長唄三味線/杵屋徳桜の「お稽古のツボ」

三味線の音色にのせて、
主に東経140度北緯36度付近での
来たりし空、去り行く風…etc.を紡ぎます。

敦盛1560

2011年06月20日 21時00分00秒 | フリーク隠居
 「五月闇(さつきやみ)」という言葉がある。
 梅雨時の空。雲が重く深く垂れこめて、昼間なのに暗い。いまの世の中、真っ暗闇じゃあ、ござんせんか…という心の闇をも写しているような、そんな天候の状態を指す言葉だ。
 明治以降の新暦の季節感が身にしみてしまっている私たちは、五月の空…というと、かぐわしき薔薇の香に彩られた、限りなく爽やかな明るい青い空を想ってしまうので、瞬時には理解できないかもしれない。
 でも、旧暦の五月、新暦6月の梅雨時の空を思い浮かべれば、具体的に共感できるはずだ。
 篠突く雨を縫うように低くツバメが飛び、ホトトギスが啼く。雨が激しくなると雨音以外何も聞こえない。目にも闇、耳にも闇。
 何か事を起こそうと企んでいる者たちにとっては、絶好のロケーションである。
 今日は、旧暦では、平成廿三年五月十九日。
 今からざっと450年ほど前、西暦1560年、和暦にすれば永禄三年の今日。
 まだ何の栄誉も力も持っていなかった27歳の織田信長は、乾坤一擲の大勝負に出た。五月闇のゲリラ豪雨を一期として、大大名・今川義元を2000の寡兵で討ち取ったのだ。桶狭間の戦いである。
 
 信長くんと同年齢の平成時代の私は、では、何をしていたのかというと、市川雷蔵主演の『若き日の信長』をレイト上映で観て、池袋の喫茶店で始発電車の動くのを待っていた。…………。要するに、いまだ、うつけていた。
 大仏次郎原作、森一生監督のこの映画は、行く手に暗雲ひろがる天空の下、信長くんが桶狭間めざして馬を駆る、その後ろ姿で終わる。
 二十代、私は自分が生まれる前の日本を知りたくて、名画座の薄闇のなかに身を潜めていた。眼前に映し出されるセピアカラーの世界は、ことさらに五月闇で、時代劇でよくいう「風雲急を告げる」情景が繰り広げられていた。そのころの私には…そうそう、『台風クラブ』という映画もあったけれど、土砂降りの雨に打たれたい願望、というのがあった。なんだろう。……若さゆえ??
 古城めぐりと同時に古戦場めぐりもしていたので、同時期に田楽狭間と、大高城、丸根砦、鷲津砦跡を探しにも行った。430年後の戦の痕は、住宅地の中に、こんもりとした藪の塊のような小山を、ただ残すのみだった。

 そしてまた、3.11の震災からこっち、私が何をしていたかというと、三味線弾きは三味線を弾くしかないわけだが、それと同時に踊ってもいた。
 幕末に「えじゃないか」が流行る。不安を感じると、人間は、もう、じっとしていられない…!らしい。精神的なものを振り払うには精神で克服するしかないのだが、それはなかなかに難しい。肉体を疲労させることによって思考を停止させ、心的ダメージを、一時的ではあれ解消するくふうが、踊ることなのかもしれない。
 身体を動かすことによって、極度の緊張状態から逃れるという、無意識の意思、異なる形で表出した防御本能。

 桶狭間に出陣する前の信長くん、愛踊していた幸若舞「敦盛」を三たび舞った。
 3.11直後の私が舞っていたのは何かというと、昨年末の大晦日、ひたすら年賀状を書いていた手すさび…いや目すさびに、たまたま特番で観て以来、密かに贔屓にしていた戦国鍋TVの「敦盛2011」、これである。

 とはいえ、私が踊っているということ自体、はっきり言って、これはかなりの天変地異なのである。
 長唄はご存知のように、踊りの地方(じかた)を勤めるが、私は踊りたいと思ったことは一度もない。この世界に入る前、歌舞伎の舞台で役者が美しく踊るのを観ていても、どうしても後ろの雛段に並ぶ長唄連中に目が行ってしまうのだった。…まあ、だから三味線弾きになったわけではあるが。
 高校生のとき、レクリエーションの時間にジェスチャー・ゲームというのをやって、私のお題が「ピンク・レディ」だったとき、頭の中にあの「ユー・フォー!」というフレーズが浮かんだが、とてもとても、私には出来なかった。
 いや、never…絶対に、やりたくなかったのである。

 町内盆踊り大会以外、お稽古もしていない人間が踊ることといったら、昭和50年代の庶民にはなかった。戦後すぐダンスが流行ったらしい話は母から、ゴーゴーが流行っていたのも叔母の様子を見て幼稚園児の私は察知していたが、祭りや余興の特例以外で意味もなくジタバタしていると、何ですか、はしたない、そんな踊ったりして芸人みたいに…と怒られるのが、昭和の普通の家庭だったのである。
 ゲームで勝つことより、16歳の女子高生は、自分の誇りを汚されるのが嫌だった。損得を捨てて理念に生きる、滅びの美学を選択していたのだ。…ま、そんな大層なものじゃありませんけどね。
 それに私は、小学生の時に、すでにアイドルとは決別していた。

 あれは何年生の時だったろう、もうとにかく、天使のように可愛かった郷ひろみのファンだった私は…ジャニーズ事務所に所属していたころの郷ひろみは、2000年代、スペイン1部リーグのバレンシアに在籍していたアルゼンチン代表のアイマール君にそっくりな美少年だった…ちょうど、デビューシングル「男の子女の子」から「よろしく哀愁」、LP盤「ひろみの部屋」まで、総てのアルバムを揃えていたのだったが、小学6年生の秋、突如思い立って、アイドルから卒業することにしたのだった。大切に集めていた明星などの雑誌の切り抜きは、庭の焚火で燃やした。
 レコードは、有楽町のハンターというレコード買い取り専門店に持っていった。全部で500円だった。ちょっと…いや、かなり悲しくて、小学生なのに黄昏た心持ちになったが、お金の多寡ではなく、踏ん切りをつけたかったので処分した。

 中学時代、私は夕飯が済むとそそくさと勉強部屋に籠り、NHK教育ラジオ放送で「中学生の勉強室」という番組を聴くことを義務付けられていた。
 そんな私に親友のビッケちゃんは毎日、昨晩のテレビ番組の内容を教えてくれたのだった。そのときのお笑い番組のギャグ、決め台詞に「そういう時には踊るんだよ~」というものがあった。仕手は小松の親分さんこと小松政夫だったのか、「時間ですよ」の樹木希林演ずるジュリー!と叫んで身悶えするおばあちゃんだったのか、もう思い出せないのだけれども。
 バブル期にお立ち台ギャルが流行った時も、私は寄席通いに忙しく、結局ディスコとやらへは一歩も足を踏み入れたことがなかった。
 パラパラが流行ったとき、高校生のお弟子さんが稽古場で踊って見せてくれたが、へぇ、てなもんで、若いモンはいいねえ、なんて、横丁のご隠居のように他人事であった。

 それが、である。
 私には、一度聴いた印象的な歌は、即座に覚えてしまうという特技がある。
 戦国鍋テレビのミュージック・トゥナイト。ここで披露される歴史上の人物たちのユニットによる架空のなんちゃってソングは、その存在意義を超越して、あまりにも秀逸なのだった。歌詞を吟味すればするほど、よくできている。
 「たぶん利休七哲」の唄い出しのソロパートは、歴史的重要語句を列挙しながら、歌詞のそれぞれが見事に韻を踏んでいるし、♪武功もお茶も立てるのさ…で、私は倒れた。
 そして「敦盛2011」。近年のアイドルのことは知らないが、ジャニーズ系のパロディというのはよくわかる。イントロから受ける印象で、私は「よろしく哀愁」を想い出した。♪下天のうちをくらぶれば夢まぼろしのごとくなり…などなど、深く考えずに一緒に歌える耳慣れた歌詞の数々。
 そしてまた、なんちゃってソングを真剣に踊り歌う、俳優さん達の尊い汗と笑顔。
 シリアスなものを上手にやるのは誰だってできる。
 ともすれば人に卑下され、侮蔑されるようなことを、真剣に身を挺して提供する、これはまさしくプロフェッショナルの仕事である。

 気がついたら一緒に踊っていたのだ。これは私の平成の「えじゃないか」、なのである。3月は揺れる大地からの、そして4月は、師匠にお小言を戴き悄然として家路を辿る私の、救済ソングになっていた。

 小学生のころ、家族をはばかり、深夜こっそり起きだして居間のテレビで観ていた東京12chの「モンティ・パイソン」と同じように、私は戦国鍋テレビを愛した。
 またヘンなものに凝って…と皆に言われようが、ええ、ままよ、である。
 いま世の中の主流をいき、流行しているものを観たとて、私の果てしなきエンタメ心を満たしてくれるものは何一つとしてない。

 私は出来上がっているものには興味はないのだ。
 完成していないから観ていて面白い。
 天下を取ったらその時点でオシマイなのだ。人間何かに満足したら、その時点で成長は止まる。天下を取った者たちが狎れ合いで「こんなもんでどうでしょう?」みたいに商品を差しだしてくる、そんな世界に何の興味もないのだ。
 自分が面白いと思うものしか、面白くない。それは金鉱脈を探し当てる山師の性分にも似て、面白いものを求めてやまぬ私の嗅覚を刺激してくれるものは、いまだ地中に埋もれているか、地上に現れたもののうち、ごく限られたところにしか存在しないのだ。有名人とやらの茶飲み話を呑気に聴いているほど、私のエンタメ心は、錆びちゃあいないのである。

 魂の解放を求めて、人は踊る。
 桶狭間から22年後。信長くんの覇業は目前で潰え、彼は卒然としてこの世から姿を消してしまう。

 学研の「科学と学習」誌の附録の小冊子、マンガ版戦国武将伝のアンソロジーをバイブルとして持ち歩いていた小学4年の時から、なんでこんなに細く長く、信長くんが気にかかるのか、いま分かった。

 彼は永遠に、未完成だからである。
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4本半

2011年06月06日 00時06分00秒 | お稽古
 前回にひき続き、キュウリの話です。…ではなくて、まじめに、音楽のお話を少々。

 以前、若手ホープで売れっ子で美声で男前と、何拍子もそろった唄方の先生とご一緒させていただいた演奏会でのこと。タテ唄のイケメンの先生に、私は「何本にいたしましょうか?」と訊ねた。
 三味線の調子を合わせるには、一の糸をタテ唄の唄方さんの唄いやすい音でとって、それから二と三の糸の調子を合わせますが、音の名称を「本(ほん)」で表すのです。
 利休七哲の瀬田掃部によく似たイケメン先生、「4本半でお願いいたします」とお応えくださった。
 さて、ここで問題です。
 私はそのとき、どの音程で調子を合せたでしょうか? …はい、チッ、チッ、チッ、チッ………。

 では、ヒントですョ。
 1本が西洋でいうところのラ、A音です。2本はラのシャープ、3本はシ、B。4本はド、C。で、5本がドのシャープ…と以下続きます。
 …あれ? 先生、4本半って、音がないですョ???
 ドとド♯の間に、音は存在しないですよね????? ピアノだと鍵盤がないし、弾けましぇん。
 と、あなたはそう不思議に思うかもしれません。

 でも、音って、そうだな、ガーシュインの「ラプソディ・イン・ブルー」とか聴くと分かるけど、最初のクラリネットの一声。グリッサンド。音は間断なく、つながってあるわけです。
 12音階、各々の音の間に、無数の音が存在するわけですョ。忍者のように姿が見えない、でも、名もなき数知れぬ音の姿が、目に見えないけど現にあるわけですね。
 それしかないって、誰が決めたの?

 着物の尺は鯨尺という単位ですね。その昔、クジラのひげで作った物差しだったからそういうので、大工さんが使っていた曲尺(かねじゃく)とはちょっと長さが違います。
 家紋の大きさを正しく、何センチ何ミリですか?…と呉服屋さんに問い詰めている人がいましたが(スミマセン…若かりしときの私です)だいたい何センチ、とかしか、言いようがないのです。
 西洋生まれの尺度では、厳密にイコールで換算できるわけないんですよ。
 だって、着物は尺でつくられてきたものであって、単位が先にあったのではなく、測られるものが先にあったわけで。

 私は、八百万の神って、好きだなぁ。この世に存在する森羅万象、生きとし生けるもの、すべてのものに魂があって神性なものが宿っている、という考え方。
 …つまり、物事をいろいろな立場、方向から捉え、考える柔軟性を持っている、ということでしょう?
 そしてまた、どんなものに対しても、尊厳をもって接するということでもある。

 価値観、ものを測る尺度がひとつしかなかったら、その物以外の価値観を認めないということになってしまう。そして、測れないものの存在をも。
 光が一方向からしか出ていなかったら、影となる部分は、永久に影のままってことでしょう?
 それって、いろいろなものが存在するこの世界で、ひどくかたくなで…人間が生きていくうえで、とても窮屈で残酷で、非人間的な発想じゃないかしら。
 
 いま、日本全土を覆っている合理主義の考え方って、いったい何を目指しているのでしょうね?
 コストの計算とか、生産に携わる人が自分の仕事に誇りを持てないほど、そんなにいろいろなものを切り捨てて、いったい何をしたいのでしょう??
 コストを下げるために、労働賃金の安いところに工場をつくって…って、18世紀あたりの植民地政策と、なんら変わるところがないと思いませんかね。
 アタシはヤだな。自分の労働に対する正当な評価がなされず、人間性をも買いたたかれているような現在日本の、資本至上主義的な社会通念の在りよう。
 すべてを横文字的発想の一定の枠で括って、それに外れるものは存在すら許さないような、傲慢なもののとらえ方。

 物差しがひとつしかないと思ったら、大間違いです。

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キュウリ切って、勘当だ!

2011年06月03日 23時23分23秒 | キラめく言葉
 「将棋にうつつを抜かしてるからなんじゃないの…!」
 会うたびに、やせちゃってるョ…いえね、どうも顔だけがやせていくようだ…寝不足?…いやー、信長君より長生きしつつあるから、お年柄なンじゃないかねぇ…という友人との会話を、一家のものに伝え述べたら、そう言われた。

 なにぃ、あたしゃ、将棋にうつつなんぞ抜かしてませんよ、戦国鍋TVにうつつを抜かしている、と言われりゃ、ああそうか~~と諸手を挙げて投降するけど。
 うつつを抜かしたあまり本業に支障をきたして、好きになったものが自分の堕落の原因であるかのように、そう悪しざまに言われるのは絶対に嫌だから、私は意地でも、家では将棋を指さないのである。魂の先生にも誓った。

 私が将棋に開眼したきっかけともなった先生と、ある時ちょっと言葉を交わす機会を得て…その直前に私は先生が、目隠し将棋で勝利する場に居合わせたので、先生の頭の中って一体どうなってるんでしょう…と愚にもつかない感想を述べた。

 先生は自嘲気味に自分をして「将棋マシンですから」と、朗らかにおっしゃった。

 その瞬間、私はグワシと心臓を鷲掴みにされ、チェブラーシカのようにバッタリ倒れた(チェブラーシカはロシア語でバッタリ倒れ屋さん、という意味らしい)。胸がキュンとするのと頭をハンマーで殴られるのが同体…クリスティ『オリエント急行殺人事件』の特定できない致命傷のような…とにかく桶狭間の今川義元が輿から転げ落ちたが如く、いわく言い難い衝撃を受けて、姉川の河原の屍か、顔半分ほど、水の流れにしばらく浸かっていた。

 ああ…そうだ、そうなのだ。私も「三味線マシンですから」と、明るい太陽の下で、朗らかに言えるような人間にならないといけないのだ…それまで、どうしてもその先生に将棋を教えていただきたいと生半可な弟子入り志願のような淡い望みを抱いていたが、三味線マシンですから、と、ひと様に言えるその日まで、私は絶対に家では将棋を指さないぞと、お天道様に…八幡さまの弓矢に誓い、われに七難八苦を与え給えと、山中鹿之助スタイルで月に祈ったのだった。……ほんまでっせ。
 私には出来ごころなんぞというものはない。常に本気だ。ほんの思いつき…はあるかもしれないけど。

 そんなわけで、私は深く将棋に心奪われながらも、家のものから勘当を受けたことは一度もないのである。
 「キュウリ切ってカンドウだ」という、このセリフ。今だと、旬のみずみずしい胡瓜を切ってみたら、うす緑があまりに美しくて感動した…なのかなぁ。そういえば昔、板前のバイトをしていた友人が、鍋パーティで「うざく和え」をつくってくれて、キュウリが見事に蛇腹に切ってあって、ものすごく感動したことがあったけど。

 キュウリは、旧離。久離とも書く。簡単にいえば勘当されることですね。江戸時代は連座制だったので、親族の誰かが悪いことをすると、一族郎党、処罰される。それを回避するための家族法で、家出なんかしちゃった虞犯青少年を、年長者が縁を切って、あらかじめ奉行所に願い出て、久離帳というのに登録してもらえば、連帯責任を免れる。
 田畑を放棄して江戸に流れてきた農民を、故郷に帰す「旧里帰農令(きゅうりきのうれい)」の旧里、ふるさとの意味とは、ちょと違う。

 近松門左衛門の『冥途の飛脚』には、この「久離切って…」という言葉が、頻繁に出てくる。
 私は心中物が好きではない。むしろ嫌いで、ヤサ男が遊ぶ金欲しさに使い込みした挙句、自分の非力さに、どうしょうどうしょう…と呟いているのを見ると、しっかりしろ!と後ろ頭を草履でひっぱたきたくなる性分だ。
 で、文楽で近松特集が組まれると、勘弁してくれ…と妙に毛嫌いしていたのだが、先日、こいつあぁ宗旨を変えざァなるめぇ…という感動の名作を観た。
 マーティ・グロス監督が1979年に製作した『冥途の飛脚』。三十年前の、先代、そして脂の乗り切った当代のお師匠さん方の芸もさることながら…男女間の愚かしい恋愛劇であるだけでなく、親子の情愛という普遍のテーマをも描いているのだ、ということに、私は突然気がついた。何回となく観た新口村であったのに、まったく分かっていなかったこの浄瑠璃の魅力を、私はマーティ監督の眼を通して、改めて知ることができたのだ。

 実の父親が養子先の親に遠慮して、血を吐く態でその胸中を吐露する。こういう義理の立て方、というのは、欧米化した現代人には分からないだろうなぁ…。
 不覚にも涙があふれそうになり、この、親子の情愛ってやつで、もう十数年前、焼け野のキギス、夜の鶴…忠臣蔵九段目で、客席のいちばん前で号泣して、舞台の菊五郎をたじろがせたことを想い出した。あの時の加古川本蔵は、今は亡き十七代目羽左衛門だった。

 そして、この感動体験に続く五月の東京での文楽公演。
 津駒大夫・寛治師匠の「新口村」に、私は号泣した。それまで熱演が際立って、どうしてか浮いた感じになってしまうことの多かった津駒大夫の語りを、空二(からに)の艶やかな音色だけで観客の魂を持っていく寛治師匠の三味線が、余すところなく受け止めていて、私はもう初めて、新口村でこんなにも泣いた。

 義太夫における三味線と太夫は、どちらかが過分になっても成立しない、絶妙なバランスで成り立っている芸なのだと、改めて思い至った。
 将棋にも、芸達者な受け師の先生がいらっしゃるけれども。
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