脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

デモクラシー2015 。

2015年09月22日 23時57分06秒 | 社会時評
今更な話題であるが、安保法案が参院本会議で可決し成立した。本会
議に先立つ参院特別委員会では、採決に至る経過はTVで観ていたが、
予想通りというか、採決は委員長を取り囲んでの肉弾戦となった。ま
るでラグビーの試合さながらであった。

そう言えば、ラグビーW杯では、優勝経験のある南アフリカに日本が
歴史的勝利を飾ったのだそうだが、ラグビーは英国発祥のスポーツだ
が、議会制民主主義と取っ組み合いって、どこか通底するものがある
のだろうか? (森 喜朗(日本ラグビーフットボール協会名誉会長)
氏は久々に大喜びだろうか。どーでもいいけど。)

民主主義って何だ? っていうことだが、日本の国会におけるオトナ
の「民主主義」は、討論はのらくらかわす、採決も不意打ちあり、多
数決のときも、必ずしも賛成・反対の人の意思を確認し、各々の人数
を数えないでも良く、最後は格闘技みたいに終わることもあるのが、
偉い先生方の民主主義であり、真実は教科書には書かれていない。

国会や安保法のことよりも注目したのは「国会前」の熱気である。
「2015年・安保」は「国会前」が熱くかつクールで、格好良かっ
たと思う。60年・70年の安保闘争のような暴力や流血がなかった
ことに、国民側の民主主義、民度の成熟を感じた。

また反対運動に団体・セクトのようなメンバー集団ではなく、志ある
個々人が自由参加して声を挙げられるようになったこと、これも特筆
されることである。古い運動体には一体感を示す「歌」と「旗」が付
き物だったが、リードを執る者が台に上がり、シュプレヒコールや演
説ではなく、ラップ・コールを延々と続けることで、身体を共振させ
て場を形成していたのも、新しいデモ感覚の風景だった。

私は家で、家事の合間にTVで観ていただけであるが、雨の国会前に
集う大勢の人々が、安保の違憲や廃案を訴える姿に、特に若い世代
(創価学会の方々までも頑張っていたが)のエネルギッシュな姿に、心
打たれるものがあった。

既に「政治の時代」は終わったのかもしれないが、確実に終わったの
はイデオロギーの時代である。今回は集団的自衛権や日米安保の憲法
違反等が問題であったが、原発再稼働や沖縄の基地問題でもそうだが、
国(政権)とは、何処まで制度や政策を一方的に決定し得るべきなのか
という、問い掛けが近年増していると思う。

2015年9月、若者たちが国会前で問うていたことも同じである。
民主主義の在り方を、不断に問い続けること。個々人が自分で考え、
行動し声を挙げ、自己表出してゆくこと。主義だの思想に囚われない、
そんな手作りデモクラシーの表現文化を、若者たちは創造し始めてい
るのかもしれない。


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