脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

火熾し。

2010年06月26日 22時04分05秒 | 随想
昔読んだガストン・バシュラールの本に、火は人に特殊な夢想を
呼び起こすとあった。揺れる炎や流れる水は、眺める者を、
どうして内省的にさせるのだろう。

今日、家電量販店で1600円の安売り扇風機を買った。
風も、ときに人を内省的にするけれど、人工的な風や火には、
人は余り内省的にならない。これもどうしてだろうか?

画像は、当工場にある火熾し(ひおこし)である。
コークスで火を熾して、下から小型のファンで煽るしくみである。
一般には鍛冶屋さんにある道具なのだが、どうしてかウチにある。
近所の古道具屋から、コレを売ってくれと言われている。

何をしているのかと言えば、実はセコイことを考えている。
大小のモーターがたくさんあるので、大きなモーターの外側の鋳物
を大型ハンマーで叩き割り、中にあるアカ(銅線)を取り出して売ろ
うというジィジ企画である。

その際に、事前にモーターのアカ部分を燃やした方が、アカ抜きがし
易いという話になり、それを実行している画像である。
つまり、熱した方が銅線が柔らかくなるとか、
銅線にエナメルが塗られて固めらているのでエナメルを燃やす、
銅線固定用に微細な箇所に薄い竹が使われているので、燃やそうとか
そんな判断だったのだが、結果は、余り作業に影響はなさそうである。


ジィジは、若い頃は田舎の鍛冶屋で修行をしていたヒトである。
当時鍛冶屋には仕事も余りなく、将来性もないので、工場の機械工に
職を変えたそうである。
彼にとって、この炎やこの作業に、何か特別な想いがあるかのようだ
ったので、やや無駄な作業だと思いつつも、付き合った。

工場の天井の二本のレールは、取り外して切断を終えて、
後は産廃業者の手に委ねれば、まだ少し工具類の整理が残ってはいる
が、機械・設備の廃棄・撤去作業は大筋では終了である。

ジィジは、馴れた手付きで黙々と火を操っていた。
そうして火熾しに、自分の来し方を見詰めていたものか、
齢80になるわが身の行く末を、想っていたものか、
私は、何も訊くことが出来ないまま、ただ傍らににしゃがんで居た。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 廃業宣言以後(8) | トップ | Uma Nota So-。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

随想」カテゴリの最新記事