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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

観客と世論

2020-05-12 | 演劇
少し前のことになるが、5月8日付の毎日新聞で同新聞と社会調査研究センターが6日に実施した全国世論調査で、新型コロナウイルス問題への対応で「最も評価している政治家」を1人挙げてもらった結果が報道されている。
トップはダントツで大阪府の吉村知事、2位が小池東京都知事、3位が安倍晋三首相だったとのこと。
この結果は意外でもあり、一方でそんなものだろうなと頷く部分もある。世論、あるいは世間とはこうしたものなのだ。
これはメディアへの露出の度合いや発信力の有無、それが多くの人々にどう伝わり、どう受け止められたかということによる、その表れなのだ。この事実は冷徹に受容し、分析しなければならない。

いま、話題になっている「♯検察庁法改正案に抗議します」とのTwitter上での意見表明が、著名な文化人や芸能人の間にも広まり、その数が240万を超えたという。(報道により差異あり)
相当な数だと思うけれど、これが世論の大勢かといえば、残念ながら否と言わざるを得ないだろう。
時の政権はもっとしたたかだし、世間というものは岩盤のように強固な頑迷さを持っている。これに抗するにはさらに大きな声が必要であり、その声を拡大するのはなかなか容易なことではない。世間の大半は無関心という鎧をまといつつ、自分の見たいものしか見ないものだ。安倍さんはなかなかよくやってるよね、という見方は上記の全国世論調査の結果を見るまでもなく思いのほか根強いのだと思う。

さて、演劇界隈の話であるが、最近、平田オリザ氏のコロナ禍に関連した発言が炎上して、それが演劇そのものへの心ないバッシングや否定的意見を生み出しているようで何とも胸塞がる思いである。
演劇を身近に感じる立場の私から見れば平田氏はまっとうな意見を言っていると思えるのだが、その中で引き合いに出された産業分野:製造業の譬えが思いもよらないリアクションを引き起こしている。
それに対して、真意はそうではないのだといくら言おうと、聞く耳を持とうとしない人々に声は届かない。これでは議論にもならないのだ。
それにしても思い知らされるのは、演劇という業態の産業としての宿命的な非効率さであり、基盤の脆弱さである。そもそも観客数は劇場のキャパシティに限界があり、公演数も限られている。それは動員客数の少なさにも起因することで、あらゆる芸術分野の中でもその鑑賞者は稀少でしかない。支え手たる観客の総数が圧倒的に少ないのが現状だ。
さらに一口に演劇といっても、歌舞伎や宝塚歌劇、商業的なミュージカルと小劇場系の演劇はセグメントされていて、それらの観客の声が一つのうねりになることはないだろう。世論を形成するにはまだまだ遙かな懸隔があると感じざるを得ない。
社会における演劇の持つ有効性をどのように訴えていけばよいのか、課題は多いと言わざるを得ないのだ。

しかし、それでもなお、声を発し続ける必要はある。平田氏に対しての心ない意見や、おまえらのお芸術など勝手に滅びてしまえと言わんばかりの声には抗していかなければならない。
この文化を、芸術を何としても残そう、次代につなげようという明確な意思のないところには、存続も発展もあり得ないからである。

そんな時、先週末に、平成の初めから30年を超えて続いてきた「池袋演劇祭」が今年はコロナの影響から中止となったとの発表があった。
残念である。
ご存じのとおり、「池袋演劇祭」は、毎年9月の一か月間、池袋周辺の劇場で公演を行う劇団やユニットすべてが参加できる地域密着型の演劇祭であり、受賞作品を公募で選ばれた一般区民100人が審査員となって選定するという、いわば市民に開かれた演劇フェスティバルなのだ。
最近私は、この演劇祭が、演劇関係者とその愛好者という狭いコミュニティにこもりがちな舞台芸術をより広く、世論を形成するようなより多くの人々にも開かれたものとする、そんな役割を担いうるのではないかと期待していたのだ。
それは、ふだん演劇などほとんど見ないにも関わらず、演劇をあまりこころよく思っていない層の人々にも有効に働きかけるきっかけになり得るものなのではなかろうかと。

このたびのコロナ禍による中止は誠に無念としか言いようがないが、収束後には是非ともさらにパワーアップした姿を見せてほしいと願ってやまない。


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