県立勢多農林高等学校の前を流れる佐久間川です。古い石積みの護岸の下に新しいコンクリートの流路がつくられています。
深い掘割の様相を見せています。
勢多農林の正門です。私が子どものころは、もう少し細いコンクリート柱だった気がします。正門を入るとすぐ左に果樹園がありました。農地や畜舎は、木造校舎の裏の方にありました。
正面にこんもり丸い木が見えますよね、キンモクセイです。子どものときから、門のおくりに見えてました、大きなキンモクセイです。
玄関前のロータリーには、大きなカヤ(榧)の木がいます。昔からいました。勢多農林のシンボル樹です。自然樹形は、丸いのですが、剪定されて火炎の形に仕立てられています。大好きな木です。
この木がなかったら、私は前橋で暮らしていなかった気がしています。
勢多農林は1908年(明治41年)の創立ですから、105年の歴史を積んでいます。
私の父は福島の生まれ、宇都宮高農で畜産学を学び、埼玉県所沢、長野県伊那町、茨城県結城町の農学校で教員をしていました。
1942年(昭和17年)、乞われて勢多農林に転じてきたと聞いています。私が生まれる前のことです。
カヤの木は、とても寿命の長い木です。千年カヤなんていわれます。将棋や囲碁の盤に使われます。硬くて、虫がつかなくて、狂わないとても良い材なんです。
私が生まれた1945年(昭和20年)4月、空襲の危険が大きくなりました。生まれたばかりの私は家族に連れられて、勢多農林の上泉農場の納屋に疎開したんだそうです。そこから、上泉町の閑野家の納屋に引っ越して、敗戦を迎えました。
カヤの木は、枝もきれいです。日陰でも葉を茂らせます。
物心ついたころの父は、天川の戦災住宅の狭い部屋のちゃぶ台で、いつも原稿を書いていました。丸ペンやガラスペンでコリコリ音を立てて、図版も描いていました。
『図解畜産 うさぎ』、『養鶏図覧』、『豚舎の設計』…、父が書いていたのは、みんな畜産のテキストです。
学制が変わり、専門学校の教員も県外の学校への異動はできなくなりました。それで、私の家族は前橋に居つきました。
父は前橋が気に入っていたみたいです。それで、このまちの風景をたくさんの絵に描いて遺しました。
カヤの実です。茶色いのは種子です。食用にもなるんだそうですが、食べたことはありません。種を水に漬けてアク抜きし、乾燥させて炒ると食べられるよって教えられていますが…。
そうそう、榧の実の恋『百夜通い』の伝説、知ってますか。
深草の少将は小野の小町に一目惚れ、心を込めて求愛したんですって。これに応えて、小町は「百日の間、通い続けてくれたなら、契りを結んであげましょう」ってさ。
少将は、毎夜、深草から小野の地まで、おおよそ5㎞の道のりを歩いて訪ねたんですって。訪ねる時に、榧の実一つもって、その実を小町に渡したのです。小町は、少将からもらった実の数で、少将が通った日を数えたのです。
99日目の夜は雪になりました。深草の少将は99個目の榧の実を握りしめたまま、雪の中に倒れて、寒さの中で死んでしまいました。
残された小町は、99個の榧の実を小野の地に蒔いて、少将を供養したんだそうです。
勢多農林のカヤの木も小町が蒔いたカヤの実の末裔かもしれません。百夜通いの伝説をもつカヤの木に招かれて、父は勢多農林に来たような気がします。
畜産学が専門の癖に、本棚には恋愛至上主義を鼓吹した文学者・厨川白村の書籍が何冊も、大事に収まっていた人でしたから。
父がカヤの木の誘いにのっていなければ、私はこのまちで暮らすことはなかったんです。カヤの木は不思議です。
<今日はさ、おヒゲは自分のことばっか、ごめんなさい。キキがね、勢多農林の最新情報を一つ提供するね。
去年に続いてさ、『ご当地絶品 うまいもん甲子園』決勝大会に、食品文化科の3年生が『ころころ茶漬け』って料理で出場します。決勝大会11月1日、ブロックの予選を勝ち上がった12校で争われます。詳しくは、うまいもん甲子園のHP見てください。
食品文化科のみなさん、頑張ってね、朗報待ってるからね>
『佐久間川』、おヒゲがマイペースでぼちぼち連載してます。
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次回は、何かな…、考えてるみたい
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伝説のモデルになった方々がいたのかなぁ・・・。
小町は『小野小町集』という歌集があって、百首あまりの歌を残しています。古今集にも収録されていますから一応実在したという解釈が普通です。ただし、生誕の地は、秋田、山形、福島、福井、京都…、神奈川まで参入して諸説紛々、墓所にいたっては全国十数か所、すごい人気女性なのです。
深草の少将は、小町伝説のための創作のようです。普通の男なら、ちょいとした雪ぐらいで死なないもんね。でも、恋物語とすると、結構なものでしょう。
ついでですんで、文庫本も絶えてしまって、完全に忘れ去られている厨川白村の文章を一節だけ紹介しときます。
「純正の恋愛そのものは、忠孝友情博愛のいづれのためにも、断じて犠牲とせらるべき性質のものではない。忠信孝悌いづれの美徳を取つて見ても、その根柢には必ず大きい愛(ラヴ)の力が動いてゐる。その愛(ラヴ)の力のうちで最も全人格的な最も力強い霊肉合致の恋愛が、これらと衝突するといふ事は、本質的に第一義的に考へて断じて有り得べからざる事である…」
これ、大正時代の京都帝国大学教授の文章です。恋愛至上主義ってわかんねえな…
カヤの木は寿命がとても長いといわれています。現存するものでも、樹齢千年に近いものがあるはずです。雌雄異株で実のなる木とならない木があります。初夏に花が咲いて、一年半後の秋に実が熟します。なんともゆったりと暮らしている木なのです。
それで、寺院や神社に植えられているのでしょう。
ようこさん
へぇ~、食べたことあるのですか。いいな…
マカダミアナッツですか…