とりあえず、高地主教と常置委員を審判邸にかける必要があると思う。理由は「偽証」「被害者に対する差別」です。被害者6人のうち4人に関する加害行為を、原田文雄司祭の居所にまで押し掛けて、原田文雄司祭に認めさせておきながら、残りの2人に関しては「原田文雄司祭が否認している」という理由からこの2人に関してはそれをしていない。6人目の被害者に対しても、はじめは原田文雄司祭は否認していたのではないのか?
これに関しては極めて重大な問題が隠れている。同じ被害を受けている女性に関して、高地主教と常置委員は明らかに差を付けている。その理由もまた審判廷で明らかにされなければならないだろう。この理由が見えてくると、もしかしたら2001年以降の日本聖公会京都教区の問題性も明らかになるはずです。武藤主教は何故辞表を返してしまったのか。古賀司祭は何故被害現場で、被害者が地図まで書いて説明している場所と異なった方向を撮影した写真を裁判所に提出したのか。裁判記録に残っている両者の地形は異なっていると、裁判記録を閲覧した友人が言っていた。これに関しては、裁判所では問題にならなくとも、教会の法廷では明らかにしなければならない。「汝、偽るなかれ」という十戒の規定は、刑事裁判における偽証だけを問題にしているわけではない。
この審判廷を審判廷を日本聖公会の管区が開廷するかどうかは、日本聖公会が教会法をどれだけ重んじているかということを示すバロメーターだ。日本聖公会の管区は審判廷から逃げることもできる。主教会がどう判断するか二かかっているのだが、そうした意味からすれば、日本聖公会の現職主教が教会法をどう考え、原田文雄司祭の加害行為をどう考え、日本聖公会京都教区の実に不誠実な対応に関してどう考えているかということもそれで明らかになる。
日本聖公会京都教区の主教と常置委員を審判廷にかけたらいい。いや、審判廷で明らかにしなければならない。審判廷以外では懲戒することが出来ないのだから、審判廷を開かなければ彼らの責任を明らかにすることが出来ない。もし、管区が審判邸を開廷しなければ、管区は原田文雄司祭の性的加害行為までもを無視することになってしまうように思える。これが、ここの仕事場での統一見解だ。そろそろ、コーヒーとケーキで一年の慰労会が始まる。酒は出ない。小生以外は誰も飲まない。日本聖公会の聖職者は少し酒を断った方がいい。