自由広場

穿った独楽は廻る
遠心力は 今日も誰かを惹きこむ

2003年カリアゲ族。

2005-07-29 15:24:51 | なんとなくマンガ。
更新頻度が低くてホント申し訳ないです。どうも、南友親です。



うすた京介さんの影のヒット作「武士沢レシーブ」にて、こんな節があります。



「朝の通学時間―
 男も女も美女も次男もみんなが同じ場所を
 目指し 集まってくる
 
 そしてここは
 家での自分と
 学校での自分とが
 微妙にまじり合う
 時間―

 ゆえに
 
 ささいな事から思いもよらぬドラマが生まれたり
 する―」




マンガ「武士沢レシーブ」とは、「すごいよ!マサルさん」で一躍有名になったうすたさんが、期待を一身に背負って連載を始めた本格派ヒーローマンガです。

んが。しかし。

全20話という何とも味気ないままで連載を終了してしまいました。


俺は、好きでしたけどねぇ。


ま、そんなことはどうでもよく。


通学路。

何ともいえない異様な空間であるのは、間違いありません。
このマンガの中にあるように、『家での自分と学校での自分とが微妙にまじり合う』所なんです、通学路って。


恐らく、およそすべての人に共通することが、家での自分と外での自分のギャップの存在です。

自分はそれほど差が激しい方ではないと自負していますが。大げさな意味ではなく「内弁慶に外地蔵」な人って、いると思います。


妙にテンション低い人っているよね。
あれってきっと家モードから学校モードに切り替えてるタイプの人なんだろうね。
そういうやつに限って学校でうるさい。


つまるところ、どんな人でもやっぱり表と裏、というか「外での自分と内での自分」ってのがあって、「自分はそんなことはない」なんて言ってる人でもやっぱり少なからずギャップがあると思うのです。



一見、どうでもいいような話題でしょうけど。




これは、インターネットの世界でいうと大変大きな事項だと思います。

ネットの世界で、例えばチャットやオンラインゲームで、よくしゃべる人は実は現実の世界ではものすごく静かな人だったりするようです(もちろん俺の勝手な先入観なので一概には言えません。あくまで俺の偏見です)。

逆に現実世界ではよくしゃべる人が、ネットの世界ではだんまりしちゃったり。


これも一つの「内と外」ですよね。
自分の中に潜んでいるもう一つの自分。それを大いに発揮できるのがネットの世界なんでしょうね。
ネット上では、お互いの顔を見ることはできない。
だからこそ言いたい事もどんどん言っちゃうし、ぶっちゃければ普段現実世界では心の中に留めて置く事もざっくばらんに吐いちゃうんでしょう、きっと。


普段寡黙な人は心の中で抑えることが多いからこそ、ネットの世界ではその破裂せんばかりの数々を大いに放出する。


ある意味ネットの世界ってのは一番正直なのかもしれませんね。
お金第一で成り立ってるし、肯定否定もなんのためらいもなくできる。


「いいたいことも言えちゃうこんな世の中」もですなぁ。


でもやっぱりネット世界って怖い。
相手の顔が見れないし、相手がどんなことを思ってるかなんて、文字の羅列だけじゃ捉えようがありません。

普段面と向かって話してるときでさえ、こんなに難しいのに。


朝の通学路のように、人間には2面性があっていいものだと思います。
言いたい事があっても、まずは心の中でよく咀嚼して「これを言ったら相手は傷つくだろう」とか考えつつ会話をしなくてはいけません。心の中で抑ることも大事だと思うのです。

そこからきっと、思いやりとかなんかそういうきれいな言葉の類は生まれたり生まれなかったりなんだ、うん。きっとそうだきっと。


ネットは、ただ指を動かすだけで会話ができる便利な世界です。ネットだけじゃないね、メールもだよね。


その行動一つで、ひょっとしたら他の誰かの心に深い傷を負わせているかもしれません。


もう少しネットが綺麗な場所になってくれたらいいなと、ネットの世界が好きな俺は思います。

これが・・・・現実なのか・・・・。

2005-07-27 18:59:40 | どーでもいいことつらつらと。
やられました。試験。



手ごたえあるものが一つもねぇ。


ま、日ごろ不真面目だった自分にはいい戒め・・・・。なんて悟ったようなこと言ってられるかバカ。

このままじゃやばいじゃん!
何がやばいって、・・・・うーん・・・なんだろう。


大体試験でいい点取ったからって、何がいいんでしょう?
親が喜ぶ?体(てい)が繕える?自慢できる?安心する?


いやーもうどうでもいいやこりゃ。現実逃避だこりゃ。だめだこりゃ。


うん、そうだ!夏休みだ夏休み!
恐らく、人生で最後になりそうな夏休み。
もう学生気分とはおさらばですよ。


試験でいい点取ることに必死になっている場合じゃない。
やりたいことやって、世の中に挑戦状叩きつけてやるんでぃ!
みてろ周りの大人たち!あんたらの期待、大いに裏切ってやるぜぃえぃ。



試験が終わり、夏休み突入ってことで少しテンションが高いです。

あと、よく分からんけど全く更新してないくせにアクセス数が減るどころか増える一方で、嬉しい限りです。ご来訪大変ありがたく思います。

このブログはアクセス解析とかできないので、どのようなルートでここにおいでなさったのかは知りませんが、まぁそんなことは別にいいです。


とりあえず俺は、この夏休みで一つ大きなことでもやってみようと思ってます。

皆さんもこの夏を機に、何か新しいことでも始めてみては?サーフィンとかいいんじゃなですか?サーフィンとか!







いや、電車男の話ね。


試験だぜ。

2005-07-23 13:44:53 | どーでもいいことつらつらと。
大学の試験が始まります。



以上。







いや、もはやなんと言いますか、非情に不可解極まりない話をしますと。
俺は、ほとんど授業を受けていません。

ごめんなさいお母さん。僕は最低の男です。

こうやって普段何もしてないから、試験直前になって意味もなく悪あがき。

でも一つフォローを入れるなら、俺は勉強してて「楽しいな」と思った授業はとことんがんばります。
最高の成績が取れるようにしてます。ほんとです。ほんとです!

学科が学科だけに、色々な分野に手を出すものですから、必然苦手で嫌いな授業にも出くわしてしまうのです。

ああでも、そんな授業も含めて試験、がんばらないと。

ってことでまたしばらく更新はお休みしますです。
では。

育成ゲームブームについて。

2005-07-21 18:45:18 | やっぱりゲーム。
育成ゲーム、というジャンルが流行った時期がありました。


たまごっちに始まり、ポケモンなどがブームの最前線に立ち、その後ろに、陰に隠れるように数々の似たり寄ったりゲー、いわゆる「パクり」がありました。

たまごっちは最近また携帯版などで人気が復活し、ポケモンは今も変わらず人気を博しています。やはり最前線は一味違います。



当時、本当にたくさんのポケモンやたまごっちの「パクり」が巷に溢れかえりました。
特にたまごっちの偽者版は酷いもので、「たまごっちプレゼント」とか言っといて出てきたものが「ねこちゃ」とかいうわけわかんねー猫育成ゲームだったりしました。今もトラウマです。



唯一「パクり」でそれなりにヒットしたものといえば、デジモンくらいですよね。

おっと、これは禁句でした。

「がんばれ森川君2号」とかなんだったんだろう?夢?悪夢?



さて。

そんな育成ゲームブームの中で、たまごっちなどの影に隠れていながらも、俺がすこぶる気に入った作品がいくつかあります。


そんな中の一つ。それが「ロボットポンコッツ」(以下、ロボポン)です。


内容は。


まんまポケモン。


「どこが違うの?」と己の目を疑います。

でもよく見てください。全然違います。処理の遅さとか。

恐らく、ポケモンの試作品がこんな感じだったのだろうと予測されます。
ポケモンがVer3.00とするなら「ロボポン」はVer0.12辺りでしょう。


それくらいに、作りこまれていない。


でも、俺は大好きです。
偉く気に入ってます。


このゲームの特徴は、電池が搭載されていることです。あの、コイン型のヤツ。
ゲームを始めると時間を設定することになり、以降時計として時間をカウントします。
そして時間によってゲーム内の行動範囲が広くなったり、出現する敵が変わったりします。

これがね、どうでもいいことこの上なし。

夕方に電源を入れると、いきなり「夜の学校にいけるよ」とかほざきます。夜に学校へ入るとレアな敵に会えるようです。わざわざありがとう。

しかも、電源を入れてなくても特定の時間になると「ピンポーン!ピンポーン!」とけたたましい音でわざわざ知らせてくれます。

しかしここで言及しなければならないのは、電池が消耗品ってことです。
ゲームをやっている・いないに関わらず、段々と電池が消耗され、いつの間にか内蔵時計が狂い始めます。

なので深夜に突然「ピンポーン!ピンポーン!」と鳴り出して、「なんだ一体!?」とあわてて電源を入れてみたら「夜の学校にいけるよ」ってふざけるな。誰が行くか。

飽きてやらなくなっても、警告音は鳴り響きます。引き出しの奥で鳴る音がなんとも哀愁漂う。


(もちろん、音が鳴らないように設定できますけどね。気づくのが遅かった。)


そろそろゲームとしてちゃんと見てみましょうか。
ポケモンのパクりなのですから、当然RPG。ん?待て?ほんとにRPGか?

俺にも良く分かりません。どっちつかずな感じが否めないんです。
普通のRPG風な戦闘以外に、スキージャンプ風に飛んで飛距離を競う戦闘や、アルジャーノンに花束を風な迷路でゴールを目指す(知能を競う)戦闘。他にもなんか色々あります。ね?どっちつかずだ。

パクりによく見られる、中途半端ってヤツです。

どんなのが好かれるか分からないからとりあえず全部やろう、みたいな気風。俺は大好きです。

所詮これも他のパクりゲーと一緒か。なんて思ってはいけませんよ。



そう、このゲームの中で最も注目したいのは、制作者達からの隠されたメッセージです。


それは、「世の中、金だ。」というメッセージです。

このゲームの主人公は会社の社長で、目的が自分の会社を大きくすることなんです。多分。

そのために、よく分からんけどロボポンというロボットを育てて頂点をめざし、会社をでっかくします。

この、ロボット達。
町や学校にウロウロいるんですが、こいつらを捕まえて育てるんです。まんまポケモンですね。
でも、ここからが違う。

こいつらを育てて、ある程度強くしたら、売るんです。

横流しするんです。


その売ったお金を元手に、自社を大きくしていきます。それがこのゲームの「真の目的」。


これには感動しました。

ポケモンの世界では、こんなリアルな表現は含まれていません。

「世の中金だ」なんて、夢見る子供達には言えませんとも。任天堂さんにはできませんとも。



ゲームだけじゃなく、資本主義社会の中で何かを制作する上で最も重要なのは「それが利益につながるか」です。


例えクリエイターが提案した新しい案も、それが利益につながる可能性が低かったら採用されません。

なら、当時の育成ゲームブームならどうか。
育成ゲームが流行っているなら、その流れに乗って育成ゲームを作ればいい。
当然そのような命令が上から下に伝わります。


あの頃巷にあふれた育成ゲームは、利益ばかりに目が行って新しいことができない世の中のいい見本でした。


ま、それは今も変わらず?ってことで。


でもね、そういうもんですよね。世の中金ですもん。

儲ければいいんですもん。「新しいことやろう」と言って逆に自分の首絞めたら、終わりですもん。やりたいことがあっても資本の少ない所はとにかく利益を生むことにしか集中できませんもん。


そう、金。世の中、金。金があれば会社も大きくなるし、懐も肥える。いかに非道な手段を用いようとも、金。


そんなメッセージ。


しかし実際育てたロボポンを売るのは罪悪感があります。でも売ります。そうしないと金欠でゲームが進みませんもん。


僕はこのゲームを通して現実の厳しさを知りました。



ロボポンは、ゲームボーイアドバンスの発売と同時に2作目が出ています。つまり、1作目はそこそこ売れたってことでしょうね。
しかし2発目がどんな結果に終わったかは知りません。やってないから内容もわかりません。


あ、真面目な話、ロボポンは育成ゲームとしてほんとに楽しいです。
あの処理の遅さやどうでもいいミニゲームさえ耐えれば、ゲームとしてそれなりに楽しめました。

他の特徴として、身の回りにある様々な電化製品のリモコンのボタンをソフトに向かって押すことにより、宝箱の中身やもらえるロボポンが変わる、ってのが非常に斬新でした。


俺はどうしても欲しいロボポンがあって、家中のリモコンのボタンを押し漁りました。

そしてついに、2階の親の部屋のエアコンの風向の調節ボタンで目的のロボポンをゲットしました。

今日のような、暑い夏の日でしたとさ。

一人暮らしストーリー。

2005-07-20 22:26:15 | どーでもいいことつらつらと。
携帯電話から更新しております。僕の声がちゃんと届いているでしょうか?
初めての携帯更新、しかも使い慣れてない携帯なので、いつもより余計に誤字・脱字が多く、お見苦しい点があるかもしれませんが、どうかお付き合いください。

一人暮らしをはじめてまだたったの四日。
いいね。最高だね。
部屋はテーブルがなかったり、コンロがなかったり(致命的)で、まだまだ普通の生活が送れる状態ではありませんが、なんというか、この、少しずつ買い物をして部屋が完成していく感じが、たまらなく楽しいです。


あー今、部屋にたくさん子蝿がいることに気付きました。

で、殺虫スプレーで殺蝿行為を堪能しておりました。
で、気付いたら床に小さな死骸がいっぱいあんの。

気色悪い話でごめんなさい。いや、別にうちで蝿が繁殖してるわけではありません。

川が近いせいか、異常に蝿が多いです。
夜になると、窓に蝿が覆いつくさんばかりにいます。アリエナーイ。



東京都内ではありながら、ここは大変自然に恵まれています。そのせいでこんな不遇に見舞われています。
別にいいですけど!

しかしほんと静かなとこです。

一番近くのコンビニはチャリで二分くらいのところにあり、その途中にはたんぼがあります。
そこを通ると蛙の鳴き声が聞こえてきて、心が落ち着きます。

「東京人が!生意気言ってるよ。」と思われるかもしれません。

はい、確かにそうです。


うーむ。しかしこの小虫がたくさん入ってくる事態をなんとかせねば・・。

網戸でも余裕で入ってくるものなぁ。


携帯打つのが面倒なんで、そろそろおわります。

やはり携帯だと力が発揮できない、ような気がしなくもないなぁ。


以心電信?はぁぁぁぁぁ!?

2005-07-17 21:38:20 | どーでもいいことつらつらと。
引越しの準備をしていました。
といっても荷物なんて大してない。
持っていく物は、着替えと、「家にあるとカッコよさそう」って理由から買った小さなホワイトボードと、色々なプリントをペタペタ貼っていた掲示ボード。あとは思い出。うん、そんくらい。


そのボードに貼られていた連絡網をはずしていると、妙な気持ちに襲われました。


連絡網・・・・・。なんだか、懐かしい響きです。



まだ、携帯を持っていることが奇跡と呼ばれていた頃、友達と連絡を取り合う唯一の方法は家に電話すること-通称家電-でした。

「明日遊ぼうぜ」の一言も、メールのなかった頃は一苦労でした。


だからこそ、僕らは学校で事前に綿密な計画を立てていました。

今は、どうだろう。


誰かと遊ぼうと思ったら、今すぐ携帯を手にとって「遊ぼう」とメールするか、電話すればいい。

いざ待ち合わせる時も、場所を明確にしていなくとも当日電話で話せばうまく集合できる。


ああ、なんと便利な世の中だろう。

でもその反面、このように「無計画」に物事を遂行することは、大変危険なことなんじゃないか。と大げさに考えてみたりもします。

「ご利用は計画的に」なんて標語(?)をよく耳にしますが、金銭の話だけじゃなくこれは全てにおいて大事なことかもしれません。


こう、携帯に頼りっぱなしってのは、正直どうなんですかねぇ?

携帯に頼りすぎると、ルーズになっていく傾向があります。
待ち合わせをする場所も適当にしてしまったり、いつでも連絡が取れるからと時間に遅れても別段気に留めない人がいます。

お堅い自分は、これが許せない。


もう一つ。
連絡網で友達に家電する時も、事前に綿密な計画を立てていました。俺の場合ね。

「ご両親が出られたらどう対応しよう」とか、「夜だから最初の挨拶は『夜分遅くすいません』にしよう」とか。


そうやって、言葉遣い・礼儀作法を自然と学んでいました。

皆さんもそういう経験多かったと思います。

子供の頃って、やけに電話が緊張しましたよね。俺だけなのかな?


今の子供達って、どうなんだろう?
ちゃんと上手な電話対応ができるのかな?


こういうところに、本当の教育があると思います。相変わらず偉そうなこと言ってますが、携帯だけに頼りすぎるのは絶対危険だと思うんです。




取り外した連絡網は、月日の流れと陽に焼けて、古い本のように黄色く褪せていました。
高校、中学、小学校と時代を下るにつれてその色は濃くなっていく。

気になるあの子の連絡先も書いてある連絡網だけど、思い切って電話、なんて勇気は僕にはなかった。「親が出たらどうすりゃいいんだよ」。



携帯は、ものすごい発明だと思う。
でも、こいつが背負ったリスクは大きいとも思う。

時間を守ることができる人は信頼を得る、状況や相手に合った上手な対応をできる人は柔軟性に富む。


人を形作る要素は、こんなしょぼいボードに貼られた小さなプリントにも、ちりばめられているのですね。

Dr.マリオもびっくりだ(題名より。分からん人は別にいいです)。

歩のない将棋は負け将棋。

2005-07-16 13:34:15 | どーでもいいことつらつらと。
忙しい日々を送っていたりいなかったりな最近なのですが。


よく分からないけど、将棋にハマっています。


一人でコンピューターと対戦したり、一人で黙々と将棋の初心者のためのガイドを読んだり。

将棋を始めるきっかけとなったのは、大学で友達がやっていたから、というのもありますが、他にもたくさんの「きっかけ」がありました。


まず、ジャンプ連載中の「HUNTER×HUNTER」。
読んでない方はなんのこっちゃと思われるかもしれませんが、んなの俺の知ったことか。
この中で、この前キメラアント(だっけ?)の王が将棋や囲碁、チェスといったテーブルゲームの世界チャンピオンを次々と負かしていく、っていうシーンがありました。

元・囲碁チャンピオンの「た・・・・たった10局で・・・」っていうセリフには爆笑しました。

なんだかそれを見てて、「ああ久々に将棋でもやりたいなぁ」と思いました。


将棋は、小さい頃よく祖父の家でやっていました。ここからが二つ目の「きっかけ」。

小学校低学年くらいまではいとこや近所のおじさんと賭け将棋なるものをやっていて、ジュースなんかを賭けにしていました。
あの頃は戦略とか敵の手を読むとか、そんなこと全然考えてなかったと思うけど、じいちゃんの見よう見まねでそこそこうまくやってたと自負しています。

そんな日々が、今思えば懐かしく、将棋に対する思いも自然沸々と沸いてきました。


三つ目の「きっかけ」は、最近読んでいる本です。

あまり本は読まない人間ですけど、通学電車の中で今読んでいる本は司馬遼太郎さんの「関が原」。
上・中・下の三冊からなり、なかなか読み応えがあります。

つーかめっちゃ面白い。この歳になって本を読む楽しさを知った俺は、愚かです。今までの18年くらい無駄にしてます。ま、気づいた分だけマシか。

この「関が原」。
関が原の合戦だけを描いているのではなく、その戦が始まるまでの軌跡、当時の崩壊寸前の豊臣政権の下にいた多くの大名や家来達の思い。
なぜ、家康が勝って三成は負けたか。

もう、司馬さんの文章の書き方には魅せられます。

そんな戦国時代小説を読んでて思うのは、やはり「世の頂点に立つ者は時代の先を読むものだ」ってことです。

敵の動きを読む。完璧なる戦略を立てる。
むやみやたらに猪突猛進するのも、時には悪くないかもしれないけれど。

これは戦場でもそうだし、例えば今の市場でもそうだし。

戦局を見守り駒を動かす「軍師」が、すべてを握っているのです。


そんな「軍師」な気分を味わえるのが将棋なのです。

それぞれの駒の長所短所を知り、彼らを巧みに扱い敵の陣地へと攻める。
逆に攻められそうになったら、敵の動きを読んで王を守り抜く。
そして相手の隙をついて、また攻める。

この攻防。知略戦略謀略。
関が原の時代を切り抜けた猛将知将達も、こうやって戦場を楽しんでいたんですかね。


将棋の駒に個性があるように、人間にもそれぞれ個性があります。
歩のように一歩一歩着実に進んでついにと金のような強者になる奴や、桂馬のように飛び飛びで進んでいくちょっとリスクの高い危険な奴。バビューンと一気に奥深くまで突っ込んでいく非凡な飛車や角みたいな奴。すべての頂点に立つ、ある意味使いづらい王。そして、彼らを巧く使いこなす影の支配者・軍師。

まぁ、世の中もそんな風にできているんでしょうな。きっと。


なんだかまとまりづらい話になってしまったけど、きっと俺にもいい所の一つや二つ、あってもいいものですよねぇ。

そのいい所を理解し分析し利用することで、世を渡り歩ければと思います。

それを知るためにも、将棋はなかなかの好材料では、と思います。



このブログについての断り書きなど。

2005-07-15 16:55:02 | どーでもいいことつらつらと。
このブログを始めて約10ヶ月となりました。

ここまで来れたのも一重に、ごくたまにご来訪くださいます皆様の支えがあってのことでございます。

なんてね。


正直、このブログを読んでくださる物好きな方なんて滅多にいません。
アクセス数はそこそこあっても、ちゃんと最後まで読んでくださる人はそうそういないでしょう。
でもま、それでいいんです。


書いてる人間が人間ですから。別に人気とかどうでもいいんです。

面倒くさがり&独り好きでネガティブな奴なので、例えば知り合いのメイプラーさんのサイトに挨拶を書くことや、相互リンクをすること、もしくはトラックバックをしてくださったブログ様へのお礼など、僕はほとんどやりません。

ホント最低の性格です。


さて、ここで一つ宣伝というかなんというか。
新しく相互リンクをさせていただきました。メイプル友達の方の日記サイトです。
相互リンクなんて、久々ですわ。



ま、ちょっとここで僕の意見を言っておきますと。
これほどまでに他のサイトと交流を行わないのにはそれなりに理由があります。

一つ。煩わしいことは嫌いです。

軽い気持ちでリンクを貼ったために、後々迷惑をかけるような事態を起こしてしまった、もしくは迷惑被ったなんてことは避けたいんです。「軽い気持ち」ってのがポイントです。

よくないですか?こういうの。
例えば飲み会とか合コンとかなんかのきっかけでたまたま知り合った人と「軽い気持ち」でメアド交換。んで、結局一度も連絡を取り合うことなく今に至る。みたいな。

あれ、好きじゃないな。僕の変なこだわりの一つです。
メイプル内でもそんな帰来があって、僕はよっぽどのことがない限り友録をしない。

最近の傾向ですよね。世の中の流れ、とでも言うんでしょうか。
でもそんなやり方だと「本当の仲間」を見つけるのに苦労します。本当に心を落ち着かせる場所を失います。

おっと話が飛躍しすぎました。

要は「めんどくさいことは嫌い」なんです。そういう性格なんです。勘弁してください。


続いてこれを踏まえてもう一つ。

このブログは、名前の通りほんとに自由で、適当で、つまらなくて、時には読んでいる人を不快にさせるブログかもしれません。
僕も別に誰かに読めと強要しているわけじゃないですし、でもほら、俺文章書くの好きだから続けてて・・・・。
とにかくいつも申し訳ないと思うのが、色んな方向にベクトル飛ばしまくりのこのブログの適当さなんです。
方向性が全くない。
だから、リンクを貼っても、その貼ってくださる方がここをなんて紹介したらいいか困ると思います。
しかもそのリンクを伝ってやってきた方がいたとしても、「なんじゃこりゃ」とこの適当なブログに困惑すること必至です。

メイプルだけの日記なら、メイプラー同士でのリンクも気軽にできるってもんなんですけどね。
いかんせん当ブログはそうじゃない。

ほんと、このブログって何なんだろうね?

とにかく、そんな感じのリスクを背負ってでもリンクをしていただいた幾島さんには感謝です。



さて、最後に一つ。


当ブログはリンクフリーです。



うん。
結局そういうオチってこと。


ただしリンクを貼ったことで後悔しても俺は責任とらないよ~と。

とは言ってみたものの、ここまで読んでくださった人はそうそういないんでしょうねぇ。


マンガ「おやつ」

2005-07-13 22:54:29 | なんとなくマンガ。
おおひなたごう、という漫画家はかなり特殊な漫画家さんだと思います。


前にも言ったかもですが、本当の意味での漫画とは笑わせることが第一で、「漫」にはそういう意味が含まれているものです、きっと。漫談とかと同じで。


最近のマンガのそのほとんどは、漫画ではなくどちらかというと劇画寄りで、僕がここで「漫画」と「マンガ」を使い分けているのにもそんな理由があってのことです。

最近のマンガ事情を良く知りませんが、現在連載中のマンガで、かつての「ドラえもん」や「天才バカボン」のような本当の意味での漫画は一体いくつ存在するのでしょうか?


さて、おおひなたごうさんのマンガ。

これはかなり漫画に近いものだと僕は勝手に思ってます。


「ドラえもん」や「21エモン」などのギャグ漫画を現代風に、言うなれば極めて今好みな形に作ってある。そんな感じです。



特に「おやつ」は代表的な作品で、毎回僕はツボでした。
他にも「新・河原崎超一郎」や「フェイスガード虜」など、どれもギャグ漫画として、そして今ウケするマンガとして非常に素晴らしい作品だと僕は思うのです。

この調和は他にはあまり見られないような気がします。あくまでも僕の勝手な意見ね。



最近のギャグマンガと言えば、「ピューと吹く!ジャガー」や「魁!クロマティ高校」、「ギャグマンガ日和」などまぁ挙げちゃえばキリがないですけど、それはどれも新感覚な笑いでありまして、結構好みが別れたりするものですよね。


「おやつ」も、確かに好みが別れるかもしれません。
でも僕が思うに、「おやつ」はギャグマンガにしては珍しくめっちゃくちゃ考え込まれた奥の深いものだと。

上に挙げた最近のギャグマンガは即興性というか、リズムやテンポという、いわゆるノリを大事にして直感的な笑いの空間を作っているのに対し、おおひなたマンガは練りに練った笑いを生み出しています。
実際読んでみると「おおひなたさんってきっと頭のいい人なんだなー」と思うはずです。
普通、ギャグマンガなんて「バカだなー」って思いながら読むもんでしょ?もちろん褒め言葉。


「ドラえもん」はなぜ素晴らしい作品か。
それは単なるギャグ漫画というだけでなく、夢や希望を僕らに与えてくれるからです。


今のマンガに、それはあるのかな?




少なくともおおひなたさんのマンガは、そんなかつての「本当の漫画」の微かな香りを残しています。