長唄三味線/杵屋徳桜の「お稽古のツボ」

三味線の音色にのせて、
主に東経140度北緯36度付近での
来たりし空、去り行く風…etc.を紡ぎます。

麒麟さん、あ。

2012年12月11日 11時21分30秒 | ネコに又旅・歴史紀行
 都バスの路線が減ってここ十数年ほど、さびしい思いをしていたが、都内各地域、コミュニティバスが増えて、思いがけない街角で、バスに行きあうことがある。
 想いつきは、いつも、旅の始まり。
 踊りの会がハネて日本橋劇場から外に出たら、小体な可愛いバスが停まっていた。
 来た道と同じルートで帰るのはつまらないから、行き先も知らず乗ってみた。
 江戸バス、といい、中央区内の、あまり交通の便利ではない地域を循環しているのである。

 コミュニティバスだと、始発停留所にしても終点にしてもたかが知れてるから、どこかの知らない街で、来たバスにとりあえず乗るという、博打のような思いつき小旅行を“決行する”ほどの度胸もいらないので気が楽だ。
 ただ、自分はどこに行ってしまうんだろう…的浮き草的デラシネ心情を満喫したいときには、地方都市の大型路線バスは、エキサイティングな旅のツールではある。

 多くは申しますまい。長年の懸案事項だった「霊岸島」(落語「宮戸川」主人公の親戚が住んでる町)を、期せずして訪れた…という収穫があったことだけ記しておく。

 どこをどう廻ったにしろ、江戸バス北循環は、戦前の日本橋区内だ。
 日曜の晩、ひと気のほとんどない中央通り。
 美味しいものでくちくなり温まり満ち足りた人間は、思いもかけぬ行動に及んでしまう。

 はい、たぶん人通りの多い、明るいお天道さまの下では絶対に恥ずかしくて撮らないであろう日本橋を被写体にして、シャッターを押してしまいました。
 だって、日本橋ってステキなんだもの。


 
 欄干の中ほどにある麒麟の像です。
 よく見たら、麒麟さん、阿吽になってました。
 北面を向いているのが「阿」像、南面が「吽」。

 日本橋は、東京では「にほんばし」。大阪は「にっぽんばし」いうらしいですなぁ。
 日本橋銘の揮毫は、徳川十五代将軍、慶喜公です。
 (日本橋の意匠で、榛原商店が、便箋封筒セットを商ってらっしゃいます)

 1911年、明治44年に架けかえられたのが現存する日本橋だそうな。
 橋の設計(意匠)は妻木頼黄(つまき・よりなか)氏。幕末の旗本の家に生まれた方です。
 去る10月開催された戦国鍋LIVE(私は演奏会前日で準備のため参加できず涙を呑んだのですが)主戦場、横浜赤レンガ倉庫の設計者でもある。
 そして、愛知県は半田市の観光名所になっている、旧カブトビール工場の赤レンガ群もこの方の設計です。

 ちなみに、半田市は『ごんぎつね』でおなじみ新美南吉の故郷でもあります。
 私を泣かすには玉葱は要りません。新美南吉の『うた時計』があれば、即号泣です。

 …ほら、やっぱり余談で長くなっちゃった。

 さて、この、“あ・うん”の麒麟像で想い出したことがあります。
 小学生の時、英語塾に通っておりましたその時のテキストに、たしか、ローマ神話のヤヌス神の彫像が載っていた。月の名前を憶える、一月の言葉の語源ですね。
 ヤヌス神は二つ顔を持っていて、去年と新年を見ています…と、むかし聞いた。

 日本橋の欄干の真ん中で、龍に似た麒麟を見て、ふと。
 そして、ヤヌス神が立ってる場所って、本当に一年の境目だとすると、後ろの顔は去年、前の顔は来年を見てるわけで、その瞬間は“今年”って概念がないわけだよね…などと考えてみる、酔客が、夜更けた橋のたもとに独り。
コメント
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