タイ国では今日10月23日は、チュラロンコン大王記念日(ラマ5世が崩御された日)です。
崩御されたのは1910年の57歳の時でした。 気がつけば、プミポン前国王(ラマ9世)も
亡くなられたのが10月13日と、10月は偉大なタイ国王の崩御が重なっています。
<チュラロンコン大王(1853年~1910年)>
プミポン国王を除いて歴代の王様で、タイの歴史上 最も偉大な、また最も敬愛されているのが
チュラロンコン王でしょう。会社や家庭で飾られる国王の肖像画や写真は、プミポン前国王に
次いで多いですネ。またプミポン前国王の叔父になられますので、ちょっと 身近に感じます。
今日は、チュラロンコン王の特別な記念行事は行なわれませんが、同王の遺志により1915年に
完成した「アナンタ・サマーコム宮殿(旧国会議事堂)」前の広場には、献花台が設けられ、
毎年 一部の公共施設や教育機関で、国王の功績を後世に伝える史料の展示も行なわれています。
<アナンタ・サマーコム宮殿>
ラマ5世としての42年間の在位期間中に、司法・行政制度を整備し、郵便通信事業・鉄道・教育
制度、更に軍制改革・奴隷制度廃止など近代国家としての基礎を作り、近代化を実現させた
偉大な王様と言われています。近代国家の礎を築いたチュラロンコン国王、崩御されて111年と
なった今もなお、国の近代化に貢献した偉大な名君として広く敬愛され尊敬もされています。
国民から慕われ愛されるチュラロンコン大王は、タイ国で最も由緒あるタイの最高学府と
される大学名にもなり、また アメリカタイム誌では「20世紀で 最も影響力のあった
アジアの20人の一人」にも タイ国から唯一 選ばれていました。
そして、もう一つ国にとって尊いことは、近代国家の礎を築いたことによって「タイの
独立が守られたこと」でしょうネ。これがその後のタイ国に繋がっており、重要に思います。
フランスとイギリスによる東南アジア大陸部の植民地化が強行された際、ミャンマーや
ラオスなど、近隣諸国が次つぎとヨーロッパの植民地になっていく中、巧みな外交政策で
タイは独立国であり続けました。 この歩みが世界大戦後も東南アジアでは唯一の独立国として
存続できたことに繋がっています。それは近隣諸国より早く近代国家になっていたからでしょうネ。
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