百聞は一見にしかず
習うより慣れろ
失敗は成功の元
「経験」に基づいて生まれた慣用句は数多くあります。先人達が生きていく上で会得した、最も大切で下へと伝えたいメッセージとして、経験に関連する慣用句はたくさん生み出されたのでしょう。
経験という言葉について、「学生のバイブル」wikipediaで調べてみたところ、なかなかまとまりのよい説明文が載せられていたので、語彙力に乏しい自分故、そちらを参考とさせていただきながら、今日は経験について考えてみたいと思います。
『経験(けいけん)とは、想像や、情報を知識として知っているだけではなく、実際に単一あるいは複数の行為に参加あるいは行動を実践することによって、物事を理解したり、技術を習得したりすること』
まずトップに書かれていたのがこれ。当たり障りがなく、文句の付けようがありません。
『経験は、知識の前駆として習得する物である。それらは体験を通して培われる。経験を通じて得た知を、人は言葉ですぐに表すことはできない。(中略)更に経験の積み重ねによって、一定の範疇で物事の判断がつくことを「経験則(けいけんそく)」という。経験則が形成されるためには、成功・失敗を問わず膨大な経験をつむ必要があるだろう』
ここ、大事ですね。テストに出したいですね。
経験から得る知は、言葉で簡単に表すことが出来ない。これをちゃんとわきまえず、経験とは呼べないほどの経験だけで、大げさな表現を使えば傲慢な態度に出る人が最近(昔からなのかもしれないが)結構見受けられます。
経験とは、裏返せば常に謙虚でいるべしってことなのだけれど、まぁこれは僕だけのスタンスと言ってしまえばそれまで。でも謙虚=向上心に繋がっていると思います。いつも周りから学び、経験を積んでいく姿勢って大切かなと。
大学にいた頃、経験則という言葉を良く耳にしました。日常の生活ではあまり聞かない言葉で、経験とどう違うのかと不思議に思いましたが、固体と集合体という大きな意味の違いがあるのですね。
wikipediaではさらに、経験則についてこう掘り下げています。
『経験則になるほどに経験をつんでいる場合に、恐るべき効率を発揮する事がある。これらは非言語的な脳の活動によって行われると考えられており、また当人にとっても説明不可能な事が多い』
これは匠の技として紹介されています。
どんなことにも通用すると思います。
いかなる天才でも、経験を積んだ努力家には敵わない。「それでも天才の方が上だよ」とブー垂れることもあるかもしれませんが、それは努力が足りないだけに過ぎない、負け犬の遠吠え。だって天賦だけがものを言う、そんな世の中だったら悲しいじゃない。
剛速球を打ち返すのも、ギターの速弾きも、手で極上に薄くて滑らかな板を加工するのも、牡蠣の殻を瞬時に向いて身を取り出すのも、全部経験則が成し得る業。何でもそうだっつー話。
さきほど大学でよく耳にした、と書きましたが、実は数学や物理の分野でも、経験則は重要視されています。やや抽象的な話になりますが、研究者が発表した、ある研究に関する最適な数字の並びに対して、「なぜその数字が用いられたのか」と質問を受けた場合、「経験則に基づくものです」と答えたら、質問者はこれ以上何も文句は言えません。数学というお堅くて唯一の真理を追求する学問でさえ、経験で培われた、言葉では表せない匠の技に、抗うすべはありません。
これは一つに、この手の結果(研究者の弾きだした最適な数字の羅列)に対して、情報量が多すぎて一般化した数式を作ることが複雑で難解という、情報化社会だからこそ在りうる事象かもしれません。
例えば僕らが普段当たり前のように使う携帯やパソコン。通信技術を駆使して遠くの受信者へ、たくさんの情報をできるだけ正しく伝えるわけですか、僕らの打ち込んだ情報はまず変換され、信号として通信機器を経由します。この翻訳家のような役割を果たす変換器にはいろんな種類があって、各々たくさんの研究者が携わっているのです。
変換器の多くは、研究者が長年の年月を経て培った経験を活かしたマトリクスで構成されています。一朝一夕にてなるものではありません。さらには、今日発見された技術が明日も通用するかといったら、そうでもないのが情報化社会の末恐ろしいところ。僕らがデザインやコストの良し悪しで商品を選択している裏で、通信技術の進歩が、各社の栄枯盛衰を決定付けていることはあまり知られていません。
話が理系寄りになってしまいましたが、つまるところ、いくら全ての情報が電子化され、果ては甲殻機動隊のような電脳の世界が訪れようとも、経験がものを言うことはまず間違いありません。
知識の堆積だけでは、記憶の河口に州が出来上がるだけに過ぎません。その水面から盛り上がった土地に何を築くか、経験をどれだけ積むことができるか、そしてどれだけの技術を培えるか。
経験はいつでも身近なところに在ると思います。日々之精進、今日僕がこの文章を書いたことも、何かの糧になっていることと思います。そしてここまで読んでくださった皆様にも、貴重にしろ退屈にしろ何かの経験となってくれればと、僕は願っているのでした。
習うより慣れろ
失敗は成功の元
「経験」に基づいて生まれた慣用句は数多くあります。先人達が生きていく上で会得した、最も大切で下へと伝えたいメッセージとして、経験に関連する慣用句はたくさん生み出されたのでしょう。
経験という言葉について、「学生のバイブル」wikipediaで調べてみたところ、なかなかまとまりのよい説明文が載せられていたので、語彙力に乏しい自分故、そちらを参考とさせていただきながら、今日は経験について考えてみたいと思います。
『経験(けいけん)とは、想像や、情報を知識として知っているだけではなく、実際に単一あるいは複数の行為に参加あるいは行動を実践することによって、物事を理解したり、技術を習得したりすること』
まずトップに書かれていたのがこれ。当たり障りがなく、文句の付けようがありません。
『経験は、知識の前駆として習得する物である。それらは体験を通して培われる。経験を通じて得た知を、人は言葉ですぐに表すことはできない。(中略)更に経験の積み重ねによって、一定の範疇で物事の判断がつくことを「経験則(けいけんそく)」という。経験則が形成されるためには、成功・失敗を問わず膨大な経験をつむ必要があるだろう』
ここ、大事ですね。テストに出したいですね。
経験から得る知は、言葉で簡単に表すことが出来ない。これをちゃんとわきまえず、経験とは呼べないほどの経験だけで、大げさな表現を使えば傲慢な態度に出る人が最近(昔からなのかもしれないが)結構見受けられます。
経験とは、裏返せば常に謙虚でいるべしってことなのだけれど、まぁこれは僕だけのスタンスと言ってしまえばそれまで。でも謙虚=向上心に繋がっていると思います。いつも周りから学び、経験を積んでいく姿勢って大切かなと。
大学にいた頃、経験則という言葉を良く耳にしました。日常の生活ではあまり聞かない言葉で、経験とどう違うのかと不思議に思いましたが、固体と集合体という大きな意味の違いがあるのですね。
wikipediaではさらに、経験則についてこう掘り下げています。
『経験則になるほどに経験をつんでいる場合に、恐るべき効率を発揮する事がある。これらは非言語的な脳の活動によって行われると考えられており、また当人にとっても説明不可能な事が多い』
これは匠の技として紹介されています。
どんなことにも通用すると思います。
いかなる天才でも、経験を積んだ努力家には敵わない。「それでも天才の方が上だよ」とブー垂れることもあるかもしれませんが、それは努力が足りないだけに過ぎない、負け犬の遠吠え。だって天賦だけがものを言う、そんな世の中だったら悲しいじゃない。
剛速球を打ち返すのも、ギターの速弾きも、手で極上に薄くて滑らかな板を加工するのも、牡蠣の殻を瞬時に向いて身を取り出すのも、全部経験則が成し得る業。何でもそうだっつー話。
さきほど大学でよく耳にした、と書きましたが、実は数学や物理の分野でも、経験則は重要視されています。やや抽象的な話になりますが、研究者が発表した、ある研究に関する最適な数字の並びに対して、「なぜその数字が用いられたのか」と質問を受けた場合、「経験則に基づくものです」と答えたら、質問者はこれ以上何も文句は言えません。数学というお堅くて唯一の真理を追求する学問でさえ、経験で培われた、言葉では表せない匠の技に、抗うすべはありません。
これは一つに、この手の結果(研究者の弾きだした最適な数字の羅列)に対して、情報量が多すぎて一般化した数式を作ることが複雑で難解という、情報化社会だからこそ在りうる事象かもしれません。
例えば僕らが普段当たり前のように使う携帯やパソコン。通信技術を駆使して遠くの受信者へ、たくさんの情報をできるだけ正しく伝えるわけですか、僕らの打ち込んだ情報はまず変換され、信号として通信機器を経由します。この翻訳家のような役割を果たす変換器にはいろんな種類があって、各々たくさんの研究者が携わっているのです。
変換器の多くは、研究者が長年の年月を経て培った経験を活かしたマトリクスで構成されています。一朝一夕にてなるものではありません。さらには、今日発見された技術が明日も通用するかといったら、そうでもないのが情報化社会の末恐ろしいところ。僕らがデザインやコストの良し悪しで商品を選択している裏で、通信技術の進歩が、各社の栄枯盛衰を決定付けていることはあまり知られていません。
話が理系寄りになってしまいましたが、つまるところ、いくら全ての情報が電子化され、果ては甲殻機動隊のような電脳の世界が訪れようとも、経験がものを言うことはまず間違いありません。
知識の堆積だけでは、記憶の河口に州が出来上がるだけに過ぎません。その水面から盛り上がった土地に何を築くか、経験をどれだけ積むことができるか、そしてどれだけの技術を培えるか。
経験はいつでも身近なところに在ると思います。日々之精進、今日僕がこの文章を書いたことも、何かの糧になっていることと思います。そしてここまで読んでくださった皆様にも、貴重にしろ退屈にしろ何かの経験となってくれればと、僕は願っているのでした。
ギターもやっぱり経験ってデカイとよく思います。
がむしゃらにテクニックを磨いても、速弾きをものにしても、どんなに難解なフレーズを弾いても、なんだか経験者のシンプルなフレーズのほうが何十倍も魅力がありますもん。
でも、ずっと、がむしゃらにひたすら極めていけば、何年か先の自分には経験が絶対に付いてますよね。
そう考えるとなんだか不思議です。
そして、『天才』といえば冨樫先生ですよ 笑
やっぱりハンターは別格です・・・。
でも、白書やレベルEの経験があってのハンターですよね。
僕の中で、イチローと冨樫さんは天才努力型の最も恐ろしいタイプ。