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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

尊厳と我慢

2012-11-24 | アート
 「たった一人の中庭」は、ヨーロッパ各地にいまも点在する移民キャンプの問題を扱った作品だが、先日の日曜、その公演(=展示)のことを思い出しながら何気なく見ていたテレビの「日曜美術館」で、東京藝術大学美術館で公開中の「尊厳の芸術展~THE ART OF GAMAN」を特集していた。
 すでに数年前、アメリカ・スミソニアン博物館で開催された同展のことは日本でも大きな話題になっていたようだが、私は初めてその展覧会のことを知ったのだった。

 それは、太平洋戦争のさなか、12万人を超える日系アメリカ人たちが人権を剥奪され、アメリカ全土11か所の強制収容所で不自由な生活を強いられていたなかで、彼らが、拾い集めたゴミや木切れ、木の実や貝殻などから工夫して作り上げた日用品が展示された異色の展覧会なのだ。
 いつ果てるとも知れない収容生活の不安と苦悩の中で作られた手づくりの杖やブローチなどのアクセサリー、表札、置物、ガラスの破片で石を削って彫り上げた硯などは、信じ難いほどの精巧なデザイン性と美しさに溢れている。

 収容所内には、カリフォルニア大学バークレー校の教授だった男性の呼びかけでアートセンターが創設されたところもあったというが、生きることへの意志に満ちたそれらの作品は、極限状況下の人間にとっての芸術の意味、人を人たらしめ、生かすものは何なのかということを現代社会の私たちに強烈に問いかけてくる。
 ある作品の作者の遺族が語った言葉は、まさに彼らの心の声を代弁していると思えた。

 「何もかも奪うがいい! だが、私たちの知識も技術も、想像力も奪うことはできないぞ!」
 鋭く、重い言葉である。
 何もかも失ったなかで、芸術の意味が浮き彫りにされるなどと、言うことは簡単だけれど、果たしてその言葉の本当の重みを、私たちは受け止められるのだろうか。