いいたい放題

 右でも左でもない風来坊が、社会・経済・政治などの問題について、
好き勝手に、支離滅裂に、傍若無人に書き込むブログ

自動返信メールを延長しました

2007-05-31 | Weblog
 2ちゃんねるのURLを自動返信で昨日までお送りしていましたが、延長します。特別な理由はありません。ただ、あそこの書き込みを是非皆さんにも読んでいただきたいからです。2ちゃんねるの一日のアクセス数は膨大な数字です。つまり、それだけ多くの人があの掲示板を読んでいるということです。

 2ちゃんねるでは、京都教区の問題を覆い隠すためか、神学院の問題ばかりを話題にしていましたが、先日来、それまで書き込んでいた人々が急に沈黙し始めました。その辺の経緯をぜひお考えいただきたいのです。

 そして、この問題が真実の意味で解決することを祈っています。
 TERAさんも書いていらっしゃいますが、謝罪の伴わない慰謝料は意味を持っているでしょうか。謝罪があって始めて慰謝料が意味を持つのではないでしょうか。慰謝料以前に、加害者と関係者の謝罪がなければ、慰謝料は単なるお金でしかないのではないでしょうか。

 皆さんや皆さんのお子さんが被害者だったら、京都教区を動かしている人々をどうお考えになられますか?

 ※ myocor_319@yahoo.co.jp
上記のメールアドレスに、空メールを送って下さい。
  すぐに自動返信が送られ、そこに2ちゃんねるのURLが記されています。

どうしたらいいかは簡単なことではないですか?

2007-05-31 | Weblog

 先日の裁判記録閲覧報告メールをご覧になって、皆さん、これからどうしたらいいのかと悩んでいらっしゃるようですが、どうしたらいいかは簡単なことではないですか?
 こう書くとすごく冷たいような言い方に聞こえるかもしれませんが、しかし、本当に簡単なことなので仕方がありません。

 審判廷を開廷することです。それ以外にはありません。
 日本聖公会法憲法規に照らし合わせれば、審判廷を開いて、原田司祭とあの準強制猥褻事件に関して誤った判断をされた主教や司祭を、審判廷で裁く以外にありません。「裁判などとたいそれたことを」とお考えの方もいらっしゃるかもしれませんが、裁判をすることによって、加害者や被害者の人権が守れるのではないでしょうか。裁判というのは、ひとを裁くところではなく、何が真実であったかを明らかにし、それをその組織の構成員(国なら国民)がどのようにその問題を解決するかということなのではないでしょうか。

 法規では、審判廷によらなければ陪餐停止にすることは出来ないにも関わらず、高地主教は一方的に原田司祭を陪餐停止にしてしまいました。たとえ主教であっても、法憲法規を守らなければなりません。主教は治外法権を持っていません。そのことは、法憲法規自身が規定しているのではないでしょうか。そうした意味からすれば、宗教団体の規則はある種の神学であると言うことも出来るかと思います。

 また、京都教区以外の教区の主教や司祭のほとんどは、「糾す会」の問題に関して沈黙し続けてきています。ここにも大きな問題があるわけですから、場合によっては、首座主教もまたこの審判廷で立場を明らかにされる必要があるかと思っています。未成年者への準強制猥褻に関しては、アメリカでも大きな問題になっています。日本でも、大きな問題になっています。それを教会の中で許してしまっているとすれば、カルト教団と言うよりは、犯罪者集団になりかねません。

 そして、法憲法規に則った審判廷でこの問題を裁かなければ、法憲法規が日本聖公会の憲法・法律でなくなってしまいます。「裁判などということを‥‥‥」とお考えになるのは止められた方がいいと思います。法憲法規は飾りではありません。教会規則は常に、教会自身の歩みを調和し、規制してきました。これは一般社会と同じだと思います。
 法憲法規に則った仕方で問題を解決しない限り、日本聖公会は教会ではなくなってしまうのではないでしょうか。ローマ・カトリック教会やギリシア正教会あるいはプロテスタント教会では、教会規則は実に大切なものとして扱われてきました。しかし、日本のプロテスタント教会では「規則ではなく信仰だ」という、ある意味では理不尽な考え方が大手を振って歩いてきました。教会の信仰を守るために教会の規則があるのではないでしょうか。

 皆さん、是非祈って、審判廷を開かれたらいいと俺は思っています。
 そして、解決する道はそこにしかないとも思っています。規則が飾りになると、その集団は無秩序になるのではないでしょうか。学校でも、会社でも、そして公官庁などでは特に、規則は大切なものです。英国聖公会は、マグナカルタ以降、そうした規則をきちんと守ろうとされてきているのではないでしょうか。日本聖公会がもしその法憲法規を無視して解決しようとしたら、それは日本的「なぁなぁ」主義の道でしかないのではないでしょうか。
 教会規則は、ですから、実に信仰の問題であるということが出来ると思っています。是非、審判廷を開廷して下さい。そこで問題の全癒が明らかにされない限り、この司祭による準強制猥褻の問題は解決しないと思っています。

原田文雄司祭の少女性虐待事件:裁判記録:閲覧レポート に対する感想

2007-05-29 | Weblog

 衝撃的な内容だ。いやそれ以上に、後ろから鉄のハンマーで頭を叩かれたような衝撃を受けた。あれ以来、2ちゃんねるも先週の金曜日以来、ほとんど沈黙している。あそこまで書かれたら、もう何も言えないのだろうな。かなり粋がって書いていた連中の中には、聖公会の聖職もいるような気がする。聖職候補生かもしれない。
 どちらにしろ、論理が貧弱だし、聖公会神学院の事件を隠蔽しようとしたり、意図的に京都教区の準強制猥褻事件のことに触れないようにしていた。こんなことを知るのは極めて簡単なことで、数人で餌を撒けば普通は釣られて来るのだが、彼らはまったく反応を示さなかった。確実に箝口令が敷かれていて、京都教区のことには触れるなと言われていたのだろうな。

 俺の友人も裁判記録を閲覧しに行くと言っていた。新しい中古車をもらったそうで、関西まで行くのはそう大変でもなさそうだと言っていた。「東京から行くなら、東名じゃなくて中央高速が空いてて楽だぞ」と教えてやったら、既に調べていた。帰りにどこかへ寄って来るとも言っていたな。
 聖公会の教会員で関心のある人は、関西ツアーを組んだらどうだろう。奈良と京都を見学してくればいい。そして、その間の半日でもいいから裁判記録を閲覧してくるといい。様々な裁判の膨大な裁判記録があるから、前もって裁判所へ電話をしておくと、予め用意していてくれるみたいだ。でないと、探し出すまでに随分時間がかかるらしい。そして、最後は御所の見学と京都教区事務所の見学がいいんじゃないのか?裁判記録を閲覧した後で京都教区事務所を訪問するのも、なかなか乙なもんだ。それに、京都教区はホテルを持ってるんだろ?そこに泊まってくるってのは最高だと思うよ。俺たちは聖公会じゃないから泊まれないだろうけどな。というか、泊まりたくない。

 準強制猥褻。強制猥褻と比べて、どっちの犯罪性が高いと思う?

刑法第176条(強制わいせつ)
 13歳以上の男女に対し、暴行又は脅迫を用いてわいせつな行為をした者は、6月以上10年以下の懲役に処する。13歳未満の男女に対し、わいせつな行為をした者も、同様とする。

刑法第177条(強姦)
 暴行又は脅迫を用いて13歳以上の女子を姦淫(かんいん)した者は、強姦の罪とし、3年以上の有期懲役に処する。13歳未満の女子を姦淫した者も、同様とする。

刑法第178条(準強制わいせつ及び準強姦)
 1 人の心神喪失(しんしんそうしつ)若しくは抗拒(こうきょ=抵抗し拒否すること)不能に乗じ、又は心神を喪失させ、若しくは抗拒不能にさせて、わいせつな行為をした者は、第176条の例による。
 2 女子の心神喪失若しくは抗拒不能に乗じ、又は心神を喪失させ、若しくは抗拒不能にさせて、姦淫した者は、前条の例による。

 刑法は去年の今頃、改正された。この条文で言えば、刑は「6月以上7年以下の懲役」が「6月以上10年以下の懲役」になった。
 可決成立:06年4月25日
 公  布:06年5月 8日法律第36号
 官報掲載:06年5月 8日(号外第106号)
 施  行:06年5月28日

 つまり、刑が重くなっているということだが、第178条の1、「人の心神喪失(しんしんそうしつ)若しくは抗拒(こうきょ=抵抗し拒否すること)不能に乗じ、又は心神を喪失させ、若しくは抗拒不能にさせて、わいせつな行為をした者は、第176条の例による。」という条文の「第176条の例による」というのが何を意味しているのか。誰でも常識で考えられるだろ。
 強制猥褻と準強制猥褻の間に法律は刑の差を認めていないということじゃないのか?つまり、強制猥褻と準強制猥褻は、「暴行」や「脅迫」が行われたかどうかの差によって区別されているだけで、強制猥褻も準強制猥褻も質的には同じだと言うことにならないか?

 一般社会では、この罪を犯した者にはそれなりの社会的道義的責任があると考えられ、それなりの処罰を受ける。裁判所の判決が確定してからではない。一般的には、逮捕された段階でだ。だから、「それでもボクはしていない」のように、冤罪事件で会社を辞めなければならなく事態が起きるんだ。東京のラッシュ時の電車の中などでは、本当に気を付けていなければならないのはそのためだが、京都教区のH司祭による「女子児童への性的虐待」に関しては、最高裁の上告棄却が出ても京都教区主教は「事実無根」を一方的に信じ込んでいた。一般社会の在り方にも問題はあるが、京都教区の対応はあまりに惨めだ。不誠実などというレベルではない。

 京都教区主教は、日本聖公会の中だけでなく、社会全体に対してこれまでの事実とそれに対する対応の間違いを謝罪すべきだろう。でなければ、日本聖公会はキリスト教の看板を下ろすか、自ら解散すべきだ。「時が来れば、人々の記憶から消える」とは絶対に考えない方がいい。俺は、生きている限り、このブログを書き続ける。それは、この準強制猥褻事件を風化させないためだけではなく、俺の友人の性肩の筋肉を奪った聖公会に対する抵抗でもある。

理由(わけ)が判らない

2007-05-27 | Weblog

 ここまで明らかになったのに、聖公会の主教や司祭は何故、黙っているんだ?2ちゃんねるの書き込みも止まったな。やはり、ヤラセだったのか?それとも、誰か一人のモノローグ的会話だったのか?書き込みの時刻の後ろにあるIDはパソコンが2台あれば別のIDになるそうだから、会話を捏造することもできる。

 それにしても、ここまでの事件を隠蔽しようとしていた人々を、これまた隠蔽しようとするってのは信じられないな。「恐ろしい」という言葉では言い表せないくらいのことだ。今日も教会で御ミサの後に友人たちと話をしたが、みんな呆れてたぞ。「『準強制猥褻』なんて言葉は知らなかったんだろう」と法学部を出た奴が行っていたよ。一般人は知らないよ。しかし、この世の現実をしっかりと見ていなければならない主教や司祭が、この言葉を知らなければ困るだろ。特に、女性の人権に関わる重大なことだからな。しかも、相手は児童だ。「刑事裁判だったら、たぶん執行猶予は付かない」と言ってたのもいたぞ。「たとえ謝罪したとしてもだ」とも付け加えた。

 これは祈りだけで解決できるようなことではない。
 これから憲法改正の議論が始まる。しかし、沈黙している日本聖公会の主教や司祭はまったく発言できないだろ。あるお坊さんが「殺すな、殺させるな」と書かれたTシャツを着て歩いていらっしゃったが、日本聖公会の主教や司祭がやったら、笑い話だ。「平和」という言葉を口にした瞬間に、思想性が音を立てて崩れていく。右翼タカ派は大喜びだ。「平和を作り出す人々は幸いである」という聖書の御言葉を説教することもできないな。一人の女性が、いや児童が徹底的に傷つけられたのだから。そして、刑事時効は過ぎてしまったが、明らかなその準強制猥褻行為を見逃してきたのだからな。

 「もういい加減で観念したらどうだ?」とみんなは言いたくならないか?
 児童に対する準強制猥褻とか児童に対する性的虐待で、検索してみたらいい。かなりの数のサイトがヒットする。そして、そこを読んだらいい。そうしたら、H司祭の犯したことがどの程度の犯罪かということが判る。ショックを感じたら、まず聖書を開いて、福音書を読んだらいい。それから祈ったらいい。祈祷書の代祷も読み返したらいい。その後で、司祭のこうした過ちが見過ごされて良いものかが判ると思う。
 昨夜、俺の友人からメールが届いてた。奈良地裁へ行くそうだ、裁判記録を閲覧しに。彼奴は、H司祭の「神学的」弁明のところをどうしても読みたいそうだ。そして、彼奴は必ず、それに対する反論を書くだろうな。勿論、公開すると思うぞ。相手は神学館の教授だったそうだが、教授に反論してはいけないという理屈はない。そんなことが起こったら、学問は停滞する。

主教や司祭は読んでないな

2007-05-25 | Weblog
 あの裁判記録を、主教や司祭は読んでいないだろうな。
 裁判の傍聴にも行ってないだろ。傍聴できなかったという話は聞いていないしな。おそらく彼らは行ってないだろうが、その理由は何なんだ?教区主教にとっては、自分の直属の部下だろ?何で傍聴に行かなかったんだ?京都と奈良って、そんなに遠いのか?地図で見ると大した距離じゃないけどな。それに、何とか穏便に済まそうと、高地主教は被害者の家を何回も訪ねてるんだよな。

 怖くて行けなかったんだろうな。
 聖公会の主教や司祭で、裁判を傍聴したことのある人なんて、ほとんどいないんじゃないのか?俺の友人は、学生時代に東京地裁へ行って、数件の裁判を傍聴してきたそうだぞ。彼奴はアホだから、プロの傷害事件の法廷にも入ったそうだ。「怖くなかったか?」と聞いたら、「裁判所内で危害を加えたら、その場で実刑判決だから、絶対に大丈夫だよ。終わってから、声を掛けられたので、『こういう大学の学生で、向学のために傍聴に来ました』と言ったら、相手はびっくりしたみたいだった。民事より、刑事の方が面白いよ。」と言っていたな。そりゃそうだ、民事はつまらない。切った貼ったの世界だと、人間の心がそのまま出てくるからな。
 H司祭の裁判は、知っていたら俺も傍聴に行ったよ、関西まで。民事裁判とはいえ、内容は刑事裁判になるはずだったことの慰謝料請求裁判だからな。「事実無根」なら、慰謝料を支払えという判決は出ないだろ?長期間に渡る未成年者への準強制猥褻だからな。そして、それを「事実無根」と言い続けたら、実刑だっただろうな。いや、すべてを認めて、謝罪しても実刑か?極めて悪質な性犯罪だからな。

 そうそう、例の<2ちゃんねる>の聖公会に関する部分が見られるURLの件ですが、<FH司祭問題を駁す>にメールアドレスを書いておきました。そこへ空メール(アドレスだけ書いて送信)を送って下さい。今月いっぱい、折り返し自動返信でURLが送られますから、それをクリックして下さい。小生は、皆さんのアドレスを保存しません。最初は、ウェブメールを作って、そこにアクセスしていただこうかと思ったのですが、勝手にパスワードを変える輩がいないとも限りませんので、こうした手段を試みました。勝手に変えても、また元に戻せますが、面倒です。
 2ちゃんねるという掲示板には、アダルトサイトの広告やら、実にくだらない絵などが出ていますが、無視して下さい。かなりいろいろな方が書き込んでいます。
 書き込みをしても大丈夫ですが、間違えても本名やメールアドレスを書かないで下さいね。名前は書かなくても大丈夫です。メールアドレスを書くと、即座に迷惑メール攻撃が始まります。なお、2ちゃんねるにアクセスして、読んだり、書いたりするだけではウィルスに感染することはないと思います。
 主教の回し者と思われる人が、嘘の情報を流しています。すぐに判ります。
 実に卑劣な行為です。

 そうそう、俺も裁判記録を読みに行くことにしました。上司も一緒に行くそうです。勿論、俺が運転手ですが。ついでに何ヶ所か観光させてくれるといいのですが、上司の考え方一つです。「行くぞ!」とこれ一言でした。かなり腹を立てているみたいですよ、上司も。いや、あれで腹を立てないのがいたらおかしいと思いませんか?
 俺の友人は、つい昨日まで、俺たちに真相を話してこなかった。「『糾す会』のメールに嘘はない」とだけしか言わなかったのですが、本当でしたね。俺と上司で手分けして読んできますよ。そして、俺と俺の上司の目で見たものをそのまま皆さんにお伝えします。たぶん、俺と上司では、視座が異なっていると思いますので、着目点も異なっていると思います。
 帰りに、代理人にお会いしてくるかな。なんなら、上司はJR沼津駅まで送って、俺だけ代理人の司祭さんにお会いしてきてもいいな。 

 被害者とそのご家族、教会を離れちゃってるんだよな。御ミサに与れないんだよな。そのことを高地主教はどう考えているんだ?牧杖は飾りだったのか?いなくなった一匹の羊を探しに行かなくていいのか?牧杖が涙を流すぞ!私服じゃなくて、ちゃんとカラーのシャツ(紫色!)を着て行って来いよ。他の常置委員の司祭さんたちもみんなそうだ。行って、徹底的に謝罪してこいよ。それっきゃないだろ、出来ることは。そしてそこから、自らの進退を決すべきじゃないのか?
 準強制猥褻。重い言葉だよな。重すぎるよ、教会の中で起こったんだからな。しかも、香部屋やお御堂でだろ?信じられないような話だよな。現職の司祭の準強制猥褻行為だからな。「性的虐待」と言い続けてきたが、準強制猥褻とはっきり言えるようになったな。それも小学生にだぞ。そして、被害者が高校1年生になるまで続けていたんだ。この問題をきちんと解決できなければ、日本聖公会は一旦解散すべきだな。そして、きちんとした信仰と倫理観を持って、一般常識を身につけて、再出発した方がいい。いまは黙っているが、司祭さんたちの中にはそれを出来る人たちがいるはずだ。
 主よ、今宵も被害者とそのご家族をお守り下さい。
 主イエス・キリストの御名によって、アーメン。

今頃みんな、どうしてるかな

2007-05-24 | Weblog
 今頃みんなどうしてるかな。
 あのメールを読んで、信じられないという気持ちで一杯だろうな。あれが現実だったんだ。旧「考える会」のメールには、あそこまで書いてなかったからな。代表の方は苦しくて書けなかったんじゃないかな。俺だって、あそこまでは書けない。しかし、あそこまで本当は書かなくちゃいけなかったんだろうな、裁判記録を読んで。

 さぁ、みんなで署名運動でも始めるか?主教や司祭に自主退職なんかさせちゃダメだぞ。日本聖公会法憲法規に則って厳密に審判すべきだ。原田司祭も審判廷にかけなきゃダメだろ。そして、主教会は全員、自らの職務停止を宣言しなくちゃな。これだけのことが行われていたということを知らないでいたとしたら、主教会として調べなかったことは大きな過ちだ。あのメールにも書いてあるが、主教会は裁判を傍聴に行ったのか?各教区の主だった司祭も傍聴に行ったのか?
 そして、知っていてこの問題から眼を背けていたとしたら、とんでもないことだ。
 被害者は、犯行当時はまだ小学生だぞ。

 絶対に国外脱出させるなよ。
 そして、署名を集めて、審判廷の開廷を求めたらいい。司祭で署名する人も必ずいるだろうからな。いなかったり、ごく少数だったら日本聖公会はこれで神学的には破産だな。そして、アッと言う間に世間に知れ渡る。俺の事務所の若いのも、今朝はもう知っていたからな。俺があのメールをプリントして配ろうとしたら、しっかり自分でも持っていたぞ。彼奴もあの2文字を「**」としていたがな。

 ある友人に電話で話をしたら、病気かどうかは問題にするなと言われた。専門医の診断でなければ名誉毀損になるらしい。俺の友人も専門医でもない一司祭に病気じゃないかと言われたそうだ。それも教会委員会?役員会?でだ。カウンセラーは院卒だが、専門医ではないからな。十分に気を付けた方がいい。

 そして、実際にあったことを聖書と教会の伝統と日本聖公会法憲法規で審判すべきだ。裁判記録を分担して読んでもいいんじゃないのか?そしてそれをしっかり記憶しておいて、審判廷で証人として証言すればいい。「裁判記録にはこうかかれていた」と。そうでもしなければ、うやむやのうちに審判廷が終わってしまう。それにしても、本当におぞましいことだ。女子児童への性的虐待と言うよりは、準強制猥褻をした司祭とそれを庇おうとした主教や司祭の審判廷だからな。辛いだろうな、自分に堅信礼を授けて下さった主教を裁くのは。しかし、それが教会だろ。主教だろうが信徒だろうが、していいこととしてはならないことがあるだろ。準強制猥褻は犯罪なんだぞ。それも、女性に対する最悪の犯罪の一つだ。それを判っているだけで4人に原田司祭はしていたんだからな。

 これで審判廷を開かなかったら、日本聖公会は物笑いの種だな。カルト以上におかしな集団でしかなくなってしまうだろ。「主教様を審判廷で審判するなどけしからん」とおっしゃった方は、今頃、大きなショックを感じていらっしゃると思う。信頼しきっていた人に裏切られたのだからな。他にも大勢いらっしゃるだろう。そうした方々を、沈黙し続けた他の教区の司祭や主教では、ケアできないだろうな。この次の日曜日の御ミサに何人出席するかな。何も知らない振りをして、ホームページやブログを読んでいらっしゃった方々もいるだろうな。

 ウエストミンスターにでも指導してもらう以外にないだろ。他に道はあるか?2チャンネルでも、神学院の問題に関してもいろいろ書かれているが、結局は問題を隠蔽しているに過ぎないよな。地方の教会の信者には聞こえていってないだろ?ここまで現実が露呈したら、もう隠蔽できないからな。

ちょっとォ~、本当かよ?

2007-05-23 | Weblog

 腹が立っている。
 H司祭やK主教のことじゃない。俺の友人にだ。何で今まで黙ってたんだ!
 TERAさんのブログを読んで、驚いて友人に電話したんだ。俺は、今の今まで知らなかったよ、H司祭ここまでやっていたんだな。「●●」というところ、原文にはちゃんと書いてあるんだってな。聞いたよ、彼奴から。「思い出しただけで具合が悪くなるから、その言葉を二度と口にしないで」と言っていたな。

 相手は小学生だろ。
 K主教やM主教は、この実態を知っていたのか?知らなかったのか?裁判記録を読んでいなきゃ、判らないだろうな。俺もTERAさんのブログを読んで、TERAさんからメールを転送してもらったんだ。友人はしっかり読んでいたぞ。彼奴のアドレス帳はすごいからな。半端じゃない。そして、同じメールアドレスで、複数のメイリングアドレス・グループを管理しているからな。

 あのレポートを読んで、平然としていられる司祭や主教は即刻辞めた方がいいな。何しろ、準強制猥褻だからな。「偶然触れてしまった」なんてものじゃない。しかもそれを礼拝堂でもしたんだってな。香部屋でもだろ?参ったな。
 法憲法規上は、H司祭はまだ何の処分も受けていない。ほとぼりが冷めたら、その間の司祭給を手に入れることも可能だ。K主教もK主教だよな。何でH司祭を庇い続けてきたんだよ。恐ろしいことだ。準強制猥褻というのは、立派な犯罪だぞ。それも尋常の犯罪じゃない。被害者を生き地獄にさらすような犯罪だ。K主教や常置委員は判っているのか?そして、主教会は実態を知っていたのか?裁判記録を読んだのか?お粗末も甚だしいな。

 あのレポートは日本聖公会のメイリング・アドレスで、既に聖公会内に流されたそうだな。これで主教や司祭が黙っていたら、大問題だな。まぁ、黙っていたら、英国国教会やアングリカン・コミュニオンが黙っていないだろ。俺の事務所で、報告書を英文で作って、メールでそれを海外に出そうかと思ってる。英訳を俺の友人に頼んだら、いとも簡単に蹴られた。「英語の神学書に出てこない言葉が多すぎて、正確に訳せないからダメ」だそうだ。「準強制猥褻」なんて英語は俺も知らない。それでも、友人がいい知恵を授けてくれたよ。
 「『以下の日本文を訳すのは難しくて出来ないから、在英の日本人に訳してもらって欲しい』と書いておけばそれでいいんじゃないか?事件の概略と、裁判の経緯は簡単に記しておけばいい。その程度なら、書いてもいい。」と言っていたな。明日、事務所で上司に相談してみる。と同時に、週刊誌に記事として送っておいたら、原稿が足りないときに載せてくれるからな。憲法改正が蠢動し始めているだろ?日本聖公会もキリスト教会だと思われているから、憲法改正反対集団だと思われている。だから、叩くのにはもってこいの材料だ。そうすると、他のキリスト教会から日本聖公会は白い目で見られる。
 徹底的に日本聖公会を作り直さないと、他のキリスト教会が困るからな。あの「人間の盾」とか言ってイラクへ行った牧師と同じだよ。あれが何か平和に役に立ったか?ただ、米軍の世話になって帰ってきたって言うのがもっぱらの噂なんだがな。そもそも、非武装の民間人を前線に行かせるわけにはいかないからな。そんなことで戦争を留められるんだったら、中東で何千年という戦争は続いてないぞ。

 あぁ、こんな時刻だ。明日も仕事だから、これで終わりにするが、このメールが広まるのは、時間の問題だな。いや、もうネット上を飛び交っているかもしれないな。日本聖公会のメイリング・アドレスに部外者が紛れ込んでる可能性は十分にあるからな。今頃、K主教は何をしてるかな。酒によって寝ちゃってるんだろうな。水が飲めないヨーロッパじゃないんだから、毎晩酒を飲むなよ。
 俺の部屋は、パソコンが多いときは4台駆動してるから、今夜は暑い!冷たい水を飲んで寝るよ。

見えてきた

2007-05-19 | Weblog

 やっと見えてきたな。
 K主教も他の常置委員も最高裁の上告棄却を非難すれば、ことは収まると思ったんじゃないのか?そして、しばらくH司祭を「陪餐停止」にして、ほとぼりが冷めたら復職させられると思っていたんじゃないのか?甘いよな、考え方が。
 というか、問題がまったく判っていないんだろうな。だから、この問題に胴体書しなければならないかということが判らない。おそらく、主教制の弊害だろうな。主教の判断は「神の判断」になると思い込んでいるから、自分の批判する者を赦せないし、自分が赦した者はみんなが赦さないと気が済まない。つまり、自己絶対化を非難する人間を何としてでも蹴落とそうとしているんだろうな。

 ここまで来るとどうしようもないな。
 日本聖公会がそうした絶対的権力を主教に認める集団なんだから、他の主教や司祭は口を出したら大変なことになるだろう。左遷どころじゃないだろうな。「飼い殺し」に遭わないか?恐ろしいことだ。近代国家にあるまじきことだからな。どんなに言い訳しようと、複数の女性の人生をズタズタにした司祭を、最高裁の上告棄却が決定した後もまだ擁護し続けているんだ。最悪だろ?
 普通じゃ考えられないことなんだが、彼らはそれをまったく判っていないか、ここまで事実が暴露されているにもかかわらず、自分たちの正当性を主張している。

 彼らには、憲法も法律も、そして日本聖公会法憲法規さえもないんだな。自分たちが法であり規則なんだな。だから、法憲法規に照らしてもおかしな処分をしてしまったことを悔いている様子もない。悔いるどころか、ますます自己正当化を主張している。彼らがそうしている理由はただ一つだろ、自分と自分の仲間を守ろうとしているからだ。被害者のことはどうでもいい。「騒ぐ方がおかしい」という途轍もなく身勝手な屁理屈をこね回している。「いい加減に観念しろよ!」と叫びたくなるな。

 明日は日曜日だ。一週間が速いな。しかし、被害者とその家族にとっては、一刻一刻が苦しみなんだろうな。みんなで「励ます会」をしたいよ。まさかそこに被害者が出てこられるわけもないから、その集まりのビデオを撮って、被害者とその家族に見てもらったらどうだろう。無理かな。顔を出せない人が多いだろうからな。特に聖公会の主教や司祭は出られないだろうな。しかし、出られないというところに、日本聖公会の根本的な病巣があるんじゃないのか?もう一度、聖書と信仰告白という「綱憲」の二本柱をよく読んで、しっかりと考えろよ。
 それをしないなら、キリストの教会であるという看板は下ろせよな。


Tera さんの書き込みについて

2007-05-17 | Weblog
 偶然、「FH司祭問題を駁す」というのブログを見て、あれっと思ったからTERAさんに電話したんだ。TERAさんのように誤解する人は多いだろうな。
 それよりももっと大きな問題があると思わないか?

 206条4 教区審判廷の審判員の総数は、各教区で定める。

 あの条文、解釈次第ではどうにでもなるよな。「各教区」というのが誰なのか、教区主教なのかあるいは教区全体なのかが明示されていない。つまり、主教が教区の審判員の数を決められる可能性を残しているよな。TERAさんが書き直したように「教区総会で」ということを明記したら、混乱を回避できるだろ。
 「聖公会は主教が決めるんだ!」という声が聞こえてきそうだ。「アポストリック・サクセッション(使徒継承)を持っているということは、教会の番人なんだ!」とも言われてしまうそうだな。そして、「キミはまだ聖公会のことが判っていない。」彼らが都合が悪くなると必ず口にする言葉だ。悲しいがそれが現実なのかもしれないな。

 そうそう、さっき友人と電話で話をしていた。あいつ、某S社の携帯に替えたそうで、某S社同士の通話は無料になるんだそうで、月980円ならということで俺も友人との専用回線のために手に入れた。便利だ。夜の9時(21時)~深夜1時(1時)まで以外は、某S社同士なら無料という契約がある。電話機の分割支払いを含めて月980円だ。
 横道に逸れてスマン。1990年頃になってブルトマンを読んでいた人がいたそうだな。そして、「最近ブルトマンを読んでいるんですよ」と友人に自慢したそうだ。彼奴は黙っていたと言っていたな。そして、俺は呆れたよ。神学院の教授だろ?その人は。俺の友人に聞いたら、彼奴は大学2年の頃に乗り越えたそうだ。ブルトマンの非神話化という方法は「聖書正典論」で確実に乗り越えられると言っていたよ。彼奴が2年ということは、1970年頃か?
 「非神話化という研究方法で聖書を、特に共観福音諸問題を考えても、カルタゴ会議の時には既にこの違いが議論になっていただろうから、正典とされる過程で、この問題は多様性として受容されていたことになる。しかし、聖餐制定語などは多様化している中でも、その中心的意味は変わっていない。明らかに聖餐は繰り返し犠牲祭儀だ。」と友人は言っていたよ。今度会ったら、彼奴の論文を読ませてもらおうと思っている。もしかしたら、ペーパーバックかオンデマンドで出版するかもしれないと言っていたな。但し、来年の3月以降だそうだ。理由は教えてくれなかった。

 聖公会の主教制というのは、強烈な中世的要素を持っているんだな。
 主教は神の代理人なのか?主教が語ると、それが神の言葉になるのか?
 そうじゃないだろ。自分たちの利益のために、そういうふうに教えているだけだろ。そして、主教は絶大なる権威を持っていると教え込んだから、間違ったことをしても謝れないんだろ。司祭たちが主教を批判できない理由はそこにあるんだよな。反論したら、左遷されるらしいからな。司祭給以外の収入がなければ、家族4人では暮らしていけないだろうと友人が言っていたぞ。高卒の初任給よりも安いそうだ。それでいて、主教の収入はかなりあるらしいからな。司祭たちは、ミッションスクールのチャプレンとか、幼稚園の園長給で暮らしているらしいぞ。幼稚園がなければ生活保護を申請したら通る額だそうだ。
 中世だな。中世の徒弟制度だな。だから「キミが読んだことのない本から、聖職試験の問題を出題する」などと平気で試験委員長が言えるんだろうな。彼奴は、それで切れた。小学校の低学年の子供まで犠牲になっていたそうだからな。夜中の10時過ぎまで働かされたそうだ。「日本聖公会には、正義も平和も差別も語る資格はない」と友人は言っていたよ。

 俺も旧「考える会」のサイトにある文書を読み返したよ。明日事務所で全部DLして、印字して製本できるように組み直してみるよ。一冊の本が出来るぞ、あれなら。おかしな話だがな。キリスト教の司祭が女子児童に対してしていた性的虐待に関する文書が、一冊の本になってキリスト教書店に並んだら、笑いものだろ。
 ただでさえ2ちゃんねるでかなり有名になってるみたいだからな。
 もちろん実名だろ。最高裁判所で上告棄却になってるからな。強みだよ。レーザープリンタで印字して、ファイルで綴じたら安くできるかもしれないな。土日に俺がしてもいいが、上司はいつも暇しているから、いっそのこと内の上司にやらせるか?って、もちろん「していただけませんか?」だが‥‥‥‥

 資料として有料で頒布すれば、それ程赤字を出さなくてすむし、主だったジャーナリズムに送付したら、関心を持ってくれるかもしれないだろ?
 それに、そうでもしなきゃ、K主教は謝罪しようなんて考えないだろうからな。しかし、あまりに非常識だと思わないか?被害者とその家族との間に和解が出来たような文書を流したんだろ?俺は目にしてないが、そんなことが書かれていたよな。被害者との間に和解が出来ていたら、被害者やその家族が公証人役場まで行って代理人を指名するわけがないよな。代理人、相当苦労してるのかな。何も報告がないってことは、かなり悶々としているような気もするな。
 なんなら、内緒で俺にメールをくれてもいいよ。たぶん、俺の方が歳は少し?上だろうしな。って、倍にはまだなっていないぞ!俺の仕事も秘密を守らねばならん仕事だから、なんでもぶっちゃけていいぞ。因みに俺のメールアドレスは、
 myocor@hotmail.com
 だが、代理人以外の方はメールしないで下さい。仕事で使っているアドレスで、海外の新聞社からのメールが入ってくるところですので、何かあったらこのブログにコメントして下さい。myocorってのは、何故かいつも俺の横に置いてある薬の名前です。他に意味はありません。最近はほとんど使わなくなりましたが。

 黙っているってのも疲れるだろうな。頑張って下さいよ。被害者とそのご家族を救うには、これしか道がないのですから。俺が祈っても大して効き目はないかもしれないから、知り合いに、詳しい理由は告げずに祈って下さいと頼んでおいたよ。
 酒は飲まない方がいい。特に、眠れないときに酒を飲んで寝ようとすると、依存症になる可能性が高い。風呂にでも入って、ゆったりして、それで寝る方がいい。たまに、海を見に行くのもいいかもしれない。神様が創った海や山は、人の心を静めてくれる。
 何か偉そうなことを書いてしまったが、代理人さん、祈ってますよ。貴師のお働きとご健康のために、今夜はコーヒーで乾杯です。
 主の平安!

サイレント・マジョリティーへ

2007-05-17 | Weblog

 「糾す会」からメールが来てた。
 一人でも大勢の方に読んで欲しいとのことなので、俺もここに引用する。
 「サイレント・マジョリティ」と書かれているが、司祭や主教で発言し
ているのは2人だけじゃないのか?残りの人数は何人いるんだ?
 とりあえず、メールの前半を引用する。

      ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

   聖公会のサイレント マジョリ・・の皆さん!

    私は正直言って聖公会がここまで腐った組織であるとはこの
   事件に関わるまでは夢にも思っていませんでした。福祉団体や
   学校法人にそれぞれ関わっておられる神学を究めた方々の塊で
   あり、何事につけ常に聖書と会話し、神の判断を仰ぐ習慣を身
   につけておられると思っていました。我々レイマンに出来ない
   厳しい決断をされるものと思っていました。ところがこんな正
   義も、大義も常識も通用しないカルト的(一般の常識を超えた
   宗教集団)な聖職者の集まりとは思いもしていませんでした。

    まさに、信徒も聖職者も主教に対する無批判な熱狂的崇拝者
   の群れです。特に地元の京都教区の聖職者はもっとしっかり発
   言しなければどうしょようもありません!
    京都の皆さん!今からでも遅くはありません!

    被害者を追い出してしまったことが正しいとでも思っておら
   れるのですか?それは高地主教、武藤主教の対応が原因なので
   すよ!あの原田の謝罪手紙2通を読んだのは武藤主教、高地主
   教、堀江静三及び代理人と教区の教役者何名かです。
    この手紙は糾す会(旧考える会)のホームページに書き出し
   の部分を掲載しています。この謝罪手紙によって大阪高裁は判
   決で原田が不法行為の承認、債務承認を行ったことになると断
   罪したのです。高地主教は被害者家族の要求をすべて無条件で
   聞き入れ心の回復、癒しを第一に考えてきましたか?

      ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 これを読んで、いまだに信じられない人がいるだろうが、すべて事実だ。最高裁の上告棄却が言い渡されても、まだH司祭による女子児童への性的虐待事件を隠し続けている。おそらく何らかの理由があるのだろうが、その理由は世間一般に通用するものなのか?それとも、明らかに最高裁の宗教弾圧なのか?違うだろ!
 女子児童に対する性的虐待は、宗教者の宗教的行為なのか?
 こんなことだと、主教や司祭の寸借詐欺も犯罪にならないと思っていそうだな。すでに多額の使途不明金問題やあまりにも常識はずれな土地売買問題が起こっているからな。あの土地売買問題では、それを新聞記事にした聖公会新聞の編集長が、主教たちの圧力で辞職させられていたんだそうだな。

 「カルト集団」という言葉が使われるようになって、近代法治国家における犯罪があたかも宗教行為であるかのようにいわれてしまうことがあるが、犯罪は犯罪でしかない。宗教者が犯罪を犯そうが、一般人が犯罪を犯そうが、同じ事件だったら、同じ法律で同じように裁かれるのが近代法治国家だ。それを、あたかも宗教者の優位性を主張しているように見える日本聖公会の態度は、正に中世封建制度そのものであり、素人目に見ても明らかに憲法違反だろ。
 日本聖公会の司祭や信者の中で「自衛隊は違憲」と主張しているのがいるが、開いた口が塞がらない。自分が帰属している日本聖公会自身が違憲行為をしてしまっているんじゃないのか?自衛隊は違憲だが、聖公会の聖職者は憲法に基づいて制定された法律を犯しても、本来的に「治外法権」が与えられているし、裁判になっても「指揮権発動」を自分たちが発令できると思っているんじゃないのか?
 だとしたら、大変な問題どころじゃない。即刻、宗教法人法の宗教法人資格を取り消すべきだろう。近代法治国家においては、どのような宗教団体もその法体系の枠の中でしか活動できない。法に抵触する行為は、法によって裁かれる。にもかかわらず、この簡単な理屈さえ判っていない主教や司祭は、自らが日本に住んでいる日本国民であることを深く認識すべきだ。憲法や法を遵守しなければならないのは、日本国民全員なのだ。それを、いまだに理解していないから、K主教はこの問題を御蔵入にさせようと躍起になっているようだ。

 日本聖公会の主教や司祭は、日本国民としての義務をしっかり守れよ。主教や司祭はそれをしないということであれば、それを神学的にはっきりと表明しろよ。内村鑑三が非戦論を唱えて弾圧されたが、あれとこれとは問題の質がまったく違うだろ!

 昼休みが終わるから、もっと書きたいが今日はこれだけにしておく。