乾いた晴天が続いている。今日から12月。窓越しに冬の陽が差してい
る。樹木はそよとも動かない。またいつもの、いつの間にかの師走だ。
子供の頃、一年で時間を区切ることに何の意味があるのか、そう思って
た。ヒトは新たな「始まり」を作りたいために、「終わり」が必要なの
だろう。
何かが「終わる」ということはいいものだと思う。「終わり」は好きで
ある。「始まり」は苦手である。「終わる」と解放されてホッとする。
終わりゆく物事には、哀切とか風情があるのだ。だから、「終わり」に
立ち会っているような時期、年末・歳末が好きだ。
だが、終わることが、悪夢の始まりであることもある。終わってはなら
ないものもあるだろう。ヒトは死んで終わる。だから良いのだ。終わり
のない生命なんて苦痛だと思う。終わってはならないものとは、平和と
か正義とか民主主義とか‥。
神様の眼から眺めれば、何も「終わる」ものなどないのだろう。萌すと
始まりそしていつかは止み、また別の運動が起こり、変転と形をかえて
は続いていくだけのこと。「始まり」さえ不明の、螺旋状の永久運動。
人類史数万年なんて、蝉の一週間以下の他愛もない寸瞬である。
大宇宙からすればヒトなどチリ以下。でもこの私という小さき生身は、
私の全てである。人の世の優勝劣敗なんて、切磋琢磨の競争社会だか、
運・不運というより、ただの神の戯れ(サル山の戯れ?)に思える。
何か大いなるものの、遥か底にあって、生きているこの私は、生きてあ
ることを、今日の冬の陽射しに感謝したい。
どうにか歩んできた、我が来し方の既途をいとおしみ、ねぎらい、
何があろうと、何もなかろうと、我が行く末の前途に、いつまでも陽の
光の差さんことを。今この瞬間にあることを、いつも感謝とともに祝福
しつつありたい。
る。樹木はそよとも動かない。またいつもの、いつの間にかの師走だ。
子供の頃、一年で時間を区切ることに何の意味があるのか、そう思って
た。ヒトは新たな「始まり」を作りたいために、「終わり」が必要なの
だろう。
何かが「終わる」ということはいいものだと思う。「終わり」は好きで
ある。「始まり」は苦手である。「終わる」と解放されてホッとする。
終わりゆく物事には、哀切とか風情があるのだ。だから、「終わり」に
立ち会っているような時期、年末・歳末が好きだ。
だが、終わることが、悪夢の始まりであることもある。終わってはなら
ないものもあるだろう。ヒトは死んで終わる。だから良いのだ。終わり
のない生命なんて苦痛だと思う。終わってはならないものとは、平和と
か正義とか民主主義とか‥。
神様の眼から眺めれば、何も「終わる」ものなどないのだろう。萌すと
始まりそしていつかは止み、また別の運動が起こり、変転と形をかえて
は続いていくだけのこと。「始まり」さえ不明の、螺旋状の永久運動。
人類史数万年なんて、蝉の一週間以下の他愛もない寸瞬である。
大宇宙からすればヒトなどチリ以下。でもこの私という小さき生身は、
私の全てである。人の世の優勝劣敗なんて、切磋琢磨の競争社会だか、
運・不運というより、ただの神の戯れ(サル山の戯れ?)に思える。
何か大いなるものの、遥か底にあって、生きているこの私は、生きてあ
ることを、今日の冬の陽射しに感謝したい。
どうにか歩んできた、我が来し方の既途をいとおしみ、ねぎらい、
何があろうと、何もなかろうと、我が行く末の前途に、いつまでも陽の
光の差さんことを。今この瞬間にあることを、いつも感謝とともに祝福
しつつありたい。