seishiroめもらんど

流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

ものを創る精神

2009-01-18 | アート
 多田富雄氏の「寡黙なる巨人」のなかに、庄内地方の黒川能をライフワークの一つとして描き続けている森田茂画伯のことを綴った文章があってなつかしく読んだ。多田氏も森田画伯もともに茨城県の出身で、実家は縁続きであると書かれている。
 森田茂氏は100歳を過ぎた今もご存命だが、戦前、東京豊島区のいわゆるアトリエ村の住人となった芸術家で、池袋モンパルナスゆかりの画家である。
 20年ほど前、展覧会に出品いただく絵を預かるために何回か目白のご自宅に伺ったことがある。本当は美術専門の運搬業者に依頼すべきところを、経費の節約もあって伺った素人の私に内心ひやひやしておられたに違いないのだが、いかにも危うい手つきで高価な作品を梱包するのを特に気にする様子もなく、「この作品はこの間、フランスのニースの展覧会に出したものだよ」などと優しく話し掛けてくださった。
 そんなある日、画伯から出版間もない貴重な画集をいただいた。もちろん私個人にではなく、仕事に役立てるようにとのことなのだが、その巻頭の写真は強烈に記憶に残っている。
 油絵の具の乾くのを待つためか、何十枚もの書きかけのキャンバスが乱雑に積み上げられたアトリエの中央にでんと座り、絵筆を持って絵を見据える傘寿に及んだ画伯の姿は、まさに画魂というか、絵を描くという神経の束あるいは精神だけが凝り固まってそこに息づいているという印象を見るものに与える。
 ものを創るとはこういうことなのだと、そのもの言わぬ写真は今も私に迫ってくる。
 懶惰な生活のなかで自分自身を見失ったような私を、多田氏の文章、森田画伯の姿は叱咤するようだ。

寡黙なる巨人と潜水服の夢

2009-01-18 | 読書
 多田富雄著「寡黙なる巨人」を読む。2年前の7月に刊行され、昨年小林秀雄賞を受賞した話題の著作であり、すでにネット上でも多くの論評を読むことができる。半歩遅れどころではない10歩遅れくらいの読書なのだが。
 世界的免疫学者の多田氏が2001年5月、突然旅先で脳梗塞の発作に見舞われ、死線をさまよった後、3日目によみがえる。気がつくと右半身が完全に麻痺し、重度の構音障害で言葉も一切しゃべれなくなっていた。嚥下機能も侵され、食事ばかりか水も飲めない状態である。まさにカフカの「変身」の主人公グレーゴル・ザムザのように一夜明けたら自分がまったく別のものに生まれ変わっていたのだ。
 自死を願うような深い絶望の時期を経て、苦しいリハビリを繰り返しながら、左手でパソコンを打つことを覚え、綴ったのがこの本に収められている文章である。
 多田氏は「リハビリとは人間の尊厳の回復という意味だそうだが、私は生命力の回復、生きる実感の回復だと思う。」と言い、「病という抵抗のおかげで、何かを達成したときの喜びはたとえようのないものである。初めて一歩歩けたときは、涙が止まらなかったし、初めて左手でワープロを一字一字打って、エッセイを一篇書き上げたときも喜びで体が震えた。」と書き綴る。
 そうしたなかで、自分自身のなかに何か新しいもの、無限の可能性を秘めたものが生まれ、胎動するのを感じる。それは縛られたまま沈黙している、寡黙なる巨人であった。
 多田氏はそうした状況のなかで、能楽をはじめとする芸術文化への深い理解と教養に裏づけられた数々の文章を書く。さらには行財政改革のもと、厚生労働省によって診療報酬が改定され、リハビリを必要とする多くの患者が見捨てられようとしている現実に対して積極的にコミットし、抗議の声を上げる。
 まさに、怒り、そしてのた打ち回りながらも戦う巨人である。その姿は深い感動を呼び、私たちにも生きることの意味を問い掛ける。

 この本を読みながら思い出したのが、ジュリアン・シュナ―ベル監督の映画「潜水服は蝶の夢を見る」である。
 こちらも実話であるが、有名なファッション誌ELLEの編集長だった主人公が脳卒中に倒れ、昏睡状態から目覚めた時には身動き一つできない体になっていた。動かせるのは左瞼だけである。
 潜水服とは深海に潜る時の固い鉄でできた鎧状の服で、身動きのできない主人公の病状を言い表わしているのだが、唯一世界との交信手段となった左瞼を使った合図をもとに、女性編集者の力を借りながら、気の遠くなるような作業をとおして彼は自伝を綴っていく。

 寡黙なる巨人と潜水服、そのどちらも想像力の素晴らしさや、表現することが生きることであるということを切実な状況のなかで私たちに教えてくれる力強い作品だ。