脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

母の太洋。

2018年03月25日 17時34分42秒 | その他の病気
要介護2の母が、誤嚥性肺炎のため近所の病院に入院してしまった。
母の入院は3年ぶりだが、一昨年父が他界したので、家には私ひとり
となってしまった。一軒家の我が家にひとりとなって初めて、夕飯時
普段には感じない淋しさがじんわりとこみ上げてきた。

家に自分の他に誰もいない経験は、若い頃単身での地方勤務時代に味
わっているが、同居者と死に別れてひとりとなる経験とは異なる。母
は入院だが、ひょっとして長くないのだろうかとも不安を覚える。私
は高齢の母親を頼って生きているつもりもないが、介護を通じて親密
さを深めてしまったせいか、喪失するに辛さが募りそうである。

私は、同居の祖母に愛着が強く、父にも母にもあまり馴染まない子供
だった。この祖母は20年以上前に他界したが、私の母を生んだ実の
親である。祖母には子供を包み込んでくれる大らかな豊かさや優しさ
があった。それは、私の母にはやや欠けた資質であったと思っていた。

「おおらかにそっと包み込んでくれる優しい豊かさ」とは、太洋感情
とでも呼ぶべきものである。原-女性性とでもいうべきもの、子供を
身体に宿す女性ならではの、柔和な優しさとおおらかな豊かさである。
母胎の帯水に眠る胎児の平和というものかもしれない。

入院先の病室で、むせながらベッドに横たわる母。私は母がほっそり
した手を何度も差し伸べるので、その度に両手で握り返していた。手
は柔らかく暖かかった。こんなことを私に求める母は珍しい。私は昔
から母親とベタつくことを嫌っていたから。

私はベッドの脇で、かつて祖母に抱いていた太洋感情を母に対して感
じ始めていた、それをとても尊いものとして。女性なら、特に子を産
んだことのある女性なら誰もが、この「暖かい海」を蔵しているのだ
ろう。ここに「性」や愛の最も深い意味があるのだと思っている。


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