昔読んだエリアス・カネッティの本に、暴力と権力はどう違うのか、
猫とネズミの関係を用いて描かれていた。猫はネズミを捕らえると、
わざと手を離してネズミが逃げるに任せる。逃げるネズミを眼で追い、
また飛び掛っては再度捕獲する。そんな遊びめいたことを、ネコ科の動
物はやることがある。
猫の体の下に組み敷かれて動けないネズミは、暴力で支配されている状
態である。いつでも捕まえられるネコの射程圏に逃げ惑うネズミは、猫
の権力の下に置かれている状態にある。そんな風な説明だった。
特定秘密保護法を巡って、マスコミ(主に新聞)が批判のボルテージを上
げている。が、ネット上では何処か冷ややかな印象もある。コレで困る
のは取材記者のようなマスコミ関係者だけで、一般国民に直接影響はな
いという感覚のようだ。
戦後、公安警察の設置や破壊活動防止法の制定の際にも、治安維持法復
活の懸念とか、戦前回帰かと危ぶまれたらしいが、戦後民主主義は概ね
守られたし、今回の秘密保護法もそう騒ぐ程の事はない、と観る向きも
あるのかもしれない。
しかし、法の運用によっては、取材や報道、一般国民の言論を封殺出来
る法規制は、Demo-cracyという政治原理とは相容れないものである。
Demos(人民)によるcracy(支配)とは、あらゆる権力の源泉は人民にあり、
人民が権力を所有し行使するというのが基本テーゼである。
秘密保護法制は、Demo-cracyの国民主権統治に排反する。ならば、相当
な論議や国民への周知説明が不可欠であるし、国民の権利制限について
いかなる配慮をするのか、また権力の濫用を抑止すべき監視機関の設置
等、付帯する周辺事案にもキチンと対応がなされなければ、制定すべき
でないはずだ。
この法案が両院を通過したということは、今、国家権力が民主主義を滅
ぼそうとしていることを意味している。権力の、権力による、権力のた
めの法制度の設定が、こんなにも容易く行われるのなら、この情報統制
の流れでは、やがては北朝鮮のように国家による個人への直接的な統制
介入まで招きかねない。
今後情報だけではなく、我々の生存や社会生活そのものも統制されてい
けば、ファシズム国家の完成である。これが、「日本を取り戻す!」な
のだろうか?
安倍自民党という巨大な猫は、一億数千万のネズミに鈴を付けようとし
ている。民主主義を守るためには、猫にこそ鈴を付ける必要があるのに
逆のことが進行しつつある。言論・報道の手足をもぎ、目と耳を殺ぐか
のような法律には、いやこの政権には、今後も断固No!を言い続けよう。
猫とネズミの関係を用いて描かれていた。猫はネズミを捕らえると、
わざと手を離してネズミが逃げるに任せる。逃げるネズミを眼で追い、
また飛び掛っては再度捕獲する。そんな遊びめいたことを、ネコ科の動
物はやることがある。
猫の体の下に組み敷かれて動けないネズミは、暴力で支配されている状
態である。いつでも捕まえられるネコの射程圏に逃げ惑うネズミは、猫
の権力の下に置かれている状態にある。そんな風な説明だった。
特定秘密保護法を巡って、マスコミ(主に新聞)が批判のボルテージを上
げている。が、ネット上では何処か冷ややかな印象もある。コレで困る
のは取材記者のようなマスコミ関係者だけで、一般国民に直接影響はな
いという感覚のようだ。
戦後、公安警察の設置や破壊活動防止法の制定の際にも、治安維持法復
活の懸念とか、戦前回帰かと危ぶまれたらしいが、戦後民主主義は概ね
守られたし、今回の秘密保護法もそう騒ぐ程の事はない、と観る向きも
あるのかもしれない。
しかし、法の運用によっては、取材や報道、一般国民の言論を封殺出来
る法規制は、Demo-cracyという政治原理とは相容れないものである。
Demos(人民)によるcracy(支配)とは、あらゆる権力の源泉は人民にあり、
人民が権力を所有し行使するというのが基本テーゼである。
秘密保護法制は、Demo-cracyの国民主権統治に排反する。ならば、相当
な論議や国民への周知説明が不可欠であるし、国民の権利制限について
いかなる配慮をするのか、また権力の濫用を抑止すべき監視機関の設置
等、付帯する周辺事案にもキチンと対応がなされなければ、制定すべき
でないはずだ。
この法案が両院を通過したということは、今、国家権力が民主主義を滅
ぼそうとしていることを意味している。権力の、権力による、権力のた
めの法制度の設定が、こんなにも容易く行われるのなら、この情報統制
の流れでは、やがては北朝鮮のように国家による個人への直接的な統制
介入まで招きかねない。
今後情報だけではなく、我々の生存や社会生活そのものも統制されてい
けば、ファシズム国家の完成である。これが、「日本を取り戻す!」な
のだろうか?
安倍自民党という巨大な猫は、一億数千万のネズミに鈴を付けようとし
ている。民主主義を守るためには、猫にこそ鈴を付ける必要があるのに
逆のことが進行しつつある。言論・報道の手足をもぎ、目と耳を殺ぐか
のような法律には、いやこの政権には、今後も断固No!を言い続けよう。