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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

トルストイの時間

2010-04-15 | 雑感
 小林秀雄はトルストイに関してこんなことを書いているそうだ。

 「若い人から、何を読んだらいいかと訊ねられると、僕はいつもトルストイを読み給えと答える。すると必ずその他には何を読んだらいいかと言われる。他の何にも読む必要はない。だまされたと思って『戦争と平和』を読み給えと僕は答える」
 「あんまり本が多すぎる。だからこそトルストイを、トルストイだけを読み給え」

 これは先月号の「文学界」に出ていたトルストイの没後百年記念の鼎談「トルストイを復活させる」で紹介されていたものだ。
 このほかにもこの辻原登、沼野充義、山城むつみの3氏の話には面白く引用したいものが多かったのだが、なかでも「コザック」という小説の一節は中村白葉の翻訳が素晴らしく、うっとりするような文章でいつまでも味わっていたいと思わせる。

 私はわずかな読書量とはいえ、ドストエフスキーの「罪と罰」を3回、「カラマーゾフの兄弟」は2回読んでいるというのがささやかな自慢なのだが、そういえばトルストイは「復活」を4分の3まで読んだところで断念し一つも読み通していないのだった。これを機会に挑戦してみるか。

 今年はトルストイの没後100年、チェーホフの生誕150年、ショパンの生誕200年といった記念の年である。
 わが国では二葉亭四迷や彫刻家の荻原守衛が没後100年にあたる。

 こうした感覚は実に面白くて、歴史上の誰かと誰かが同時代人だったという発見は意外とわくわくするものだ。罪のない遊びといってもよいだろう。
 昨年は太宰治や松本清張、中島敦などが生誕100年だったから、彼らの生まれた翌年にトルストイは没したことになるわけだ。
 トルストイの没した年に芥川龍之介は多感な18歳で、その5年後に「羅生門」を発表している。
 夏目漱石が生まれた頃、トルストイはまさに「戦争と平和」の執筆の真っ最中だったし、トルストイの死んだ頃、漱石は「それから」を書いていた。
 彼らはまさに同時代人だったのである。

 さらに、今年はジョン・レノンの生誕70年、没後30年でもある。つまり、ジョン・レノンはトルストイの死んだ30年後に生まれたことになるのだ。
 ジョン・レノンの40年の人生を間に挟んでの30年前と30年後の今。この時間感覚は面白い。
 そういえば、今年は三島由紀夫が割腹自殺してからちょうど40年目でもあるのだった。


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