脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

介護な一週間。

2015年09月27日 20時49分54秒 | 近況
この一週間程、精神病を病む母親の具合が悪い。摂食障害なのかモノを
食べないのである。水分は摂るが食物を口にしない。少し食べると吐い
たりするし、無気力で寝床から起き上がれない状態である。

父は、私のきょうだいに電話して、母はこれでこの世とお別れだから、
会いに来いと大袈裟に心配していた。だが、不思議と顔の血色は良く、
話も出来るし、これから死ぬような末期の病人ではないと思えたが、
老人の拒食というのは、どう対処すべきか困った局面ではある。

23日の秋分の日、祝日で休みの処、無理言って訪問看護師さんに来て
貰った。この日も本人の顔艶は赤みが差して悪くなく、脈・体温・血圧
も異常なしだった。体を拭いて貰い、紙パンツを替えて貰う。

翌日午前中、内科医に往診を頼み、寝室で点滴をして貰った。医師から
今日明日、様子を見て、食べないようなら救急車を呼んででも、入院さ
せるよう言われた。でもその後、点滴が効いたのか、リンゴを摺ったも
のや、少しのお粥が寝床で食べられるようになった。経口補充液を頻繁
に飲みたがり、野菜ジュースなども飲むようになった。

何しろ寝たきりなので、下の世話も必要である。父と二人でゴム手袋を
して汚れた紙パンツを何度か取り替え、体を拭いたりのケアをしたが、
ヒトの排泄物というものは、見目よりもその臭いに大いに気を滅入らせ
るものがある。この仕事が毎日常態化したら、鬱病が悪化しそうである。

また、寝たきりのヒトの介護となると、食事と排泄の世話で病人と付き
っ切りにならねばならず、自分の人生の時間が奪われること、介護専属
の生活がしっかりと覚悟出来なければ、とても家庭内介護は平穏には続
かないだろう。

やはり、寝たきり状態になった段階が、家庭介護の分岐点だなと思った。
多分、今日の一般世間標準では、老親が寝たきりになったら、世話を託
せる病院・施設を探すことになるのだろう。

老健施設への入所でも、家庭介護とショートステイの併用であれ、家族
から介護の負担を減らす方向を模索しないと、老人の食事と排泄その他
生活の面倒丸抱えでは、介護者は疲弊して倒れかねない。老老介護やら
病病介護の場合は、経済事情等も含めて、尚更深刻な問題が多々あろう。

今回母はこの土・日で大分回復してきており、寝床から自分の足で起き
てポータブル・トイレに行ける、自分で紙おむつの取り替えも出来る、
食欲も少しずつ回復してお粥を自分で食べられるようになってくれた。
以前通り、これらがほとんど介助なしで、何とか出来るようになってく
れて、一先ずはホッとしている。

でも、また先々には、同じ状況がやって来るのだろうけど、こちら側も
家族として介護ノウハウやらその他、介護力を向上させることが自然と
求められてくる。いや、その前に、介護というものを厭わない心持ちの
自然さが一番求められるのかもしれない。

私は不婚者であり、子育ての苦労は経験しないで来ているが、その分、
老親の介護という試練が、天から与えられた使命なのか知らないが、
これも「私」という人間存在の一部として「あるがまま」を生き、
「成るがまま」に死ぬべし。




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