いいたい放題

 右でも左でもない風来坊が、社会・経済・政治などの問題について、
好き勝手に、支離滅裂に、傍若無人に書き込むブログ

嘘が罷り通るならば

2008-02-28 | Weblog

 例の昨年1月29日の主教文書だが、他教区ではあの文書を信じてしまうだろうな。そして、主教が箝口令を敷くまでもなく、主教が声を上げない限り、司祭は何も発言しないし、ましてインターネット上に自分の考えを書き込むこともしないだろう。それで、あの2ちゃんねるから司祭たちが消えたのかと思ったら、まだまだ2ちゃんねるを徘徊している司祭がいるみたいだ。聞くところによると、「糾す会」の一斉メールに対する司祭たちの反応が減っているという。突然主教がやってきて、パソコンのメーラーを見せろと言われたら困るからなのだろうか。確かに、多くの企業では社内のパソコンから、外部への発信を禁じるだけでなく、個人的なメールアドレスにアクセスすることも禁じているところが多い。理由は、個人の監視ではなく、会社のLANにウィルスが入り込むことを恐れているからだ。

 しかし、日本聖公会では、司祭のパソコンを検閲する権限を主教は持っているのか?もし持っているとしたら、日本聖公会はあまりにも悲惨すぎるな。何を根拠に、主教にそのような権威を与えることが出来ると考えているのか。カーナビと携帯の位置確認システムを併用して、タクシーが今どこにいるかが判るようになっているが、あれも労働基準法に違反しないか?人権を無視していないか?そう考えると、司祭には主教の前では人権は認められていないことになってしまう。司祭はメーラーにガードをかけるといいな。他人が勝手に見られなくなる。「糾す会」に週2回、励ましのメールを送ると約束してくれたら、簡単なことだから教えてやるよ。こうすれば、主教がやってきて、メーラーを見ようとしてもメーラーにアクセスできなくなる。

 こう書くと主教が「とんでもないことをするな」というかもしれないから、ガードの掛かったメーラーを使わずに、そのパソコンの使用者がどんなメールを送受信しているかを見ることが出来る手法を主教には教えるよ。512MBのUSBメモリーと自分のノート・パソコンがあれば簡単に出来る。ただし、こっちは高いぞ。何しろ主教だからな。被害者に謝罪といたわりの書状を週に一回、直筆で書き、ブログを開設して、京都教区を糾弾することが第一条件だ。第二は、司祭の自由な発言を、牧会に差し障りのない範囲で許可することだ。それも、公に伝わる仕方でだ。そして、京都教区を擁護している司祭のパソコンを集中的に検査してみろ。メールだけじゃなくて、インターネットでどこのサイトを見ているかも判るぞ。

 何しろ日本聖公会は明らかな嘘が罷り通るところだからな。こうしたことを主教がしても、誰も人権侵害だなどと言わないだろう。主教がこうすると言ってそれに従わなかったら、無条件で処罰されるからな。主教は神様だろ?しかし、そうした主教を影で操れる司祭がいるんじゃないか?大物司祭が。しかしこれって、どこかの世界に似てないか?末恐ろしくなってきたから、今夜はもう寝る。しかしここまで嘘が罷り通ると、日本聖公会は教会ではなくなるぞ。


知人からの掲載依頼

2008-02-23 | Weblog


 下記のような掲載依頼がありました。

 掲載可能な部分だけ掲載します。

 他のブログ設置者のみなさんも、これをコピーして掲載して

 いただければ幸いです。

  *  *  *  *  *  *  *  *

 http://mehikosasaki.blog.shinobi.jp/

 このブログはリンク禁止です。
 但し「糾す会」のHPには掲載して構いません。

 原則として、毎週金曜日、もしくは土曜日に書き込むつもりですが
 体調等の理由により、掲載出来ない週もあるかと思います。
 ご理解の程よろしくお願いいたします。
              HN メヒコ佐々木


信徒の叫び

2008-02-21 | Weblog

 下記の文章は「糾す会」に送られてきた書簡です。
 「糾す会」が一斉メールで転送されていますが、すべてのブログに載せて欲しいとのことなので、ここにコピーします。この教会が現場の教会です。現場の教会でどれだけ苦しんでいるかということを、皆さんに知っていただきたいそうです。なお、2ヶ所だけ校正させていただきました。


     * * * * * * * * * * * *

全国の聖公会聖職者関係者の皆さん!
全国の教会の信徒の皆さん!
聖公会の幼稚園関係者の皆さん!
聖公会学校関係者の皆さん!
聖公会福祉施設・病院関係者の皆さん!
全国の教区の執行部(常置委員)の皆さん!

 私は京都教区奈良県大和伝道区の高田基督教会の現役の72歳(ネズミ年、昭和11年生まれ)の一信徒です。長らく教会委員としてご奉仕させていただきました。

 この教会で発生いたしました牧師による複数少女に対する前代未聞の強制超猥褻事件に関しまして、全国の皆さんからご心配頂き、また被害者や当教会信徒関係者に強い祈りをささげていただいていますことに対して心から感謝申し上げます。

 祖父の代でこの教会の創立に関わった関係で親族一同多くの者がキリストのぶどうの枝に連なり、信仰生活を送っていることは誠に神の思し召しと感謝の毎日でございます。

 さて、ここに一人の人が深い傷を負い、路傍の石に横たわり、苦しみながら、助けを呼んでいるときに、関わったら面倒だ!時間がとられる!といって救急車も呼ばず、そのまま通りすぎて行ってしまいますか?京都教区の聖職者は事件の内容を詳しく知りながら主教や常置委員の間違った対応に対して沈黙すると言うことはまさに路傍の重傷者を見殺しにするということと思われませんか?聖書や教会の教えとは全く逆ですね!

 私は教会委員としてこの事件の解決のために祈り、祈り、委員会で発言したり、管理司祭の石塚司祭や主教にいろいろと提言してまいりました。残念ながらそのため、教会の中で人間関係が壊れ、この事件を口にすら出来ぬ状態で、 誰も私に話しかけようとすらしなくなりました。石塚司祭の霊的指導がこれで正しいのでしょうか?
「不道徳なことを実行された聖堂を再聖別して下さい!
「機関誌のつのぶえに事件の総括を掲載して、謝罪されたい」
という要望を主教に送りました。
 なしのつぶてです。

 教会委員会でも教区から送付される事件の文書すら石塚司祭の采配で委員どまりにし、 信徒は未だにその真相を知りえていません。私の弟の活動を激励してきましたが、昨年2月突然高地主教がなんの連絡もなく突然玄関の扉を開け、強圧な態度で「糾す会の教会訪問活動をやめさせなければ弁護士をつける。弟さんを威力業務妨害で立件することもありえる」と言う様な暴言を吐いて帰っていかれました。その数日後なんと弟のところに弁護士から内容証明の封書が届けられたじゃありませんか!

 その反面、高地主教は被害者父親が承諾した文面を送付前に自分達に都合のよいように 書き換え、加筆して全国の教会に送ったと聞いています。なんという反社会的なことをされるのでしょうか!信義も正義も大義もあったものではありませんね。現執行部の主教、常置委員を総入れ替えしなければ解決しないのではとさへ思います。聖公会新生のために、今後は聖光教会の信徒と共に声を大にしていきたいと思っています。

 現場の教会としては、一日でも早くこの事件を収拾していただき、平和が戻り、信徒兄弟姉妹が真に平和の挨拶が交わせるようにまた日本聖公会がこの事件を教訓にし、一層倫理規範を固め、宣教150年にむかって更なる前進がありますように願っています。そのためには全て真実を公開し、加害牧師を規則通りに処罰し、教区は被害者家族が心から癒される謝罪をし、収拾を図られるようにと思っています。

 そのために働いてもらっている被害者代理人および糾す会のメンバー、支援者一同に神のお力を祈ってやみません。

         奈良県大和高田市本郷町 9-27(高田基督教会住所)
           日本聖公会 高田基督教会 信徒(現在受聖餐者)
                     堀 江 育 夫 (72歳)

退職金返還要求

2008-02-19 | Weblog

 日本聖公会京都教区の主教も常置委員も若いのばっかりだな。俺も若いが、主

教をはじめ、常置委員はみんな俺より若い。若いってことはいいことだ。何でも

やれる。とりあえず原田文雄司祭に退職金の返還要求をしろよ。去年の11月2

日に、4人の女児に対する性的虐待を原田文雄司祭は認めたんだからな。まだ間

に合うぞ。そして、学校法人の幼稚園からも退職金に関しても返還要求を出して

みろよ。何も難しいことじゃない。世間一般では当たり前のことをするだけだ。

女児に性的虐待を続けていた人間が退職する時に、退職金を支払う企業はないし

、公務員ならなおさらだ。

 このことが世の中でおおっぴらになる前にやった方がいいぞ。でないと、日本

中の日本聖公会に関係した幼稚園の園児の数が減るからな。当然だろ。これだけ

ネットで騒がれていたら、児童の父母が気が付かないわけがないだろ。最高裁で

上告棄却になった段階で懲戒免職にしておけばよかったんだ。「糾す会」の今夜

の一斉メールにもあったが、女児に対する性的虐待で慰謝料請求裁判が行われ、

請求額の満額と裁判費用の全額を支払えという判決が確定しても、加害者は依願

退職で退職金が支払われたと聞いたら、誰が聞いてもおかしいと思うからな。も

しかして、聖公会の主教や司祭はテレビのニュースや新聞を見たり読んだりして

いないのか?

 いいか?高地主教と常置委員会は2005年の「謝罪の記者会見」で、加害行

為があったことを認めているんだからな。その上で、去年の11月2ちゃんねる

日には原田文雄司祭自身が加害行為を認めただろう。まだ半年も経っていないか

らな。今からでも遅くはない。退職金の返還要求をしろよ。教会と幼稚園から出

した分の全額をだ。でなければ、一般人は日本聖公会をどう思うだろうな。困る

のは、日本聖公会と関係のある幼稚園だけじゃない。学校が困るだろ。病院も困

るだろ。どの教会の看板やHPにも、大学や病院との関係が書かれていないか?

あそこの有名なお医者さんは現役なんだろ?まぁ、あの方は日本聖公会の信徒で

はないからな。別の教派の教会員だろ。俺の知り合いであそこの教会出身者がい

るからな。

 そして、原田文雄司祭から退職金を返還させたら、主教と常置委員経験者は全

員、管区に自首しろよ。すべて本当のことを話してな。あの原田文雄司祭が書い

たような見え透いた嘘を付くなよ。ありもしなかったことをあげて、それについ

て謝罪しているだろう。「ふざけるのもいい加減にしろ!」と怒鳴りたくなるぞ

。高地主教よ、あんたが一番悪い。原田文雄司祭を擁護するために、被害者とそ

の家族を物の見事に足蹴にしてきたからな。それでいて、最後まで自分の過ちを

認めていない。もうこれ以上隠し立てしたり、うそを付くようなことはするな。

最後にいいことを教えてやる。「日本聖公会 幼稚園 性的虐待」でググッてみ

ろよ。「日本聖公会にもの申す」というブログが先頭に出てくる。「準強制わい

せつ 日本聖公会 幼稚園」でも同じようなものだ。「幼稚園 性的虐待」では

最初の方には出てこないし、「日本聖公会 幼稚園」でも最初の方には出てこな

い。しかし、ある手法を使うと、あっという間に1ページ目に出てくるようにな

る。グーグルの情報収集はかなり手の込んだことをしているからな。原田文雄司

祭に対して早く退職金返還要求を出しておいた方がいい。

まず、主教が責任をとれよ

2008-02-18 | Weblog


 <祈りの有無>というブログを読んだ。
 まず高地主教が責任をとれよ。そして、2001年以降の常置委員達も自ら責任をとれよ。ただし、原田文雄司祭のように依願退職をするなよ。主教会に対して、進退伺いを出して、審判邸で判断してもらえ。でなければ、なんらの懲戒にもならんだろ。

 原田文雄司祭の性的虐待行為を、最後まで隠蔽しようとしてきたからな。
  司祭 J.K.H 
  司祭 B.M.T.
  司祭 T.M.M.
  司祭 J.I.S.
 この4人が最悪の司祭のようだな。自ら責任をとれよ。「生活に困るから」という理由で、牧師職にしがみつくなよ。それが嫌なら、はじめから原田文雄司祭をかばわなければ良かったのだ。「家族が路頭に迷うから」という理由で、犯罪者の刑が消えるか?

 高地主教はランベスへ行きたいのか?今年はランベス会議の年だからな。しかしな、自分の欲望のために女性を足蹴にするなよな。特に今年のランベス会議では、同性愛者問題が討議されるそうだからな。そろそろ、誰かさんが世界中の聖公会に一斉メールを英文で出すらしいぞ。その準備会が今月末か来月はじめに東京で行われる。アフリカの教会はどこも、女性、ことに女児に対する性的虐待に関してはかなり敏感だからな。少数民族の婦女子が多数派の兵士に襲われている。そして、アメリカのアフリカン・アメリカンに対する差別は未だに消えていない。特に南部がひどい。しかし、日本聖公会の中には、ディープ・サウスの教区と姉妹教区になっている教区もあるよな。アメリカ聖公会の教会で、聖餐式にアフリカン・アメリカンやスパニッシュ・アメリカンもしくはメキシコ人が何人くらい出席しているか。

 性的少数者を擁護するのであれば、カラードに対する差別を消すことの方が遙かに大事だろ。聖書は同性愛を完璧に否定しているが、異民族に対する差別もまったく否定しているぞ。聖公会は、聖書からしか教理を導き出さないんだろ?だったらもっとまじめに考えろよ。


日本聖公会と社会問題

2008-02-15 | Weblog


 日本聖公会の教会も、様々な社会問題に関わっているように見えるが、真剣に関わっているのか疑問だな。沖縄の少女強姦事件に対して、早速対応しているようだが、京都教区のことになると、一切沈黙しているだろう。おかしくないか?加害者が現職の司祭だから司祭を擁護してしまっていないか?加害者は、6人の被害者(被害受けたことを申し出た人だけだが)のうち、4人に対する性的虐待は認めているんだよな。にもかかわらず、京都教区は加害者に対する懲戒処分を行うつもりはまったくないように見えるが、何故なんだ。

 「原田文雄元牧師については、2年前に一身上の都合を理由とする退職願を受理し、退職が決定しました。このような場合、『終身停職』の懲戒(法規第201条第4項)が相当と一般的には考えられると思いますが、『終身停職』でも5年後には復職願いを提出することが可能とされており(第217条)、一方、『一身上』という事由は止むことがありませんので、実質的な終身停職を貫くためにはこの選択の方が適当と当時判断しました。」
 去年の11月23日に京都教区主教はこう記してある自らの文書を配布したが、5年後に復職願いを出せることは間違いないが、主教はそれを拒否することが出来る。また「『一身上』という事由は止むことがありません」とあるが、何故止むことがないのだ。「一身上の都合」には様々なものがあり、数ヶ月で状況が変わることもあり得るだろう。

 京都教区における現職司祭の性的虐待事件に関して、京都教区は未だにこうした非常識なことしか言えないでいるというのに、管区や主教会はなぜそれを問題にしないのだ。原田文雄司祭が犯した過ちは、窃盗とか器物破損、あるいは強盗といった類のことではない。しかも、京都教区主教は公開されている裁判記録を一度も閲覧することなくこの文書を書き、配布している。これは、はじめから原田文雄司祭を擁護するためにこれを書いているとしか思えない。そして「実質的な終身停職を貫くためにはこの選択の方が適当当時判断しました。」とあるが、この判断も極めて非常識だ。日本聖公会法憲法規をまったく逸脱した判断でしかない。日本聖公会法憲法規では、審判廷を開くことなくしては一切の懲戒をすることは出来ないことが明示されている。主教の独断で懲戒は出来ない。ということは、教会法的に考えるとこの判定はまったく無効であるということになる。
 それだけではない。高地主教自身は懲戒に関する規定を知っていながら、「懲戒を行うには審判廷の審判によらなければなりません(第197条)が、日本聖公会の審判廷への懲戒申立には『3年の時効』(第210条)があって、現行法規では審判廷によって懲戒することは非常に困難であると思われます」と言っているように、主教が勝手に懲戒を決定することは出来ないと言うことを知っているにも関わらず、原田文雄司祭を独断で「陪餐停止」にしている。
 高地主教は「陪餐停止」は懲戒ではないと考えているのだろうか。だとしたら、あまりにお粗末すぎる。法規第203条で「陪餐停止」は懲戒であるとされている。確かにこれは信徒に対する規定であるが、聖職に対しては懲戒にならないという規定はどこにも書かれていない。むしろ、法規第202条第4項では、「陪餐停止」は停職または免職と言う懲戒に付随した懲戒として規定されている。


 そしてもっとも重大な過ちは、こうした一連の判断ミス、それも重大な判断ミスを犯した京都教区主教に対する処分が行われていないことだ。武藤主教と文屋司祭に対しては「聖餐式執行自粛勧告」をしているにもかかわらず、自らは全権を掌握している下のように振る舞っている。そして、この重大な問題に対して管区は沈黙したままだ。
 日本聖公会は原田文雄司祭による性的虐待をこの程度のこととしてしか認識していないのか。だとしたら、あまりにも理不尽すぎる。しかし、こうしたことを言っても、それを理解できる司祭や主教が何人いるだろう。そこにも日本聖公会の問題性は潜んでいるかもしれない。教会法の重みを日本聖公会はどれだけ認識しているだろうか。教会法がなければ、司祭が司祭であることを保証するものは何もない。主教が主教であることも同じだ。
 こうした状況が続くのであれば、ローマ・カトリック教会中央協議会に対して、聖公会とのエキュメニズム活動に関して日本聖公会の問題性を進言する以外に道はないかもしれない。被害者は、未だに苦しんでいる現実をしっかりと認識して貰わなければならない。それだけではない。あらゆる社会問題に関わりを持っている団体に対して、この問題をしっかりと認識してもらわなければならないだろう。日本聖公会は社会問題に関して、ポーズを取っているに過ぎないからだ。


沖田総司って誰?

2008-02-11 | Weblog
 沖田総司って誰?

 てっきり鞍馬天狗が書いているかと思ったのだが、鞍馬天狗は誰か知ら

ないそうだ。もしかして、日本聖公会の司祭か?それとも若い執事か?何

のことか判らない人は、Bookmarkにある「新撰組 沖田総司」というとこ

ろをクリックしてみて下さい。

 少し前に書いたばかりのもののようだが、「新撰組局長 近藤勇様」と

題して書かれているが、この近藤勇のブログもBookmarkにある「天誅」と

いうのが「近藤勇」氏のブログらしい。グーグルで検索していて見つけた

ブログだ。沖田総司のブログには、被処刑人のリストが出ている。あのJ

KHは大学を辞めたのか?それで、UKがかわりに大学へ行ったのか?

 風の便りでは、JKHが転任するのは4月からだと聞いているが・・・

それにしても高地主教のしていることは訳が分からない。一番の張本人が

誰かと言うことが判っていない。

 沖田総司氏も近藤勇氏も、それは判っているみたいだが、当のご本人が

判っていないのでは、京都教区は沈船状態だな。女児に対する準強制わい

せつがどれほどの滞在かと言うことが判っていないだけじゃなく、その加

害者を擁護してしまっているのだからな。世のジャーナリズムの多くは、

「陪餐停止」の意味を知らないだろうからな。記者会見で質問は出なかっ

たのか?もし質問が出ていたら、その時になんと説明したんだ?日本聖公

会の教会法には司祭に対する「陪餐停止」だけという処罰はないというこ

とを説明したのか?

 高地主教は卑怯だぞ。対外的には処罰したように見せかけ、実質的には

何の処罰も受けていないことになっているだろ。日本聖公会の法憲法規に

は、司祭に対する「陪餐停止」という処罰は、停職中の聖職に付随して科

せられる懲罰だろ。

 そうそう、原田文雄司祭は京都の御所のあたりを歩かない方がいい。京

都のキリスト教関係者の間ではよく知られているからな。まして、教務所

に出入りしない方がいい。誰が見ているか判らない。

 それにしても、沖田総司って誰なんだよ。

 近藤勇ってどこかの退職主教さんなのか?

確定申告してるか?

2008-02-07 | Weblog


 あのTERAさんのブログに書かれていた公開申入書に関する一件には笑えたな。日本聖公会の主教や司祭は、何を考えているんだ?あの新聞記事のバックナンバーを読んでみたが、あの内容を何で京都教区の高地主教にあらかじめ見せなくちゃならないんだ?「糾す会」(あの時はまだ「考える会」)が京都教区に対して、公開で申し入れている文書だろ?何で京都教区に見せてから記事にしなくちゃいけないんだ。やはり日本聖公会は、民主主義国家の基本的なことが理解できていないんだろうな。しかし、人権問題に関しても、狭山裁判に関わっている司祭もいるよな。「性的少数者のための聖餐式」というのを中部教区ではしてるだろ?あれが正しいか間違っているかは棚上げしても、少なくとも人権問題としても性的少数者の問題を見ているんだよな。

 それでいながら、あの「糾す会」の日本聖公会主教会に対する公開申入書を、何故京都教区の高地主教にジャーナリズムは前もって見せなくてはいけないのかまったく理解不能だ。もしかして、日本聖公会の主教は、国家の法秩序をも超えた権威を持っていると錯覚していないか?もしそうなら、日本聖公会は何故宗教法人であり続けるんだ?憲法とか法律をも超えた存在なんだろ?何も宗教法人である必要はないだろ。教会の財産に固定資産税を掛けられたとしても、「自分たちは権威があるから支払わない」と言えばいいじゃないか。その後どうなるかは知らんがな。主教達は、ちゃんと確定申告しているか?教区以外からの所得が一定額以上あったり、謝礼を一定額以上受けたら、すべてを申告する義務があるのだが、大丈夫か?

 税務署は調査に関してはかなりの権限を持っているからな。「俺は主教だ」などと宣わっても、最悪は強制捜査だぞ。そして、脱税行為が発覚したら一般のジャーナリズムが取り上げる。懇意の国会議員に頼んで、国税庁に声を掛けてもらおうと思っても、まず国会議員は拒否するからな。甘く考えるなよ。それとも、国税庁をも黙らせることの出来る大物でもいるのか?結婚式や葬式で受けた謝礼も確定申告しなければならないのを知っているか?「領収書を切ってないから大丈夫」と答えるのがいそうだが、税務署がそれを受け入れてくれるかな。坊さん達はお布施に領収書は切っていないケースがあるが、それでも確定申告しているぞ。繰り返すが、教区や管区、あるいは付属施設からの給与が源泉徴収されていても、二個所以上から給与を受けていたり、それ以外の収入が一定額以上ある時は確定申告をしなければならないんだ。

 飲み屋の支払いを必要経費で落とせないからな。「牧師さんがどなたを接待されたんですか?」と聞かれるからな。こう言っても、主教達は「俺達は主教だ」と言うんだろうな。ダメなんだよ。講演会の謝礼も申告の対象だし、「お車代」として受け取っても、経費以上のものは収入として見なされることもある。宗教法人は原則としてその収入には税金はかからないが、駐車場を貸したりしている場合は、その駐車料以外にも、駐車場の土地の広さに応じて固定資産税がかかる。「献金」として受け取っていてもダメだ。領収書を切っていなくても、銀行に振り込まれていればそれは課税対象になる。脱税行為をして、新聞沙汰になるなよ。他の教派の教会が困るからな。俺のように、夜なべ仕事で原稿を書いて得た収入も、事務所から受けている給与と併せて確定申告してるんだ。京都教区のような事案に対しても、国税庁は目を光らせているからな。原田文雄司祭の退職金は明らかに課税対象だ。基本的には源泉徴収されているだろうが、二個所から受け取っていれば確定申告しなければならん。大丈夫だ、誰がなんと言おうと、誰がどれだけの収入があったか税務署は教えてくれない。しかし、市役所などは危ないからな。住民税の課税のためにデータが税務署から回ってくるが、「えぇ~あの園長先生、こんなに退職金を貰ったのぉ~!」って思った職員が、ペロッとどこかで喋っちゃうかもな。原田文雄司祭はちゃんと確定申告したんだろうな。まだ時効は成立していないからな。

 そうそう、退職金で慰謝料と裁判費用を支払ったそうだが、必要経費で落とせたか?原田文雄司祭は、まさか必要経費で落とそうとしてなかっただろうな。教区が肩代わりして支払っていれば、それも給与もしくは退職金として考えられるからな。申告してなきゃ、明らかに脱税行為だ。

 それよりも何よりも、「教会の聖職者は税金を払わなくていい」と思ってないか?「教会は宗教法人になってるから、聖職者は確定申告しなくていい」と思っていないか?税務署は、しっかり調べてるぞ。

被害者側代理人 公式ページ

2008-02-02 | Weblog
 http://homepage3.nifty.com/periborg/

 これが日本聖公会京都教区でおこった女子児童に対する現職司祭の性的虐待行為(準強制わいせつに当たると考えられている)と、それに対する日本聖公会京都教区の対応に関して、証拠文書を提示して解説している、

  日本聖公会 京都教区における 児童への性的虐待事件について
 
         被害者側代理人 公式ページ

 のアドレスだが、まだ見たことがない人は、是非これを読んできて欲しい。左側のブックマークにあるから、そこをクリックすると別ウィンドウで見られる。


 この事案が未だに解決していない問題性がどこにあるかが一目瞭然だ。しっかりと目を通して欲しい。決して被害者側は難しい、理不尽な要求をしている訳ではない。極めて簡単で、極めて単純なことを、そして誰が考えても当然のことを要求しているに過ぎないことが判るだろう。
 原田文雄司祭の性的虐待行為が被害者の申し出によって明るみに出た時、日本聖公会京都教区はどのような対応をしたか。2001年のことだ。2001年3月10日に書かれた原田文雄司祭の「謝罪手紙」が載っている。まずこれを読んで欲しい。当時は現職の司祭が書いたものだ。この文書には、署名はないが携帯電話の番号が記されている。(公開されているものには一部墨塗りがしてある)原田文雄司祭本人が記したものに間違いないと思われるのは、性的加害行為をはじめてからその後の経過が、実に如実に記されており、またそれに対する本人の心理的変化に関しても記されている。また、周囲の人間関係においても、実に具体的に記されている。
 日本聖公会京都教区はこの手紙が出された後、この内容を知ったのはいつのことだったのか。被害者代理人は、事件発覚後、この文書を証拠として武藤主教に提出していると記している。この手紙の原本には、必ず原田文雄司祭の指紋が残っているはずだ。もし残っていなければ、後々のことを考えて原田文雄司祭が指紋が付かないように気を付けて印字し、封筒に入れ、投函したのであろう。だとしたら、この時点から既に虚偽の謝罪をしていることになるが、前述したように、これは原田文雄司祭の本心であろうと思われるから、指紋は確実に出てくるだろうと考えられる。

 この2001年3月10日付けの原田文雄司祭による手紙に記されている内容に関して、日本聖公会京都教区の常置委員会は何故その異様さに気が付かなかったのか。恐ろしい話だ。この手紙を最初から最後まで冷静に読むことは極めて難しいかもしれないが、日本聖公会京都教区の常置委員会には、主教も司祭も出席していたはずだ。主教や司祭である以上、それまでにも告解を受け、赦罪の聖奠を行っていたはずだ。(赦罪の聖奠は、日本聖公会では「準サクラメントです」と聖公会神学院の教授から聞いたことがある)
 そして、あの原田文雄司祭の手紙を読めば、性的虐待行為がどのような動機から行われ、現実にどのようなことが為されていたかは、かなり理解出来たはずだ。にもかかわらず、日本聖公会京都教区は、一旦原田文雄司祭から出された退職願を原田文雄司祭に返し、退職を撤回し、退職時まで続けていた教会付きの司祭(牧師)に戻し、すべての役職に復帰させてしまった。ここにも、実は大きな問題がある。それは、この退職撤回を決めた常置委員会に原田文雄司祭が出席していることだ。陪席ではない。かなり発言を繰り返したという。退職した常置委員が何故出席できるのか。常識では考えられないことである。そして日本聖公会京都教区常置委員会は、原田文雄司祭の「事実無根」を受け入れて退職を撤回した。と言うよりは、原田文雄司祭の退職願を返還してしまった。

 日本聖公会京都教区における現職司祭による女子児童への性的虐待事案に対する日本聖公会京都教区の対応の過ちはここに出発した。この時に、常置委員会は即座に審判廷の開廷を決定し、速やかに審判廷で原田文雄司祭を審判に付せば問題は最小限で済んだと思われるし、2008年になっても未だに被害者側に対する誠実な対応が為されていないということはなかったはずだ。
 それだけではない。女子児童に対する性的虐待事案で、慰謝料請求裁判を提訴されている現職司祭を、教区常置委員長にし続けるという常識では考えられないことをしなくて済んだはずであるし、それ以上にこのことが被害者とそのご家族を深く傷つけてしまっていることも、日本聖公会京都教区は強く認識すべきである。日本聖公会京都教区は、傍聴に行かないという仕方でこの裁判に対する中立性を保っていたと主張するかもしれないが、しかし、加害者も被害者も日本聖公会京都教区の構成員であることにかわりはない。教会の内部での問題が、国家権力によって裁かれなければならないという大失態を、被害者の主張を省みることなく加害者の「事実無根」だけを受け入れた日本聖公会京都教区は演じてしまったのである。

 審判廷において、これらのことがすべて明るみに出され、法憲法規に則って審判されない限り、日本聖公会京都教区は教会であることを自ら否定することになる。まして、アングリカン・コミュニオンの一員であるということを主張したら、世界の聖公会は黙っていないかもしれない。ことに、先進諸国の政治的経済的援助を受けた多数派が、少数民族を虐待しているアフリカの中でその苦しみに抗して戦っているアフリカの聖公会の教会は、この問題を聞いたら何を考えるだろう。フィリピンの聖公会も、ある意味では同じような状況にある。何人の牧師が殺されただろう。少数民族の中にあるプロテスタント教会の信徒が何人殺されただろう。最近、情報が入らなくなってきている。彼らが、日本聖公会京都教区の現職の司祭が、あの女性が小学生から中学生の間に性的虐待をし続けてきていたと知ったら、彼らは何を考えるだろう。確か、横暴な軍部の圧政に抗して戦っていた聖公会の司祭も、何者かによって射殺されたように記憶している。あの軍部の圧政を生み出している理由は何であり、それにどこの国が関与しているのかを日本聖公会はフィリピン聖公会に問い合わせるといい。