更新頻度が低くてホント申し訳ないです。どうも、南友親です。
うすた京介さんの影のヒット作「武士沢レシーブ」にて、こんな節があります。
「朝の通学時間―
男も女も美女も次男もみんなが同じ場所を
目指し 集まってくる
そしてここは
家での自分と
学校での自分とが
微妙にまじり合う
時間―
ゆえに
ささいな事から思いもよらぬドラマが生まれたり
する―」
マンガ「武士沢レシーブ」とは、「すごいよ!マサルさん」で一躍有名になったうすたさんが、期待を一身に背負って連載を始めた本格派ヒーローマンガです。
んが。しかし。
全20話という何とも味気ないままで連載を終了してしまいました。
俺は、好きでしたけどねぇ。
ま、そんなことはどうでもよく。
通学路。
何ともいえない異様な空間であるのは、間違いありません。
このマンガの中にあるように、『家での自分と学校での自分とが微妙にまじり合う』所なんです、通学路って。
恐らく、およそすべての人に共通することが、家での自分と外での自分のギャップの存在です。
自分はそれほど差が激しい方ではないと自負していますが。大げさな意味ではなく「内弁慶に外地蔵」な人って、いると思います。
朝妙にテンション低い人っているよね。
あれってきっと家モードから学校モードに切り替えてるタイプの人なんだろうね。
そういうやつに限って学校でうるさい。
つまるところ、どんな人でもやっぱり表と裏、というか「外での自分と内での自分」ってのがあって、「自分はそんなことはない」なんて言ってる人でもやっぱり少なからずギャップがあると思うのです。
一見、どうでもいいような話題でしょうけど。
これは、インターネットの世界でいうと大変大きな事項だと思います。
ネットの世界で、例えばチャットやオンラインゲームで、よくしゃべる人は実は現実の世界ではものすごく静かな人だったりするようです(もちろん俺の勝手な先入観なので一概には言えません。あくまで俺の偏見です)。
逆に現実世界ではよくしゃべる人が、ネットの世界ではだんまりしちゃったり。
これも一つの「内と外」ですよね。
自分の中に潜んでいるもう一つの自分。それを大いに発揮できるのがネットの世界なんでしょうね。
ネット上では、お互いの顔を見ることはできない。
だからこそ言いたい事もどんどん言っちゃうし、ぶっちゃければ普段現実世界では心の中に留めて置く事もざっくばらんに吐いちゃうんでしょう、きっと。
普段寡黙な人は心の中で抑えることが多いからこそ、ネットの世界ではその破裂せんばかりの数々を大いに放出する。
ある意味ネットの世界ってのは一番正直なのかもしれませんね。
お金第一で成り立ってるし、肯定否定もなんのためらいもなくできる。
「いいたいことも言えちゃうこんな世の中」も毒ですなぁ。
でもやっぱりネット世界って怖い。
相手の顔が見れないし、相手がどんなことを思ってるかなんて、文字の羅列だけじゃ捉えようがありません。
普段面と向かって話してるときでさえ、こんなに難しいのに。
朝の通学路のように、人間には2面性があっていいものだと思います。
言いたい事があっても、まずは心の中でよく咀嚼して「これを言ったら相手は傷つくだろう」とか考えつつ会話をしなくてはいけません。心の中で抑ることも大事だと思うのです。
そこからきっと、思いやりとかなんかそういうきれいな言葉の類は生まれたり生まれなかったりなんだ、うん。きっとそうだきっと。
ネットは、ただ指を動かすだけで会話ができる便利な世界です。ネットだけじゃないね、メールもだよね。
その行動一つで、ひょっとしたら他の誰かの心に深い傷を負わせているかもしれません。
もう少しネットが綺麗な場所になってくれたらいいなと、ネットの世界が好きな俺は思います。
うすた京介さんの影のヒット作「武士沢レシーブ」にて、こんな節があります。
「朝の通学時間―
男も女も美女も次男もみんなが同じ場所を
目指し 集まってくる
そしてここは
家での自分と
学校での自分とが
微妙にまじり合う
時間―
ゆえに
ささいな事から思いもよらぬドラマが生まれたり
する―」
マンガ「武士沢レシーブ」とは、「すごいよ!マサルさん」で一躍有名になったうすたさんが、期待を一身に背負って連載を始めた本格派ヒーローマンガです。
んが。しかし。
全20話という何とも味気ないままで連載を終了してしまいました。
俺は、好きでしたけどねぇ。
ま、そんなことはどうでもよく。
通学路。
何ともいえない異様な空間であるのは、間違いありません。
このマンガの中にあるように、『家での自分と学校での自分とが微妙にまじり合う』所なんです、通学路って。
恐らく、およそすべての人に共通することが、家での自分と外での自分のギャップの存在です。
自分はそれほど差が激しい方ではないと自負していますが。大げさな意味ではなく「内弁慶に外地蔵」な人って、いると思います。
朝妙にテンション低い人っているよね。
あれってきっと家モードから学校モードに切り替えてるタイプの人なんだろうね。
そういうやつに限って学校でうるさい。
つまるところ、どんな人でもやっぱり表と裏、というか「外での自分と内での自分」ってのがあって、「自分はそんなことはない」なんて言ってる人でもやっぱり少なからずギャップがあると思うのです。
一見、どうでもいいような話題でしょうけど。
これは、インターネットの世界でいうと大変大きな事項だと思います。
ネットの世界で、例えばチャットやオンラインゲームで、よくしゃべる人は実は現実の世界ではものすごく静かな人だったりするようです(もちろん俺の勝手な先入観なので一概には言えません。あくまで俺の偏見です)。
逆に現実世界ではよくしゃべる人が、ネットの世界ではだんまりしちゃったり。
これも一つの「内と外」ですよね。
自分の中に潜んでいるもう一つの自分。それを大いに発揮できるのがネットの世界なんでしょうね。
ネット上では、お互いの顔を見ることはできない。
だからこそ言いたい事もどんどん言っちゃうし、ぶっちゃければ普段現実世界では心の中に留めて置く事もざっくばらんに吐いちゃうんでしょう、きっと。
普段寡黙な人は心の中で抑えることが多いからこそ、ネットの世界ではその破裂せんばかりの数々を大いに放出する。
ある意味ネットの世界ってのは一番正直なのかもしれませんね。
お金第一で成り立ってるし、肯定否定もなんのためらいもなくできる。
「いいたいことも言えちゃうこんな世の中」も毒ですなぁ。
でもやっぱりネット世界って怖い。
相手の顔が見れないし、相手がどんなことを思ってるかなんて、文字の羅列だけじゃ捉えようがありません。
普段面と向かって話してるときでさえ、こんなに難しいのに。
朝の通学路のように、人間には2面性があっていいものだと思います。
言いたい事があっても、まずは心の中でよく咀嚼して「これを言ったら相手は傷つくだろう」とか考えつつ会話をしなくてはいけません。心の中で抑ることも大事だと思うのです。
そこからきっと、思いやりとかなんかそういうきれいな言葉の類は生まれたり生まれなかったりなんだ、うん。きっとそうだきっと。
ネットは、ただ指を動かすだけで会話ができる便利な世界です。ネットだけじゃないね、メールもだよね。
その行動一つで、ひょっとしたら他の誰かの心に深い傷を負わせているかもしれません。
もう少しネットが綺麗な場所になってくれたらいいなと、ネットの世界が好きな俺は思います。