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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

にしすがものドリトル先生

2009-08-16 | 演劇
 今月4日と12日の2回、にしすがも創造舎恒例、「アート夏まつり」の一環として行われた演劇公演「ドリトル先生と動物達」を観たのでメモしておきたい。
 原作はご存知、ヒュー・ロフティングの「ドリトル先生航海記」。これをOrt-d.dの倉迫康史氏が台本化し演出した。
 この演劇公演は「子どもに見せたい舞台」というコンセプトで創られているもので、豊島区及び同教育委員会、NPO法人アートネットワーク・ジャパン、NPO法人芸術家と子どもたちの4者で構成する実行委員会が主催、制作をアートネットワーク・ジャパンが担当している。
 一昨年の「オズの魔法使い」、昨年の「怪人二十面相と少年探偵団」に引き続く舞台である。
 今回もそうだが、いつも丁寧に創りこまれた作品で、特に舞台づくりにかけるスタッフの愛情や情熱、意気込み、本気度といったものが観ている者にもひしひしと伝わってくる。こうした舞台に触れ、観ることは、子どもたちにとってとても意味のあることに違いないと私は確信する。
 特に今回の舞台では、舞台美術の伊藤雅子氏、衣装の竹内陽子氏、照明の佐々木真喜子氏の仕事を特筆したい。元体育館の特設劇場に日常とはまったく異なる世界を構築したのはまったく彼女らの功績である。

 校庭から劇場に入り、受付を通って薄暗いロビーに出る。そこから階段状の客席の間の狭い通路を抜けるとそこが舞台である。不思議の国のアリスが「うさぎ穴」を通って別世界に行ったように、観客は「ドリトル先生」の世界に導かれるのだ。
 開演までの間、動物達(衣装をまとった俳優)が舞台とロビーを自由に行き来しながら観客を誘導するのも楽しい仕掛けだ。

 個人的な思い出として、私は「ドリトル先生」シリーズを小学校四、五年生の頃に読んだような気がする。
 すっかりドリトル先生に憧れて、いくつか贋作を書こうと原稿用紙に向かったくらいだから、相当に影響されたはずである。
 翻訳が井伏鱒二という人だということを認識してはいたが、痩せ型の学者さんというイメージを勝手に思い描いていて、あんなにまん丸で釣り好きの小父さん、あるいは高名な作家だとは思いもしなかった。
 うかつにも私はドリトルが「Dolittle」のことで「甲斐性なし」あるいは「やぶ先生」を意味することを最近まで気がつかずにいた。
 これを「ドゥーリトル」ではなく「ドリトル」と表記したことや、「Pushmi-Pullyu」を「オシツオサレツ」と訳したことなど、井伏鱒二のセンスが光る。
 井伏に翻訳を勧めたのが児童文学者の石井桃子であり、石井の設立した「白林少年館」から第1作の「ドリトル先生アフリカゆき」の刊行されたのが、太平洋戦争開戦の年である1941年であったことも今回初めて知った。
 戦時下の子どもたちはこの本をどのような気持ちで読んだのだろう。改めて考えてみたい。

 さて、舞台である。
 この舞台では音楽も重要な要素である。舞台の正面奥にバンドのセットが組まれていて、俳優達が交互に演奏するのが楽しくも素晴らしい。
 私はこの舞台シリーズのバンドを使った劇音楽が大好きなのだが、難を言えば今回はリズムがいささか平板な印象を受けた。 
 音楽だけの問題ではなく、それが芝居全体のリズムに影響していたのではないかと気になったのである。
 これはあくまで感覚の問題ではあるが、ワンシーンごとにこれがあと1秒か2秒短縮できていればと思うことが多かった。それが積もり積もれば全体で5分程度は引き締めることができたはずである。
 おそらくここを「見せたい」という象徴的なシーンがあったはずで、それをより効果的に見せるための演出があってもよかったのではないかと思うのだ。技術論として、すべてを「たっぷり」演じる必要はないのではないか。
 私のような「アングラ」出身のがさつな役者と違い、舞台の俳優達は言葉を実に大切にしているのが分かる。私なら観客の注意を惹き付けるために声を張り上げたり、スピードを上げたりするところで、逆に声を低めてしっかり伝えようとする。
 それはおそらく正解だし、上品な演技なのだが、それが全般に及ぶとリズムが平板になり、観ている子どもの集中力が持たないという気がするのだ。
 ストーリーの取捨選択や何をこの舞台で一番見せたかったか、あるいは伝えようとしたかったか、台本上の課題もあったのではないかと思える。

 話したいことは尽きないほどあるけれど、いずれにせよ、稀有なほど誠実な舞台づくりを続けているこのシリーズがさらに豊かな実を結ぶことを私は心から期待している。