いいたい放題

 右でも左でもない風来坊が、社会・経済・政治などの問題について、
好き勝手に、支離滅裂に、傍若無人に書き込むブログ

まだ辞表を出さないのですか

2007-11-30 | Weblog

 一番の責任者はまだ辞表を出さないのですか?ここまで鈍感でないと、一連の判断は出来なかったでしょうが、それにしても不思議です。自分の教区から女児に対する準強制わいせつをし続けていた司祭が、損害賠償慰謝料裁判で100%敗訴したわけですから、「冤罪」とか「事実無根」を言い続け、「最高裁・高裁に抗議する」とまで叫んだ事実をどうやって弁解するのでしょう。

 一昨日、ここに貼り付けたメールは、神戸の友人から来たメールです。彼もクリスチャンです。歳は私よりも少し上ですが、昔から保守的な人でした。「右翼」と言われたこともありました。日本聖公会では、主教に反対すると「右翼」とか「左翼」と言われるようですが、私にはそれがよく判りません。自衛隊に反対し、日本の軍備に反対し、死刑廃止運動に参加し、原発に反対し続けてきた日本聖公会は、FH司祭の問題になると沈黙してしまいました。

 K主教こそ審判廷で裁かれなければならないのではないでしょうか。ご自分の犯した過ちや被害者への裏切り(文書捏造)、そして何よりも、教区内の信徒に事件の真相とその後の京都教区の対応の間違いについては、一切知らせてこなかったのではないでしょうか。それでいて、11月23日にはあのような文書を配布しているのです。明らかに被害者を無視して加害者を擁護しています。日本聖公会における主教というのは、主教になったら何をしてもそれが正義になるということなのでしょうか。

 一番良いのは、K主教自身が審判廷に「自首」することではないでしょうか。主教の審判廷は管区でなければ開けませんから、否が応でも日本聖公会の主教会はこの問題に関わらざるを得なくなります。K主教の時効はまだまだ3年あります。11月23日の文書の内容でも、明らかに意図的な事件の隠蔽をしています。それも、自己の責任をまったく感じていない仕方においてです。誰か、猫に鈴をつける方はいらっしゃらなかったのでしょうか。日本聖公会はどんな人権侵害が行われても、司祭や主教は黙り込んでしまうことは、友人の件でも嫌というほど知らされていますが、このままK主教が大聖堂の大きな椅子に座り続けていたら、京都教区だけでなく日本聖公会もすべて音を立てて崩れるでしょう。

 事態は深刻です。あまりにも陰惨な事件だからです。そして、その事件に対する京都教区の対応は、理不尽などという言葉では言い表せないほど悪辣なものです。皆さんは既にそう思われているのではないでしょうか。このブログに批判的なコメントをかかれた方は、あの11月23日付の文書をどうお思いになられたでしょうか。あの文書を読んでもK主教や京都教区の常置委員会を擁護するようであれば、もう話にならないとしか言いようがありません。

神戸の友人からのメール

2007-11-28 | Weblog

 京都教区はどないしたん。
 主教さんは何を考えてはるんやろ。
 炉やったんやろ?その司祭。何で首を切らんかったんや?
 主教さんも困った人やな。
 わてらのとこやったら、一発でクビや。

 それから神戸まで聞こえてきた話があるんやけど、
 司祭さんにも変なのがいてはるそうやな。
 どないなってんのや?
 牧師さんたちのしてはることはメチャクチャやな。
 奥さんはいてはるのに、他の女と付き合うてた人がいるんやて?
 結婚する前か?
 付き合うてた女を振って、別の女と結婚しはったんか?
 ほんまなんか?
 何や知らんけど、別の司祭さんも絡んでたそうやで。
 ずいぶん前のことらしいけどな。

 あんたのブログ読んでたら、思い出すことが仰山あってな。

 それで、炉の司祭さんは、今どないしてはるん。
 給料は貰うてるんか?
 ワテみたいな年金生活者ではないんやろ?
 住むとこはあるんか?
 炉やったら、近所が迷惑やな。
 再犯されたら目も当てられへんよ。
 八代斌助主教さんみたいな気骨のある人はいてはらんのか?
 あの人は、いろいろ言われてはるけど偉いお方や。
 筋が一本、通ってはったさかいな。
 ボーイスカウトの役員をしてはったやろ。
 ワテの知り合いのお父さんが一番偉い人だった頃や。
 豪傑や言われてたそうやな。
 それに立派な学者さんやったしな。

 炉の司祭さん、クビにでけへんのか?
 司祭さんは資格取り消しは出来へんのやろ?
 司祭さんは資格やないさかいな。

 あんたのブログ、読んでるさかいな。
 気張ってや。

京都では?

2007-11-27 | Weblog

 京都で、K主教は平然とした顔をしているのですか?それにしても考えていることが稚拙ですね。「自己保身」ということが一読して判るあんな文書を、何で書いたのでしょう。高校生でも、こんな言い訳はしませんよ。

 これで誰が一番悪いか見えたはずです。これでも主教会は動かないのですか?人が死んでも動かないでしょうね。いや、もう亡くなっている方もいらっしゃるんですよね。日本聖公会の主教会自身が自己保身ですか?

 主教会が「退職勧告」されたらどうですか?そして、管区付きの主教になっていただいて、日本聖公会を根底から健全化するために、あらゆる膿を出すだけでなく、潜在的な問題をすべて解決するように努力されたらどうですか。

 「性同一性傷害」と「同性愛」「両性愛」を同じものとして考えたら、とんでもないことになりますよ。日本聖公会の中に巣くってしまったフェミニズムを、神学的に教会として駆逐して下さい。でないと、日本聖公会は破綻します。

レッド・カード

2007-11-25 | Weblog

 イエロー・カードが既に、2枚出てたはずですよ。
 高裁判決が確定したときと、今年の1月29日付けの文書に関して‥‥‥
 今更という気がなくもないのですが、明らかにレッド・カードです。高裁判決が出た後で、「冤罪、冤罪」と叫んだ時に、既に一発退場のはずだって意見も耳に入ってきていますが、今回は間違いなくレッド・カードです。

 「シュミレーション」などという生やさしい反則ではないですから。審判でもないのが、勝手に笛を吹いてしまったんですから、当然です。大方の意見では、「信じられない」という声が聞こえてきます。日本聖公会の法憲法規を読んでいれば、勝手に笛を吹けないし、イエロー・カードを出すなんてこともできないのは判っているはずです。友人に電話したら、驚いていましたよ。「わぁ、何で?審判じゃない人がイエロー・カードは出せないでしょ」というのが彼の最初の発言でした。

 これで主教会が何も言わなかったら、サポーターが怒りますよ。サッカーを知らない人でも、変に思うでしょうね。ここまで来ると、開いた口がふさがりません。有名なクリスチャン野球監督じゃないですが「信じられなァ~い!」の連発ですよ。こう言うのを「茶番劇」というのでしょうか。

 それにしても、主教会も困っているんじゃないですか?何しろ、考えられないようなことをしてしまうのですから。教区主教が、退職主教に、主教会の承認も得ずしてイエロー・カードです。この後の主教会の動向が見物ですが、「性同一性傷害」を自称している司祭が「性的少数者とともに捧げる聖餐式」と称して、同性愛者・両性愛者を招いて聖餐式をしてしまっているのを黙認しているのですから。

 またまた墓穴を掘ってしまいましたね。K主教には打ってつけの仕事がありますよ。「日本聖公会性犯罪及び同性愛防止委員会」です。良い勉強をされたでしょうから、これを機会に、日本聖公会の中のおかしなことを徹底的にえぐり出して、治療されたらいいですよ。アメリカ聖公会もランベスの指導で少しは変わりそうですか?アングロ・アフリカニズムをアメリカ聖公会は受容できそうですか?日本聖公会は?そして、ランベスに意見書を送付するぐらいのことは出来そうですか?
 

デタラメ

2007-11-24 | Weblog
 京都教区の教区会、もめたそうですね。なかなか良いことです。すんなり終わってしまったら、「糾す会」の活動が無になってしまうところでした。「もめた」ということ自体は一応評価できますが、問題はその後でしょ。

 M主教に対しては勧告なんですね。こんなことは法憲法規にはないことですよね。法憲法規にないから、無効であることを知っていてやったとしたら、K主教は本当に頭の良い方なんですね。悪く言えば、「狡賢い」ということですが。K司祭は教区会でまた謝罪したそうですが、今日はちゃんと被害者のところへ行って、頭を下げてきたんでしょうね。教区会で謝罪しても、被害者とそのご家族に対してきちんと頭を下げなくては意味がないではないですか。

 そして、一つ重要な問題があります。
 K司祭に対して「聖奠の執行停止」を勧告したところで、それは何ら被害者とそのご家族の要求に応えたことにはならないということです。それとも、この3月まではチャプレンで、4月からは教授にでもするおつもりなのですか?難しいでしょ?最近は文部省がかなり厳しくなっていますから、最低でもマスターを持っていないと教授にはなれませんよね。場合によるとドクターが要求されます。

 この「職務執行停止」の勧告に違反したら、ペナルティがあるのですか?法憲法規にはそんな規定はまったくないですよね。また日本聖公会お得意の「不文律」ですか?一度その不文律なるものを、箇条書きにして公表してほしいものです。その不文律の中には、「子供の時に片親になった人は司祭になれない」という規定がほんとうにあるのでしょうか。それとも、その不文律は主教会の中だけの極秘事項なのでしょうか。友人がそれを言われた時、それを言った方は主教ではありませんでしたよ。

速報

2007-11-24 | Weblog
【FH司祭問題を駁す】というブログに以下のように書き込まれてました。



 昨日の教区会で、M主教(退職主教)とK司祭の2008年3月まで
の「聖奠」の執行停止が報告されたそうです。詳しいことは、まだ情報
がありません。

教区会は

2007-11-24 | Weblog

 京都教区の教区会はどうなったのか、いろいろ検索してみましたが、さすがにネット上にはまだ情報が出てきていませんね。それよりも、TERAさんが
いっていた新しいブログを見つけました。日本聖公会の聖職者の方ですか?

 <日本聖公会にもの申す>というブログにかなりの情報が出ています。
 コメント書き込み禁止になっているみたいなので、許可をもらうことが出来ませんから、URLを書けませんが、Yahoo のトップページの検索で、ブログを選び、日本聖公会にもの申す、と入力するとすぐにアクセス出来ます。よかったら読んでみて下さい。
 日本聖公会の裏情報を持ってるみたいです。

 最初は友人かと思って電話したら、奥さんが電話に出てきました。彼はもう寝てしまったそうです。彼奴は仕事を二つも三つもこなしてるから、あんなブログを書く時間はないと思います。日本聖公会の皆さんは変に勘ぐらない方がいいですよ。今夜の文面では、東京に住んでる人のようです。

 京都教区の教区会、どうなったのでしょうか。平穏無事に終了したのでしょうか。それとも、主教と常置委員が糾弾されたのでしょうか。本当に困ったものです。もしかして、教区会館で主教を囲んで慰安会と称して、酒を酌み交わしていないでしょうね。まさか、そこにH司祭は招かれていないですよね。日本聖公会だとそんなことまで思い浮かんでしまうところが怖い。

 日本聖公会京都教区は結局FH司祭問題を隠蔽し続ける気なのでしょうか。お粗末な話です。これがアングリカン・コミュニオンの実態なんですね。もう信徒の方々はどこか他の教派の教会に転出した方がいいかもしれません。次のターゲットはあなたかもしれませんよ。

 

簡単なこと

2007-11-21 | Weblog

 日本聖公会京都教区の問題性は実に簡単なことです。

 FH司祭が1980年代に犯していた女子児童への準強制わいせつが原因で被害者は2000年1月にPTSDを発症したので、病院へ行き診断書も複数の病院から受けた。そして、FH司祭夫人にそれを訴え、牧師を辞めるように申し入れ、FH司祭本人もそれを認め謝罪の手紙を被害者と父親に送った。これが同年の3月。
 4月4日には、父親はM主教に被害手記を渡している。

 2001年4月5日、被害者はPTSDから自殺未遂をし、父親はFH司祭に電話で連絡。FH司祭は夫人を伴って病院に駆け付け、夫人の横で、病院の廊下に土下座して謝った。そして、翌日、M主教は本人に辞表を書かせ、午後病院を訪れてFH司祭を退職させると告げた。

 翌日の常置委員会では、こんな簡単な問題に対して結論を出すことが出来ず、翌日に再度、常置委員会を開いている。そして、退職を決定した。しかしこれは、退職処分ではなく、FH司祭の退職願の受理を決定したということだった。

 ところが退職願の受理を決定した常置委員会までに、FH司祭は被害手記を読んでいなかった。そこでK司祭は、その手記をFH司祭に見せたのだが、その時点でFH司祭の態度が一転した。「事実無根」の主張だ。

 4月17日、FH司祭の同席の下で再度常置委員会が開かれ、退職願の返還をFH司祭が要求した。この間10日、何が裏で行われていたのかは当事者しか知らない。また常置委員会は、被害者の手記をすべては読んでいない。聞くところによると、あまりに悲惨なことが書かれているので読めなくなったという説もある。それでいながら、常置委員会はFH司祭の退職願返還を決定してしまった。


 ここまでで既に、いくつもの過ちをM主教と常置委員会は犯しています。

 4月5日にM主教は辞表を書かせたとのことですが、自主退職で済まされるような問題でしょうか。あまりにも非常識です。自主退職を認めずに、とりあえず主教判断で、職務執行停止を告げ、緊急に審判廷を開くべきだったのではないでしょうか。非公開にすれば、審判廷そのものが開かれていることも知られずに済みます。事件が事件だけに、被害者のことを考えるとこれは当然のことであろうかと思われます。

 4月6日に開かれた臨時常置委員会では結論を出すことが出来なかった理由は何だったのでしょうか。常識的に考えて、被害手記を読んだ段階で事件ははっきりしています。後に出てくる「虚言癖」という言葉がこの常置委員会でも出てきたのでしょうか。もしそうだとしたら、誰がそれを発言したかは非常に大きな問題です。一人の人に対して「虚言癖がある」と発言することは、あまりにも理不尽なことです。
 そして、4月7日になってやっと退職願の受理が決まったとのことですが、常置委員の中に退職願の受理に反対していた人がいたのでしょうか。もしそうだとしたら、そこにも大きな問題があるのではないでしょうか。何を根拠に退職願の受理に反対したのか。土下座してまで謝ったFH司祭のことを聞いているはずです。誰かが反対したから一日で決められなかったのではないでしょうか。

 退職願を出した後、FH司祭が「事実無根」を主張して退職願の返還を要求すまで、いったい裏で何があったのは、当事者以外は知らないと思います。
 しかし、「糾す会」の一斉メールには、被害者の父親の発言として次のように記されています。(引用を許可されています)

 「表沙汰にしないように、牧師の奥さんだけに話をし、
  牧師の資格はないでしょう!牧師を辞めさせてください。
  辞めさせれば収めます。と示談を重ねたのに、1年3ヶ月経っても、
  辞めさせなかった。(2000年1月~2001年3月末)」

 裏で何があったのかは判りませんが、M主教をはじめ常置委員会はFH司祭の「事実無根」という主張だけで、2001年4月17日、M主教と常置委員会は退職願の返還を決定してしまったのです。しかも、この決定をした常置委員会にFH司祭が出席していたということを聞いたことがあります。私には未だに信じられません。常識的に考えて、FH司祭自身がこの常置委員会に出席できるはずがありません。既に、一旦は退職願が受理されているのです。退職願が受理されたということは、FH司祭の退職が決定したということですから、たとえそれまで常置委員長であったとしても、出席出来ないはずです。まして、本人の問題を協議するのですから、陪席すら不可能なのですが、何故FH司祭を出席させたのか。

 理不尽とはこのことなのではないでしょうか。
 これだけでも、日本聖公会京都教区は明らかに大きな過ちを犯しているということが出来ます。その後、2001年7月になって、被害者は損害賠償慰謝料請求裁判を起こしているのですが、この係争中も京都教区はほとんど傍聴に行っていません。一審の被害者敗訴の後、2004年10月に被害者は高裁に控訴しました。この間、日本聖公会はおろか京都教区内でもこの裁判に関する公式な情報は流れていませんでした。FH司祭が常置委員長であり続けたからでしょうか。

 明後日の教区会で、こうした理不尽さが問題にされることを心から祈っています。ある意味では、日本聖公会の自浄能力が問われているのではないでしょうか。事件は、現職司祭による準強制わいせつです。それも、1回とか2回どころではなく、足掛け6年も続いていたのではないでしょうか。2000年以降、現在に至るまでの間に、京都教区で主教だった方々、常置委員会であった方々はすべて、この問題に対して責任があることは誰の目にも明らかなことです。
 明後日の教区会でそれを明らかにしていただきたいと思います。でなければ、日本聖公会京都教区はいつまで被害者を苦しめ続けるおつもりなのですか?


教区会ではっきりさせるべきです

2007-11-20 | Weblog

 京都教区は、FH司祭の事件とその後の教区の対応に関して、教区会で正式に話し合うべきです。被害者のお一人は、二度とこのようなことが教会で起きてほしくないと思い、裁判所の証言台に立たれたのではないでしょうか。言葉では言い尽くせない苦しみや悲しみ、痛みを負われていたのではないでしょうか。だからこそ、そのことを、信仰者として、聖職議員も信徒代議員もしっかりと認識すべきだと思います。
 先日、「糾す会」から聖職議員と信徒代議員宛に送られた文書をお読みいただけば、問題は何一つ解決していないばかりか、被害者とそのご家族は教会を離れてしまわれた状況を打開しなければならないということをご理解いただけると思います。今年の1月29日付けの主教文書は、被害者とそのご家族が合意していません。代理人がそれを公言していらっしゃいます。それを、いかにも合意されているかのように書かれていることに対し、非常に憤慨されていますが、当然のことではないでしょうか。

 まだお読みになっていらっしゃらない方は、是非、裁判記録閲覧報告をインターネット上でお読みください。<FH司祭問題を駁す>というブログに、何人もの方々が書かれていらっしゃいます。「FH司祭問題を駁す」で検索すればすぐに見つかります。そして、事件の真相とその後の京都教区の対応に関して、「糾す会」のホームページをご覧ください。「糾す会」で検索すれば、これもすぐに見つかります。そして、裁判記録閲覧報告と「糾す会」のホームページを比べてみてください。「糾す会」は出来るだけ問題を伏せて書かれています。
 実際にあったと大阪高裁が判断したことは、「糾す会」のホームページに書かれている以上に悪辣なFH司祭司祭による行為でした。にもかかわらず、京都教区主教はその裁判記録を閲覧することもなく、あの「謝罪の記者会見」を開いているのです。

 来る23日(勤労感謝の日)に日本聖公会京都教区の教区会が開かれるようですが、是非、この問題を議論していただきたいと思います。隠し続けたら、何の解決もできないばかりか、PTSDに今も苦しんでいる被害者とその家族の傷口に塩を擦り付けるだけにしかなりません。
 京都教区主教と常置委員に対して、一日も早く、被害者とそのご家族が納得する仕方で問題が解決されることをお願いして下さい。<2ちゃんねる>という掲示板がありますが、あの掲示板の【Anglican】聖公会8【Episcopal】というスレッドに盛んに書き込んでいた京都教区の聖職者と思われる方々が、ある書き込みを契機に、一斉に沈黙されていまいました。その書き込みがどれかは、皆さんはすぐにお判りいただけると思いますが、その書き込みの意味はよくお判りにならないかと思います。「さっぱり判りません」という声が聞こえるような気がします。しかし、一つ一つ、きちんとした裏付けがあります。私のところには、それなりの情報が送られてきています。それらの情報とあの書き込みを照合してみました。ここには記すことが出来ないほど、恐ろしいことです。

 あと3日です。23日には教区会が開かれます。そしてそこでは、新しい常置委員が選出されることでしょう。そして、また一年の歩みが始まるわけですが、それと併せて、一日も早くFH司祭問題に関して真実の意味での解決に教区が向かうように進言し、それが決議されるように祈って下さい。
 聞きたくないことに耳を塞がないで下さい。聖書の御言葉を通して、この問題を真剣に考えて下さい。日本聖公会がキリストの教会として、もう一度歩み続けることが出来るようになるために、祈り、励まし、支えあって下さい。でないと、日本聖公会は見るも無惨に音を立てて崩壊してしまうかもしれません。
 神様のお守りとお導きを信じて、キリスト者としてふさわしい道を毅然とした態度で歩んで下さい。

 「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。」
 マタイ福音書16章24節~25節

教区会は傍聴させてもらえないのですか?

2007-11-19 | Weblog

 来る勤労感謝の日に日本聖公会京都教区の教区会が開催されるそうですが、傍聴させてもらえないのでしょうか。京都教区の信徒でないと無理なのでしょうか。京都教区の信徒であれば傍聴することは出来ないはずはないと思うのですが。


 日本聖公会法規 第107条
  教区会の会議は、この法規その他の日本聖公会の法規に別段の定めが
 ある場合を除いて公開とする。ただし、重大な事由のために出席議員の
 3分の2以上で議決したときは、公開としないことができる。

 基本的には公開なのですが、誰かが傍聴に行ったらそれを「重大な事由」として「公開としない」ことが出来るのですね。実に不思議な教会です。「重大な事由」ということの定義がなされていません。通常は、こうした原則公開が定められている場合、非公開にすることが出来る理由をある程度列挙するのではないでしょうか。


 第118条
  教区会の決議は、教区主教の承認によって効力を生じる。
  教区主教は、教区会の決議に綱憲の定めに違反する重大な瑕疵または
 教区の司牧を著しく妨げる重大な瑕疵があると認めたときは、当該決議
 の承認を拒むことが出来る。
  前項の場合には、教区主教は、当該決議事項の再審議を教区会に求め
 ることが出来る。

 ということは、教区主教が非公開を主張したら、いくらでも非公開に出来るということなのですね。教区会の代議員の過半数が非公開にするという議案に反対しても、教区主教が「司牧を著しく妨げる重大な瑕疵があると認」めれば、非公開にすることが可能だということなのですね。


 第117条
  教区会は、教役者議員及び信徒代議員がそれぞれの総数の2分の1以
 上出席しなければ、議事を開き議決することができない。

 こう記されていますから、非公開にすることが議決された場合、信徒代議員の過半数が退席すれば、教区会は流会ということになるのではないでしょうか。その覚悟で信徒代議員が教区会に出席すれば、教区主教は教区会を非公開にすることは出来ないはずです。