脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

冬の陽射しに寄す。

2013年12月01日 14時14分57秒 | 近況
乾いた晴天が続いている。今日から12月。窓越しに冬の陽が差してい
る。樹木はそよとも動かない。またいつもの、いつの間にかの師走だ。
子供の頃、一年で時間を区切ることに何の意味があるのか、そう思って
た。ヒトは新たな「始まり」を作りたいために、「終わり」が必要なの
だろう。

何かが「終わる」ということはいいものだと思う。「終わり」は好きで
ある。「始まり」は苦手である。「終わる」と解放されてホッとする。
終わりゆく物事には、哀切とか風情があるのだ。だから、「終わり」に
立ち会っているような時期、年末・歳末が好きだ。

だが、終わることが、悪夢の始まりであることもある。終わってはなら
ないものもあるだろう。ヒトは死んで終わる。だから良いのだ。終わり
のない生命なんて苦痛だと思う。終わってはならないものとは、平和と
か正義とか民主主義とか‥。


神様の眼から眺めれば、何も「終わる」ものなどないのだろう。萌すと
始まりそしていつかは止み、また別の運動が起こり、変転と形をかえて
は続いていくだけのこと。「始まり」さえ不明の、螺旋状の永久運動。
人類史数万年なんて、蝉の一週間以下の他愛もない寸瞬である。

大宇宙からすればヒトなどチリ以下。でもこの私という小さき生身は、
私の全てである。人の世の優勝劣敗なんて、切磋琢磨の競争社会だか、
運・不運というより、ただの神の戯れ(サル山の戯れ?)に思える。

何か大いなるものの、遥か底にあって、生きているこの私は、生きてあ
ることを、今日の冬の陽射しに感謝したい。
どうにか歩んできた、我が来し方の既途をいとおしみ、ねぎらい、
何があろうと、何もなかろうと、我が行く末の前途に、いつまでも陽の
光の差さんことを。今この瞬間にあることを、いつも感謝とともに祝福
しつつありたい。

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