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作品を彩る追加キャスト解禁!

2020年12月22日 | キネマの神様、2021年公開

J友さんから、twitter情報をいただきました。少しづつ情報が解禁されてますね(^^ゞ

「キネマの神様」作品を彩る追加キャスト解禁!

この度、新たなキャストとしてリリー・フランキー、志尊淳、前田旺志郎の出演が決定! 菅田将暉、永野芽郁、野田洋次郎、北川景子と同様、今回発表された三名も揃って山田監督作品は初出演となり、作品の世界に新たな色を加えます。

豪華な出演者に、ますます映画への期待が高まりました。(^-^) ただ、俳優の前田旺志郎さんのお名前にピンときません。お顔は見たことがあるけど、大河ドラマの「平清盛」に出ていたの?何役だったんだろう??

調べてみたら、お笑いコンビ・まえだまえだの前田旺志郎くんで、「平清盛」では、清盛の子供時代を演じていたそうで、ヘぇ~ 大人になりましたね~(^-^)



こちらもJ友さんから⇒岸部四郎のトーク力が覚醒した「シローコーナー」 楽器は下手だったと元メンバーが追想

 



目下の年末のTV番組の一番の楽しみになりそうです。⇒GS I LOVE YOU 〜あの時君はすごかった!!〜 12/29(火)よる7時00分~8時58分

(出演)「ザ・ワイルドワンズ」の鳥塚しげき、植田芳暁、島英二
ミッキー吉野、加瀬邦彦の次男の加瀬友貴が出演。等
さらにゲストで、「ザ・タイガース」の加橋かつみ

こういうときは、ザ・タイガースの代表はトッポなのねぇ。一番先に抜けたのに、と思わずいいたくなるのよ〜 でも、昔はジュリーの次はトッポが贔屓でした。今も昔の曲を聴いたら、やっぱり いい!と思います。



JTEFトラ・ゾウ保護基金の賛同者に、ジュリーさまのお名前が!⇒賛同者のみなさん

さすがに元トラ🐯 でも、JTEFというから、JSTロックンロ-ルのことかいな?と思っちゃった(^^ゞ

同じく賛同者の、岡田彰布さん(野球評論家)という名前は、阪神タイガースの元監督だからです。他の阪神の監督も見習って、是非賛同して欲しいものですわ。



本日のジュリーライブは、昨日の1974年から3年後の1977年。

たった3年の間に、ジュリーは私生活の大きな変化と、上がったり落ちたりの毀誉褒貶を味わいます。そして大麻疑惑を噂されながらも、噂をただの噂と受け流す、ひとかたならぬ強さを身に着けた29歳。

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1974年の夏

2020年12月21日 | JULIE メモリーズ

コメ欄で教えていただきました。CSの時代劇チャンネルで放送中の「風の中のあいつ」12月23日(水)放送の第9話では、ジュリーの歌う番組主題歌が二番まで聴けるそうです♪⇒風の中のあいつ 第9話 「勝蔵故郷に帰る」

ジュリーのCDやアルバムには未収録です。股旅物にはイメージからして不似合いと思われる、ジュリーの細く若く甘い声が、青春の儚さを思わせて好きです~✨



只今、年賀状を書いてます。来年もジュリーのライブには行けない。それは今年お会いできなかった遠方のJ友さんたちとも、来年もまたお逢い出来ないということで、それがまた寂しい・・ 例年よりも書く文字に力を込めています。

私の初めてのジュリーコンサートは、1974年7月31日の大阪フェス。あれから今年の2020年のお正月まで46年間、ずっと途切れることなくコンサートに参加していたのになぁ・・

1974年、高校生の夏の日。

ジュリーに向かって必死に差し出す、多くの手と手と手。熱狂と歓声の中で伸ばした少女たちの手は、果たしてジュリーに1㎜でも届いたのだろうか。

少しでも近くに行きたい。ジュリーに触れたい。でも、あの日の私は手を差し出す事もかなわぬ、限りなく後ろに近い席だった。

それでも気持ちは、遠いステージ上の憧れのジュリーと共にあった。

来年、行けないのはジュリーのせいでも、私の都合でもない。再びジュリーとファンに、熱いコンサートが再開されることを願って、今はただ、新型コロナの終息を願うばかりです。

では、今から柚子湯に入ってきます。なんで入るんやろ?いわれは知らんけど。きっと、ジュリーも入っているに違いない。


柚子湯、調べてみました。⇒冬至に柚子湯に入ると、『1年中風邪をひかない』という言い伝えがあります。 冬至に湯治(とうじ)が、かけられており、柚子ゆず)だけに「融通 (ゆうずう)が利く(きく)ように」という願いがこめられているといわれています。 柚子の精油成分には、血行を促進させる働きがあり、お風呂に入れると身体を芯から温めます。

「1年中風邪をひかない」ってことは、新型コロナに罹らないってことね。ゆっくり、お風呂に浸かってきます(^-^)

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澤会が更新

2020年12月20日 | JULIE

朝、ジュリ友さんからのメールがあり、コメ欄でもお知らせ頂き、HPを見てきました。とても残念です。

ライブ再開のメドが立たないので、潔く解散になったのかと思いますが、解散の2文字が、乾いて冷たく見えてしまいましたが、ライブが楽しまれる日まで、元気でお健やかに、の文に救われました。

コロナが完全に終息しなければ、ライブ開催は出来ないという、ジュリーさまのお気持ちは十分に理解出来ます。誰も感染させてはなりません。来年は無理でも、ライブが再開された時は、皆で喜び  めいっぱい楽しみたいと思います。では、仕事に行って来ます。

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「魔界転生」聖地巡礼、東映太秦映画村

2020年12月19日 | 魔界転生

1981年、YOUNG5月号の撮影紹介記事

少し読みにくいですが、ジュリーの撮影所での様子など、詳しく書かれています。

東映京都撮影所俳優会館

下の画像はジュリーも使用した俳優会館。

去年の9月、ジュリーの京都ライブの前に、「魔界転生」が撮影された映画の聖地に行きました、東映太秦映画村。ほんとは聖地巡礼というよりも、一度は太秦映画村に行ってみたかっただけ。1年以上もたちましたが、今頃にアップします。(^^ゞ

映画村の入り口辺りに飾って有る、日本刀を見て刀剣女子の若い女の子が、キャーキャー喜んでいた。世の中も変わったね~

映画村へのアプローチに、東映の主要な作品群のポスターが飾られていて、「魔界転生」のポスターが・・

あれ!リメイク版やんか!(-_-;) 許せないわ〜💦💦当たってないでしょ、この映画は。見てませんけどね。ご覧になったJ友さんは、良かったと言われていました。

さらに行くと、東映映画撮影所の建物が見えて、ここでジュリーは魔界転生の撮影をしたんだなと、思わず注目、覗き込んで感慨に耽る。デカイ箱、倉庫といった雰囲気です。

映画村のお客はファミリー層や、若い人もけっこういました。

芝居小屋、中村座

中村座では、迫力のある時代劇や剣劇ショーが行われています。ここに入ると、中にやっとお目当てが有りました。

昭和56年(1981ネ)「魔界転生」のポスター。

花魁道中には多くの見物人が集まり、餅まきもありましたが、一個もゲットできず(-_-;)

江戸時代の商家をブラブラ。広場では忍者ショーや、キャラクターショーが人気です。

見物人が殆どいない美空ひばり館で、錦之助さんのポスターがいっぱい見られて嬉しかった(^-^) 東京ドームの衣装

こんな気になる文言を発見、「1981年 武道館 初日本人単独コンサート」それはあまりに違うでしょ~。もちろんザ・タイガース!周知の事実です。

では、ひばりさんは、日本女性として始めてやったの?それも違って、百恵さんでした。何が何でも一番と書く必要は無いと思う、ひばりさんなんだから。でも1981年ごろなら、ひばりさんに対する、世間の風当たりはまだ強い頃だったと思う。逆風をいっぱい浴びて、病から立ち直っての東京ドームの復活コンサートだったから、再び世間は熱狂したんだよね。スターを持ち上げたり落としたり、上げるのも落とすのも人。世の人の心変わりの速さよ。

50代の若さで亡くなったひばりさん、亡くなってから惜しんでも遅すぎる、とつくづく思う。長生きしたものが、最後に勝ちだと思うこの頃、ジュリーは健康で長く歌ってくださいね!!

朝から京都を一人でうろつき、ずっと飲まず食わず、ライブ前に腹ペコではいけないと、京湯葉丼ランチを食べました。上品なお味で、美味しゅうございました(^-^)

ライブは夕方からだったので、この後 近くの広隆寺で国宝の仏像を拝観し、神社、南禅寺近くの庭園も見て、たっぷり京都を楽しんでから、ロームシアター京都に向かいました。(2019年9月)

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沢田研二が『魔界転生』で放った妖しい魅力

2020年12月18日 | 魔界転生

J友さんから教えていただいていましたが、すっかり忘れて、アップするのが遅れてしまいましたわ💦💦⇒ キスシーンも話題に!沢田研二が『魔界転生』で放った妖しい魅力

写真がいっぱいで、嬉しい(^-^) けど何度も言いますが、天草四郎はキリスト教徒が起こした「天草の乱」です。島原の乱ではありませぬ。

『魔界転生(1981)』は、あと12月27日にも東映チャンネルにて放送されるそうです。うちでは見られませんが。⇒こちら



1981年のYOYNGを見ていたら、発見したものがあったので、 2017年のブログ再録。

こちらに画像⇒「魔界転生のジュリー、撮影秘話」(2017年12月03日)


madameHから「魔界転生」の撮影時のエピソードを伺いました。紹介させていただきます。魔界転生の助監督を友達のお父様がやってらした方からで、映画撮影時のエピソードです。

ラストシーンの炎に包まれるシーンで、ジュリーは火傷にもめげず
微動だもせずに演じきって そのプロ根性の凄さに
最初は歌手のくせにと、ちょっと舐めていた関係者全てを感嘆させたそうです。
ちなみに、熱くて逃げちゃったのは、主役のひとりである千〇真一さんですって(笑)
若山富三郎さんに怒られたらしいですよ。
若山富三郎さんはジュリーが大好きでしたよね。
結局、千〇ちゃんをはじめ逃げちゃったひとが多くて、セットを組み直して
再撮影になっても、超売れっ子なのに、スケジュールをやり繰りして
文句ひとつ言わずに演じたそうです。
絶対に仕事は手を抜かないジュリーらしいエピソードだと思いました。  

先程、みずから被曝しちゃった「太陽を盗んだ男を」観て来ました。
土曜日と言う事と 最終日と超話題作と言う事もあり
凄〜〜いひとで かなりの時間並びました。
混雑のため、開演時間も遅れてました。
往年のジュリーファンだけでなく年 齢も幅広くて若い世代の人たちが
多かったです。特に男性が多いと思いました。

細川ガラシャ役の佳那晃子さんは、一度、仕事でお会いした事があります。
全然、知らない女優さんでしたが「ほら、ジュリーの魔界転生で今、話題の…」
と言われて気がついたって感じ💦
小柄で華奢で控えめで、あんな大胆な演技をする女優さんには見えなかったです。(madameℍより)



 貴重な撮影エピソ-ドを有難うございます長年の映画の伝統のある、東映京都撮影所のスタッフさんたちが、歌手であるジュリーが初めての時代劇を、果たしてどれだけやれるかと思うのは、無理からぬことだと思います。スタッフの方々はジュリーの作品にかける真剣さ、心意気を感じてくれたのですね。

それにしてもジュリー… 俳優としてもすご過ぎる。多彩な才能がきらめくばかり、ただただ眩しいです。明智光秀の娘である細川ガラシャは、大河ドラマ「麒麟がくる」では、芦田愛菜ちゃんが演じます。


1981年の「さよなら日劇」の記事を探していたら、YOUNGに挟まっていた、黄ばんだ女性週刊誌の記事を発掘。挟んでそのままにして39年もたち、この度、や~っと日の目を浴びます。

「チバかジュリーか?」

そういえば、ポスターの名前が初めは二人で左右に並んで、どちらが主演か微妙でしたわ。

チバちゃんは映画スターですから、そのプライドは高く、言い分はごもっともです。が、作品は今ではジュリー主演で通っていると思います。

続く

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1981年宝島と『ヒューマン・ルネッサンス 』

2020年12月17日 | JULIE メモリーズ

J友さんから、PARCOのCMに出た話を1981年の「宝島」で、ジュリー自身が語っているそうです。と伺ったのですが、全然記憶にないなぁ・・と思いながら、気になるので夜中に探してみたら、有りました。全く内容には記憶はありませんでした。当時から、買って一度読んだら なかなか見返すことはありません。

確かに、ジュリーがPARCOのCMについて語っていました。もうすでにどこかで、アップされていると思いますが。1981年5月号

他にもページは有りますが、デビュー前の話など、ファンなら知っている話でした。

Rスズキさんのブログを拝見していたら、タイガースのヒューマンルネッサンスのアルバムデザインも石岡瑛子さんとのことで、ザ・タイガース時代から、すでにジュリーとの付き合いがあったのですね。こちら⇒えとせとらレコ-ド

アート・ディレクターは廣野展生で、写真撮影は横須賀功光、デザイナーは石岡瑛子、その人選は当時タイガースのマネージャーだった中井國二とのこと。 演出された各写真のイメージは撮影した横須賀功光によるものらしい(『レコード・コレクターズ』誌 2002年7月号の記事「ジャケット・デザイン・イン・ジャパン」より)。

アルバムデザインは、アイドルがニッコリというよりも、若さや内包した思いが垣間見えるようなデザインです。

 

『ヒューマン・ルネッサンス Human Renascence』のアルバムは、当時の時代や彼らの思いを取り入れた、若者らしい煌めくような名曲ぞろいで、どれも忘れがたいです。タイガースの復活コンサートでも歌われました。ジュリーとトッポの、個性の違う声の競演は、火花の散るように素晴らしいものでした。

 

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「BSテレ東歌謡フェスティバル」TOKIO

2020年12月17日 | JULIE

3時間近くもある長い番組で、最初からジュリーのTOKIO歌唱場面をチラチラ流し、ジュリーファンを釣ってくれました。

ジュリーは急に登場して、あっという間に終わりました。慌てて写メ。

映像メドレーだから、短かったのか。鮮明な画面ではないものの、ジュリーは可愛かった ちょうど、PARCOや「水の皮膚」の辺りの頃やね。録画する必要もなかったかなと思いながら、懐かしいアイドル達の70年代からの歌謡曲は楽しく見ました。

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石岡瑛子 血が、汗が、涙がデザインできるか 

2020年12月16日 | TV・ラジオ・CM・映画

J友さんから教えていただきました。明日の16日 

開局20周年特別企画 BSテレ東歌謡FESTIVAL
2020年12月16日(水) 19時00分~21時54分

ジュリーのTOKIOが流れるそうです。



昨日、お知らせしたBS日テレ 石岡瑛子展⇒ぶらぶら美術・博物館  今こそ知りたい!世界的デザイナー「石岡瑛子」展~誰もが知る広告、ハリウッド映画…歴史を変えた天才の仕事、その全貌!~
 
見ました。石岡瑛子さんの仕事と言えば、私が知るのは資生堂やPARCOやジュリーとの仕事だけ。ところが日本人のアートディレクターで、これほどグローバルに幅広い仕事をしている日本人がいたのかと、眼を見張る思いがしました。

石岡瑛子
血が、汗が、涙がデザインできるか 
2020年11月14日(土)- 2021年2月14日(日)

東京に生まれ、アートディレクター、デザイナーとして、多岐に渡る分野で新しい時代を切り開きつつ世界を舞台に活躍した、石岡瑛子(1938-2012)の世界初の大規模な回顧展。時代を画した初期の広告キャンペーンから、映画、オペラ、演劇、サーカス、ミュージック・ビデオ、オリンピックのプロジェクトなど、その唯一無二の個性と情熱が刻印された仕事を総覧します。


「石岡瑛子 血が、汗が、涙がデザインできるか」の、血が汗が涙が・・の意味が少しだけわかった気がしましたわ。石岡さんが造りだす、多くの無名の人たちの剥き出しのビジュアルが、見る者に何かを訴え語りかけ、多くを感じさせ、その力強さ存在感に誰もが捕まってしまう。
そんな石岡さんは、有名人は起用しない方針で、ジュリー側からのPARCOのCM出演要請には、困ったと大いに戸惑ったのだとか。
 
録画をしていなかったのが とても残念、記憶で書いています。
出演は山田五郎さん、  おぎやはぎ(小木博明、矢作兼)  高橋マリ子さん。
山田五郎さんが、石岡瑛子展の案内役です。山田さんはジュリーファンなので、きっとPARCOのジュリーについて語ってくれるに違いないと思いました。
対して聞き手のおぎやはぎらは、石岡さんについて殆ど知らない様子でした。
番組初めの方に、ジュリーの写真集の「水の皮膚」が写りました。
山田さん「石岡さんはヌードが好きなんです。」
 
 
資生堂の宣伝で一躍有名になった石岡さん。資生堂の入社試験に「もし私を採用してくれるなら、お茶くみではなくて 男性と同じ仕事を」と書いたそうです。こんなこと書いたら、普通は落とされるよね💦と語り合う出演者。50年前も、今も、それはあんまり変わっていないのかもしれないね。
 
 
出世作の資生堂のポスターは、当時は田舎の子供だった私の眼には入っていたのだろうか? けど、前田美波里さんという女性を知ったのは間違いないのだから、明らかに子供の私にも、石岡さんの作品の影響は及んだのだろう。
 
パルコのポスターでジュリーを紹介し、山田さんが「石岡さんの中では異色、このポスターは盗まれまくった。ジュリーが死ぬほど売れていた頃。」山田さんでなければ、ジュリーのこんな説明はしてくれなかっただろう。
ジュリーからの出たいというオファーに、スターは使わないという石岡さんは、どうしようと、うろたえたのだとか。
 
ジュリー自身が語ったパルコのこぼれ話では、石岡さんの声色で「私は裸がいいと思うのよね!」まさに自信満々の、断定的な物言いの女性に聞こえました。「石岡さんが、ジュリーにうろたえていた」という話は意外に思いました(^^ゞ
 
写真集を作ることになり、離島に連れて行ってジュリーを脱がせた。スタッフも全員が勢いで裸になった。
という話には、ジュリーが加瀬さんを偲んでMCで語ったことを思い出しました。加瀬さんが「ジュリー恥かしいよね、僕も裸になるから」といって、一緒に裸になってくれたと、泣き笑いのように話していましたっけ。
 
そんな加瀬さんのことを思い起こしたりしながら
 
次はジュリー関連では「MISHIMA」の舞台美術へ。ジュリーの出演は「鏡子の部屋」ですが、ここでは「金閣寺」の舞台セットを紹介しています。山田さんがジュリーが「鏡子の部屋」に出演していたことを話してくれなかったのが残念です。
 
カンヌ映画祭では芸術貢献賞を受賞。しかし日本では未公開に。山田さんが「大人の事情で・・」と言葉を濁します。石岡さんはそれにショックを受け、日本を離れたのだとか。
海外でますますグローバルな活動を拡げる石岡さんは、北京オリンピックや多くの映画衣装を担当したり、Ðボウイもミックジャガーも断って、シルクドソレイユの衣装を担当しました。例えビッグネームでも袖にする、石岡さんの活躍ぶりに、恐れ入るばかりでした。
ただただ、こんなスゴイ女性・・ いや、日本人がいたんだなと、改めてその仕事ぶりに驚嘆しました。2012年に亡くなった石岡さん。
 
石岡さんの高校生の時に作った絵本も展示されていて、天才に年齢はないと つくづく思いました。展示を見て1本の映画を見たようで泣いた、長い旅をしたようだという感想が寄せられたそうです。実際にこの目で見たら洪水のように押し寄せる色彩と形と、眼に見えるような精神性、石岡さんの造りだすエネルギー溢れる作品群に、どれほど圧倒されたのでしょうか。この目で実際に見てみたかったです。
東京都現代美術館の「石岡瑛子展」は2月14日まで開催されます。
 

山田さんが、ジュリーが「MISHIMA」に出演していたと紹介してくれなかったことが残念です。PARCOに「MISHIMA」、石岡さんの代表作にジュリーが関わったことが本当に素晴らしい。映画が日本未公開のままは、本当に残念です。
 
鏡子の家の、妖しいセット
日本で公開されれば、ジュリーの映画履歴に残る大きな作品として、広く認知されたでしょうにね。カンヌまで行ってるのは日本の映画人でも選ばれた人たちだけ、歌手芝居じゃないのよ!と声を大にして言いたいです。
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沢田研二が紅白最後の目玉? 志村さん『エール』出演で

2020年12月15日 | JULIE

私は出ないと思いますけど・・。⇒沢田研二が紅白最後の目玉? 志村さん『エール』出演で

載ってる画像が気に入らない💦

ザ・タイガースが再結成した時に、ジュリーがMCで『ピーは紅白に出たことが無いので、考えている。』と言っていたので、あの時だけはちょっと期待をしたんですけどね。

ジュリーが出演するのを見たいと言えば見たいし、ジュリーが独りで出るだけの「SONGS」ならいいな。

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12月14日は

2020年12月14日 | JULIE メモリーズ
 
 
残念ながら、美術館には行けないので、TVで見たいと思います。



 亡くなられた小松政夫さんの記事が、土曜日の神戸新聞に載っていました。「映画はクレージーキャッツ、ザ・タイガースのシリーズ作品」と、小松さんの代表作の一つとして、ザ・タイガースの映画が出たのが嬉しかったです。

コメント欄に (澤ノ井謙さんから)頂きました

小松さんの結婚披露宴で、沢田研二とショーケンがツーショットスピーチで祝辞をしていたスナップ写真を、福岡のローカル番組で小松さんが紹介してました(5年くらい前かな)小松さんの話だと、当初ショーケン一人でスピーチのはずが、ショーケンがスピーチ途中で「おい沢田、お前も座ってないでここに出てこいよ」と呼び出して豪華なツーショットスピーチが実現したそうです。」

コメントどうも有難うございます、ジュリーとショーケンの2ショット写真が見たいです~!!



J友さんから、1978年のラジオ関東「電撃わいどウルトラ放送局」で、ジュリーと小松さんの対談を録音したものを送っていただきました。この番組名に私は全く記憶が無いのは、関東近辺のみの放送で、こちらでは聞けなかったからだと思います。有難く聴かせていただきました。

「しらけ鳥音頭」の、しらけ鳥飛んで行く♪の音楽に乗って登場した小松さん。その曲の脱力感のある可笑しさと懐かしさ、小松さんの笑顔が目に浮かぶような口ぶりに、思わずこちらも笑顔になります。

対するジュリーは年上のゲストでも、全く緊張感を感じさせない態度で『タイガースでデビューして、初めてのレギュラー番組だった「シャボン玉ホリデー」で小松さんとご一緒した。セットの片隅でよく話をした。小松さんの面白い話が聞きたかった。』と、昔から二人が旧知の間柄であることがよくわかる、とても和やかな良いムードでした。小松さんの思い出の曲として「シーサイドバウンド」が流れました。


面白かった!とジュリーが語る小松さんの「長谷川一夫さんの忠臣蔵の物まね」は、もう私の年代以上の、さらにお年寄りしかわからない。大河ドラマ2作目の1964年の「赤穂浪士」で長谷川一夫さんが、『おのおのがた、討ち入りでござる』と重々しくいうのが、当時スゴ~ク受けて、あちこちで声色をマネしていたのよ。

今の世の中なら、間違いなく流行語大賞!もう56年も前ですが。そういえば、ジュリー自身も『おのおのがた・・』と、随分昔にマネしてましたが、今やっても客席は殆どポカン状態になりますわね(^^ゞ「赤穂浪士」のテーマ曲は、とても印象的なメロディーで、今でも忘れないです。

そして、おりしも12月14日は、その赤穂浪士の討ち入りの日。私の地元播州の、赤穂では今年の義士祭は中止・・寂しいです。長谷川一夫さんは、阿久悠さんがジュリーを評して「現代の長谷川一夫」と言っていたのを覚えています。まだ、ジュリーの詞を書く前のことね

そして今日はジュリーファンには、2012年に「ジュリーが選挙応援をした日!」かな(^^ゞ

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