いいたい放題

 右でも左でもない風来坊が、社会・経済・政治などの問題について、
好き勝手に、支離滅裂に、傍若無人に書き込むブログ

みんな仲間か?

2008-01-27 | Weblog

 日本聖公会京都教区の主教と司祭は、みんな原田文雄司祭の「仲間」か?それともあの原田文雄司祭の和解申入書の存在を知らなかったのか?知らなかったはずがないだろう。あの和解申入書を原田文雄司祭が投函して、それから常置委員会を開いて、主教と常置委員会が陪餐停止を言い出す。その中で主教は「和解が成立するまで」ということを明言する。その後、被害者が何も言ってこなければ、謝罪は完了し、和解も成立したとして、翌2006年の4月から陪餐停止を解除し復職させる。そんな段取りを考えていたんじゃないのか?だから、アドベントに入って、何かと忙しい時期に謝罪の記者会見を開いたんじゃないのか?何か言い訳じみたことをしていたように記憶しているが、しかし、一目瞭然だぞ。

 恐ろしい話だ。明日事務所へ行ったら、しばし、あの文書に対する話し合いがあるだろうな。ただ、みんなも気にしているんだが、最近はこのブログへのコメントがないことは、何を意味しているのだろう。箝口令が強まったのか、それとも「他教派の人間は黙っていろ」令が発布され、施行されたのか?さっき、「糾す会」からメールを受けた人から、そのメールが転送されてきたが、「父親の意向を確認しましたところ、是非広く全国の信徒にこの欺瞞性を訴えてくださいと言われました。特に一切そのような場面がなかったことを作りだして書いたものだ、ということを強調されていました。」と記されていたぞ。

 日本聖公会の司祭や主教は「沈黙は金(かね)」と思ってるんじゃないのか?「雄弁は銀」という言葉が続いているが、金は精錬する必要がないが、銀は精錬してはじめて手にすることが出来るものだから、あの時代は銀の方が価値があったそうだな。銀より、換金しなくていい「金(かね)」の方が使い勝手がいいからな。しかし呆れたよ。聖公会のどこが「ブリッジ・チャーチ」なんだよ。なにが使徒継承だよ。嘘八百を並べて、自分たちを正当化しようというのが、どうして正統なんだよ。原田文雄司祭の書いたあの和解申入書にあることは、全くの捏造だ。そして、原田文雄司祭が被害者にしたと裁判所が認めたことは、あんなことじゃない。日本聖公会の司祭は、あの裁判記録を読みに行って来いよ。そして、自分の教区に帰って、みんなに知らせろよ。同じようなことが自分の教区で起きないために。

 しかし、外からこれだけつつかれても変わらないようだと、日本聖公会は近いうちに自爆するな。十二歳以下の女児に性的虐待をしていた司祭を、依願退職で済ませてしまったんだからな。日本聖公会京都教区はいまさら「冤罪」説を復活させないよな。記者会見までしてしまったんだからな、出来るわけがないだろう。このまま「沈黙は金(かね)」でい続けるのか?

爆 笑

2008-01-26 | Weblog
 うちの事務所で、TERAさんの「キリスト教カルトを斬る」に原田文雄司祭が書いたという和解申し入れ書が引用されていたのに気付いたので、早速TERAさんに電話したら、あそこに引用されているのがほぼ全文だそうだ。信じられないような和解申し入れ書だ。それで、事務所のみんなで爆笑した。この和解申し入れ書が投函されたのは、高等裁判所の判決が確定した後だ。つまり原田文雄司祭は、被害者の訴状も控訴理由書もみんな読んでいる。最高裁判所で上告が棄却され、高等裁判所の判決が確定した後だ。それでいながら、わいせつ行為の内容を「間もなく京都の教会に異動する事を告げたとき、立っていた私の胸に飛び込んでこられました。二人ともバランスを失いソファーに倒れこんでしまいました。その際、私の片手がズボンの上から○○さんの性器に触れました。私はすぐさま振り解こうとせず、その手を放置しました。」と書いているが、正気の沙汰じゃない。

 日本聖公会京都教区はこの書簡のことを知っていたのだろうか。もし知っていたとしたら、日本聖公会京都教区も爆笑の対象だな。この書簡に書かれていることだけが行われたのだったら、あの裁判で問題になっていたことが嘘になってしまう。そもそも、これをわいせつ行為と言うか?慰謝料の請求額500万円の全額を控訴人(被害者)に支払い、裁判費用の全額を被控訴人(原田文雄司祭)が支払えという判決が出るわけがない。しかも、前者については仮執行宣言が付いていた。誰が読んでもおかしいと思うだろう。だから、事務所のみんなで大爆笑したんだ。

 しかし、この頃はまだ「糾す会」の方々はこの事件に対する表だった動きを見せていなかった時期だそうだから、原田文雄司祭としてはこれを出せば謝罪したことになり、和解が成立すると考えたんだろうな。何でも「糾す会」の方が高地主教に会いに行ったのは、2006年になってからだったそうだ。そして、今までにも、「糾す会」が原田文雄司祭の書簡として一斉メールでその内容を知らせていたが、これがその書簡だったんだな。スキャニングして取り込んだこの文書は、一級資料として、うちの事務所のパソコンやサーバーの中に保存された。勿論添付してあったメールもメール・ファイルとして保存されている。が、ネット上のメール・サーバーには残っていないから、俺のアドレスを探して、そこから消そうとしても無駄だ。

 それにしても、何でこんな捏造をしたんだ。原田文雄司祭が自分で考えたのか?それとも、誰かが入れ知恵をしたのか?入れ知恵したのも爆笑ものだ。審判廷が開かれたら、強烈な証拠文書になる。裁判になっていたのは、こんなことではない。裁判記録を読んだら、誰でもすぐに判る。わいせつ行為があったのは、被害者の家の居間だけではない。教会のベストリーや礼拝堂の中もあったし、被害者のベッドであったことさえあるとされている。おまけに、高等裁判所は、これらの行為はすべて行われたと認定している。日本聖公会京都教区はこれが出回ったらそこで終わりだ。「知らなかった」で押し通すかもしれないが、誰が考えても知らなかったとは思えない。この書簡が投函された翌月12月9日には、高地主教や常置委員は謝罪の記者会見を開いている。そして、「和解が成立するまで」原田文雄司祭を「陪餐停止」にした。

正体が明らかになったな

2008-01-24 | Weblog

 <FH司祭問題を駁す>というブログに、原田文雄司祭と、「9条の会」や自民党代議士の関係が書かれているな。どちらの情報も間違いなさそうだが、こうした事態を高地主教はどの程度知っているのだろうか。それよりも、この事実を「9条の会」が知ったら、どのようなことを考えるだろうか。日本聖公会の中で政治的活動をしている人々は、ある意味で同じようなことをしていないか?「9条の会」の中でも様々な議論が出て来るだろう。俺は第九条を変えることには反対だが、自衛隊の存在については問題を感じていない。世界で自国防衛のための軍備を持っていない国はない。あのエクアドルは軍をなくしたが、他国の侵略に対する軍備は放棄していない。軍備=海外侵略という短絡的発想は、あまりにも愚かとしかいいようがない。連合赤軍の浅間山荘事件や、最近あった大型拳銃によるSAT(特殊急襲部隊)隊員が銃弾を受けて死亡した事件があった。警察の装備で、外国からの侵略に備えられるとは、あの事件を見れば判るだろう。現代の戦争は第二次世界大戦時の戦争とは、その武器の質も戦争の形態も明らかに異なっている。浦賀水道沖に、核弾頭付きのミサイルを搭載した原子力潜水艦が浮上して、日本政府を脅迫したら日本政府は何を考えるだろうか。何も浦賀水道沖である必要はない。

 房総半島沖に現れても同じことだ。それも公海上でいい。日本の海岸沿いにある潜水艦探知システムは米軍のものだが、公海上にいる他国の潜水艦に対しては日本は先制攻撃をかけることが出来ない。しかし、公海は海岸から12海里しかはなれていない。約22.2kmだ。房総半島の東側の海岸、犬吠埼から永田町まで直線で約100kmしかない。これを足すと122.2km。少しずれたところに潜水艦がいたとして、150km。この間を平均600m/秒(マッハ2弱)で飛ぶミサイルが飛んでくるとしたら、250秒で着弾する。4分10秒だ。第二次世界大戦時にはこうしたミサイルは存在しなかったが、この程度のミサイルは多くの国々がそれを保有している。このミサイルが弾道ミサイルだとすると、上昇時に撃墜することは可能だが、下降時に撃墜することは至難の業だ。それだけではない。本土上空で撃墜すれば、都市部やその周辺の住宅密集地に金属片や可燃物あるいは弾頭が落下してくることが十分に考えられる。これに対して、SATは何の防御装備も持っていない。あるのは自衛隊のパトリオットだけだ。命中精度をどれだけ高められるかが問題だがな。

 自民党はこうした事実の上に軍備を考えている。民主党も同じことだ。彼らは軍備を否定してない。原田文雄司祭はこうしたことを知っていたのか、それとも知らなかったのか。「九条の会」に関わると同時に、自民党の国会議員の選挙運動を自分の教会の信徒に手伝わせていたらしいな。<FH司祭問題を駁す>というブログに「糾す会」は次のように書き込みをしている。「2005年11月11日(日)に実施された第44回衆議院議員選挙で自民党の伊吹候補の選挙事務所に聖光幼稚園の職員をシフトを組んで同事務所に手伝いに派遣した。このことは昨年聖光教会の一信徒と京都市内で面談した時に話されたことです。」
 「9条の会」も伊吹氏もいい迷惑だろう。「九条の会・松ヶ崎の会」では、自民党の改憲草案大綱の学習会もしていたらしいが、その結成総会で開会挨拶をした原田文雄司祭は、自分が理事長でもあり園長である幼稚園の職員を、自民党の代議士の選挙運動を手伝いに行かせていたのだからな。日本聖公会の「サヨク」司祭達はこれをどう考えるんだ?人ごとのように考えるなよ。自分たちと同じ司祭が犯した性犯罪だ。

 日本聖公会京都教区の高地主教や常置委員会はどう考えているんだ?「サヨク」でも保守でも、要は名前が売れればそれでいいのか?幼稚園のことに関して何かと国会議員の世話になるだろうからその選挙運動を応援し、「九条の会」に顔を出して進歩的知識人を気取っていたんじゃないだろうな。いい迷惑だ。「九条の会」は穏健な人が多いから、そこに出ることには問題がないのだろな。原田文雄司祭にとって、北朝鮮の拉致問題はどうだったんだ?竹島に対する韓国の侵略行為はどうなんだ?尖閣列島は?最近やっと大きな問題になり始めている「冤罪事件」はどうなんだ?6人の被害者の内、4人への性的虐待行為は認めてしまったからな。何もしていないとは言えないだろうが、提訴した被害者に対しては「冤罪だ」と言い続ける気なのか?代理人のホームページに載っている原田文雄司祭の「謝罪手紙」を読んでみて欲しい。裁判で証拠として認められたものだ。

 http://homepage3.nifty.com/periborg/

 「2.京都教区による公式見解」という項の最終行をクリックすれば読めるはずだ。これを読んで、いまだに原田文雄司祭が「事実無根」を主張していることを受容できる人がいたら、会ってみたいと思っている。被害者が最初に被害にあった時、被害者はまだ小学校4年生だった。日本聖公会の皆さんには、このことをしっかりと認識して欲しいと思う。

自己保身か教会再建か

2008-01-20 | Weblog


 先日、ある方からメールが届きましたその冒頭に次のようなことが書かれていました。

 「2007年12月25日付の聖公会新聞1月号第5面に、11月23日に行われた京都教区会報告の記事が掲載されました。
 そこには、『常置委員会報告では、特別報告として昨年の教区会以降における元牧師事件の対応についての報告、特に元牧師が罪の一部を認めたことが報告され、質疑応答・意見交換の後、高知主教の見解と方針が文書により示されました。そして、当時の主教・常置委員が一人ずつ発言台に立って、それぞれ自らの責任・認識を明らかにし謝罪され、最後に一同で懺悔の祈りを献げて午前中の日程を終えました。』と掲載されています。


 この報について、先日の1月14日、私は、原田文雄司祭の最初の被害を名乗り出た女性の父親に、約30分にわたって電話インタビューさせていただきました。私がこの掲載部分を読み上げ感想を求めたところ、電話の向こうでは怒りを込みあげられた様子。長年にわたり地元の教会を支えられてこられたこの方は、「娘は!」、「教区は!」と語気を強め、インタビューに答えられました。
 その主旨は
 まず、昨年1月1日以後から1年を過ぎた今も、代理人(鎌田司祭)を通じるなどしても、京都教区としての電話、手紙、面談など、何もなかったこと。
 次に、「原田を守ったいきさつに、教区としての謝罪はない。公表もない。」と重要なポイントを指摘され、
 最後に、いつも表面は謝るが、謝罪の意思は、いまだ誰からも感じられない旨を語られたのです。
 文面についてはお任せするので、これを全国の方に理解してほしいとのことでした。」


 常識的な方であれば、日本聖公会京都教区の主教や常置委員の司祭たちがいかに愚かなことをしているかということをすぐにお判りいただけると思います。「最後に一同で懺悔の祈りを献げて午前中の日程を終えました」と書かれているそうですが、被害者とそのお父様はそこではまったく無視されています。日本聖公会京都教区の昨年11月23日に行われた教区会は誰に向かって謝罪したのでしょうか。また、「質疑応答・意見交換の後、高知主教の見解と方針が文書により示されました」と『聖公会新聞』に記されていたそうですが、高地主教のあの『常置委員会特別報告を受けて』という文書は、『常置委員会特別報告』が発表され、質疑応答・意見交換があった後で記されたものなのでしょうか。高地主教が会議中に記されたのか、それとも一旦休会して記したのが、このメールにある記事の引用からすると、「質疑応答・意見交換の後」、高地主教が文書を入力し、それを印字し、相当数をコピーするまでに、どんなに早くても15分はかかったであろうと思われますが、しかしそのような早さで入力することがお出来になるかどうか。むしろ、ここに記されていることからすれば、あらかじめ用意されていた『常置委員会特別報告を受けて』という文書が配られたとしか考えられません。

 パソコンに入力するのに15分、簡単に移動できる機種のレーザープリンターで印字したとしても、枚数が100枚程度になれば5分以上かかるはずです。そして最も重要なことは、「質疑応答・意見交換の後、高知主教の見解と方針が文書により示されました」と聖公会新聞には記されてあっても、実際には「質疑応答・意見交換」の後で入力したのではなく、あらかじめ入力してあったものをレーザープリンターで印字したか、「質疑応答・意見交換」のときにはもう既に印字してあったとしか思えません。つまり、『常置委員会特別報告を受けて』という文書はこうした点から考えると、教区会の席上で書かれたものではなく、あらかじめ準備していたとしか思えません。確かに、高地主教があの文書を5分で書き上げる方法はあります。私の事務所では時々それをしますが、そうしたことに慣れた助手が最低でも2人要ります。京都教区にはそうした離れ業を出来る人が何人もいるのでしょうか。そして、もし初めから準備していた文書であったとすれば、「質疑応答・意見交換」はまったく意味を持たなくなります。むしろ、自らの文書の正当性を補完するために為されたものでしかありません。

 こういうことを「作為的」というのではないでしょうか。しかも、どういう質疑が為され、どういう意見があったのかに関してはまったく記されていません。こういうのを一般的には「隠蔽」というのではないでしょうか。事件が事件なだけに、誰も「牧会的配慮である」とはいわないと思います。そして、何よりも重要なことは、被害者とその関係者がまったくこれを知らなかったということです。被害者とその関係者がいないところで謝罪しても、まったく謝罪になりません。
 『常置委員会特別報告』には次のように書かれていました。

  *これまでに行われた被害者(Aさん)およびその関係者への謝罪は
   以下の通り。
   ① 高地主教が、被害者(Aさん)関係者を訪問して謝罪。
   ② 一昨年12月、奈良県庁の記者クラブでの高地主教に
    よる記者会見を通しての謝罪。
   ③ 昨年度京都教区会の「宣言」決議を受けての謝罪。
   ④ 武藤主教、古賀司祭がそれぞれに被害者(Aさん)関
    係者を訪問しての個人的謝罪。

 ②の場に、被害者もしくはその関係者がいたのでしょうか。
 ③の場に、被害者もしくはその関係者がいたのでしょうか。
 ④本当に武藤主教は被害者のお宅まで出向いたのでしょうか。

 そして、この時の出来事をあの被害者の関係者の代理人に即座に知らせたのでしょうか。あるいは、他の5人の被害者にはどうだったのでしょうか。少なくとも、『常置委員会特別報告』にAさんと記されている被害者とその関係者にはまったく知らされていないことは、初めに申し上げたメールを読む範囲では明らかなことです。

 聖公会京都教区に残された道は、最早二つしかありません。自己保身の先に待っているのは、教会としての教区の崩壊と消失です。いや、もう教会として崩れ始めてしまっているのかもしれません。そして、一つだけ、日本聖公会京都教区がキリストの教会として再建できる道は、教会法で定められた審判廷において、原田文雄司祭と高地主教及びこの問題に関係したすべての聖職常置委員の正式な審判をすることですし、それに先だって、被害者Aさんのお父様から出されている下記の三つの要求を満たすことは当然のことです。

 1) 武藤六治と古賀司久幸が教育界及び教会勤務から離れること。
   ただし、教会付属福祉施設は可とする。
 2) 加害を認めたにも関わらず、退職を撤回した経緯の詳細を文書
   化すること。加害を認め退職が決定された後、古賀久幸司祭が信
   徒弁護士から受けた助言の詳細、それを受け復職を決めるまでの、
   京都教区常置委員会の詳細な討議内容の提示。
 3) 上記条件が満たされたと代理人が判断した上での、謝罪訪問。

 ※この書き込みは、転載・引用・印字・配布は、文言を変えない限り
  自由にして下さい。特に、日本聖公会京都教区の主教や常置委員会
  の構成員に配布することは、こちらからお願いしたいくらいです。


報道管制

2008-01-19 | Weblog


2007年11月23日に開かれた日本聖公会京都教区の教区会で配布された「常置委員会特別報告」には次のように記されている。

 * * * * * * * * * * * * *
2月15日(木)
  鎌田司祭が教区事務所に来訪。藤原健久司祭(総務局長)が対応した。
  被害者関係者の代理人として、和解交渉に関する一切の権限を任せる
 旨の、「委任及び代理権授与契約公正証書」(以下「公正証書」)が示
 された。
  その和解条件は、以下の通り。
  1)武藤六治と古賀司久幸が教育界及び教会勤務から離れること。た
   だし、教会付属福祉施設は可とする。
  2)加害を認めたにも関わらず、退職を撤回した経緯の詳細を文書化
   すること。加害を認め退職が決定された後、古賀久幸司祭が信徒弁
   護士から受けた助言の詳細、それを受け復職を決めるまでの、京都
   教区常置委員会の詳細な討議内容の提示。
  3)上記条件が満たされたと代理人が判断した上での、謝罪訪問。
  (ただし、代理人から、これらの件についての交渉はいまだ行われて
   はいない。)

*これまでに行われた被害者(Aさん)およびその関係者への謝罪は以下
の通り。
  ① 高地主教が、被害者(Aさん)関係者を訪問して謝罪。
  ② 一昨年12月、奈良県庁の記者クラブでの高地主教による記者会見を通
   しての謝罪。
  ③ 昨年度京都教区会の「宣言」決議を受けての謝罪。
  ④ 武藤主教、古賀司祭がそれぞれに被害者(Aさん)関係者を訪問しての
   個人的謝罪。
 * * * * * * * * * * * * *

 まず第一に確認しておきたいことは、代理人は公証人役場において正式に代理人契約を結んでおり、法的に認められた代理人であるということである。日本聖公会京都教区は「委任及び代理権授与契約公正証書」の意味に関して、教区会できちんとした説明をしたのだろうか。この「公正証書」が持つ重みについて、日本聖公会京都教区の信徒は理解できているだろうか。また、この代理人は「糾す会」のホームページに「未だ成っていない事件の被害者との和解について、私、鎌田雄輝が被害者父親の代理人として任命され、和解交渉を行なうこととなりました。京都教区関係者には誠意ある対応をお願いいたします。」と記している。日本聖公会京都教区はこのことを、そして、きちんとここで認めていることをまず確認しておこう。
 そして、代理人は三つの和解条件を提示している。にもかかわらず、日本聖公会京都教区の常置委員会は引用した①②③④で、既に謝罪していることを強調している。この謝罪に関する報告はあまりにも見え透いている。特に武藤主教と古賀司祭が謝罪しにいっているとしていることに関して、どのような形での謝罪であったかに関しては、まったく記されていない。
 しかも、代理人が要求している謝罪訪問の前提には、1)と2)のことが行われていなければならないにも関わらず、1)も2)も行われていない段階での謝罪が謝罪になっていないことは誰にでも理解できる。

 1)に関しては、武藤主教は既に教育の現場から退かれたが、古賀司祭は未だに学校のチャプレンを続けている。
 2)に関して、「加害を認めたにも関わらず、退職を撤回した経緯の詳細を文書化すること」は当時の常置委員会の議事録を提示すればそれで済むことである。そして、「加害を認め退職が決定された後、古賀久幸司祭が信徒弁護士から受けた助言の詳細」は古賀司祭が報告書を記せばそれで済むことである。また、「それを受け復職を決めるまでの、京都教区常置委員会の詳細な討議内容の提示」については、これも常置委員会の議事録を提示すれば済むことであるが、日本聖公会京都教区は何を躊躇っているのか。常置委員会の議事録には、出席者の指名と発言内容、そしてその問題を話し合うための資料が何であったかが記されているはずである。古賀司祭は前もって原田文雄司祭と面会しているのであるから、その内容も必要であれば明らかにすれば、代理人からの要求に対して十分なものとなるはずである。
 にもかかわらず、日本聖公会京都教区はこの二つの和解条件を満たそうとする努力をしているだろうか。代理人が代理人になったという報告文書は2007年2月13日付けになっている。そして、代理人が日本聖公会京都教区総務局長の藤原健久司祭に面会したのは同年2月15日になっている。日本聖公会京都教区が代理人の意味をしっかりと理解していたら、この和解条件にある要求を満たすために早急に常置委員会の議事録などをコピーし、、すぐにでも和解が成立するように努力したはずである。

 日本聖公会京都教区は、被害者とその家族の心が少しでも癒されることを祈り求めて、この問題を解決しようとしているのだろうか。あるブログのコメントに、「聖公会には赦しの秘蹟はないのか」というような書き込みがあった。日本聖公会京都教区の信徒によるものではないかと思われるが、日本聖公会ではこうしたキリスト教の基本的なことを信徒に教えていないのだろうか。「罪の赦しの宣言」は確かにサクラメントだ。つまり神の御業であるが、しかし罪の告白という懺悔が必要条件である。何でもかんでも赦されるというのがキリスト教ではない。原田文雄司祭は未だにAさんともう一人の被害者に対して謝罪していない。高裁の判決が確定して、慰謝料を支払ったはずなのだが、どういうつもりで支払ったのだろう。日本聖公会京都教区はそれをどう受け止めているのか。高地主教も常置委員会も、こうした外部からの問い掛けには沈黙しているが、これは教会内部の神学的問題ではなく、現職司祭による女児への性的虐待の問題である。そして、法的に認められた正規の代理人からの和解条件に関して、未だに沈黙しているということは、どういうことだ。そして、日本聖公会京都教区の信徒にはこれらの一切が報告されておらず、報道管制さえしかれているとすれば、日本聖公会京都教区は間違いなくカルトである。被害者もまた日本聖公会京都教区の信徒であるのだから。

「謝罪」のウソ

2008-01-16 | Weblog


 昨年の11月23日に開かれた日本聖公会京都教区の教区会で配布された常置委員会の文書には次のように記されている。

 「11月14日(水)
  原田元牧師の要請により懇談。(高地主教、三浦恒久司祭、井田泉司祭、宮嶋眞司祭出席)冒頭、原田氏より、彼の記憶している事件の経過を聞いたが、Aさんから告発された事実については否認を続けている。また、2001年当時の退職撤回時の経緯については、明確でない点も多く、今後も事実確認の積み重ねが必要であることを伝え、特に被害者の方々の尊厳の回復こそが最も大切なことだということを強調した。」

 「冒頭、原田氏より、彼の記憶している事件の経過を聞いたが、Aさんから告発された事実については否認を続けている」とあるが、日本聖公会京都教区はあの「謝罪の記者会見」で、Aさんに対する加害行為は間違いなくあったと発言したのではないのか。あの時に記者などに配布され、キリスト教関連の新聞社に送付した文書を見る限り、文面からは加害行為を事実と認定しているようにしか思えない。にもかかわらず、引用した常置委員会特別報告に記されていることは、その事実認定の線から後退しているようにしか思えない。原田文雄司祭が認めようが認めまいが、日本聖公会京都教区の姿勢は原田文雄司祭の加害行為は事実であったという強い姿勢が、この文面からは読み取ることが難しい。「被害者の方々の尊厳の回復こそが最も大切なことだ」ということの具体的なことが見えてこない。

 ここに名前が記されている4人の聖職者の内、裁判記録を閲覧した方はこの2007年11月14日の時点では一人もいない。裁判記録には、被害者が地裁に提出した訴状や高裁に提出した控訴理由書があるが、裁判記録を読まずにあの事件内容に関してどれだけの認識があるのだろう。そして、少なくとも、友人の閲覧記録メモからすると、同年12月5日までにも閲覧した記録は残ってない。つまり、この4人の聖職者は、被害者の正式な被害手記を読むことなく、原田文雄司祭と11月14日に話し合いをしているということである。これは、由々しき問題ではないだろうか。被害者の訴状や控訴理由書にも目を通さず、またそれに対する原田文雄司祭らの反論を読むことなく、問題を解決しようとしているのである。しかも、最高裁判所の上告棄却によって確定した高等裁判所の判決では、原田文雄司祭らの控訴理由書への反論はすべて退けられているのである。

 そして、鞍馬天狗が自分のブログに書いているが、2007年11月2日に高地主教と数名の司祭がBさんと「付き添いの方」を同道して原田文雄司祭の居所を「予告なく」訪ねた理由は何だったのか。鞍馬天狗は刑事訴訟法を引用している。
 刑事訴訟法
 第250条(公訴時効期間)
 時効は、左の期間を経過することによって完成する。
 (1~3省略)
 4.長期15年未満の懲役又は禁錮にあたる罪については5年
 (5~7省略)
 鞍馬天狗が言うように、Bさんに対する加害行為はこの5年という時効の完成の時がまだ来ていないのだろうか。それともまったく別の理由があるのだろうか。2005年12月の「謝罪の記者会見」で、Bさんに対する加害行為を認めていた日本聖公会京都教区は2007年11月2日に何故Bさんだけを連れて原田文雄司祭に会いに行ったのか。日本聖公会京都教区はこのことに関して沈黙している。Bさんから、一切口外しないで欲しいと依頼されているからなのか、それとも被害時期を公表することが憚れるからなのか。もし後者だとしたら、その理由は何なのか。日本聖公会京都教区がBさんの人権を主張するのであれば、Aさんの控訴理由書に対する反論(高裁乙第18号証)に記されているあの重大な人権侵害発言を日本聖公会京都教区は何故問題にしないのか。

 そして、「特に被害者の方々の尊厳の回復こそが最も大切なことだ」と日本聖公会京都教区の主教や常置委員会が考えているのだとしたら、この被害者の人権が侵害されていることを誠実に問題にし、その解決を早急に目指すべきであろう。これは乙第18号証が裁判記録に残されている以上、避けて通ることの出来ない問題である。日本聖公会京都教区は、2005年12月に「謝罪の記者会見」を開いているのである。


神学的課題

2008-01-11 | Weblog

 日本聖公会京都教区の実に重大な過ちは、教会を教会として考えていないのではと思えるような、恣意的な判断をし続けていることだ。あえていえば「行き当たりばったり」の判断をしているということになる。あの6人目の被害者だけを何故原田文雄司祭の自宅へ連れていったのか。誰が考えても不思議なことだ。それとも、日本聖公会京都教区では当然のことなのか。だからこそ、このことに関して教区会では何の質問も為されなかったのだろうか。もしそうであれば、日本聖公会京都教区は教会として大きな過ちを見抜くことが出来ていないということになるが、どう考えているのか。

 日本聖公会京都教区に限らず、別の教区でも、日本聖公会の教会の中には信徒にもヒエラルヒーのようなものがあって、発言力がまったく異なっている人々がいるという話を聞いている。これは日本聖公会に限ったことではなく、日本の多くの教会がこの過ちを犯しているとさえ思えるほどの状態にあるのではないのか。教会が教会である限り、ある種のヒエラルヒーが存在することは神学的に正当化できるが、しかし、信徒の発言力に差があるということは、由々しき問題だと思える。そして、教区会で出された主教の文書に対しては、質問さえしないというのが日本聖公会の慣例であるのだとしたら、日本聖公会は中世封建制度下の教会でしなないということになってしまう。

 こうした極めて神学的な課題を、京都教区はそれと認識できていないのかもしれないということを耳にしたことがある。私の友人もそう言っていた。すべての聖職がそうだとは思えないが、この世的な力関係で沈黙せざるを得ないのだろうとのこと。日本の社会や組織によくあることだ。「立て前と本音」が衝突する時、立て前がいつも後退しているようなものだ。「だから神学議論が出来ない状態では、常に人間的な思いが先行し、それが聖公会だと勘違いしてしまっているのかもしれない。」ということも聞かさた。教会が立て前を失ったら教会でなくなる。「聖公会は神学によって建つのではなく、祈祷書によって建っている」ということも耳にしたことがあるが、祈祷書は正に神学そのものが表出したものではないのか。

 昨年の11月23日の教区会で配布された「常置委員会特別報告」に記されている内容は、明らかに神学的に問題がある。それとも、日本聖公会では信徒に対して、判っていて理不尽な区別を付けているのか。でなければ、常置委員会の対応はどうしても理解出来ない。そして、この理不尽な区別は、あの高等裁判所記録の乙第18号証に記されている言葉に通じるものがあるように思えて仕方がない。
 

審判廷への道

2008-01-08 | Weblog
 「糾す会」のホームページに審判廷に関する法規や細則が載っていますが、日本聖公会の信徒の方々は是非お読み下さい。日本人はどちらかというとこうした規則というものを嫌ったり敬遠したりしますが、聖書の時代から教会は会議と規則によって続けられてきました。日本的な、所謂「なぁなぁでことを済ます」ということは、教会とは無縁のもののです。あの審判廷に関する付記をお読みいただければ、高地主教が原田文雄司祭に対して科した「陪餐停止」という措置は、まったく無効であるということがお判りいただけると思います。私が法憲法規を読んだ限りでは、たとえ教区主教といえども、単独で法憲法規を超えた判断を下すことは出来ないように思えます。ということは、原田文雄司祭は未だに何の懲戒も受けていないことになります。たとえば、ご自宅で聖餐式を行ったとしても、京都教区はこれを咎めることは出来ません。法規第197条には「日本聖公会に所属する教役者または信徒は、この法規その他の日本聖公会の法規に基づく審判廷の審判によらなければ、懲戒されない」と規定されています。

 ここに大きな問題があります。京都教区の高地主教は、何故法規を無視してと言うか、法規に反して「陪餐停止」を命じたのか。教区主教がこの法規をご存じなかったとは考えられませんから、何らかの意図があったとしか思えません。その意図が何であるのかということが大きな問題になりますが、高地主教が出した文書からだけでは見えてきません。しかし、法規に反して「陪餐停止」を命じたことは、明らかに日本聖公会という教会に対する秩序破壊行為です。「法規その他の日本聖公会の法規に基づく審判廷の審判によらなければ、懲戒されない」とされているにもかかわらず、そして教区主教は単独で法規を超える判断が出来るとされていないにも関わらず、超法規的判断によって日本聖公会法規を逸脱した判断をしてしまっています。日本聖公会は主教按手を受けた段階で、こうした超法規的行動が可能になるとお考えなのでしょうか。教会における主教制をそのようにお考えなんでしょうか。だとしたら、聖公会は今まで、どういう視点からローマ・カトリック教会の教皇無謬説に対して反対されてきたのでしょうか。

 京都教区における現職司祭の性的虐待行為に関する問題は、単に加害者の問題であることを超えて、それに対する主教や常置委員の対応についても大きな問題を起こしてしまっていると考えられます。もしこのままの状態がこれからも続いていくとすれば、歴代の主教や常置委員は被害者に対する二次加害行為を継続していくことにならないでしょうか。現在6人いることが明らかになっているのですが、そのうちの4人に対しては原田文雄司祭に対して謝罪文を書かせているにもかかわらず、残りの2人の被害者に関しては、性的虐待行為そのものを否定している原田文雄司祭を庇護してしまうことにならないでしょうか。そしてその結果、最高裁の上告棄却で確定した高裁判決で事実として認定されている原田文雄司祭による性的虐待行為を否認してしまうことにならないでしょうか。

 高地主教は常置委員とともに、2005年の暮れに行われた「謝罪の記者会見」で、性的虐待は行われたと認定しているのですから、高地主教と常置委員は明らかに矛盾していることをしているとしか考えられません。最早、管区の審判廷でこの矛盾を解決する以外に道はないのではないでしょうか。かつて「京都教区に任せてあります」とおっしゃったか他がいるようですが、もう任せてはおけないとお考えになるのが道理ではないでしょうか。高地主教と武藤主教は1年間の職務執行停止、2002年以降の聖職常置委員は全員、6ヶ月の職務執行停止、そしてそれに付随した陪餐停止、というのが妥当な審判だと私は思っています。原田文雄司祭は勿論、終身停職です。そして、被害者に対して誠心誠意謝罪していると誰もが認められるような状況になった時には、原田文雄司祭本人の申し出がある場合には陪餐停止だけを解除しては如何でしょうか。それとも、日本聖公会は6人の女児に対する性的虐待行為は「大したことではない」とお考えなのでしょうか。


解決への道

2008-01-04 | Weblog
 正月三が日が過ぎました。聖公会は正月の祝いや年賀状などは神道的なものだとお考えのようなので、あまり正月は特別な時ではないかもしれませんが、一般人にとっては正月は「お歳とり」の日でしたから、一年で一番のご馳走が食べられる日でした。新米で造ったお酒も少しは飲めたかもしれません。新しい年を祝い、新しい希望に向かって歩み始める時です。日本聖公会京都教区は、この新しい年の始めに何を考えたのでしょう。原田文雄司祭による女児への性的虐待行為とそれに対する対応の大きな間違いにお気付きになったでしょうか。

 問題の解決の道は簡単です。原田文雄司祭による性的虐待問題が表面化してから今までにこの問題に関わった聖職は全員、お元気です。武藤主教以外は現役なのではないでしょうか。だとしたら、常置委員会で何が話し合われ、それぞれがどのような意見を持っていたかということは、関わった聖職ご自身が告白すれば、原田文雄司祭の性的虐待に関する常置委員会の様子などは99%以上明らかになるのではないでしょうか。こんなに重大なことについての話し合いの内容やご自身の発言をお忘れになっているとは思えませんし、お忘れになっていたとしたら、明らかに職務怠慢です。

 京都教区の主教や聖職常置委員の発言内容と高等裁判所の裁判記録(地裁の支部で永久保存されている)があれば、すべてが明らかになるはずです。しかも、謝罪の記者会見を開いた高地主教と当時の常置委員はそれまでの経過をご存じのはずですし、確定した高裁判決をお認めになっていらっしゃるのではないでしょうか。これ以上に確かなことはありません。証拠や証言はこれで十分です。原田文雄司祭を審判廷にかけ、京都教区主教と歴代常置委員の責任もまた、審判廷でその責任を明らかにしなければならないのではないでしょうか。事件は実に深刻な問題です。現職の司祭が、女児に対する性的虐待(準強制わいせつ)を行っていたことを、日本聖公会京都教区は一旦は「事実無根である」と宣言してしまっていたのです。「冤罪」という言葉も使われていました。しかも、被害者は日本聖公会京都教区の信徒です。

 審判廷は教会にとって必要なことです。一部の聖職者たちだけで密室裁判を行うことは、教会ではあってはならないことです。それでは中世封建社会における絶対王制下の裁判になってしまいます。日本聖公会も狭山裁判の不合理性を主張されてきていたのではないでしょうか。判決が出ているにもかかわらず、証拠が開示されていないのです。日本聖公会京都教区がこれと同じようなことをしたとしたら、大変な問題です。審判廷で問題を解決する以外に方法はありません。それが教会の歴史です。一部の人々が非公式に審判することを教会は否定してきました。出発点は、使徒言行録にあるエルサレム会議です。(第15章) 日本聖公会はこのことをしっかりと認識した上で、教会会議としての審判廷を開くべきなのではないでしょうか。曖昧な形での「解決」は、将来に禍根を残します。

謹賀新年

2008-01-01 | Weblog

 新しい年が来たが、この新しい年に何が起きるのだろう。教会は本当に目を向けなければならないところに、目を向けられるだろうか。それも、神学的に裏打ちされた信仰の眼をだ。信徒に阿る聖職が多すぎないか?あるいは、自分たちを正当化することにだけ奔走している聖職が多すぎないか?

 日本の教会で、道路から礼拝堂までまったく段差がない教会がどれだけあるだろう。車椅子で自走できる教会はどれだけあるだろう。知的障害者への洗礼に関しては、はっきりとした神学的対応が出来ているのだろうか。ヨーロッパやアメリカの神学を日本にそのまま持ち込んで、無理矢理翻訳しても、信仰は生活に密着しないだろうに、しかし翻訳神学だけがキリスト教会を闊歩していないだろうか。

 聖職が神学するということは、極めて当たり前のことなのだが、そこで血みどろの戦いをしているだろうか。説教が単なる聖書講話になっていないだろうか。肩書きや学位が説教していないだろうか。聖餐式の意味が、教会としてしっかりと認識されているだろうか。カルヴァンが礼拝の最後に主の祈りを唱えるようにしたのは、聖餐がない礼拝でのことで、聖餐式があれば、御言葉の祭儀の後にある聖餐式で主の祈りが唱えられていたのだが、そうした理解が今も残っているだろうか。

 昨日、都会の雑踏の中で「証」をしている人の話を聞いた。プロテスタント教会なのだが、その証の内容は確実に行為義認だった。「悔い改め」を語っているのだが、何をどう悔い改めたらいいのかがはっきりしていなかった。教会にとって大事なことは、悔い改めの内容だろう。それも、言葉だけではなく、自分の生き方と密接に関わる悔い改めだ。そして、時として、十字架の福音のために、多くの人々と対立しなければならないことさえある。そうした時に聖職者は、自らの生活を賭してでも戦う気持ちがあるだろうか。これがなくなったら、理由の如何に関わらず、その聖職は説教をすべきではないと思える。説教は神の言葉である聖書の説き明かしなのだから。