いいたい放題

 右でも左でもない風来坊が、社会・経済・政治などの問題について、
好き勝手に、支離滅裂に、傍若無人に書き込むブログ

「糾す会」から再度伝言

2007-11-17 | Weblog

 モデムの動作不良で交換修理だそうです。
 保証期間ギリギリだったそうで、運が良かったですね。

 19日(月)の午後3時に新しいモデムが到着するそうです。
 それまでは、メールの送受信もHPなどの閲覧も出来ないそうです。

 ご理解の程、よろしくお願いします。

「糾す会」からの伝言

2007-11-17 | Weblog

 「糾す会」からの伝言です。

 モデムの電源が入らなくなりました。復旧に勤めていますが、最悪の場合はモ

デムの交換をしなければなりません。そのためには、少なくとも数日はかかると

思います。ご理解、ご協力、よろしくお願いします。

ナチズム

2007-11-16 | Weblog
 「糾す会」の「日本聖公会 京都教区 教区会 代議員の皆さんへ」という題の文書、私も読みました。この文書、各教会宛に送られているそうで、各教会の信徒代議員に渡されるかどうか、「糾す会」は心配していらっしゃるようですね。自分たちにとって都合の悪い事件や文書を隠蔽するのは、中国共産党や北朝鮮労働党が得意ですが、まさか日本聖公会京都教区がそれをするとは思えません。彼らは「粛正」という殺人さえしてきたのです。ソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)も同じことをしてきましたよね。労働刑務所へ送られるのはまだいい方で、「国家反逆罪」のレッテルを貼られる前に消された人もいました。

 日本聖公会京都教区があの「糾す会」の文書を握りつぶしたら、ある意味では中国の社会主義とも同じことになってしまいます。都合の悪い文書や人物は、握り潰したり消してもいいと考えているのが中国共産党であることは、既に明らかにされています。北朝鮮は、それ以上に厚いベールに包まれています。横田めぐみさんの拉致に関する情報は徹底的に隠蔽されています。ですから、わずかに漏れ伝わってくる情報だけしか日本には伝わってきません。同じようなことを日本聖公会京都教区がするとは思えません。主教制度は使徒職の継承に関わることであって、主教がすべての権力を持つことではありません。

 しかし、現在の日本聖公会京都教区主教だと、何をするか判らないので、日本聖公会の一部ではかなりそれを怖れている人々がいらっしゃるようです。それもそうでしょうね。11月23日の教区会を前に、京都教区の一部の司祭たちは、2ちゃんねるへの書き込みをしなくなりました。おそらくどこかからか指令が出たのだろうというのが、うちの事務所の大方の意見です。しかし、その指令の理由は何だったのでしょう。2ちゃんねるの掲示板は今でもそのまま残っています。

 日本聖公会は恐ろしいことを平気でする教派のようです。それも信じられないようなことです。「昔は、子供の時に片親になった人は司祭になれなかった」と小学生の時に母親が病気で亡くなった人に対してへいきで発言するような人が主教になっているのです。一人では日常生活に不自由な病気の奥さんを子供と一緒に実家に帰し、単身赴任を打診するような教派です。こうしたことは、聖職の中だけにあるわけではありません。信徒の中にも同じような感覚を持っている方々がいらっしゃるようです。これは間違いなく事実です。私は、何回もこのことについて確認しました。しかも、こうした事実を知っていながら、他の聖職たちは一切口を噤んでいるのです。

 日本聖公会の中では、中世封建制度が確実に生きているのではないでしょうか。最早、彼らは人権も自由も平和も語ることが出来ません。「あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。兄弟に向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか。偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる。」(マタイ.7:3以下、日本聖書協会『新共同訳聖書』)

 「糾す会」や被害者とそのご家族を支援する人々に対する誹謗中傷を繰り返す日本聖公会京都教区の主教や司祭に、この聖書の御言葉を贈ります。事件は、現職司祭による準強制わいせつが、複数の女子児童に対して行われ続けていたということなのです。裁判記録を閲覧された方々の報告を読めば、すぐに判ることです。いや、それ以前に日本聖公会京都教区こそが裁判記録を閲覧しなければならなかったのではないでしょうか。
 そして問題は、こうしたことが日本聖公会京都教区だけに限られたものではなということです。他の教区でも、使途不明金問題や幼稚園の会計からの無断借用、あるいは教区資金の不正使用などがあちこちで起こってきたのではないでしょうか。沖縄の問題の時は、それを記事にした『聖公会新聞』の編集長が解雇されました。あるいは、別の教区では、ある日突然、幼稚園の子供たちの前に園長である司祭が女装で現れ、「今日から女になりました」と言ったそうですが、これに対して、日本聖公会は何の議論もしていないと聞いています。黙認です。私が知る範囲では、「性同一性症候群」だとのことですが、精神科医の診断書はあるのでしょうか。「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」に合致することなのでしょうか。日本聖公会では、こうした事例を問題にしていないということは、戸籍上は同性である二人の人物の結婚式を、教会はすることが出来るとお考えなのでしょうか。

 きちんとした神学的な議論を遮り、一方的な議論だけを受け容れ、結局は教会として無秩序になっていないでしょうか。

 取りあえず、11月23日の日本聖公会京都教区の教区会に関する「糾す会」の文書を秘匿したり、回収することはお止め下さい。ただ、「やったらいいよ」という意見の方もいることは事実です。「やったら、キリストの教会であることを自ら否認することになるから」という説明が付いていますが。

加害者を怖れているというのは本当ですか?

2007-11-11 | Weblog

 2ちゃんねるという掲示板に、京都教区がFH司祭に脅かされていると書かれています。謝罪したら不祥事をぶちまけるとか、ずっと常置委員だったから何でも知っているとか、おまけに暴力団が絡んでいるというようなことまで書かれていますが、本当なのでしょうか。信じたくないですね、こういうことは。2ちゃんねるですから、信憑性は低いと思われるのですが、もしそうだとしたら、日本聖公会として大変なことではないでしょうか。
 掲示板に、9日の深夜から何も書かれていないので、不審に思った人がその理由を質したら、前述のことが書かれているからだとコメントが記されています。

 しかし、もし2チャンネルに書かれていることが真実だとしたら、日本聖公会はとんでもないことをしていることになりませんか。確かに、いくつかの不審な情報は流れています。どちらにしろ最悪の事態であることは、どなたにもお判りいただけていることではないでしょうか。

 あるブログで、<日本聖公会>で検索したら、新しいブログが出来ていました。現在は、昼過ぎに読んだものが修正されたものしか残っていません。はじめの文章はかなり過激でした。「糾す会」の情宣活動が功を奏しているみたいです。
 現職司祭による準強制わいせつ事案に対して、日本聖公会京都教区はまったく不誠実な対応しかしておらず、被害者とそのご家族が教会を離れてしまわれたのです。この現実を高地主教や古賀司祭はどのようにお考えになっていらっしゃるのでしょうか。私には不可解です。最高裁の裁定に対して「冤罪」という言葉を用いて反対したようですが、原田文雄司祭の準強制わいせつを事実だと認めて「謝罪の記者会見」を開いた段階で、何故事件の真相をはっきりとさせ、原田文雄司祭を審判廷にかけなかったのか。それを考えると、2ちゃんねるに書かれていることが全部ではないにしても、当たっている部分があるようにも思えます。

 何故、日本聖公会の管区はこれをお調べになろうとしないのでしょうか。私には不思議でなりません。一般的には、こうした事案の場合、企業であれば本社がしっかりと調査し、判断をするのではないでしょうか。主教会は何故発言されないのでしょうか。日本聖公会は恐ろしいくらいに不透明な宗教教団なのですね。準強制わいせつは、聖書的にも犯罪です。その犯罪を犯罪として認められない日本聖公会京都教区は、日本聖公会の綱憲をどうお考えなのでしょうか。
 加害者を怖れてどうなるのですか?
 私たちが怖れなければならないのは、神の言葉に対してではないでしょうか。信仰はそこにかかっているのではないですか?聖書の御言葉よりも重みを持った基準が日本聖公会にはあるのですか?

これでも京都教区は

2007-11-09 | Weblog
 最近になって、何人もの方々が裁判記録を閲覧して、その内容を報告していらっしゃいますが、これでも京都教区はご自分たちの過ちに気が付かれないのですか?「糾す会」の方々は、一銭に得にもならないことを自腹を切ってやって来たのですよ。そして、ビラまきをするに当たって、初めてカンパを呼びかけられたのです。そして、極めて穏便に原田文雄司祭のしたことを語ってきていらっしゃったのではないのですか?現実は極めて陰湿なことだったのではないですか?

 私は「糾す会」の方々にお会いしたことはありませんが、<キリスト教カルトを斬る>のTERAさんは、お会いしたことがあるそうですよ。誠実で、敬虔な方々だと言っていました。それに比べると、京都教区の対応は悲惨過ぎませんか?被害者とそのご家族は教会を離れる宣言をされ、教会からの郵送物はすべて送り返していらっしゃるそうですね。こうした現実を他の信者さんに黙っている理由は何なのですか?

 もういい加減で京都教区は自らの過ちをお認めになられた方がいいのではないかと思います。信者さんが可哀想ですよ。そのうち、京都教区内の信者さんが挙って声をあげ始めますよ。事と次第では、「陪餐停止」ではなく「陪餐拒否」をされる信者さんが出てくるかもしれませんし、実際には教会へは行かないという仕方での「陪餐拒否」ということをされている方は既にいらっしゃるかもしれません。

 クリスチャンが陪餐拒否することは、教会にとって大問題なのではないでしょうか。教会がしている聖餐式を聖餐式として認められないと言うことですから。それとも、京都教区はご自分たちが何をしていようと、日本聖公会の教会は"ex opere operato"が教会の根底にあり、"ex opere operantis"ではないのだから、現在でも聖餐式は間違いなく聖餐式だとお考えになっていらっしゃるのでしょうか。それとも、日本聖公会京都教区は何も間違ったことはしていないとお考えなのでしょうか。

お知らせ

2007-11-08 | Weblog
 このブログの本文ないしコメント欄を当方の許可なくそのまま掲示板に転載された方がいらっしゃいますが、是非、削除していただいて下さい。削除依頼をすれば、削除していただけるはずです。よろしくお願い致します。
 なお、このようなことは二度となさらないで下さい。このブログ内の文章などを、他のサイトに当方の許可なく転載することは一切禁止いたします。次回、このようなことが行われた場合には、著作権の侵害とみなし、それなりの法的手段を講じます。
 また、このブログ内の文章などを許可なくプリントアウトなさらないで下さい。
 ご理解の程、よろしくお願い致します。

 なお、このブログに引用している「糾す会」からのメール及び既に出版されている書籍からの引用に関しては、その出典を明らかにしていますので、著作権の侵害には当たらないと考えております。

勝手に誤解しないで下さい

2007-11-06 | Weblog
>風来坊さんは? すべての牧師は逃げないでくださいよ。
>高級車に乗るそのお金、別の使い道なかったんですか?
>好きな本をたくさん買うそのお金、他に必要なところに
>回せなかったのですか?

 たぶん私と私の友人を混同したんでしょうね。2ちゃんねるに前記のことが書かれていると友人が電話してきました。友人も困ってましたよ、あの車のことで。彼のブログに乗っていた車、1300CCの前駆の乗用車ですよ。それも中古のです。色が色だから高級車に見えたのかな。それも、彼の研究の支援者からもらったものだそうですよ。しかし、こういうことを書く人って、日本聖公会の聖職なのでしょうか。友人は笑ってましたが、誰が書いているか見当が付いているみたいです。「糾す会」の一斉メールに名前が出てきている聖職者じゃないかってね。

 コメントに関しては、TERAさんがいろいろ書いて下さっているんですが、引用した書き込みを2ちゃんねるに書く時間があったら、主教や常置委員にもの申した方がいいんじゃないですか?やってることはデタラメでしょ?裁判をほとんど傍聴せず、裁判記録さえ読まずに、準強制わいせつ事案を検討してあの「謝罪の記者会見」をしたんですよね。信じられませんよ、常識的に考えて。それでいて、被害者に京都教区として正式に謝罪していないでしょ?

 こう言っても判らないだろうな、前記の書き込みを2ちゃんねるにした聖職者には。彼奴は月に一回は軽自動車で東京を往復していたが、それを心配した方が、あの車を提供してくれたんだけどな、知らないで不注意な発言をしない方がいい。今どき、1300CCの普通車が高級車か?雪の山道を軽自動車で走ったことがあるのか?
 それと、たぶん彼奴のブログに書かれていた全集のことを言ってるんだろうな。あの全集を丹念に読んで分析してるんだよ、彼奴は。そうでもしなきゃ、社会問題の実態が見えないからだ。研究するってことはそういうことだろ?表面的なことだけで、社会現象は分析できないんだよ。そう言えば、日本聖公会の聖職たちも、かつては原発反対運動をしていたよな。どうなったんだ?在日の人々に対する歴史的問題や社会的差別を主張していたんだが、何で黙ってしまったんだ?そして、「他に必要なところに回せなかったのですか?」って大きなお世話だろ。それとも、京都教区の聖職者たちの酒代に回せッてことなのですか?彼奴の住んでるところじゃ、車がなければ何もできないそうだぞ。一日に200キロくらいは平気で走るらしいからな。峠道を50ccのバイクじゃ超えられないですよ。
 私の愛車はチャリです。格好いいマウンテン・バイクです。都会には似合わないけど、近くのホームセンターで安売りしてたから買っただけです。事務所の車を時々運転することはあるが、東京で車に乗るのは渋滞しているからあまり好きじゃありません。

 そうそう、そう言えば、某教区のお偉方だった人、繁華街の近くで巻き込み事故を起こしたことがあったそうですね。教会員にも、他の聖職にもひた隠しに隠していたそうです。事故そのものは大したことはなかったんだそうですが、人身事故は実質的に免許停止になりますよね?その間は、誰かを運転手代わりにしていたそうです。
 事故は起こそうとして起こしたものじゃないだでしょうからそれを責めるつもりはありませんが、ひた隠しに隠したことは、京都教区の準強制わいせつ事案が解決されていないことをひた隠しに隠していることに似ていますね。だから、FH司祭の事案に関しても既に解決されていると思い込まされている信徒が多いそうですね。最悪ですよ。隠蔽しようとしていたんでしょうね。聖職者の権威が失われたから困るからですか?それとも他に何か理由があったのですか?

 2ちゃんねるの<【Anglican】聖公会8【Episcopal】>というスレッド、なにやらきな臭くなってきていますね。書き込みしてるのは、聖職者たちばかりみたいですが、自ら墓穴を掘るような書き込みはしない方がいいように思えます。現職司祭による準強制わいせつ事案など、どう言い訳しようが、隠蔽は不可能です。それを擁護しようとしている「サヨク」司祭たちの質も問われてしまうのではないでしょうか。

 最後にもう一度書いておきます。
 私を友人と混同しないで下さい。私は東京都の住人です。石原都知事の政策を支持しています。東京は20年前と比べると、年々社会福祉も向上しています。美濃部都知事時代・青島都知事時代よりも確実に進歩しています。水は思いっきり不味いですが。あとは、東京都内にいる人の中で、社会的差別を受けている方々の問題を石原氏がどう考え、どう対処していくかということでしょう。聖公会は関心がないみたいですが、都庁のお膝元にもホームレスの方々が大勢いらっしゃいます。


無性に気になるので

2007-11-05 | Weblog
 2007年10月22日に「第九条の二」と題して書いたものに対する、momoさんという方のコメントに、無性に気になることがあるので、あえて全文を提示して、それぞれに反論を記させていただきます。

 ※引用文は、原文をコピーしています。
  文字列はすべて原文のままです。ご不審の方は
  「第九条の二」のコメントをご覧下さい。

>なんだか、風来坊さんは自分の考えより劣っている者、
>間違っていることを極端に悪く書きすぎていますね。

 この書き出しでmomoさんがどなたか、おおよそ見当が付きました。
 どこが極端に悪く書いているのか判りません。神学的、あるいは一般通念上おかしいと思われることについて反論すると「極端に悪く書きすぎ」ることになるのでしょうか。しかし、議論というのは徹底的に議論することが大事なことですし、ことに神学論争はある意味で命がけでしてきたのが、キリスト教会の歴史ではないでしょうか。フスは殺されましたが、同じようにルターが聖書を翻訳しても殺されなかったのは、フスが間違っていて、ルターは正しかったからでしょうか。神学論争の後ろには必ずと言っていいほど、政治的社会的力が存在してきたのではないでしょうか。それを徹底的に検証しない限り、神学が神学として成り立たないばかりか、弱い人々を死の淵に追いやってしまいます。

>ここまで他者のことを悪く書きすぎると、問題をよく知
>らない人が間違った認識を持ったり、解決しなければな
>らない問題がかえって混乱してますますこじれてしまう
>と思います。

 原田文雄司祭の準強制わいせつ事案に関しては、こうした考え方が被害者とそのご家族を苦しめているのではないでしょうか。「問題をよく知らない人が間違った認識を持ったり」と書かれていらっしゃいますが、私がどの程度知っているかということをmomoさんは想像でしかご存知ないはずです。どうしてこのように断定できるのでしょうか。また「解決しなければならない問題がかえって混乱してますますこじれてしまうと思います」とお書きになっていらっしゃいますが、問題を混乱させたのはどなたでしょう。初めから問題を隠蔽しようとされたのはどなたでしょうか。

>どちらの教会に属しているかわかりませんが、どこの教会
>にもそれぞれ問題があり、解決しなければいけないことが
>山積みだと思います。

 だから何だとおっしゃりたいのですか?
 他の教派にも問題があるから、日本聖公会にも問題があってもいいということでしょうか。他教派で同一の事件があったときは、即座に聖職は教会を辞任し、教会の職を退きましたよ。

>キリスト教が主流ではない日本では様々な困難があります。

 当然ですよ、こんなことは。

>現代社会の様々な問題もあります。

 申し訳ありませんが、聖公会の聖職の方にこれを言われたくありません。日本聖公会の方で、真剣に社会の問題と取り組んでいらっしゃる方が何人いらっしゃいますか?表面的な関わりならば、誰でもしています。心底、社会の問題に関わっている方がどれだけいらっしゃいますか?いろいろな情報を私も得ていますが、沖縄の問題を考える時には「日米同盟」が当然問題になりますし、沖縄の歴史も深く関わってくると思うのですが、「日米同盟」に関して、その是非をはっきりと表明していらっしゃる方はほとんどいらっしゃらないのではないでしょうか。あるいは、韓半島の政治情勢も沖縄問題には極めて大きな要因になっていると思われるのですが、北朝鮮の拉致に関して、聖公会はどのようにお考えなのでしょう。また、中国は明らかに軍事大国になっていますが、そのことと沖縄をどう考えていらっしゃるのでしょうか。
 そうした問題をトータルに考えることなく、表面的な言動をしていらっしゃいませんか?そして、「現代社会の様々な問題もあります」というご発言は、私にとっては原田文雄司祭の準強制わいせつ事案から周囲の目を逸らさせようとしていることにしか聞こえてきません。

>もちろん、原田司祭の事件は決してあってはならない犯罪
>であって、きちんと罪を償わなければなりませんが、当事
>者でない者が必要以上に騒ぎ立てるのは、私は良くないこ
>とだと思います。

 はっきり申し上げます。あなたは問題の深刻さをまったく理解されていません。被害者は、当時、まだ12歳以下の児童だったということです。この12歳以下の児童に対する性犯罪を、世界は今、どのように考えているかとうことを、インターネットをされているのでしたら、是非情報を集めてお読み下さい。この事案の深刻さがはっきりします。「当事者でない者が必要以上に騒ぎ立てる」とおっしゃいますが、当事者が何も発言しない、謝罪もしないから、「糾す会」が活動を続けていらっしゃるのではないでしょうか。

>いったいあなたは何がしたいのですか。教会が良くなるた
>めの祈り、行動を、これだけ批判しているのですから何か
>起こしているのですか。

 これに関しても、私はまったく理解不能です。「教会が良くなる」ということは、みんなが事件を忘れて、事件をお蔵入りさせることですか?既に、最高裁で上告棄却・不受理で結審されている事案に関して、あなたの教会は、被害者ために本当に祈っていらっしゃるのですか?私には信じられません。本当に祈っていたら、既に問題は解決しているはずです。「行動を」とのことですが、何人の方が裁判記録を閲覧にいらっしゃいましたか?裁判記録を閲覧しても、被害者個人を特定できるような発言をしなければ、閲覧することは、この問題を考えるためには重要なことではないでしょうか。被害者の主張と加害者の主張の双方を聞くことによって、初めて問題を考えられるにもかかわらず、京都教区の聖職の方々で裁判記録をお読みになられた方は何人いらっしゃるでしょう。私は、裁判所まで一日で往復することが出来る距離には住んでいないので、なかなか行くことが出来ませんが、裁判記録をお読みになられた方から直接お話をお伺いしたり、メールを頂戴したりしています。そして、実際に何があったのかということについて、高裁は何を認定しているかということも知っております。
 それから、私が何か「起こしている」のかというご質問ですが、法律に触れない限り、何をしようと私の自由ですし、あなたにとやかく言われる筋合いはありません。朝昼晩、必ず被害者とそのご家族のために祈っていることだけはお伝えします。

>私には単なる週刊誌やマスコミがやっていることと同じよ
>うにしか見えません。

 呆れてものが言えません。あなたは週刊誌やマスコミは興味本位にでも記事を書いているだけだとお考えなのでしょうか。あるいはニュースなどを報道しているだけだとお考えなのでしょうか。裁判記録を読みに行くこともせず、さりとて加害者と直接お話をすることもなく、被害者のお父様とお会いして来ることもなく、何を真実の情報だとお考えなのでしょうか。幸いなことに、被害者の法定代理人の方のご報告がメールで送られてきていますが、私にとっては重要な資料の一つです。

>色々意見を申しましたが、私はこのブログを読んであまり
>にも過激すぎで、あなたが訴えれば訴えるほど、訴えられ
>た側は離れて行ってしまっているように思うのです。

 教会は「耳障りのいい話をする」だけのところなのですか?
 「だれも健全な教えを聞こうとしない時が来ます。そのとき、人々は自分に都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め、真理から耳を背け、作り話の方にそれて行くようになります。しかしあなたは、どんな場合にも身を慎み、苦しみを耐え忍び、福音宣教者の仕事に励み、自分の務めを果たしなさい。」(新共同訳 テモテII 4:3以下)
 「訴えられた側」というのは加害者と、それを擁護しようとした人々であれば、「離れて行ってしま」っても当然かもしれません。いや、逃げ出そうとしているのではないですか?しかし、それが被害者とそのご家族を苦しめ続けていることは、「糾す会」の方々がはっきりと報告されているのをご存知ないのでしょうか。

>仮に、聖公会をどんな教会にしたいのでしょう。聖公会で
>も正しい人、きちんと死した司祭はいると思います。そん
>な人たちまで哀しいいやな思いをさせる必要があるのでしょ
>うか。

 哀しい想いをさせているのは、私ですか?それとも京都教区の主教や常置委員ですか?そんなことよりも、被害者の悲しみ・苦しみ・痛みを何故お考えにならないのですか?被害者とそのご家族から出されている二つの要望について、なぜ早急にそれを実行なさらないのですか?
 この二つの要望は、今さらご説明することもないと思いますが、決して難しいことではないと私には思えるのですが、いかがでしょうか。
 また聖公会をどうこうしようという気は私にはありません。ただ日本聖公会の教会が、被害者とそのご家族に対して誠実に謝罪して下さることを願っているだけです。

 私は沈黙しません。被害者の要望が聞き入れられるか、私の命が消えるまでは沈黙しません。あしからずご了承下さい。

 お申し出がございましたので、「忌憚のない」私の考えを述べさせていただきました。

日本聖公会の認識の甘さ 続

2007-11-03 | Weblog

 「糾す会」からのメールにこんなことが書かれていました。

>皆さん!京都教区(主教・常置委員会)から委任を受けた
>弁護士(植松繁一・鈴木治一)から9月27日に通知書が届きました。

>桃山教会(高地主教の出身教会及びセクハラ委員会の佐々木靖子氏   
>の在籍教会)に配布した((9月2日)文書の中に

>① 被害者の関係者(父親)から聴聞した話を「捏造」した
>  と書いたのは名誉を毀損する記載である。

>② 高地主教が原田文雄司祭を無罪放免のような処分に留めている。
>  京都教区があたかも時期を見計らって牧師に復職させることが出  
> 来る状態に留保している。と書いたのは性的虐待事件に対して京都
> 教区が擁護しているかのような記載であり、虚偽の風説を流布して
> いることになる。
> と通告し、教会、事務所等々に電話、メール等を送ることは日常業
> 務の妨げになり、平穏を求める一般信徒への影響も懸念される。

>今後教区内の教会他の諸施設への貴殿の意見の開陳や文書の配布を目
>的とした立ち入りを一切禁止する。

>と以上のような通告がありました。
>今後本気で名誉毀損、業務妨害等々をこじつけて提訴してくることも
>考えられます。

 「平穏を求める一般信徒への影響も懸念される」という一節に、私は驚きを隠せません。被害者やそのご家族は日本聖公会京都教区の信徒だったのではないでしょうか。主教さんや司祭さんはご自分たちの教区内の信徒の方々を守ることが最優先されるのであるとしたら、何故、被害者とそのご家族をお守りになられなかったのでしょうか。「平穏を求める一般信徒への影響も懸念される」という言葉は、弁護士さんのものなのでしょうか。
 あるいは、被害者とそのご家族は既に教会を離れる旨の宣言をなさっていらっしゃるようですが、日本聖公会の当該教会の信徒名簿から、お二人を除籍なさったのでしょうか。もし除籍なさっていないのだとすれば、「一般信徒」の中に被害者とそのご家族は入っていらっしゃらないのは何故なのでしょうか。
 問題になっているのは、日本聖公会の信徒である女子児童への現職司祭による準強制わいせつ事案と、それに対する京都教区主教及び司祭の対応です。だとしたら、「平穏を求める一般信徒」という言葉には、被害者とそのご家族は入っていないことにならないでしょうか。これは実に由々しき問題です。宗教法人もまた、日本の国法によってその利益を享受している団体ですから、当然、日本の法律の枠組みの中にあるわけですから、法律が犯罪であると規定していることに対して、それに違反した事案をどう処理するかということもまた、極めて社会的な問題であることは間違いありません。ある宗教集団の中で「殺人」とも思えるような虐待が行われることに関して新聞は大きく報道しています。しかし、驚くべきことには、日本聖公会京都教区は、準強制わいせつ事案の被害者やその家族を無視している発言をし、結果として加害者を擁護してしまっています。
 こう書くと「擁護などしていない」と反論されるのでしょうが、しかし誰がどう考えても、「平穏を求める一般信徒への影響も懸念される」という一文は、日本聖公会京都教区が自らの内にいる信徒の一部を無視した発言であることに間違いはないと思われます。

 「① 被害者の関係者(父親)から聴聞した話を『捏造』した
   と書いたのは名誉を毀損する記載である。」

 とのことですが、「糾す会」が被害者のお父様ご自身から確認した内容を書き、それに関しては被害者の法的代理人の方もお認めになっていらっしゃることです。私としてはどちらを信じるかと言われたら、当然「糾す会」や法的代理人のご発言を信じざるを得ません。1月29日の文書は、被害者のお父様にファックスで送られたものとは異なるそうですね。そのファックスが残っているでしょうから、証拠はきちんと残っているはずです。

 「② 高地主教が原田文雄司祭を無罪放免のような処分に留めている。
   京都教区があたかも時期を見計らって牧師に復職させることが出  
   来る状態に留保している。と書いたのは性的虐待事件に対して京
   都教区が擁護しているかのような記載であり、虚偽の風説を流布
   していることになる。」

 原田文雄司祭に対する「陪餐停止」という「処分」は主教の判断でしかなく、日本聖公会法憲法規に定められている懲戒処分ではありません。

日本聖公会法規
 第197条 日本聖公会に所属する教役者または信徒は、この法規
      その他の日本聖公会の法規に基づく審判廷の審判によら
      なければ、懲戒されない。

 そして、教区主教はこの法規を超えて懲戒できることは、私が読んだ限りではどこにも記されていないように思えます。つまり、高地主教が決定した原田文雄司祭に対する「陪餐停止」は、ある意味ではこの法規第197条に違反していることになります。とすれば、教会に置いても、教会法に違反した裁定は向こうですから、原田文雄司祭が陪餐したとしてもそれを罰することは出来ないはずです。これは、日本聖公会だけでなく、古い時代から教会が維持し続けてきた教会法に対する考え方ではないでしょうか。

 前記の②に、
 「京都教区があたかも時期を見計らって牧師に復職させることが出  
  来る状態に留保しているかのような記載」
 とありますが、原田文雄司祭に対する「陪餐停止処分」は法規の規定からして無効であることを弁護士さんはご存知なのでしょうか。そして、ここに、この事案とそれに対する対処に大きな問題があるのではないでしょうか。
 日本聖公会法憲法規に抵触した処分を高地主教はしているわけですが、そのことに関して日本聖公会主教会はどのようにお考えなのでしょうか。日本聖公会法規第201条では。聖職に対する懲戒は4つと規定しています。
 (1) 戒告
(2) 1月以上3年以下の職務の一部執行停止
(3) 1月以上3年以下の有期停職
(4) 終身停職
 この中に、「陪餐停止」はありません。

日本聖公会法規
 第198条 聖職は、その行為または一定の行為をしないことが次
      の一に該当するときは、懲戒を受ける。
 (1) 綱憲、日本聖公会法憲、この法規その他の日本聖公会の法規
   の規定に違反すること。
(2) 聖職按手式において約束したことに違反すること。
(3) その他著しく不道徳または不正であること。

 この(1)も無視されていないでしょうか。第197条の規定にない「懲戒」が為されています。どうしてこうしたことが平然と罷り通っているのか、私には理解不能です。日本人特有の「なぁなぁ」=「馴れ合い」ということなのでしょうか。もしそうだとしたら、2000年近い教会の歴史を無視していることにならないでしょうか。また、教会の教理を守り続けてきたキリスト教そのものに対する謀反にならないでしょうか。外から見ると日本聖公会は、その内側に極めて極端な仲間意識があるようです。そして、意見が分裂すると、多数派が少数派を誹謗中傷することは、インターネット上の掲示板などで明らかです。しかし、現職司祭による準強制わいせつ事案に関しては、ほとんどの司祭が沈黙しています。

 前述のメールには以下のようにも記されています。
 「、①については高地主教さまが本年1月に父親に中間報告の文書
 を作成したいと接触され、何回かFAXでやり取りされ、改稿され最
 終的に父親が承諾されました。ところが1月29日に全国の教会に
 郵送された内容と父親が最終承諾された文面書き換え、支援団体を
 中傷(悪く言う)するような、即ち、私が騒ぎ立てるとか事実でな
 いことを流布しているというような中傷に書き換えたではありませ
 んか!」

 教会の歴史は、こうしたことを容認なさるのでしょうか。被害者のお父様が承諾された文書を書き換え、その書き換えた文書を被害者のお父様が承認していると記していらっしゃいますが、どういうことでしょうか。「FAXでやり取りされ、改稿され最終的に父親が承諾され」た文書については、公開されていないので私は見たことがありません。しかし、1月29日の京都教区主教の文書とは明らかに異なっていると、法定代理人が報告メールで述べていらっしゃいます。
 日本聖公会京都教区のこうした情況に対し、主教会や管区はいつまで沈黙を守られるおつもりなのでしょうか。

 このブログ、最近は100人前後の方々がお読み下さっていらっしゃるようです。その中には他教派の聖職の方々もいらっしゃると思いますが、是非、被害者のために声をあげて下さいますよう、お願いいたします。また、教会とはまったく関係のない方々も、現職司祭による準強制わいせつ事案に対する対応のおかしさを、日本国民のお一人として、声をあげていただければ幸いです。

日本聖公会の認識の甘さ

2007-11-01 | Weblog

 「糾す会」からのメールを読んでやっぱりという想いになりました。

>『聖公会新聞9月25日発行、9,10月合併号5ページ下に
>聖社連第48回大会の記事がありました。
>「日本聖公会社会福祉連盟」の大会のようです。
>この連盟は日本聖公会の社会福祉関係施設の集まりで、
>その長が「武藤六治主教」となっていました。
>10月にすでに大会は終わっています。

 犯罪を犯罪として認識できないのは、自分たちの正統性を強調してきたからなのでしょうか。主教の権威は、日本国憲法や法律を超えたところにあるとお考えなのでしょうか。原田文雄司祭がしたことは明らかに犯罪なのです。ただ公訴時効が過ぎてしまっているということに過ぎないのです。そして、その刑事事件に関して判断を誤ったことも、明らかに犯罪を擁護したことにしかならないのです。
 確かに、靖国問題や沖縄問題あるいは原発問題などで座り込みをして、道路交通法違反に問われれば、それを弁護するべきものは弁護しなければならないのですが、原田文雄司祭が犯した過ちは「準強制わいせつ」、しかも12歳未満の少女に対する「準強制わいせつ」です。それを、「事実無根」という加害者の言葉だけを信じて、加害者を復職させ、元通りの役職に就かせたのです。武藤主教さんは裁判所で裁判記録をお読みになるべきです。そして、あの時の判断が如何に間違っていたかということをしっかり認識していただきたいと思います。おそらくそれが、武藤主教さんを信頼し続けている信者さんに対するせめてもの罪滅ぼしなのではないでしょうか。そして、声をあげて下さい。あの時は間違っていたと。

 主教がすることは何でもかんでも正しいことなのですか?だとしたら、教皇無謬説を唱えた聖公会の神学的立場が崩れてしまうのではないのですか?それとも、教皇無謬説は否定して、聖公会の主教無謬説をお唱えになるのですか?私は今からでも遅くないと思っています。裁判記録をお読みになって、被害者とそのご家族に心から謝罪して下さい。日本聖公会の若い司祭さんの中で、武藤主教さんを信頼されていた方々もいらっしゃるはずです。あの司祭さん方のこれからの働きのためにもけじめを付けて下さい。
 何をどこで間違えたのか、武藤主教さんは既にお判りになっていらっしゃるはずです。少なくとも私は、かつての武藤主教さんのことを考えると、そう思えて仕方がありません。

 そして、そうすることによって日本聖公会に溜まっている膿をすべて出してしまわなければ、日本聖公会はあと何年、教会としての体裁を保つことが出来るでしょうか。兼牧の教会がここまで増えているのです。そして、教会員数の減少は簡単には止められそうにありません。だからこそ、この問題を一日も早く、しかし真の意味で解決をして再出発する必要があるのではないでしょうか。他にも日本聖公会が多くの問題を抱えていることえを伺っております。それらを極めて常識的に、そして日本の法律に則って解決されるべきではないでしょうか。私が耳にしていることが真実であるとすれば、既に財務省は動き始めているかもしれません。最近の公官庁は国会議員の圧力には屈しません。もしそれが発覚したら大変なことになるからです。ことに国税庁の管轄する問題にはシビアです。

 ある意味では、日本聖公会全体が悔い改めなければならないことなのではないでしょうか。原田文雄司祭の事件に沈黙している司祭さんたちの中には、胃が痛くなるほどの苦しみを負っている方もいらっしゃると思います。声をあげられない苦しみです。黙っていなければならない苦しみです。そうした後輩の司祭さんたちのためにも、声をあげて下さい。最早、それしか解決への糸口はないように思えます。
 僭越ながら、武藤主教さんのためにもお祈りさせていただいております。