いいたい放題

 右でも左でもない風来坊が、社会・経済・政治などの問題について、
好き勝手に、支離滅裂に、傍若無人に書き込むブログ

アッという間に1年が終わりだな

2006-12-30 | Weblog

 去年の記者会見からアッという間に一年が経ったな。
 いやなに、聖公会の謝罪の記者会見だよ。例の奈良県庁でやったというやつだ。主教と常置委員長が謝罪したんだが、誰に対して謝罪したのかよく判らん会見だったな。あの時、丁度仕事の関係であのニュースが入ってきていてな、事務所では大いに議論したんだ。
 その中で、「誰に対して謝罪しているのか判らん」というのが一番大きかったのを覚えているぞ。大体、奈良県庁で謝罪会見をしたところで、被害者やその家族とどんな関係があるんだ。結局、H司祭を「陪餐停止」にして、自分たちは減給処分にしたということでしかない。
 彼らには問題の本質がまったく見えていないんだな。
 加害者と被害者の間のことに関しては、慰謝料の支払いが行われ、裁判費用が支払われたということしか行われていない。「事実無根」を貫いて加害者はいまだに謝罪していないんだ。

 俺は裁判記録を読んだという方から聞いた話を、友人から教えられた。2クッションしているが、内容は実に単純なことだから間違えるはずもない。「児童に対する性的虐待」という言葉を使うと正体不明だが、実際に行われた行為はとんでもない猥褻な行為だ。大人が子供にするようなことじゃない。明らかに性的倒錯が起きている。アメリカでも問題になっているだろ。ロリコン以上のことだ。
 このことによってPTSDを発症した被害者は自殺未遂さえ起こしているそうだな。友人から転送されてきたメールに添付されていた文書では、日本聖公会の管区?でこの問題を議論し始めたようだが、まず最初にすることがあるんじゃないのか?
 京都教区の司祭による「性暴力事件」について考え、その防止に関して考える前に、加害者と、加害者を一旦退職させておきながら10日後に復職させてしまった主教と常置委員の二次的加害性にたいして、被害者とその家族に謝罪するように勧告しなければ意味がないだろ。自分たちが犯した過ちを棚に上げておいて、そこから先の議論をしても何の意味もないし、それ以上に被害者とその家族は絶対に納得しないだろ。口先で謝ればいいなんてものじゃない。被害者の一生を考えたら、徹底的な謝罪が為されて当然のことなんじゃないのか。あまいな、日本聖公会は。「京都教区がその過ちを反省し、各教区でもこの課題を真摯に取り組むことを求めています」と書かれているが、反省程度で済まされることじゃないだろ。「反省だけなら猿でも出来る」って言葉が流行ったよな。正にあれだぞ。
 加害者と関係主教や司祭が謝罪に行っていないということが問題なんだ。
 奈良県庁で謝罪の記者会見をしていながら、被害者本人とその家族に謝罪に行っていないんだが、信じられるか?これじゃぁ、謝罪になっていないだろ。誰が考えてもそうなるよな。ところが、日本聖公会じゃこれが罷り通っているんだ。そして、ほとんどの聖公会の主教と司祭が沈黙している。

 「わたしたちの教会がすべての人の尊厳を大切にする教会へと変えられていきますように、祈りと関心を持って関わっていただきたいと思います。」
 女性に関する課題の担当者のコラムにそうも書かれていたな。
 俺の友人がいっていたよ、「かなり優しい表現だが、この方たちはやってくれそうな気がする」ってな。俺にはそうは思えん。初めから、はっきりとした対決姿勢を出さなければ、主教たちはのらりくらりするだけじゃないのか?
 頑張って欲しいな。どんな人か俺は知らんが、女性の人権を女性が守るという姿勢に感動したいな。男だろうが女だろうが、正しい意見は正しいんだ。女が言ったら正しくて、男が言うと間違いなんてことはない。男が言うと正しくて、女が言うと間違いなんてのは前々世紀の遺物だ。


聖公会の主教たちには、法憲・法規は関係ないのか?

2006-12-27 | Weblog

 聖公会の法憲・法規を読んだことはないが、知人から転送されてきたメールには、その解説が詳しく載っていた。たぶん、弁護士さんが書いたものだろうと思う。法憲・法規で規定されている「懲戒」規定の通りに行われていなかったみたいだな。お粗末過ぎるぞ。
 俺の知人によると、聖職候補生が執事試験とやらを受ける時に履歴書を亭主させられるそうなんだが、その試験を行う聖職試験委員会には、その履歴書を読む義務はないと試験委員長が言ったそうだ。これって、決定的な人権無視だろ。そもそも、詳しい履歴書を出させること自体が問題だし、履歴書には本籍が書かれているからな。あぁだこうだと、つまらん穿鑿をし始めるんじゃないのか?

 法律以前に「牧会的配慮」とかいうのがあるんだそうだが、日本聖公会の法憲・法規を、その牧会的配慮は越えることが出来るのか?だとしたら「法憲」などという言葉は使えんだろ。「憲」法だからな。それとも、主教は、そうした規則を自由に解釈し、時としてそれを無視することが出来るのか?
 だとしたら、聖公会は絶対王政だろ?立憲君主国のイギリスよりも、もっともっと非民主的な宗教集団だよな。しかし、こうした宗教教団をカルトと言うんじゃないのか?

 メールに記されていた法憲・法規の説明


 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

  日本聖公会法規第201条により聖職の懲戒は、

 1、戒告

 2、一ヶ月以上3年以下の職務の一部執行停止

 3、一ヶ月以上3以下の有期停職

 4、終身停職

 の四種類に限られ、

  「司祭または執事が停職の懲戒を受けたときは、教会の牧師、副牧師、牧師補
 その他の任務を解かれたものとみなす。」(第201条第4項)、
  続いて、「職務の一部執行停止または停職の懲戒を受けた聖職の陪餐は、停止
 する。」(同条第5項)と規定しています。
  したがって、京都教区の謝罪声明として発表された処置は極めて曖昧で不都合
 を含むものと言わざるを得ず、虐待被害関係者ではなくとも、教区役職者の統治
 責任逃れや元H牧師の擁護・無罪復職の狙いがあるのではとの見方をされても仕
 方のない措置結果だったのです。

 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 さすがに専門家はすごいな。
 続いてこうも記されている。


 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

  日本聖公会法規第198条には、聖職の懲戒事由が規定されています。

  「聖職は、そのした行為または一定の行為をしないことが次の各号の一に該当
 するときは、懲戒を受ける。

  1 綱憲、日本聖公会法憲、この法規その他の日本聖公会の法規の規定に違反
   すること。

  2 聖職按手式において約束したことに違反すること。

  3 その他著しく不道徳または不正であること。」

  となっています。

  京都教区虐待事件は、2005年に日本国最高裁判所で民法の不法行為による
 損害賠償判決が確定しており、その後も事実をほぼ否認し謝罪を拒んでいること
 は元H牧師が反省していないことを示しているものであって、これは著しい不道
 徳行為に該当するのではないでしょうか。

  懲戒基づかず元H牧師の退職を認めたこと、懲戒申立を行わず退職を認めたこ
 となど、何れにしても秩序維持・紛争解決の義務を果たさなかったことでの、教
 区役職者の不正行為に該当するのではないでしょうか。

  事実上の虐待被害者など側との紛争解決に努力しているとは受け取れない状態
 に未だあり、これは不作為としての教区役職者の不正行為にあたるのではないで
 しょうか。

 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 おぉ、なんと穏健な表現。
 俺だったらこう書くぞ。
 「『考える会』が『二次的加害者』と言っても不思議ではない。それが言実だ。」
 不思議な御仁たちだな、日本聖公会の主教さんたちは。
 最高裁の判決をまったく無視できるんだからな。
 被害者の御父様が要求していることに耳を貸さないのだからな。

 被害者の御父様は次の3つを要求しているそうだな。

  ①M主教、K司祭の二人がまず教育界から去る。

  ②H司祭の退職処分を撤回した経緯を文書化する。

  ③被害者とその家族への謝罪訪問の実行。

 日本聖公会は何を血迷っているんだ。
 未だにこの三つのうち、一つも実行されていないんだな。まず③だろ、何と言っても。普通は③から始めるよな。そして、十分な調査と証言を元に第三者が②を実行して、本人の意思で①が行われるんじゃないのか?それも早急にだ。
 最高裁の上告棄却が言い渡されてから1年以上になるというのに、何をしてるんだ?関係者が。そして、加害者のH司祭が謝罪してないってのも致命的だな。

 いいか?児童に対する性的虐待というのは、一般社会における重大な犯罪の一つなんだぞ。刑事事件だったら、実刑が相当であると判断されるんじゃないのか?主教さんや司祭さんたちはそれが判っているのか?
 日本聖公会の主教や司祭が差別問題に関して発言してたことがあったよな。大学教授とかもだ。彼らは一体何を考えているんだ。まさか「事実無根」を支持しているわけじゃないだろうな。あるいは、「靖国神社による自衛隊員の合祀訴訟」に対する最高裁の判決を批判していたんじゃないのか?憲法が保証する信教の自由の侵害だと言って。それでも、キリスト教の聖職者かよ。自分たちの立場を守るためだったら、いくらでも考え方を変えちゃうのか?
 原発にも反対してたろ。障害者差別を糾弾してたろ。ふざけるなよ。

しかし、これでキリスト教は大丈夫なのか?

2006-12-21 | Weblog
 「考える会」というところが出している一斉送信メールが俺の知人から転送されてくる。その中に「考える会」の人が書いた怒りの言葉があったが、実に的を得ている。

 > 聖公会は監督責任者の誰一人辞任したか!

 辞任なんかしてねぇだろ?事件の加害者は「自主退職」だしな。
 聖公会のお偉方は「監督責任」なんて言葉は知らんのだろ。

 > 犯罪の中で私はこれ以上の犯罪はないと思っている。

 当然だよ。被害者は一生涯重荷を負わされて生きていくんだ。
 時効が成立しているから、加害者は平然とした顔で生きていける。

 > M主教、K主教、K司祭は少なくとも今からでも遅くないから
  責任を感じ、自らの進退を自らで考えなさい!

 考えられんだろ、この三人は。
 考えられるくらいだったら、今頃、懺悔の巡礼をしてるんじゃないのか?

 > 紫や黒のキャソックを着れば一切責任はとらなくても良い、
  特権人種と思っているのか!

 思ってるんだろうな、ほとんどの主教や司祭は。
 主教になったらコロッと考え方を変えるって話だぞ。
 無事に過ごせば、退職後は安泰だからな。
 無事に過ごさなくても安泰だって話もあるしな。

 > 1年以上も経ってくると紳士的な表現も使えなくなってくる。

 「紳士的な」主教や司祭なんているのか?
 英国国教会系の教会だから、"gentle"の意味くらいは知ってるよな。
 被害者とその家族がどう考えているのかを知っていながら一切謝罪していないだってな。最悪だろ。キリスト教ってのは権威を尊重するのか?信仰はどうでもいいのか?主教の絶対的権威を認めると天国へ行けるのか?まぁ、聖公会の教会じゃぁ、性的虐待があっても、使途不明金があっても、主教や司祭は罪に問われないそうだからな。信者はえらい迷惑じゃないのか?

 > この事件をテレビのワイドショーで30分企画で批判されれば
 > 君らは翌日雲隠れするだろう!

 どこかでやらねぇかな。視聴率は上がるぞ。
 本当なら今時が一番なんだがな。街中でクリスマスソングが流れてるだろ。

 > 京都の御所の前の教務所に顔を上げて出入りできますか!

 おいおい、御所の前にデェ~んとふんぞり返っているのか。
 天子様のご意向を笠に着てるんじゃないだろうな。
 聖公会の司祭にも、「天皇の戦争責任」なんてことを言ってたのがいたからな。
 京都御所の前で「天皇制反対」を叫んでるのか?

 > 聖公会は心底狂っている、腐っている!
 > 被害者の声を無視し、平気な顔をして!

 しかし、権威を振りかざすだけの聖公会に腐るものが残ってたのか?
 先人たちには素晴らしい人がいたと聞いているがな。
 今じゃ何故かみんな犯罪に対して黙りを決め込んでる。
 犯罪だろ、児童に対する性的虐待は。それとも事実無根を主張していのか?

 友人に電話したら、まだ起きてたよ。
 風邪をひいてるっていうのに、パソコンの前で仕事をしているそうだ。
 聖公会の主教たちの動静を聞いたら、何て言ったと思う。
 「今頃はみんな酒飲んで寝てるよ」だってよ。
 そう言えば、酒乱も多いそうだな。依存症になってるのはいないのか?
 キリスト教会が挙って追求しろよ。


なんかおかしくねぇか? お天気編

2006-12-18 | Weblog
 気象庁のサイトで気象レーダーのデータを見てみるといい。
 なんかおかしいぞ。12月だっていうのに里雪型だ。
 大陸から移動してきた高気圧の位置が、春や秋の位置だ。
 おまけに台風23号が出来て、フィリピンに向かい始めている。

 秋田県の海沿いでは降ってないのに、岩手県の北上川沿いで雪が積もっている。山形県では山間部で降っているところを見るとすべてが里雪型でもなさそうだ。地球の温暖化が原因なんだろうな。しかし、気象庁は「異常気象」という言葉を使わない。

 去年みたいに、とんでもない事故が起きなきゃいいが・・・・
 張り出してきた高気圧に日本が包まれたら、今夜は放射冷却でかなり冷え込むぞ。寒い地方の道路はスケート場だろうな

なんかおかしくねぇか?

2006-12-16 | Weblog

 ノロウィルスとかいう微生物(細菌)による食中毒のニュースが頻繁に流れているが、なんかおかしくねぇか?北海道から山口県まで感染報告が伝えられてるよな。
 それも集団で感染したケースだけだ。一人二人といった散発的なものは、ニュースにならないだろうし、食品関係企業の従業員は口を噤んでしまうだろ?ということは、実際には、この何倍もの感染が起きてる可能性があるよな。
 しかし、俺の知る限りでは潜伏期間が短いから、発生源を特定するのも早いような気がするのだが、逆に個体差があれば発生源を特定しにくくなるだろうからな。科学生物兵器などは、何もミサイルで撃ち込まなくても、適当にばらまくことは可能だろ?

 疑っちゃ悪いような気もするが、しかし疑ってみたくならないか?

神学の無さを露呈

2006-12-15 | Weblog
 「M主教は退職されています。現役の社長が退職して天下り先に
  就職した前社長にものが言えますか。」

 京都教区主教が、「考える会」の代表に電話でこう言ったそうだ。
 笑ったぞ。あまりにも常識がないな。しかし、こうした考え方が罷り通っているから、主教が使途不明金を出しても誰も何も言えんのだろうな。
 社長が退職して子会社の社長になるのを「天下り」とは言わんだろ。官公庁から民間企業に再就職することを天下りと言うんだが、普通は・・・・・それとも、教区主教は天上の座に在してその権威を振りかざし、定年後は下部組織にお下りになり給うのか?
 だとするとそこには二つの大きな疑問があるぞ。
 まず第一に、ミッションスクールは聖公会の各教区の傘下になるだろ。「天下り」なんだからな。ほう、学校法人が宗教法人の傘下にあるのか。それって、法律で認められているのか?学校法人になると、幼稚園などでは自由に宗教活動が出来なくなるそうだが、大学は大丈夫なのか?
 第二は、現役の検事総長は前任の検事総長を告訴出来ないってことと同じだろ。
 近代法治国家の基本が判ってないな。正に「先輩・後輩システム」が、顕著に表れているな。そう言えば、聖公会の教会ではプロセッション(礼拝堂に執事・司祭・主教が入堂すること)の時は、「按手順」に並ぶんだよな。「年功序列」が根底にあるんだろうな。さすがに王を戴いて、貴族が権力を持っている国の宗派だけのことはあるな。
 民主主義なんてことは、まったく考えていないんだろうし、自由とか平等なんてことは眼中にないんだろ?だったら、当然人権なんてことは考えられないよな。

 「隠蔽、無視、たらい回し、誹謗、中傷、恫喝」が宮本晴美氏のお嬢さんの事件の時もあったそうだが、聖公会も同じだな。
 「キリスト教カルトを斬る」ってブログがあるが、あそこに聖書の言葉が出てたな。
 コピペさせてもらう。

  マタイ福音書5章23節以下
 「あなたが祭壇に供え物を捧げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのを
 そこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に置き、、まず行って兄弟と仲
 直りをし、それから帰って来て、供え物を捧げなさい。」
 (新共同訳、日本聖書協会、1987、東京)

 俺が持ってる聖書じゃ、ちょっと訳が異なっているが、本筋は変わりはない。
 もしかして、聖公会の主教は聖書を読んだことがないんじゃないのか?
 「それから帰って来て、供え物を捧げなさい。」ってことは、祭壇の前に供え物を置いたまま、まだ捧げることをしないで、和解が成立してから帰ってきて神への犠牲を捧げろってことだろ?聖公会の主教や司祭がしていることは、全く逆だろ。「隠蔽、無視、たらい回し、誹謗、中傷、恫喝」なんてことは、和解とはまったく逆方向のことだろ。怒りが込み上げてくるな。
 正に神学の無さを露呈しているとしか言いようがないな。

 そう言えば、あの「キリスト教カルトを斬る」っていうブログの管理人は、近いうちに同じ「楽天ブログ」内をクリックしまくるそうだ。10人に1人は、自分のサイトを見に来てくれるそうだからな。かなり宣伝になるぞ。それも、キリスト教徒以外の人たちに知れ渡るだろうな。光でアクセスしていたら、30秒で一件は行くからな。1時間で120だ。それを毎日1時間ずつやったら、1ヶ月で3600だ。その10%だと360人だろ。駅前でチラシを配るよりも効果があるかもしれないぞ。
 あの管理人は女か?男じゃないだろ?
 俺の友人は教えてくれないんだ。
 みんなもせいぜい宣伝してくれよな。

 http://plaza.rakuten.co.jp/teradream/

 これが「キリスト教カルトを斬る」というブログのURLだ。
 日本国中のブロガーに伝えたいよな。

靖国神社の国家護持

2006-12-14 | Weblog

 仕事の合間に

 今朝起きたら、メールが2通来てた。1通は友人からで、例の日本聖公会の司祭による幼児への性的虐待事件に関して、「考える会」の世話人の方からよろしくとの伝言だったが、もう1通は「靖国神社を国家護持するな」という匿名のメールだった。

 「こいつ、判ってないな」と思わず呟いてしまった。
 靖国神社を国家護持できるわけがないだろ。国家が一宗教法人に対して、その活動に関して宗教法人法を越えて口を出すことは出来ないし、経済的に援助することもできない。こんなことは近代市民社会にとって当然のことだ。イギリス・ドイツ・オランダ撫でには国教があって、そこの牧師さんたちは国家公務員だろうが、日本は明治政府がでっち上げた「国家神道」なるものを既に破棄しているんだ。中にはそれを復活させたいと思っている人々がいることは事実で、それは彼らの信教の自由なのだろうが、現行憲法においては不可能なことだ。
 そもそも、「神道」という実に身勝手な枠組みで日本の神々を十把一絡げにしたことが間違っているんだ。村の鎮守の神様と天照大神をどうして融合させることが出来るんだ。歴史的経緯が全然違うだろ。
 鎮守の神様は鎮守の神様であって、それ以上のものでも、それ以外のものでもなかった。欧米のキリスト教を見てきて、何とか日本全体の宗教を一つにまとめ上げて、それを国家宗教にすることによって、民衆を支配する一つの手段にしようとしたんだろう。武士階級の考えそうなことだ。
 江戸時代までの村の鎮守は、「村の」鎮守でしかなかった。隣の村に関わることはなかった。隣の村に嫁いだ娘が孫を連れて帰ってくることはあっただろうが、何の関係もない隣の村人が来ることもなかった。ただ、鎮守の祭りが賑やかに行われるようになって、若者が遊びに来ることはあったらしいな。それも、嫁さん探しにだ。昔はおおらかだったからな。高校の教師が祭りに監視するために来てたりはしなかったらしいからな。その日はそして、正に無礼講だったらしいぞ。そうやって男と女が出会い、結婚していったケースはかなりあったらしい。村の中でもだ。
 ただし、いまの「援助交際」と言われている、理不尽なことは行われていなかったし、大きな町へ行かなければ遊郭などもなかった。
 村の鎮守の祭りが男と女の出会いの場だった。「国家神道」で束縛されてからもだ。
 都会ではそれが消えたから、キリスト教の礼拝がその機能を持っていたらしいな。教会で知り合って結婚したという高齢のカップルを知っているぞ。教会の礼拝は英語のクラスへ行くと、紅茶とケーキが出てきて、「良家のお嬢様がいる」というので挙って聖書研究会へ行っていたという方にもお会いしたことがある。そして結婚し、毎週のように教会へお二人で行っていたそうだ。俺が知っている頃はもうお子さんたちが結婚されるという頃でな、「こんなはずじゃなかった」と嘆いていたのは旦那さんだったな。「お嬢様だと思っていたら、じゃじゃ馬だった」と嘆いているその横で、清楚な和服を着たきれいな奥様が、「いまでもお淑やかですよ」と笑っていらっしゃった。檀那がゴルフに行っている間に、家の中を全部きれいに掃除していらっしゃったな。

 話は横道に逸れたが、靖国神社は靖国神社だろ。
 「戦犯」を分祠するかしないかで議論していたが、実に愚かなことだ。靖国神社の自由だろ。もちろん「戦犯」とは何かという議論もしなくちゃな。日本がせめて来るというので、住民のほとんどが逃げ出してしまっていた南京で、何人の民間人が殺されたのか。彼らは本当に民間人だったのか。「便衣兵」と呼ばれる、民間人の日常的な衣服に着替えて、戦闘行為をしていたのは何人いたのか。この便衣兵やフランスのパルチザンは、ジュネーブ条約に違反しないのか。「日本は海外侵略をしたから、東京大空襲があっても仕方がなかった」と言っていた、今は大学教授をしているのがいたな。パルチザンも肯定するんだろうな。それでいて、ヒロシマやナガサキのことになると「原爆反対」と叫び出す。「靖国神社」反対と叫び出す。
 靖国神社に息子がいると信じていた高齢の女性もいるんだ。彼女たちを「戦争の被害者」と考えることは自由だ。しかし、彼女の心の中を土足で歩き回るような発言は、思い上がりの極致だろ。東京でいくら裁判をして、それを新聞が報道しても、彼女達の目に止まることはなかっただろうな。息子の位牌と一緒に生きていたんだ。息子の遺影と一緒に生きていたんだ。
 「靖国神社信仰」が作られた幻想だとしたら、キリスト教も仏教もみんな作られた幻想だろ。それを一方的に踏みにじって「靖国反対」を唱えている聖公会の司祭たちは、正にカルトそのものだな。教会で戦争の犠牲者のためにレクイエムをしたことがあるのか。アメリカ軍の基地の中でミサをしている司祭がいるだろ?アメリカ軍の戦没者のためのレクイエムでアメリカ人司祭と共同司式をしてレクイエムをしたことはなかったか?それでいて、一方では「戦争反対!靖国反対!」を叫んでいるんだよな。ちぐはぐだろ。支離滅裂だろ。

 日本聖公会だけじゃない。サヨク的牧師には、そうした支離滅裂な発言を平気でしているのがいるよな。「殺すな、殺させるな」と書かれたTシャツを着て歩いていた坊さんがいたな。お話をお伺いしたら、中身が徹底してたぞ。「右手でミサをして左手で児童への性的虐待をする」ような人じゃなかったな。

 日本聖公会は、天皇制を否定しないよな。
 靖国神社の国家護持を否定しないよな。
 まさか聖公会は、自分たちがレクイエムをするから、それを国は援助しろとは言わないよな。
 イギリスの王(現在は女性)を頂点とする教会だからな、心配だな。

 靖国神社を国家護持したら、日本は終わりだ。
 薩長政府時代に後戻りだ。
 片方で靖国神社を否定しながら、戦争の犠牲者のレクイエムをキリスト教がしなかったら、キリスト教も終わりだな。お坊さんたちの中には、靖国神社を否定すると同時に、毎朝、戦没者の供養のためにお経を唱えている方がいるそうだぞ。イギリスにもアメリカにも、墓参りの習慣はある。


これで日本聖公会はサヨク離脱だな

2006-12-12 | Weblog

 H司祭の児童に対する性的虐待事件と、それをH司祭の「事実無根」発言によって事実無根と判断した主教たちの判断ミス及びその後の責任回避、沖縄であった土地売買に関する不明朗会計事件、京都教区の使途不明金事件とそれに対する刑事訴追回避をし続ける主教会の責任、北関東教区での使途不明金事件。
 これだけあったら十分だ。
 とりあえず聖公会の司祭や主教、あるいは聖公会系の大学の教授や助教授が「靖国神社問題」に口を出してきたら、「自分たちの中にある犯罪をきちんと整理してから発言しろよ」と言えるな。ラッキーだ。俺の周りにいる、2月11日と8月15日には必ず靖国神社へ行くという連中が喜ぶぞ。他にも、同じような事件を犯しているキリスト教会があるからな。こっちも、いくらでも反論できるぞ。

 「キリスト教カルトを斬る」というブログに書かれていたが、日本の教会の牧師さんたちは、日本の宗教に関してはまったくご存知ないそうだな。曹洞宗と臨済宗の異いはもちろん、浄土宗系の宗派と禅宗では、その教えがかなり異なっているということをご存知ないんだろう。しかし、真言宗にはかなりキリスト教の影響を受けている部分があるんだが、それも意に介していないらしいからな。「景教は異端だ」と言っているプロテスタントの牧師もいるそうだが、どこからが異端で、どこからが正統なのかよく判っているのか?そもそも、正統とか異端というのは人間が勝手に判断していることだろ?

 聖公会の司祭に、ユダヤ教とイスラム教の異いが判っていないのがいたり、インドの習慣とキリスト教を混同したりしているのがいるそうだな。おまけにそういう司祭が聖職試験委員だったそうだが、猫に笑われるぞ。右手は清浄で左手は不浄だと言ったそうだ。俺でも知ってるが、パウロはそうした考え方を徹底的に否定しているだろ。高校の時に通ってた教会の教会学校で聞いた覚えがあるぞ。

 H司祭の性的虐待事件に対する主教さんたちの判断は、本当に笑えるな。
 好々爺の集まりか?しかし、人の良い老人にしちゃぁやることがなってないか?
 「祈りで解決しましょう」って言われても、目の前に被害者とその家族がいるからな、加害者とそれをかばった人たちの真摯で徹底的な謝罪がなきゃ、ことは収まらないだろうし、被害者のPTSDが軽減されることはないだろう。それを理解できない好々爺は、自分たちの権威を認めて逆らわない人たちに対してだけ好々爺でい続けるのか?そのうち、トンビに油揚げをさらわれるぞ。虎視眈々と首座主教の地位を狙っているのがいるからな。大学の院長とか。
 そう言えば、聖公会系の大学だったよな。私立大学で唯一、実験用原子炉を持っていたのは。最近になって停止させたそうだが、教授の中に原発反対のがいるだろ。基本的人権としての思想の自由があるんだろうな。
 だったら、被害者の人権を無視するなよな。黙ってるってことは、無視してるってことだろ。これで一人、サヨクの大学教授が潰れたな。右翼と議論したら、徹底的に人権問題でつつかれて終わりだ。まぁ、おとなしいクリスチャンの集まりにしか出ないだろうがな。障害者問題にも口を出せないよな。障害者を無視してきたのを俺は知ってるしな。根性を入れ替えろよ。どこか田舎の小さな教会に赴任させてもらって、徹底的にそこに土着してみろよ。そうか、聖公会には町村部にはほとんど教会はないからな。都市部だろ?あるのは。早起きして、牛の乳を搾ってからじゃなきゃミサに来られない人たちと一緒に暮らしてみろよ。台風の豪雨や冬の大雪と闘って来た人たちや、米の増産政策で汗水流して、両手の掌がカチカチになって、いつの間にか腰の骨がすり減ってしまった人たちと一緒に暮らしてみろよ。
 書斎で本を読んで、講演会で話をして、授業で学生相手に話をしてるだけじゃ、社会の現実は見えないだろ?海外で会議だと言って外国を廻っていたって、猫の額ほどの小さな田圃を長い斜面に作ってきた人たちの苦労がどうなったかを見ることは出来ないだろ?そうした意味じゃ、一番現実を無視しているのは、大学の先生たちかもしれないな。

 そう言えば、新古典派経済学で規制緩和をし続けた「学者」さんがいたよな。
 日本聖公会の学者さんは、あの程度の社会認識しかないんだろうな。一番大事なのは、社会と密着した神学をするとことだって言ってたんじゃないのか?日本には、一世帯当たりの家族数が3人足らずの村がたくさんあるんだよ。高齢者の一人暮らしが多いってことだろ。大都会の大学の先生たちの眼には、そうした人々の暮らしは見えてこないだろ。それが見えてこないのに、都会人が勝手に国の政策を決定してるんだよな。聖公会の司祭は、そうした村で一年でも二年でも住んでみろよ。高速インターネットはおろか、一番近い本屋さんまで山道を車で1時間なんてのはざらだぞ。それも雪のない時にな。そんな村の坊さんと話をすると、本当に頭が下がるぞ。70歳を越えた坊さんが、大雪の中を檀家まで自分で車を運転して行ってるんだ。奥さんは、住職が帰って来る前に、車庫の前の雪かきをしておかなきゃならん。
 ある寺の本堂には、檀家さんからの捧げものが墨で書かれていたが、米や野菜まで書いてあったな。精米したてのもち米で餅を搗くと最高にうまいぞ。農家の婆ちゃんが漬けた大根をおかずにしてな。
 俺も仕事の合間に、出来るだけそうしたところへ行ってるんだ。普段の生活じゃ見えないからな。村の氏神様の境内に腰を下ろして、昼間は一人暮らしの婆ちゃんとデートしてこいよ。爺ちゃんの墓守して、孫の嫁入り道具を準備して、鎮守の神様の掃除して暮らしてるんだぜ。そう言えば、あの婆ちゃん、元気かなぁ。俺のお袋と同じ歳だって言ってたからな。
 あの婆ちゃんたちも、東京の大学の先生も、同じように一票ずつ持ってるんだが、そのことの意味を考えたことがあるか?まさか「一票の格差」なんてことは言ってないだろうな。

 まぁ、これで日本聖公会のサヨク司祭たちは終わりだな。
 彼奴らには、人権なんか語る資格はないからな。

日本はどうなるんだ?

2006-12-12 | Weblog

 教育基本法を変えても、『教育とは何か』ということについてのコンセンサスがないまま、法律だけ変えてもどうにもならないだろう。国民のどれくらいがこれに関心を持っているんだろうか。
 運動会の徒競走で、ゴール前で横一列に並んでゴールするのがあるらしいな。もう大分前から行われていたようだが、<権利の平等>ということと<みんな同じ>ということの重大な差異を認識できていないんだろうな、今の学校関係者は・・・・
 あるいは、男女混合名簿、あれは最悪だぞ。自然災害などの緊急時に、男女を別々に把握しなければならない時、不便でしょうがないだろ。「いつも男が先で、女が後だった」というのは、ある意味では被害妄想だな。小学校の身体検査、いつも男が先だったか?学校の掃除当番は女だけがしていたか?うちの事務所じゃ、掃除は男の仕事だぞ。特に重いものは女じゃ持てないからな。今日も午後は掃除の時間らしいぞ。それにうちの事務所は、社長が女だからな。仕事の内容には口を出さないが、掃除とか飯の時間にはすごくうるさいぞ。ちゃんと食べろってな。
 それから男らしい名前・女らしい名前は止めましょうって行ってるのがいるらしいが、最悪だぞ。俺の知り合いに「博美」っていうのがいるが、化粧品のセールス電話やエステからの電話がしょっちゅう掛かってくるそうだ。
 これで男女混合名簿にしたら、誰が男で、誰が女か判らなくなるな。クラスの名簿なんて、大事なのは担任の先生以外の先生がそれを見てクラス全体を短時間で把握できるかどうかだろ?

 「教育とは何か」ということが判っていないから、こうした奇妙な意見が罷り通っているんじゃないのか?子供たちの基本的な価値判断や思考を、あるいはこの世の事象に対する嗜好を、極めて個性的に延ばしていきながら、基本的な学問的知識を伝えていくことだろう。自然科学が好きなのもいれば、社会科学が好きなのもいるだろうし、人文科学にのめり込んでいるのもいるだろう。
 最近教育を見ていると、子供たちを同質化することが日に日に進んできているようだな。走るのが速いのにも二種類あって、短距離と長距離では基本的に筋肉が異なっている。速筋と遅筋の相異なんだが、いまだに教師は短距離と長距離を同じように考えているみたいだな。短距離と長距離の選手じゃ、食べるものも異なっていなければいけないんだ。速筋を動かすエネルギー源と遅筋を動かすエネルギー源は異なっているからな。

 「子供たちを戦場に送るな」っていうのもあったな。
 北朝鮮が攻めてきたらひたすら逃げろってか?他人を押しのけて。
 そもそも今の自衛隊に徴兵制がありうると思てるのか?
 今の自衛隊の人数以上に人間を集めてどうするっていうんだ?ただでさえ予備自衛官が増えているんだろ?それに武器の取り扱いを何も知らないのが自衛隊に入って何が出来るんだよ。日露戦争の203高地みたいなことをさせるのか?
 現代の戦争がどんなものかを知らないんだろうな。第二次世界大戦の頃のことしか知らないんだろうな。

 戦争なんてのはないに越したことはないんだ。しかし、戦争したがってる外国があるから、無駄な国家予算を使わなきゃならないんだ。かつて、「鍵かけ論はナンセンスだ」といっていたのがいたが、あいつも他人を押しのけて偉くなりたがってる人間だったな。ある会議の報告書を「自分に何故書かせないで、あんな人に書かせたんだ」とある新聞社の編集局にクレームを付けてきたそうだ。
 参ったよな、自分が前に出ないと気が済まないのか?
 だったら、北朝鮮が攻めてきたら、先頭に立って国民を守れよな。
 しかし、そんな時が来たら、真っ先に核シェルターに逃げ込むんだろうな。ちゃんと家族を連れて行けよ。他の女を連れ込むなよ。日本の軍備は、間抜けなサヨクがああだこうだと言うから、まるっきり骨抜きにされているだろ。銃があっても弾がなかったら単なる鉄の棒だろ?そうしたことを知ってか知らずか、優しい人たちを自分の似非論理で誑かし、食い物にしてきたろ、サヨクの有名人は。

 日本のイージス艦と北朝鮮の潜水艦が交戦したら、どっちが勝つと思う?
 北朝鮮が魚雷を発射してもそれを迎撃するためには、防衛庁長官を通して総理大臣に問い合わせなきゃならんだろ。仮に、その魚雷を回避しても、潜水艦は最初のを発射する時に、もう二本を発射可能な状態にしてあるからな。すぐに次を打って来るぞ。そして、その時には三回目の攻撃が出来るように準備をしているぞ。
 国家観の戦争は、子供の喧嘩じゃないんだ。
 「話し合いが大切なんだ」というのなら、その話し合いをお前が出来るか?
 話し合いをしたら魚雷やミサイルを撃ってこないか?
 「戦争はしてはいけない」が、「戦争になってたら」を考えることを拒否しているという、実に愚かな考えをしている。現実を直視しろよ。自分の「論理」を押し付けるな。人間社会の現実は論理や理論で動いていはしない。今そこで何が起こっているかが現実なんだ。だから、大学の研究室にいて、外国を飛び回って、一体どんなふうに現実が見えてくるんだ。外国なんかへは行ったことはないし、新聞に書かれていることもよく理解できないという人々も、大学教授も、同じように一票しか持っていないんだということを肝に銘じておけよ。

電気掃除機と聖公会

2006-12-12 | Weblog

 今日、仕事場で面白いことがあった。
 俺の事務所は全部の部屋にカーペットが敷いてある。もちろん俺の部屋もだ。時々社長が遊びに来る以外は、お得意さんが仕事のことで来るだけなんだが、カーペットが結構汚れる。そこで、きれい好きの社長が新しい掃除機を買うと言い出した。経理の話じゃ、社長が自腹を切ったみたいだ。
 仕事が一段落した頃に営業マンが来たから、俺も顔を出してみた。
 フィルターの代わりに水を使って集塵するんだが、今まで事務所で使っていたものでカーペットの一部を掃除してみたが、ほとんど埃は取れなかったが、その直後に営業マンが持参した掃除機で普通に吸い取ると‥‥‥途中に挟んだ黒い布に暑さ一センチほども埃が吸い取られていた。当然、カーペットの色が変わっている。元の色に近い。
 どれくらいの電気を使っているのか質問したら、市販の電気掃除機の半分以下だ。で、当然のこととして中の構造を質問したら、懇切丁寧に説明してくれた。通常の電気掃除機は、ファン付きモーターの前に吸塵袋、そして目の粗いフィルターがあり、モーターの後ろにも2枚のフィルターが付いているという。しかし、この後ろの二枚のフィルターは交換不能だという。ところが、この営業マンが持ってきた掃除機にはフィルターがない。実にうまくできた構造で、吸い込まれた空気が一度水の中をくぐる。その時に、水が泡を立てて撹拌されるから、滝の原理と同じようにマイナスイオンも発生されるという。
 そして、掃除機の先端部分(ゴミを吸い込むところ)にカーペットを叩く部品(馬の毛製)が取り付けられていて、モーターで強制的に回転させている。なかなかのすぐれものだ。
 「普通の電気掃除機を買うんだったら、一番安いのを毎年買い換えて下さい。でないと、掃除をしているという満足感しか得ることが出来ません。事務所のカーペットにいるダニの死骸やハウスダストは、今までの掃除機だと、ただカーペットの中に押し込んでいるだけにしかなりません。」
 実験の結果をみて、社長はその掃除機を自分で買うことにした。普段は事務所に置いておき、時々持って帰って自分のマンションでも使うとのこと。

 営業マンが帰った後、社長の許可を得て今までの掃除機を分解して、ファンモーターの後ろにあるフィルターを外そうとした。悪戦苦闘して、最初のカバーを外し、上部のカバーを取ろうとしたがどうやっても外れない。見えないところでしっかりと留められていて、中まで到達できない。少し出来た隙間から中を覗くと、何と!ファンモーターとフィルターが円筒状の金属製カバーの中で一体化している。「えぇ~?駄目だ、こりゃ!」と叫んだら、珍しく社長がコーヒーを入れてきてくれた。
 コーヒーを飲みながら、社長と話をしていた。
 「掃除をしたという満足感だけしか残らない掃除機って、聖公会の司祭たちみたいだな。聖餐式をしたっていう満足感だけだろ?彼らは‥‥‥」
 いやぁ、参ったな。普段は何も聞いていないし、考えていないと思っていた社長が、結構関心を持っていたことを知って驚いた。

 確かにそうだ。彼らの礼拝=聖餐式には、気合いが入っていないんだろうな。自分のためだけに聖餐式をしているのか? 昨夜、友人がH司祭の最後の説教というのを送ってきてくれた。例の児童に対する性的虐待をした司祭のことだが、1988年3月に事件のあった奈良県の教会から京都に転任してきていたのだが、そこを辞めて金沢の教会へ転任するときの説教が送られてきた。大阪高裁の判決がでる直前だ。
 読んで呆れたよ。
 1983年から1988年まで、児童に対する性的虐待をしてきたことなんぞ、まったく気にかけていないんだな、この司祭は。まぁ、人間なんてのはそんなものかもしれないが、少なくとも司祭がそれをしちゃ、教会は終わりだよな。そして、最高裁で上告棄却が決まってから一年経っても「事実無根」を叫んでいるそうだが‥‥‥‥
 「いままでの掃除機と同じだな、彼らは聖餐式をしているという満足感だけで聖餐式をしているんだろうな」という社長の言葉が耳にこびり付いて離れない。ってことは、H司祭だけでなく、自らの判断ミスを謝罪していない主教も同じことなんだろうな。

 で、帰り際に社長がマジな顔して俺にこう言った。
 「マイナスイオンでイライラやストレスを解消して、仕事に頑張ってくれな。あの掃除機、ホースを抜いてスイッチを入れておくとイオン発生器になるんだそうだ。」
 給料を上げて、休みを増やしてくれりゃ、イライラもストレスもなくなるんだけどな。まぁ、しゃぁねぇな、社長のかわいい孫に免じて赦してやるか。
 もうすぐボーナスだな。