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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

バック・イン・ザ・U.S.S.R

2022-03-12 | 日記
 つい最近、たまたまザ・ビートルズの「バック・イン・ザ・USSR」を耳にする機会があったのだが、現下の国際情勢の中でこれを聞くと何とも複雑な感情に捕らわれる。以下、その一部分を引用……(山本安見訳)
 ♪ 懐かしのU.S.S.Rに帰ってきた
   この国に住んでる人たちよ
   アンタたちは本当に幸福ものだぜ

   ウクライナの娘たちには まいっちまう
   西洋なんて 屁とも思っちゃいないのさ
   それにモスクワの娘たちときたら
   ”我が心のジョージア”を僕に大声で歌わせるのさ

 もちろんこの歌はロシアの旧体制時代に作られたもので、当時はウクライナもソ連邦に属する一地域だったのだが、1991年、ソ連邦の崩壊に伴い、ウクライナは独立を果たした。
 2003年、モスクワの赤の広場で行われたポール・マッカートニーのライブコンサートにはプーチン大統領も足を運び、この歌を聞いたというのだが、一体どんな思いで聞いていたのだろう。当時はロシアもNATOに対してまだ親和的な立ち位置にあったようだが、この20年の間にプーチンは腹蔵する苛立ちを募らせていたのだろうか。

 それにしても、この何日かのロシア側の発表や外相の会見などを見聞きする限り、人道回廊の無効化をウクライナ側のせいにしたり、小児科・産科病院をロシアが攻撃した際にも、あの病院はウクライナ軍が占拠していた場所で市民に被害は及んでいないといったことを公式の場でしれっとした顔で話している。その自己正当化の厚顔無恥ぶりには開いた口がふさがらない。

 ある識者の話では、ロシアの外交官はそうした訓練を受けているから、ウソをウソとも思わず、プーチンの発した言葉と整合性を取ることだけを目的に罪悪感もなく話が出来るそうなのだが、本当だろうか。
 その真偽のほどはともかく、しかし、これはわが国の官僚と呼ばれる人たちにもどこか似たところがあるように思えてきて怖ろしくなる。人間の業ともいえるもので、多かれ少なかれ、私≒私たちはそうした要素を心のどこかに隠し持っているのかも知れないのである。


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