昨夜、ついに東京五輪2020が開幕された。中止せよの世論の逆風下、コロナ緊急事態下での開催である。
私は、五輪の東京誘致そのものに当初から反対であるが、開幕したとなれば、歴史的記念イベントとして、
開会式くらいは見納めたいと思い、TV中継を最初の30分位観た。印象を一言でいえば、地味なセレモニー
だった。小演劇だか笑いのないコントでも見ているような、無味乾燥で有り体な内容で、これに何兆掛けた
もの . . . 本文を読む
冴えないコロナ禍の年末である。前の総理大臣が「桜」疑惑でお決まり
の言訳をしていた。「秘書がやったことで、(自分は)知らない」と。
秘書が全てやっても、責任当事者は誰なのか。これで政治も世間も罷り
通るのなら、リスクのある事は全て、秘書にさせてれば、安泰だろう。
A前総理は、夫婦して税金をつまんだり、公務を私物化したりしていた
訳で、私腹を肥やしていたという程、悪質ではないものの、どうも本心
か . . . 本文を読む
目下、コロナ(禍)下の対応が迷走し、暗礁に乗り上げている感がある。
単純には言えないが、どうも経済優先の国と、防疫に重点を置きたい
地方との立場の食い違いにも感じる。コロナ禍が鎮静したら行うはず
の経済政策「GOTOキャンペーン」が、どうして今、第二波の最盛期に
前倒しされねばならなかったのだろうか。
その理由として国は、全国の観光産業の経済的衰退を挙げていたが、
寧ろ、航空(機)業界や鉄道産業 . . . 本文を読む
まだ2月の中旬、確定申告も始まらない内に、季節は春のようだ。
今季は関東地方は「冬」がほとんどなく、このまま春になるのだろう。
南極では気温が20度もあるというし、これからの気候は、世界中で
何が起こるか分からない。確実に何等かの大異変が起こるだろう。
気候異常と関係あるか知らないが、現今の新型コロナ・ウイルス騒動
はもう2,3か月続くのだろうか。中国という国のグローバル化と伴に、
新型ウイルス . . . 本文を読む
大澤真幸氏の近著『社会学史』を読んでいた。社会学の通史的俯瞰に
好著であるだけでなく、マルクスやフロイドも含めた社会思想の通史
本としても、とても分かりやすく読み易い良書である。デリダやフー
コーの他に、ドゥルーズも出して欲しかったけど。
私の世代では、社会学者というと、デュルケム、ジンメル、M・ウェ
ーバー位しか習わなかった。パーソンズ、A・シュッツ、ゴフマンは
名前程度しか知らなかったが、と . . . 本文を読む
1週間入院して、母の肺炎は一応治ったようだ。老人性の誤嚥性肺炎な
ので、嚥下障害が残る。服薬の際に飲む水でもむせてしまうので、病院
では、水をゼリー状に固めて与えている。こんなんで、また自宅に戻っ
てからの介護は大丈夫だろうか、と少し不安である。
親の介護とは、老親の「老・衰・死」に付き添い、わが身に引き受ける
ことなのだろう。一方で、老い往く母は子供に返ったような、妙に愛ら
しい処も時々あって . . . 本文を読む
近頃、肌寒くなってきた。
庭ではキンモクセイが甘く匂い立っている。
空気が乾いて空が澄み、夜には虫の音が響く。
また秋がめぐって来た。
夜更けのステレオから、
キース・ジャレットのピアノが鳴っている。
懐かしい風景のように‥。
今の時代、抒情は何処へ消えたのだろう?
先へ先へと、忙しなく急がされて生きているだけのようで、
立ち止まる事も、振り返る事もしなくなった。
周囲を見回す余裕もなく、お決 . . . 本文を読む
昨年父が亡くなり今年は初盆である。いつもお盆は、近所にある墓参
りをするだけだったが、今回は玄関先に提灯を飾り、母と迎え火を炊
いた。仏壇には花と、父の好物だったアンパンとバナナを供え、藁の
牛馬を置いた。お盆の仕方に不案内だが、こんなもんで良かろうか。
お盆には死者が帰ってくるというが、束の間、故人が遺族の許に戻る
という「物語」は、美しい風習だと思う。それがフィクションであれ、
それを信じて . . . 本文を読む
モノを持たないミニマリストだの、「捨てる」ことが「技術」だのと
モノ離れに関心が集まる。最後に捨てるもの、手放さざるを得ないも
のが、自分自身(の肉体)である。これを、どう捨てるべきか?
私は昨年心筋梗塞をやってから、自分の死が身近に思えるようになっ
てきた。観念としての死ではなく、生の最後に備え自分を手放す用意
をしておくのもアリかなと思う。私よりも80代の両親の死の方が先
だろうが、親の死も . . . 本文を読む
このGW、大学時代の友人たちと集い、御茶ノ水にある母校を訪れた。
広々したエントランスと高層建築の校舎や記念館。綺麗で立派だが、
これらの建物等には我々の時代の思い出はない。これが卒業した大学
かと思うと、何だか肩透かしをくらっているような、雲を掴むような
実感のない心地がした。
私にとって大学とは何であったか。「母校」などと言うが、どこが「母」
なのかと思う。小・中・高・大と学校を思い浮かべた . . . 本文を読む