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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

1500勝達成

2022-06-18 | 日記
もう夜半を過ぎてしまったので昨日のことになるが、4週間ぶりに西新宿の街を歩いた。定期的に病院に通う必要があるからだが、多くの勤め人が行き交うこの街が私はどこか好きなのである。
このビル群を眺め、ふらふらと徘徊しながら雑踏の中に身を潜めてみたくなる。そこに妙な安心感を覚えるのだ。



私自身の体調はどうもはっきりしない……、どころか明らかに悪化しているようなのだが、今自分がどういう状態にあるのかが分からないのである。
採血検査、レントゲン撮影のあと、診察室に入り、主治医にこの4週間の身体の具合、どれだけ痛みが酷かったかなど経過を説明する。
医師はもちろんその話をよく聞いてはくれるのだが、その痛みの根本的な原因はという話になると、確定的なことは何も言えないらしく、この可能性もあるが、こちらの可能性も否定できないなどと、途端に禅問答のようになって分からなくなる。
一体この身体の中で何が起こっているのか。

 夏目漱石の「明暗」の中で、主人公の津田が独りごちる「この肉体はいつ何時どんな変に会わないとも限らない。それどころか、今現にどんな変がこの肉体のうちに起こりつつあるのかも知れない。そうして自分は全く知らずにいる。恐ろしいことだ」という言葉を思い出す。実際、そのとおりなのだ。

今日(17日)の新聞では16日の将棋の順位戦で羽生善治九段がプロ入りから通算1500勝を達成したというニュースが報じられている。
1986年1月に中学3年生で1勝目を挙げてから36年かけての快挙ということになる。その10年後の96年には7冠となり、一躍時の人となったのは誰もが知るとおりだ。

その7冠達成時、米長邦雄永世棋聖が経団連において「なぜ、羽生君に勝てないか」と題した講演を行ったことが新聞に載っていたのを覚えている。その時、53歳の永世棋聖はこう語ったのである。

「われわれベテラン棋士は得意の戦型が忘れられない。その戦型で勝った記憶が忘れられない。その戦型はもう通用しなくなっているのに」

当時はバブル経済の崩壊から数年経った頃で、日本経済の先行きは見えず、暗澹たるものだった。米長氏の言葉を、名だたる企業の経営者が、むずかしい顔をしてじっと聴き入っていたという……。

その羽生九段も今や50歳を超えて当時の米長永世棋聖の年齢に近くなり、29年も在籍した順位戦のA級から陥落してしまったし、タイトル戦からも遠ざかって久しい。
時の流れの無情を感じてしまうのも事実だが、私自身は羽生九段には《名人位》こそが相応しいと思っている一将棋ファンなのである。近いうちに必ず復位してくれるに違いないと捲土重来を心の底から願っている。


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