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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

アートのちから

2009-01-21 | アートマネジメント
 源氏物語の円地文子訳をゆっくりゆっくりと読み進めていて、いまようやく「須磨」の帖にはいったところだ。物語では須磨の情景を「昔こそ人の住む家などもあったようであるが、今は大そう里離れて、もの凄いほど荒れてしまい、海人の苫屋さえ稀にしかない」「もの淋しい海辺の、波風よりほかにはたち交じる人もないような所」と書き表されている。
 今は神戸市須磨区となっているこの辺りの風景も当時とは想像もできないほどに変貌している。当たり前のことだけれど。光源氏が今の世に現れたならどんな感想を持つだろう。

 14年前の1月17日にこの地方を襲った阪神・淡路大震災は、須磨区でも400人を超える死者を出すなど、甚大な被害をもたらした。
 17日を中心に震災関連の報道が多かったが、復興住宅では住民の高齢化が深刻な問題となっている。コミュニティの衰退はより顕著となり、孤独死が他人事ではない状況だ。
 思えば14年は長い時間だ。50歳過ぎたばかりの壮年が高齢者になり、高齢者と呼ばれるようになったばかりの人が80歳の後期高齢者となる。
 その長い期間のあいだに私たちは何を学んできただろう、何を成し遂げてきたのだろう。あるいは、ただ手をこまねいてきただけなのか。
 
 大地震からの復興にあたって文化芸術が多大な力を発揮したことは巷間よく語られることだ。
 生命の危険を回避したのちも、長く続く仮設住宅や避難所での生活のなかで、人々の心をなぐさめ、元気づけるためにたくさんの芸術家や芸能人、アーティストがボランティアとして力を結集したのだ。
 その形態はさまざまであったが、当時その力は確実に人々の心に届いた。そのことに関する調査研究レポートは数多く書かれ、報告されている。

 14年を経た今、地域コミュニティ崩壊のなかで、アートに求められる働き、期待される機能は変容しているだろう。
 新聞などでは、歌手の川嶋あいをはじめ、何人かのボランティアによる被災地でのライブコンサートのことが報じられていたが、東京の片隅にいる私には現地の様子がよく見えていない。(もちろんそれは私の問題なのだが。)
 その地域ごとに抱える問題は異なり、要望や期待も千差万別である。そうしたところに入り込み、想像力=創造力を駆使して、人々との心の回路を切り開きながら課題解決の糸口をまったく違った視点から発見するという力をアートは持っているはずだと私は思う。
 文化芸術のための文化芸術ではなく、その働き、機能を導入することによって、コミュニティを回復するための施策や福祉、教育、防災など、他分野におけるそれぞれの機能を結びつけ、活性化させる力・・・。

 かの地でのアートの現状を知りたい、と同時に、もっと身近な自分の暮らす場所での有り様を追求したいとも思うのだ。
 ただ奉られたようなアートやコミュニケーションの回路を閉じたアーティストには興味がない。