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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

ザ・チーム

2012-11-06 | 読書
 齋藤ウィリアム浩幸著「ザ・チーム~日本の一番大きな問題を解く」を読んだ。
 著者はロサンゼルス生まれの日系2世。高校時代にI/Oソフトウェアを設立。若手起業家として数々の成功と失敗を重ねながら、指紋認証など生体認証暗号システムの開発で成功。2004年、会社をマイクロソフトに売却後、日本に拠点を移し、ベンチャー支援のインテカーを設立。2012年に国会の東京電力福島原子力発電所事故調査委員会の最高技術責任者と国家戦略会議フロンティア分科会「繁栄のフロンティア」委員を務める。

 この本の第一の特徴は、日本が抱える根本問題を「チームがない」ことであると喝破したことにある。
 耳を疑うような指摘で、「だって、チームワークは日本のお家芸のはずではないか」と私も思ったものだが、この本を読み進むうちになるほどと納得させられる。
 日本はいつのころからか、何かを解決する、何かを生み出すための組織ではなく、与えられたこと、決められたことを間違いなく処理するための組織、何かを守るための組織になっていたのだ。
 著者は、数多くの官庁、民間企業、研究機関を訪れる中であることに気づく。それは、官民を問わず、日本の組織がどれも驚くほどそっくりなことだ、と言う。
 前例のないことや新しい試み、リスクのあることを極端に嫌い、失敗を許さない風土。稟議システムや何も決めない会議など、コミュニケーションの膨大なムダと仕事のルーティン化によって、組織の硬直化が進んでいるとの指摘である。
 本来、日本人はチーム好きのはずだ。男女のサッカー日本代表など素晴らしいチームが存在する。ところが、日本全体を見渡すと、チームの姿が見えなくなってしまう。目につくのは伝統的な組織だけだ。立派な組織がたくさんあるが、しかし、それらは単なる「グループ」であって「チーム」ではないのだと著者は言う。
 いまの日本にあるのは、同質な人の集団であるグループばかりで、異質な才能が、ある目的の下に集まって構成されるチームがないことが問題なのだ、と言うのだ。
 グループは、あらかじめ決められた目標を遂行するために集められる。これに対し、チームでは互いに助け合い、補い合うことで目標が達成されることをメンバーが理解している。メンバーは仕事をさせられているというのではなく、自分が主体的にやろうというオーナーシップを持っている。自由に意見を言い合い、衝突することを怖れないばかりか、むしろアイデアが生まれるチャンスと見る。

 では、その日本が抱える問題解決のためにどうすればよいのか、チームを作るためにどうすればよいのか、ということについては本書を読んでいただきたいのだが、何よりも重要なのが、補完的なスキルを持った異質な人材でチームを構成すること、とりわけ女性の登用が重要であるという点は傾聴に値する。
 たとえば、技術はあるが、資金も人員も限られているベンチャー企業では、内外の人とコミュニケーションできる能力がなにより大切であるが、その能力を持った人を探そうとすると、つまり女性になるというのだ。
 
 もう一つ、チーム作りにとって必ずしも天才的な人材は必要ないということも重要な視点だろう。
 日本のソフト製品が、一人の天才プログラマーによって8、9割書かれているのに比べ、アメリカでは平均的な力量のプログラマーが5、6人でチームを組んでプログラムしているという。誰かが一人欠けても、この交代要員はすぐに手配できる。チームになっていない日本のやり方では、天才が抜けると仕事が止まってしまう。

 要は、「チーム」の文化をいかに作り、根付かせるかということがわが国の抱える根本問題の解決に求められる大きなポイントなのである。
 それはあらゆる組織の問題にあてはまる。行政や企業、NPOに限らず、家族や地域社会など小単位の組織の課題解決のためにも、本書は大切な示唆を与えてくれるようだ。