いいたい放題

 右でも左でもない風来坊が、社会・経済・政治などの問題について、
好き勝手に、支離滅裂に、傍若無人に書き込むブログ

日本聖公会の認識の甘さ

2007-11-01 | Weblog

 「糾す会」からのメールを読んでやっぱりという想いになりました。

>『聖公会新聞9月25日発行、9,10月合併号5ページ下に
>聖社連第48回大会の記事がありました。
>「日本聖公会社会福祉連盟」の大会のようです。
>この連盟は日本聖公会の社会福祉関係施設の集まりで、
>その長が「武藤六治主教」となっていました。
>10月にすでに大会は終わっています。

 犯罪を犯罪として認識できないのは、自分たちの正統性を強調してきたからなのでしょうか。主教の権威は、日本国憲法や法律を超えたところにあるとお考えなのでしょうか。原田文雄司祭がしたことは明らかに犯罪なのです。ただ公訴時効が過ぎてしまっているということに過ぎないのです。そして、その刑事事件に関して判断を誤ったことも、明らかに犯罪を擁護したことにしかならないのです。
 確かに、靖国問題や沖縄問題あるいは原発問題などで座り込みをして、道路交通法違反に問われれば、それを弁護するべきものは弁護しなければならないのですが、原田文雄司祭が犯した過ちは「準強制わいせつ」、しかも12歳未満の少女に対する「準強制わいせつ」です。それを、「事実無根」という加害者の言葉だけを信じて、加害者を復職させ、元通りの役職に就かせたのです。武藤主教さんは裁判所で裁判記録をお読みになるべきです。そして、あの時の判断が如何に間違っていたかということをしっかり認識していただきたいと思います。おそらくそれが、武藤主教さんを信頼し続けている信者さんに対するせめてもの罪滅ぼしなのではないでしょうか。そして、声をあげて下さい。あの時は間違っていたと。

 主教がすることは何でもかんでも正しいことなのですか?だとしたら、教皇無謬説を唱えた聖公会の神学的立場が崩れてしまうのではないのですか?それとも、教皇無謬説は否定して、聖公会の主教無謬説をお唱えになるのですか?私は今からでも遅くないと思っています。裁判記録をお読みになって、被害者とそのご家族に心から謝罪して下さい。日本聖公会の若い司祭さんの中で、武藤主教さんを信頼されていた方々もいらっしゃるはずです。あの司祭さん方のこれからの働きのためにもけじめを付けて下さい。
 何をどこで間違えたのか、武藤主教さんは既にお判りになっていらっしゃるはずです。少なくとも私は、かつての武藤主教さんのことを考えると、そう思えて仕方がありません。

 そして、そうすることによって日本聖公会に溜まっている膿をすべて出してしまわなければ、日本聖公会はあと何年、教会としての体裁を保つことが出来るでしょうか。兼牧の教会がここまで増えているのです。そして、教会員数の減少は簡単には止められそうにありません。だからこそ、この問題を一日も早く、しかし真の意味で解決をして再出発する必要があるのではないでしょうか。他にも日本聖公会が多くの問題を抱えていることえを伺っております。それらを極めて常識的に、そして日本の法律に則って解決されるべきではないでしょうか。私が耳にしていることが真実であるとすれば、既に財務省は動き始めているかもしれません。最近の公官庁は国会議員の圧力には屈しません。もしそれが発覚したら大変なことになるからです。ことに国税庁の管轄する問題にはシビアです。

 ある意味では、日本聖公会全体が悔い改めなければならないことなのではないでしょうか。原田文雄司祭の事件に沈黙している司祭さんたちの中には、胃が痛くなるほどの苦しみを負っている方もいらっしゃると思います。声をあげられない苦しみです。黙っていなければならない苦しみです。そうした後輩の司祭さんたちのためにも、声をあげて下さい。最早、それしか解決への糸口はないように思えます。
 僭越ながら、武藤主教さんのためにもお祈りさせていただいております。