いいたい放題

 右でも左でもない風来坊が、社会・経済・政治などの問題について、
好き勝手に、支離滅裂に、傍若無人に書き込むブログ

加害者を怖れているというのは本当ですか?

2007-11-11 | Weblog

 2ちゃんねるという掲示板に、京都教区がFH司祭に脅かされていると書かれています。謝罪したら不祥事をぶちまけるとか、ずっと常置委員だったから何でも知っているとか、おまけに暴力団が絡んでいるというようなことまで書かれていますが、本当なのでしょうか。信じたくないですね、こういうことは。2ちゃんねるですから、信憑性は低いと思われるのですが、もしそうだとしたら、日本聖公会として大変なことではないでしょうか。
 掲示板に、9日の深夜から何も書かれていないので、不審に思った人がその理由を質したら、前述のことが書かれているからだとコメントが記されています。

 しかし、もし2チャンネルに書かれていることが真実だとしたら、日本聖公会はとんでもないことをしていることになりませんか。確かに、いくつかの不審な情報は流れています。どちらにしろ最悪の事態であることは、どなたにもお判りいただけていることではないでしょうか。

 あるブログで、<日本聖公会>で検索したら、新しいブログが出来ていました。現在は、昼過ぎに読んだものが修正されたものしか残っていません。はじめの文章はかなり過激でした。「糾す会」の情宣活動が功を奏しているみたいです。
 現職司祭による準強制わいせつ事案に対して、日本聖公会京都教区はまったく不誠実な対応しかしておらず、被害者とそのご家族が教会を離れてしまわれたのです。この現実を高地主教や古賀司祭はどのようにお考えになっていらっしゃるのでしょうか。私には不可解です。最高裁の裁定に対して「冤罪」という言葉を用いて反対したようですが、原田文雄司祭の準強制わいせつを事実だと認めて「謝罪の記者会見」を開いた段階で、何故事件の真相をはっきりとさせ、原田文雄司祭を審判廷にかけなかったのか。それを考えると、2ちゃんねるに書かれていることが全部ではないにしても、当たっている部分があるようにも思えます。

 何故、日本聖公会の管区はこれをお調べになろうとしないのでしょうか。私には不思議でなりません。一般的には、こうした事案の場合、企業であれば本社がしっかりと調査し、判断をするのではないでしょうか。主教会は何故発言されないのでしょうか。日本聖公会は恐ろしいくらいに不透明な宗教教団なのですね。準強制わいせつは、聖書的にも犯罪です。その犯罪を犯罪として認められない日本聖公会京都教区は、日本聖公会の綱憲をどうお考えなのでしょうか。
 加害者を怖れてどうなるのですか?
 私たちが怖れなければならないのは、神の言葉に対してではないでしょうか。信仰はそこにかかっているのではないですか?聖書の御言葉よりも重みを持った基準が日本聖公会にはあるのですか?