seishiroめもらんど

流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

踊るよろこび

2009-08-25 | 雑感
 22日から23日にかけて、山形県村山市で開催された「むらやま徳内まつり」に参加してきた。東京・池袋から現地に招請されて遠征した「東京よさこい」のチームに同道してのことだ。
 とは言っても私は別ルートで先着し、彼らを現地で出迎える立場である。
 「むらやま徳内まつり」は今年15周年を迎えた比較的新しい祭りである。
 徳内ばやしは、村山市出身の江戸時代の北方探検家、最上徳内が建立した神明宮(現在の北海道厚岸神社)に伝わるお囃子が200年の時を経て村山市に伝来し、独自の発展を遂げたものとのこと。
 基本となるお囃子の調子はのどかなものなのだが、現代風の激しいリズムが加わり、生演奏の和太鼓や笛から繰り出される熱気は、老若男女を問わず、1チーム15分間にわたって次々と展開する乱舞と相まって素晴らしい迫力を生む。
 それを山の稜線がくっきりと浮かぶ夜空を背景とした舞台上に眺めることは、日常の中ではなかなか得られない貴重な体験である。
 「東京よさこい」チームの踊りも地元の人たちにさわやかな感動を与えるものだった。
 祭りは、人口2万6千人ほどの村山市にどうしてこれほどの人がと思えるほどの盛り上がりを見せ、県内外を問わず3日間で26万人が集まるという。
 私もステージを離れ、露店が並ぶ小路や御輿のパレードを眺めながらそぞろ歩きをしてみたのだが、祭りらしい祭りを久しぶりに見たという感慨とともに、子どもの頃に帰ったような懐かしさが胸に溢れる思いをしばし味わった。

 さて、同じ23日、東京・池袋の西口公園では、ダンサーの近藤良平が、自ら主宰する「コンドルズ」のメンバーとともに「にゅ~盆踊り」の輪の中にいた。
 これは、劇場「あうるすぽっと」が企画した夏向けの市民参加型の事業で、全国からの公募で集まった人たちと一緒に新しい盆踊りをつくろうというものである。
 この日は村山市から帰ってきたのが夕方で、行こうと思えば行けないことはなかったのだが、少しばかり気が臆したばかりに機会を失してしまった。
 あとから人づてにその盛り上がりの素晴らしかったことを聞いて悔しい思いをしたのだけれど、それこそ後の祭りである。

 実は、これに先立つ7月31日、「にゅ~盆踊り」の参加者170人ほどが、巣鴨地蔵通りの納涼盆踊り大会に近藤らコンドルズのメンバーとともにワークショップを兼ねて飛び入り参加したのだが、これを私は見ているのだ。
 それこそ京都や名古屋、静岡から駆けつけた人もいるという参加者は、それゆえのテンションの高さなのか、人の輪に加わることの喜びに満ち溢れた明るい顔をしている。
 もっとも、この時は無条件で地元の人たちに受け入れられたのではないように感じる一幕もあった。
 従来の地元盆踊り大会に闖入してきた若者集団と見慣れない振りの踊りを見ながら、その輪の中に入れず遠巻きに眺めるばかりの地元の人たちの中で、何となく「にゅ~盆踊り」が浮き上がった感じもあったのだ。
 それが、23日の本番では、逆に招待されて池袋にやってきた巣鴨の踊り手たちの輪の中に「にゅ~盆踊り」の若者たちが進んで入り込み、一緒に輪を広げ踊りながらその興奮はいやがうえにも高まったという。大成功である。

 近藤良平氏がバレエやダンスのいわゆる「素人」と付き合う理由として「スポーツなら、基本的に運動神経のいい者が勝つ。でもダンスは違う。表現の豊かさにおいては、10歳も50歳もそれほど差はない」と答えている。
 優れたダンサーである近藤も、一般の人に「負けた」と思う瞬間があるというのだ。

 それは演劇においてもまったく同様だろう。
 「表現」はマニュアルどおりにはいかないし、技術ばかりの問題でもない。理論づけのできない部分にその豊かさの秘密は潜んでいる。
 それゆえにこそ、みな苦しみもし、楽しみもするのだけれど。