いいたい放題

 右でも左でもない風来坊が、社会・経済・政治などの問題について、
好き勝手に、支離滅裂に、傍若無人に書き込むブログ

転送メールを読んで、愕然!!

2011-08-24 | Weblog

 しばらく前に転送されてきていたメールをじっくり読んでみたのだが、あまりの愚かしさに憤慨すら憶えている。これを書くと、日本聖公会のどこの教区か分かってしまうだろうが、仕方がない。何しろ、あの街に建てられている教会でありながら、あの街だけでなく、あの地方全体が、殊に太平洋岸の県民がどのような想いで暮らしているのかまったく分かっていないとしか言いようがない。「・・基督教会では、殆ど無傷であった大聖堂の建替え・新築が粛々とすすめられています。POST3.11のなかで、被災者の苦しみが、放射能の恐怖が、瓦礫の山が、言い尽くせない惨状を目の前にしているにもかかわらず、大震災前に決められた大聖堂と教区会館の建て替え・新築工事が始まろうとしています。」(固有名詞は極力、隠蔽します)

 この街の東側部分は津波に襲われ、大きな被害を被っていることは、マスコミの報道で伝えられている。家族を失い、家屋は流され、家財のすべてを失ってしまった人々が、心の中にフラッシュバックする恐怖と戦いながら、それでも賢明に生きようとしていることは、テレビでかなり放映されているだろう。にもかかわらず、「『建て替えは待ってください。仮に、大聖堂が全壊していたとしても、教会建築は最後にしよう、被災の苦しみが和らぎ、瓦礫の山が少なくなったら建築しよう、たとえ教会がなくなっていてもその時がくる迄建物はいらない、テントで祈りをささげよう』と言い続けていますが、全く聞いてくれません。」とメールに記されている。そしてこうも記されていた。「大聖堂は東日本大地震に耐えて立派に建っています。--ステパノ教会のようにベルタワーが折れて危険な状態になったのではありません。素人目には殆ど無傷です。大聖堂は、**県沖、◇◇・**内陸(◎◎)、東日本の激震を生き抜き、『祈りの場として使ってください』、と言っています。」

 このメールを書かれた方とは面識はないが、この方は極めてまともな考え方をしている。というよりも、当然のことを言っているに過ぎない。「大聖堂の被災状況は、・・市の被災建物判定で一部損壊でした。この判定を不満とした執行部は、50万円をかけて建物調査団体に依頼し、『中破」という意味不明の判定を取り寄せました。」「私達は『教区外の方々は聖堂崩壊と言っているので、誤解のないよう大聖堂の状況を教区の震災ホームページの載せてください』、と言いましたが、執行部から無視されたままです。MLの皆様は・・基督教会の被災状況をどのように理解されているでしょうか。」「大聖堂は、震災後数週間は救援物資のデリバリーサイトとしてつかわれ、ボランティアさん達も大聖堂内で動いていました。4月7日余震の後もそうでした。
 執行部は、4月に入り、大聖堂を『危険である、老朽化している』、との理由をもって立ち入り禁止にしました。現在、大きな南京錠で閉じられており、教区外の方や信徒が『中を見せてください』といっても公開してくれません。」

 「傍若無人」とは正にこうしたことを言うのだろう。主教が絶対的権威を保持している教会では、こうしたことが平然と行われるのだろう。教区の総会などは「手締め」のために開かれるのでしかないのだろう。そして、それがキリスト教会として正しいと思っているのだろう。だから、「教区・教会の執行部は震災は震災、教会は教会とい」うのだろう。しかし、あの教会にしても、聖堂やそれの付属した建物などすべて、あの地域に住んでいる方々のために、主なる神から与っているものなのではないのか。キリスト教会はいつも、このことを肝に銘じておかなければならないのだが、日本聖公会はすべての権力が主教や司祭に集中しているからなのか、こうした極めて理不尽なことが起こるのだろう。「このまま教会が建替え・新築されたら、教会は、聖公会は、被災者を裏切ったことになります。私たち3人は、そうなったら『顔を上げて歩くことが出来ない』と思っています。」とも記されているが、この3人+1人の上に、主なる神のお守りとお導きを祈らざるを得ない。
 主の平和が皆さんと共に!

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