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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

美術と演劇

2010-08-23 | アート
 すでに1週間以上も前のことになるけれど、国立新美術館に展覧会を観に行った。
 お目当ては「マン・レイ展~知られざる創作の秘密」だったのだが、ちょうどその日はオルセー美術館の所蔵作品による「ポスト印象派展」の最終日近くということで、平日にも関わらずそちらの展示室には長蛇の列が出来ていた。聞けば1時間半待ちだという。それではやっとの思いで入館したとしてもとてもじっくり作品を観ることなど叶わないだろう。
 そんな有り様をみて思うのは、世の美術愛好家の保守性でもミーハーぶりでもない。ここは素直に「美術」という芸術ジャンルの一般社会への浸透ぶりに改めて驚嘆したと言っておきたい。
 もちろんその度合いは人それぞれであって、オークションで作品を手に入れるほどの愛好家から、作品を投資目的と考える人、単に印象派一辺倒の人、世界中の美術館巡りを楽しむ人、現代美術に造詣の深い人、自ら絵筆をとって公募展に応募する人まで、それこそ千差万別だろう。
 けれど、これを演劇・舞台芸術と比較した場合、人々の受容ぶりにはその深さと広がりにおいて圧倒的な差があると認めざるを得ない。

 いみじくも今月初旬に行われた「フェスティバル・トーキョー2009」の記者発表の冒頭、実行委員長の市村作知雄氏が、「舞台芸術は美術に大きく遅れをとっている」といった趣旨の発言をしていたが、それはより前衛的な作品の創作環境において、さらにはそれらを受け容れる土壌の豊かさにおいて大きな格差があるということでもあるだろう。

 さて、14日付の日経新聞では、瀬戸内海の7つの島々を舞台にした「瀬戸内国際芸術祭2010」が、開会1カ月を待たずに10万人を超える来場客が訪れていると報じている。
 フランスの美術家、クリスチャン・ボルタンスキーの「行くこと自体が難しい。しかし、とても美しい。アートは人々をそんな場所へも導くだろう」という発言が紹介されている。
 そう、美しいということはたしかに大きな要素であるのに違いない。

 同記事の中では、豊島の以前近隣住民が集まった水場近くに鉄の彫刻を置いた青木野枝の「3年後、住民の同意が得られなければ撤去する」という言葉も紹介されている。
 その「場」と「そこに住む人々」への関わり方の繊細さにおいて、その覚悟において、「演劇」が学ぶべきことは多いのではないだろうか。


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