脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

猫がネズミに鈴を付ける秘密保護法制。

2013年12月08日 10時14分13秒 | 社会時評
昔読んだエリアス・カネッティの本に、暴力と権力はどう違うのか、
猫とネズミの関係を用いて描かれていた。猫はネズミを捕らえると、
わざと手を離してネズミが逃げるに任せる。逃げるネズミを眼で追い、
また飛び掛っては再度捕獲する。そんな遊びめいたことを、ネコ科の動
物はやることがある。

猫の体の下に組み敷かれて動けないネズミは、暴力で支配されている状
態である。いつでも捕まえられるネコの射程圏に逃げ惑うネズミは、猫
の権力の下に置かれている状態にある。そんな風な説明だった。

特定秘密保護法を巡って、マスコミ(主に新聞)が批判のボルテージを上
げている。が、ネット上では何処か冷ややかな印象もある。コレで困る
のは取材記者のようなマスコミ関係者だけで、一般国民に直接影響はな
いという感覚のようだ。


戦後、公安警察の設置や破壊活動防止法の制定の際にも、治安維持法復
活の懸念とか、戦前回帰かと危ぶまれたらしいが、戦後民主主義は概ね
守られたし、今回の秘密保護法もそう騒ぐ程の事はない、と観る向きも
あるのかもしれない。

しかし、法の運用によっては、取材や報道、一般国民の言論を封殺出来
る法規制は、Demo-cracyという政治原理とは相容れないものである。
Demos(人民)によるcracy(支配)とは、あらゆる権力の源泉は人民にあり、
人民が権力を所有し行使するというのが基本テーゼである。

秘密保護法制は、Demo-cracyの国民主権統治に排反する。ならば、相当
な論議や国民への周知説明が不可欠であるし、国民の権利制限について
いかなる配慮をするのか、また権力の濫用を抑止すべき監視機関の設置
等、付帯する周辺事案にもキチンと対応がなされなければ、制定すべき
でないはずだ。

この法案が両院を通過したということは、今、国家権力が民主主義を滅
ぼそうとしていることを意味している。権力の、権力による、権力のた
めの法制度の設定が、こんなにも容易く行われるのなら、この情報統制
の流れでは、やがては北朝鮮のように国家による個人への直接的な統制
介入まで招きかねない。

今後情報だけではなく、我々の生存や社会生活そのものも統制されてい
けば、ファシズム国家の完成である。これが、「日本を取り戻す!」な
のだろうか?

安倍自民党という巨大な猫は、一億数千万のネズミに鈴を付けようとし
ている。民主主義を守るためには、猫にこそ鈴を付ける必要があるのに
逆のことが進行しつつある。言論・報道の手足をもぎ、目と耳を殺ぐか
のような法律には、いやこの政権には、今後も断固No!を言い続けよう。

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