いいたい放題

 右でも左でもない風来坊が、社会・経済・政治などの問題について、
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それにしても不可解だ

2011-05-22 | Weblog

 先日、例の刑事裁判の後半が開かれて、証人尋問が行われたそうだが、被害者は傍聴していなかったそうだ。傷害に関する刑事裁判を被害者は何故傍聴していなかったのだろう。こうした事案に関する裁判の多くでは、被害者が傍聴していることが多いのだが、それが不思議でならない。特に、先日の証人は被害者を最初に診断した医師なのだから、大いに被害者に関係のある人物なのだが、その証言内容を聞こうともしないというのはどういうことだろう。

 それだけではない。この裁判に対する被害者の意識も問われてしまう。自分に危害を加えた人物を告発したからあの裁判が行われているのにも拘わらず、被害者は何故それを傍聴していないのか。そして、第一通報者である京都教区主教も傍聴していなかったそうだが、裁判官の心証はどうなっているか心配にならないのだろうか。

 先ほど、天狗と電話で少し話をしたのだが、「彼らは刑事裁判の意味を知らないかもしれない」と言っていた。おまけに、「無罪判決が出たら控訴すればいいと思っているかもしれない」とさえ言っていたが、俺には信じられない。そうした事を知らないで、大学のチャプレンをしていたのだろうか。中学校の教科書にさえ載っていることだ。控訴するかしないかは、被害者が決めることではなく、検察が決めることだ。それとも、検察に圧力をかけられると自負しているのだろうか。

 例の証拠の改竄事案があって以来、検察はかなりピリピリしているという話が聞こえてきている。しかも、事件の内容は、現職の司祭だった人物が起こした、女児に対する性的虐待事案が絡んでいる。加害者とされている人物は、その事案に関する女児のご家族の法定代理人になっている人物だ。それだけに、検察もかなり慎重にならざるを得ないだろう。それにしても、被害者が裁判を傍聴せず、第一通報者の教区主教も傍聴していないとは、実に不可解だとしか言いようがない。

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