえか、私の記憶のなかには、安本喜八の生人形のごとき、相撲を取る兄弟のお父さん・河津祐泰を描いた挿絵が鮮明に残っている。
 記憶に拠るので思い違いもあるかもしれないが、子供向けにいささか潤色してあったのだろう、祐泰が工藤祐経に害されたのは、相撲で負けた恨みから、と書かれていたように思う。
 いや、土地の相続に関する恨みにも言及されていたかしら。
 ただ未就学児の能力的に、自分が理解できる記述のみを脳裏に刻みつけたのかもしれない。

 江戸の歌舞伎では初春狂言に曽我物をかけるのが慣例で、長唄では弾き初めの会に、清々しいお正月気分が感じられる「五郎(雨の五郎、また五郎時致ともいいます)」がスタンダードなナンバーだったりもする。
 
 さて明晩、長唄協会主催の伝統長唄伝承の会@日本橋劇場にて、「新柱建(しん・はしらだて)」という曽我物の一種であるたいへんめずらしく面白い曲に出演いたします。

 なんとこの曲は、討たれる工藤祐経側の仇討ち前夜のエピソードを描いているのである。
 1193(建久4年)5月、源頼朝は富士山の麓で巻狩りを催すことにする。そのための仮屋を建てるため、工藤祐経が現地へ赴く。
 今風に申しますれば、軍事教練のためのベースキャンプを張るというわけだ。
 それで柱を建てるので、このタイトルがついた。直截ながら縁起のよい曲名なのである。
(ちなみに、新、とあるからにはオリジナルの柱建という曲が江戸時代にあったわけなのだが、残念なことに、現在伝わっていないそうである)

 無事棟上げ式も済んだので、ほっとした祐経一行は♪思い出だせば~、(たいがいこの詞は父の仇を想い出す時に言うのだが)往時を追想する。
 安元二年(西暦1176年)神無月十日、昭和で言えば体育の日。
 ショッキングなことに、歌詞に河津祐泰をすっぱと射抜いた、その凶行の一部始終が唄われている。月毛の馬に跨って、秋の野を摺り染めた狩衣に身をまとい…美しい武士の装束の様子も描写されていて、詩情豊かな歌詞なんだけれども。
 お囃子入りで、勇壮かつリズミカル。後半の二上りからは、なぜか宴席に終始する。

 作曲されたのは明治二十五年(西暦1892年)、三世杵屋正治郎の手になるものである。
 この二年後に日清戦争が始まるから、明治政府イケイケの御時勢だったのだろう、音曲も軍記物ルネサンスの時代だったのかもしれない。
 三代目正治郎は幕末から明治の中期に活躍し、「菖蒲ゆかた」「梅の栄」「鏡獅子」「紅葉狩」「元禄花見踊」など数々の名作を残した長唄界の偉大なる先人で、九代目の團十郎は正治郎の作曲したものでないと舞台に掛けなかったという、伝説が残っている。

 ご興味のある方は、ぜひお越しくださいまし。6時開演の会で、六番中最後に演奏いたします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする