友人で群馬県在住の詩人、中村利喜雄君が送ってくれた詩集「この世の焚き火」の中に、「イエスタデイ」という詩がある。
この詩集全体はある年齢に達した人間が過去を振り返る時のほろ苦さとも悔恨とも言い難いノスタルジーを感じさせるのだけれど、とりわけこの「イエスタデイ」は、私自身の個人的な思い出とも絡み合って、腹をくすぐられるような可笑しみとともに若さ特有のみっともなさと恥ずかしさがブレンドされた記憶を喚起させられる作品だ。
(以下、要約と一部引用で紹介)
ジョン・レノンがいなくなってから40回目の冬の夜、詩人は炬燵にあたりながら、映画「イエスタデイ」を見る。
世界中を襲った12秒間の停電で同時代の人々にビートルズの記憶がなくなった、どこかパラレルワールドのような話……
「主人公は『エリナー・リグビー』の歌詞の/あるところがどうしても思い出せない
エリナー・リグビーの墓の前に佇んでも/記憶は戻ってこない
そしてある人から言われる/人は見たものしか歌えない」
「ほんとうに?
想像力と空想する力があるじゃないか」
映画の終盤、主人公は渡されたメモを頼りに海辺に暮らす78歳のジョン・レノンを訪ねる。
「ビートルズを知らないのか/主人公はジョンに聞く/彼は首を横に振る
船員として満ち足りて生きてきた彼は/主人公に言う
大事なのは愛だ/好きな人を見つけて一緒に暮らせ
そしてハグをして別れる」
詩人の目は映画の世界から1980年の東京に移り、雑踏と喧騒にまみれ、仕事に疲れて行き場をなくした彼自身の内面へと入り込んでいく。
そしてその年、彼は結婚するのだ。招待客の前で彼ら二人はチューニングが狂ったままのギターで「贈る言葉」を歌う。ジョン・レノンが死んだその年の暮れ、彼は仕事を辞める。翌年二人は東京を離れた……。
断片的な引用と下手くそな要約では詩の魅力を伝えようもないが、こんなことが「イエスタデイ」という詩の中で語られる。
ここで私が個人的な思い出というのは、この中村君の結婚披露宴での出来事だ。
まだ若かった私は友人代表として行ったスピーチでどうやらしくじったらしいのだ。ウケをねらったはずが、どちらかの親戚の不興を買ったらしく、𠮟責に近いヤジを食らってあたふたとしてしまい、そのあと自分が何をしゃべったのかまったく覚えていない。
このことはトラウマとなって残り、その後しばらくは結婚式恐怖症といってもよいくらいだった。芝居仲間の結婚式で司会の仕事を頼まれた時も頑なに断って、それをまた後になって悔やむといった具合だった。これではいけないと一念発起し、その後は知人友人の結婚披露宴のたびに司会役を買って出ることにして場数を積み重ね、いつの間にか千人規模のイベントの司会まで平気でこなせるようになったのだが、だからと言って中村君の結婚披露宴での失敗は心の奥底で燻り続け、忘れることはなかったのである。
そんな時、ごく最近になってこの詩「イエスタデイ」を読み、こんなことがあったねとLINEに書いて送ったところ中村君からは、「悪いな。スピーチまったく覚えてないよ」という返事が来たのだった。
往々にしてそんなことはある。周りは誰も覚えてなくて、自分だけが思い出してはブルブルと震えるということが。
「ということで、もう忘れておくれ」と中村君からのLINEには書かれていた。
こうして私は長年の呪縛からようやく解き放たれたのだった……、という笑い話である。オチはない。
この詩集全体はある年齢に達した人間が過去を振り返る時のほろ苦さとも悔恨とも言い難いノスタルジーを感じさせるのだけれど、とりわけこの「イエスタデイ」は、私自身の個人的な思い出とも絡み合って、腹をくすぐられるような可笑しみとともに若さ特有のみっともなさと恥ずかしさがブレンドされた記憶を喚起させられる作品だ。
(以下、要約と一部引用で紹介)
ジョン・レノンがいなくなってから40回目の冬の夜、詩人は炬燵にあたりながら、映画「イエスタデイ」を見る。
世界中を襲った12秒間の停電で同時代の人々にビートルズの記憶がなくなった、どこかパラレルワールドのような話……
「主人公は『エリナー・リグビー』の歌詞の/あるところがどうしても思い出せない
エリナー・リグビーの墓の前に佇んでも/記憶は戻ってこない
そしてある人から言われる/人は見たものしか歌えない」
「ほんとうに?
想像力と空想する力があるじゃないか」
映画の終盤、主人公は渡されたメモを頼りに海辺に暮らす78歳のジョン・レノンを訪ねる。
「ビートルズを知らないのか/主人公はジョンに聞く/彼は首を横に振る
船員として満ち足りて生きてきた彼は/主人公に言う
大事なのは愛だ/好きな人を見つけて一緒に暮らせ
そしてハグをして別れる」
詩人の目は映画の世界から1980年の東京に移り、雑踏と喧騒にまみれ、仕事に疲れて行き場をなくした彼自身の内面へと入り込んでいく。
そしてその年、彼は結婚するのだ。招待客の前で彼ら二人はチューニングが狂ったままのギターで「贈る言葉」を歌う。ジョン・レノンが死んだその年の暮れ、彼は仕事を辞める。翌年二人は東京を離れた……。
断片的な引用と下手くそな要約では詩の魅力を伝えようもないが、こんなことが「イエスタデイ」という詩の中で語られる。
ここで私が個人的な思い出というのは、この中村君の結婚披露宴での出来事だ。
まだ若かった私は友人代表として行ったスピーチでどうやらしくじったらしいのだ。ウケをねらったはずが、どちらかの親戚の不興を買ったらしく、𠮟責に近いヤジを食らってあたふたとしてしまい、そのあと自分が何をしゃべったのかまったく覚えていない。
このことはトラウマとなって残り、その後しばらくは結婚式恐怖症といってもよいくらいだった。芝居仲間の結婚式で司会の仕事を頼まれた時も頑なに断って、それをまた後になって悔やむといった具合だった。これではいけないと一念発起し、その後は知人友人の結婚披露宴のたびに司会役を買って出ることにして場数を積み重ね、いつの間にか千人規模のイベントの司会まで平気でこなせるようになったのだが、だからと言って中村君の結婚披露宴での失敗は心の奥底で燻り続け、忘れることはなかったのである。
そんな時、ごく最近になってこの詩「イエスタデイ」を読み、こんなことがあったねとLINEに書いて送ったところ中村君からは、「悪いな。スピーチまったく覚えてないよ」という返事が来たのだった。
往々にしてそんなことはある。周りは誰も覚えてなくて、自分だけが思い出してはブルブルと震えるということが。
「ということで、もう忘れておくれ」と中村君からのLINEには書かれていた。
こうして私は長年の呪縛からようやく解き放たれたのだった……、という笑い話である。オチはない。
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