脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

黄昏の2020東京五輪 ~ ジェンダーの話。

2021年07月24日 15時17分17秒 | コギト
昨夜、ついに東京五輪2020が開幕された。中止せよの世論の逆風下、コロナ緊急事態下での開催である。 私は、五輪の東京誘致そのものに当初から反対であるが、開幕したとなれば、歴史的記念イベントとして、 開会式くらいは見納めたいと思い、TV中継を最初の30分位観た。印象を一言でいえば、地味なセレモニー だった。小演劇だか笑いのないコントでも見ているような、無味乾燥で有り体な内容で、これに何兆掛けた もの . . . 本文を読む
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現代資本主義の終わりに‥、私の搾取論。

2020年12月27日 18時35分09秒 | コギト
冴えないコロナ禍の年末である。前の総理大臣が「桜」疑惑でお決まり の言訳をしていた。「秘書がやったことで、(自分は)知らない」と。 秘書が全てやっても、責任当事者は誰なのか。これで政治も世間も罷り 通るのなら、リスクのある事は全て、秘書にさせてれば、安泰だろう。 A前総理は、夫婦して税金をつまんだり、公務を私物化したりしていた 訳で、私腹を肥やしていたという程、悪質ではないものの、どうも本心 か . . . 本文を読む
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私の悲観文明論。

2020年08月02日 22時24分54秒 | コギト
目下、コロナ(禍)下の対応が迷走し、暗礁に乗り上げている感がある。 単純には言えないが、どうも経済優先の国と、防疫に重点を置きたい 地方との立場の食い違いにも感じる。コロナ禍が鎮静したら行うはず の経済政策「GOTOキャンペーン」が、どうして今、第二波の最盛期に 前倒しされねばならなかったのだろうか。 その理由として国は、全国の観光産業の経済的衰退を挙げていたが、 寧ろ、航空(機)業界や鉄道産業 . . . 本文を読む
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無関心について。

2020年02月16日 11時58分52秒 | コギト
まだ2月の中旬、確定申告も始まらない内に、季節は春のようだ。 今季は関東地方は「冬」がほとんどなく、このまま春になるのだろう。 南極では気温が20度もあるというし、これからの気候は、世界中で 何が起こるか分からない。確実に何等かの大異変が起こるだろう。 気候異常と関係あるか知らないが、現今の新型コロナ・ウイルス騒動 はもう2,3か月続くのだろうか。中国という国のグローバル化と伴に、 新型ウイルス . . . 本文を読む
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汝自身を知れ。(ソクラテス)

2019年11月16日 19時20分55秒 | コギト
大澤真幸氏の近著『社会学史』を読んでいた。社会学の通史的俯瞰に 好著であるだけでなく、マルクスやフロイドも含めた社会思想の通史 本としても、とても分かりやすく読み易い良書である。デリダやフー コーの他に、ドゥルーズも出して欲しかったけど。 私の世代では、社会学者というと、デュルケム、ジンメル、M・ウェ ーバー位しか習わなかった。パーソンズ、A・シュッツ、ゴフマンは 名前程度しか知らなかったが、と . . . 本文を読む
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<親>を絶つこと。

2018年04月01日 21時22分56秒 | コギト
1週間入院して、母の肺炎は一応治ったようだ。老人性の誤嚥性肺炎な ので、嚥下障害が残る。服薬の際に飲む水でもむせてしまうので、病院 では、水をゼリー状に固めて与えている。こんなんで、また自宅に戻っ てからの介護は大丈夫だろうか、と少し不安である。 親の介護とは、老親の「老・衰・死」に付き添い、わが身に引き受ける ことなのだろう。一方で、老い往く母は子供に返ったような、妙に愛ら しい処も時々あって . . . 本文を読む
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自問。

2017年10月14日 22時15分35秒 | コギト
近頃、肌寒くなってきた。 庭ではキンモクセイが甘く匂い立っている。 空気が乾いて空が澄み、夜には虫の音が響く。 また秋がめぐって来た。 夜更けのステレオから、 キース・ジャレットのピアノが鳴っている。 懐かしい風景のように‥。 今の時代、抒情は何処へ消えたのだろう? 先へ先へと、忙しなく急がされて生きているだけのようで、 立ち止まる事も、振り返る事もしなくなった。 周囲を見回す余裕もなく、お決 . . . 本文を読む
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御盆。

2017年07月16日 11時29分54秒 | コギト
昨年父が亡くなり今年は初盆である。いつもお盆は、近所にある墓参 りをするだけだったが、今回は玄関先に提灯を飾り、母と迎え火を炊 いた。仏壇には花と、父の好物だったアンパンとバナナを供え、藁の 牛馬を置いた。お盆の仕方に不案内だが、こんなもんで良かろうか。 お盆には死者が帰ってくるというが、束の間、故人が遺族の許に戻る という「物語」は、美しい風習だと思う。それがフィクションであれ、 それを信じて . . . 本文を読む
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最後に捨てるもの。

2016年04月10日 10時15分16秒 | コギト
モノを持たないミニマリストだの、「捨てる」ことが「技術」だのと モノ離れに関心が集まる。最後に捨てるもの、手放さざるを得ないも のが、自分自身(の肉体)である。これを、どう捨てるべきか? 私は昨年心筋梗塞をやってから、自分の死が身近に思えるようになっ てきた。観念としての死ではなく、生の最後に備え自分を手放す用意 をしておくのもアリかなと思う。私よりも80代の両親の死の方が先 だろうが、親の死も . . . 本文を読む
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私の大学考。

2015年05月04日 22時13分34秒 | コギト
このGW、大学時代の友人たちと集い、御茶ノ水にある母校を訪れた。 広々したエントランスと高層建築の校舎や記念館。綺麗で立派だが、 これらの建物等には我々の時代の思い出はない。これが卒業した大学 かと思うと、何だか肩透かしをくらっているような、雲を掴むような 実感のない心地がした。 私にとって大学とは何であったか。「母校」などと言うが、どこが「母」 なのかと思う。小・中・高・大と学校を思い浮かべた . . . 本文を読む
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