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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

名言と迷言

2020-05-13 | 言葉
5月9日付朝日新聞のコラム「多事奏論」で論説委員の郷富佐子氏が紹介しているのが英国ジョンソン首相の3月末のメッセージ映像での発言だ。
ジョンソン首相は、新型コロナウイルス感染が拡大する状況下、復職の呼びかけに応じてくれた医師、薬剤師やボランティアに名乗りを上げてくれた多くの市民に感謝し、こう締めくくったのだ。
「今回のコロナ危機で、すでに証明されたことがあると思う。社会というものは、本当に存在するのだ」
この「社会は存在する」というのは、同じ保守党の故サッチャー元首相が残した「社会など存在しない。あるのは個人とその家族だけだ」という有名な発言のもじりなのだが、サッチャー氏本人は後に「(本意が)ゆがめられた」と嘆いたという。
ご本人が実際にどう言ったかはさておき、この言葉は、新自由主義と個人主義を推し進めたサッチャー氏の信念を象徴する言葉として世の中に流布されている。

一方、「イングリッシュ・ジャーナル」6月号の「柴田元幸の英米文学この一句」では、柴田先生が、シャーロック・ホームズが言ったとされる「Elementary,my dear Watson.」(「初歩的なことだよ、ワトソン君」)というよく知られた言葉を紹介している。
この言葉だが、実のところ、コナン・ドイルが書いたホームズもの全作品を見ても、このフレーズはどこにも出てこない。このことはホームズファンの間では、かなりよく知られていることであるらしい。

柴田先生曰く、「ホームズが一度もそう言っていないにもかかわらず、このフレーズが人口に膾炙したのは、それがいかにもホームズらしい発言、ドイルは書いていないけれど書いていても全然おかしくなかった一言だからだろう。人々の知恵が、ドイルを編集したのだ。いわば『正しい誤引用』」とのこと。

そういえば、よくビジネス書などでも引用される進化論で有名な生物学者ダーウィンの名言に「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残ることが出来るのは、激しい変化にいち早く対応できた者である」というのがある。
経営トップの方々もよく引用される言葉なのだが、これもまたダーウィンの全著作のどこを探しても出てこないとのことだ。つまり、ダーウィンはそんなことは言っていないのだ。

こうした例は枚挙に暇がない。あの人ならこう言ったに違いないという誰かの思い込みや人々の共同願望が形になったものなのだろうか。
いずれにせよ、これらの言葉はその時代や世相を反映しながら、私たちの生活を味わい深いものにし、ある意味で豊かにもしてくれる。目くじら立てることではないのかも知れない。

だが、そう言っていられないのが政治の世界である。
私たちの暮らしや国としての行く末に影響を及ぼしかねない政策決定が、誰かが思い込んだり勝手に捏造された言葉の「誤引用」で左右されてはならないだろう。
それゆえにこそ、政策の意思決定の論拠やプロセスを明らかにし、後世に残すための議事録や公文書の作成・保存は極めて重要なものなのである。
ゆめゆめおろそかにしてはならない。


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