例の昨年1月29日の主教文書だが、他教区ではあの文書を信じてしまうだろうな。そして、主教が箝口令を敷くまでもなく、主教が声を上げない限り、司祭は何も発言しないし、ましてインターネット上に自分の考えを書き込むこともしないだろう。それで、あの2ちゃんねるから司祭たちが消えたのかと思ったら、まだまだ2ちゃんねるを徘徊している司祭がいるみたいだ。聞くところによると、「糾す会」の一斉メールに対する司祭たちの反応が減っているという。突然主教がやってきて、パソコンのメーラーを見せろと言われたら困るからなのだろうか。確かに、多くの企業では社内のパソコンから、外部への発信を禁じるだけでなく、個人的なメールアドレスにアクセスすることも禁じているところが多い。理由は、個人の監視ではなく、会社のLANにウィルスが入り込むことを恐れているからだ。
しかし、日本聖公会では、司祭のパソコンを検閲する権限を主教は持っているのか?もし持っているとしたら、日本聖公会はあまりにも悲惨すぎるな。何を根拠に、主教にそのような権威を与えることが出来ると考えているのか。カーナビと携帯の位置確認システムを併用して、タクシーが今どこにいるかが判るようになっているが、あれも労働基準法に違反しないか?人権を無視していないか?そう考えると、司祭には主教の前では人権は認められていないことになってしまう。司祭はメーラーにガードをかけるといいな。他人が勝手に見られなくなる。「糾す会」に週2回、励ましのメールを送ると約束してくれたら、簡単なことだから教えてやるよ。こうすれば、主教がやってきて、メーラーを見ようとしてもメーラーにアクセスできなくなる。
こう書くと主教が「とんでもないことをするな」というかもしれないから、ガードの掛かったメーラーを使わずに、そのパソコンの使用者がどんなメールを送受信しているかを見ることが出来る手法を主教には教えるよ。512MBのUSBメモリーと自分のノート・パソコンがあれば簡単に出来る。ただし、こっちは高いぞ。何しろ主教だからな。被害者に謝罪といたわりの書状を週に一回、直筆で書き、ブログを開設して、京都教区を糾弾することが第一条件だ。第二は、司祭の自由な発言を、牧会に差し障りのない範囲で許可することだ。それも、公に伝わる仕方でだ。そして、京都教区を擁護している司祭のパソコンを集中的に検査してみろ。メールだけじゃなくて、インターネットでどこのサイトを見ているかも判るぞ。
何しろ日本聖公会は明らかな嘘が罷り通るところだからな。こうしたことを主教がしても、誰も人権侵害だなどと言わないだろう。主教がこうすると言ってそれに従わなかったら、無条件で処罰されるからな。主教は神様だろ?しかし、そうした主教を影で操れる司祭がいるんじゃないか?大物司祭が。しかしこれって、どこかの世界に似てないか?末恐ろしくなってきたから、今夜はもう寝る。しかしここまで嘘が罷り通ると、日本聖公会は教会ではなくなるぞ。