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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

国際母語デー

2010-02-21 | 言葉
 今朝早く、私は池袋西口の公園にいた。
 今日、2月21日はユネスコ(国際連合教育科学文化機関)が1999年11月17日に制定した「国際母語デー」なのである。
 言語と文化の多様性、多言語の使用、そしてそれぞれの母語を尊重することの推進を目的としている。
 これは、1952年のこの日、バングラデシュ(当時はパキスタンの一部)のダッカで、ベンガル語を公用語として認めるように求めるデモ隊に警官隊が発砲し、4人の死者が出たことに因んでいるとのことだ。
 バングラデシュでは、独立運動の中の重要な事件の一つとしてこの日を「言語運動記念日」としていたのである。
 
 さて、その母語の日の恒久的記念碑である殉難者顕彰碑ショヒド・ミナールが池袋の西口公園に建立されていることはあまり知られてはいないだろう。
 今日は朝の8時前から150人ほどの在日バングラデシュの人々が集まり、駐日バングラデシュ大使も出席しての記念碑への献花式が行われ、私も縁あって一緒に参列したのだった。
 足元から寒さのしみ込んでくるこの真冬の早朝にも関わらず、歌を唄い、プラカードを持ち、花束を掲げ持った人々を見ていると、自分たちの母語を守りぬくことに誇りを持つことの素晴らしさ、力強さを感じないわけにはいかない。

 ふと、作家アゴタ・クリストフの言葉を思い出す。
 「悪童日記」ほかの作品で世界的に著名になった彼女だが、1956年、ハンガリー動乱の折、乳飲み子を抱えて夫とともに祖国を脱出、難民としてスイスに亡命した。その後、時計工場で働きながらフランス語を習得し、小説を書き始めたのである。
 アゴタ・クリストフは「母語と敵語」というエッセイのなかで次のように書いている。

 「わたしはフランス語を30年以上前から話している。20年前から書いている。けれども、未だにこの言語に習熟してはいない。話せば語法を間違えるし、書くためにはどうしても辞書をたびたび参照しなければならない。
 そんな理由から、わたしはフランス語をもまた敵語と呼ぶ。別の理由もある。こちらの理由のほうが深刻だ。すなわち、この言語が、私のなかの母語をじわじわと殺しつつあるという事実である。」

 私たちは果たして日本語というものをどれだけ大切に思っているだろう。当たり前のように日本語を読み、書き、話すことの奇跡のような素晴らしさ、不思議さを改めて思わないわけにはいかない。


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