自由広場

穿った独楽は廻る
遠心力は 今日も誰かを惹きこむ

誕生日

2007-09-30 18:04:48 | どーでもいいことつらつらと。
僕なんかのために誕生日パーティを下北沢で開いていただきました。

お祝いの主役になるって経験が今まで皆無だったので、自分でもどう表現したらいいか分からなくて。嬉しかったっす。



その会場となった料理屋さんの食い物が美味いのなんのって。


トマトとカツオをベースにした鍋ってのを食べたのですが、インパクトも味も最高でした。他にもアナゴとかさんまとか栗とかアナゴとかアナゴとかめっちゃ美味かったです。アナゴ・・・!







何だかんだで23歳。去年と何か変わったかと言えば、腹回りの肉付きくらいです。でも、こんな楽しいパーティができて、今まで生きていた甲斐があったなぁってしみじみ思いました。



ほんと、ありがとうございました。

携帯を買い換えた。

2007-09-26 02:36:41 | どーでもいいことつらつらと。
さよならドコモ。こんにちはau。


ってわけで携帯を誕生日プレゼントとしてハニーに買ってもらいました。0円だったんですけどね。

携帯会社を変えたので、手数料だとか違約金だとかで、消費者金融並の名目上乗せをくらい、結局0円に終わらないのは、携帯事情のお約束です。

しかしドコモさん、契約を切る俺に対してよく対応してくれました。

会社を乗り換える際、「止める理由はなんですか」って聞かれ正直困惑しました。「ノリです」なんて言えない・・・。


一つの理由として、FOMAがバリバリ電波弱いってのがあります。だからMOVAに戻したかったのですが、今MOVAはドコモショップにいっても隅の隅へ追いやられています。気に入るものは一つもなかったです。てかレアなだけに値段たけぇ。


まぁそんなこんなでドコモよさらば。


携帯なんて、どこでもいいんです。どうせ月4000円も使わない人間だから、向こうにとってはトントンか下手すりゃ赤字なんでね?みたいな感じですし。


ちょっと前まではドコモも0円携帯結構あった気がするんだけどなぁ。最近ってないんですかね?機種変更の0円って。


ま、よくわからんです携帯市場。


前の携帯とさよならするのは少し寂しい気分もありますね。2年とちょっとの間の付き合いでした。先々代の携帯と同じくらいで4年は使いたかったな。やっぱ少しずつ退化してますね、耐久力において携帯は。これは携帯ショップの姉ちゃんも認めてました。そうしないと経済まわらないし。


とにかく、3台目新携帯、末永くよろしく頼むぜ。5年は生きろ!

DJ OZMAすげぇな

2007-09-23 21:59:17 | やっぱりゲーム。
2週連続でクラブのイベントに参加という、慣れないことをしたせいか体に疲れが溜まっています。

クラブに行ってわかったこと。ケツメイシってすごい人気なのね。あたしゃ中学の時が全盛だったな。


さて話が180度変わりまして、「たいようのマキバオー」も連載から早半年が経とうとしていますね。


非常にコアな仕上がりで、一般ウケは絶対しなさそうなんですが、それでも連載は2巻分まで完了したことにます。

1巻はいいとして、2巻は相当切ない内容になりそうですね。全く盛り上がりなし。

いつ発売かは分かりませんけど、一冊の漫画としてこの仕上がりはいかがなものかとは思ってしまいます。マキバオーが全然活躍しません。

雑誌の方を読んでいてももどかしくて仕方がありません。

一方で、あのミヨシタイガーやモウリアローの子供が出てきたりで、マニアックなファンにはウハウハな部分もあるんですけどね。

まぁ・・・リアルすぎるんですよ。真を突き過ぎています。このまま冷めたまま展開するとしたら、これほど悲しい漫画はこの世にないと思います。だって人気でないまま連載終了でしょこりゃ。

それはとてもとてももったいないので、是非盛大なシナリオを繰り広げていただきたいです。つの丸さん、お願いします。こち亀より続けてください。あとサインください。

転嫁するのはいいんだけどさ

2007-09-22 05:37:42 | どーでもいいことつらつらと。
斧で父親を殺害した事件を受けて、アニメ「ひぐらしのなく頃に解」の放送が中止になりました。事件を彷彿とさせるシーンがあったからです。


いやまぁ、俺は別にひぐらしファンじゃないから、放送中止とかどーでもいいんだけどね。一アニメファンとして、非常に残念な気持ちではあります。


勘違いして欲しくないのは、関連性のあるアニメ他色々なメディアを切り崩したところで、問題の解決には何にもなってないことです。

放送中止になったのは、責任を取るための処置で、事件の真相に迫る、つまり、同じような事件が起きないよう防ぐ特効薬には全く成り得ません。


殺害に斧を使ったことが大事ではなく、殺害の動機に繋がったものを追求するのが最も視るべき点。これは決してひぐらしの真似事をしたかったわけじゃなく、家族関係の色々なことがあったに違いないのです。


同じように、殺害事件等に似たような内容を含んでいるとして、放送中止になったアニメや刷新中止になったマンガはいくつもあります。





メディアを攻撃したからといって安心していてはいけません。視るべきところをちゃんと視ましょう。


大丈夫かね、皆さんほんと。

あら

2007-09-20 00:10:20 | どーでもいいことつらつらと。
もう9月かと思えば、あっというまに20日になっちゃいました。ついでに今年も残すところあと3ヶ月とちょっと。時間の進み具合がイマイチピンと来ないこのごろです。

生活リズムが狂い始めていて、最近はマンガ喫茶で朝まで無言で読書、って日がたまにあったりします。

マンガ喫茶最高っすね、ええ。こりゃ皆さんハマるのも頷けますわ。かつてマンガ喫茶で働いてた頃は「なんでわざわざ金払ってマンガ読みに来るんだ?」とか思ってたけど、いやはや納得の嵐です。



ま、そうやって昼夜逆転の生活なんかしてるから、季節の移ろいにも気付かず日を食んでいっちゃってるわけです。



大丈夫かな、自分。ちゃんとやりたいことはやれてるかね。そんな自問自答の秋。

誰でもカンタン!渡辺明の詰め将棋

2007-09-17 01:30:22 | やっぱりゲーム。
まだプレイして1時間も経ってないんですけど、紹介しないわけにはいきません。
なにせ、このゲームには我らが棋士界のホープ、渡辺竜王がいつ何時もプレイヤーに付いて、丁寧な解説とさわやかな笑顔をふりまいてくれるのですから・・・。



渡辺明さんをご存知でない方は、ウィキペディアなどで是非調べてみることをお勧めします。まさに名人と呼ぶにふさわしい人間なんです。風貌っつーか貫禄っつーか。

史上最年少で9段を取ったこともさることながら、20歳で結婚、同年に長男が誕生という見た目からは想像もできない偉業を成し遂げています。


さらに特筆すべきは、僕と同じ84年生まれってことです。同世代として、彼を注目せずにはいられませんでした。増して僕の数少ない趣味の一つ、将棋でしたから。

悔しいっすよ、正直ね。地位も名誉も得て、家庭にも恵まれている。同い年なのに、こうも生き方が違うとはね。というのは僕の心の叫び。



そんな彼と一緒に将棋を勉強していく本ゲーム。ゲームとしての質は「本当にDSか?」と疑いたくなるくらい程度の低い仕上がりになっています。音楽はファミコン以下の耳障りな完成度、淡々と詰め将棋の問題を解いていくシステムはある意味苦痛です。


でも、画面内に渡辺竜王さえいれば、そんなのへっちゃらです。

正解すれば笑顔を振りまきながら、「正解です」の賞賛ヴォイス。問題選択画面の渋い表情も見逃せません。


いやもうほんと、クソ笑えたわ。パッケージの、渡辺竜王のやる気ない顔とか、絶対店頭に並んでても手が出せません。


まぁ地道に全680問を解いていくことにします。せめて普通の将棋も打てる仕様にして欲しかったよ。DSのキャパの5000億分の一も使ってなさそうな容量に僕はもうメロメロです。


しかし、間口の広さとしてはいいかもしれません。DS初心者、将棋初心者でも安心して入り込める単純な操作とチュートリアルは、単にめんどかったからそうなったわけではないんでしょうね、きっと。

渡辺竜王が問題ごとに添えてくれる解説もまぁ分かり易いです。これなら将棋を知らない人も、脳の活性化目的でプレイしてみる価値は、あるんじゃないでしょうか。



しかしDS。こういった誰でもカンタンにできるってなゲームばっかだして、一体どこへ向かうつもりなんですかね。たまには複雑で痛快なゲームもお目にかかりたいところです。せっかくのダブルスクリーンなんですから。渡辺竜王の一喜一憂とか、ほんとどーでもいいから。

そんな自分は「プレッシャー世代」と呼ばれているそうです

2007-09-12 00:58:23 | どーでもいいことつらつらと。
「ゆとり」という言葉が、他人を蔑む言葉として定着しつつあります。


ブログ編集画面のすぐそばにある、便利な辞書機能を利用して「ゆとり」について調べてみました。




「ゆとり:物事に余裕があって窮屈でないこと。余裕。」




だそうです。







「ゆとり教育」とは、学習者が詰め込みによる焦燥感を感じないよう、学習者の多様な能力を伸張させることを目指す教育理念(ウィキペディアより引用)に基づき、2002年から実施された教育カリキュラムでしたが、結果学力低下を引き起こし、わずか3年ほどで見直し修正されることになりました。


と同時に、このジャストゆとり教育の過程の中で育った子供たちを「ゆとり世代」と呼ぶようになります。


その当時、僕は家庭教師を始めたばかりの頃で、受け持った中学生の生徒全員がゆとり世代だったわけです。

勿論、生徒に何ら問題はなく、在り方に昔のそれと変わりはないのです。むしろゆとりのおかげで伸び伸びと夢を持って成長していく彼らの姿がうらやましいくらいでした。


「ゆとり教育」が見直されるとニュースで知った時、「これはやばいな」と思ったのは、教師の端くれとして正しい読みでした。


僕は直ちに生徒達に、以下のようなことを言ったと記憶しています。


「今後君たちはゆとり世代と呼ばれ、時には差別されるような目に遭うかもしれない。就職で不利を背負うことになるかもしれない。でも卑屈になってほしくない。自分に課せられたハンデをものともしない様な、誰にでも自慢できるような人間になってくださいな」


なんてね、ちょっと先生っぽくかましてみました。若かったな、当時の俺。暑苦しくて血反吐がでらぁ。


でも事実なんです。実際今、ゆとりは差別的批判的な言葉として定着しつつある。
インターネットで不特定多数に情報が広がる世の中だから、昔の何乗もの速さでものや人の価値意味は変動を続ける。ゆとりは今、マイナス的な要素を含むようになっている。


彼ら世代は本当に気の毒だと思います。なんて俺みたいな奴から同情される義理なんてねーかもしれないけどさ。

これは僕の独り言ですが、マジで大人はバカな改正に乗り出したと思う。増して、見直しとかするなよって感じだよな。一度方向転換したらそのままつっ走ろよな、どっかの国みたいに。優柔不断さは今も昔もかわらねぇんだな、日本人はさ。


なぜ、ジャストゆとり世代のことをもっとよく考えなかったんでしょう。見直された当時、僕の予想が外れてくれればなんて願っていましたが、競馬は全然当たらないくせに、悪いことばかりミートするのが僕なんです。

今も僕はゆとり世代を生徒に持っています。現在高校2年生の子達がラストゆとり世代かな?間違ってるかもですが。

中学で内容が削減され、高校で内容が戻されたものだから、彼らは普通の高校生以上に多くのことを繰り上げて学ばなくてはいけなくなりました。中学で学ばなかった分、高校でやらされるというなんとも虚しいオチ。


こんな皮肉があっていいものだろうか。全ての泥をかぶったのは子供たち。僕笑っちゃいます。




っと、ここまではとして「ゆとり」について語ったわけでした。ここからが本題。長かったな前振り。




このよーに、言葉の印象ってのは時と共に変化していくものです。「適当」という言葉、「ふさわしいこと」よりも「中途半端」という意味合いが強くなったのは一体いつからでしょう。


美しい日本語が曲げられていくと、若い子達の言葉遣いを聞いて非難している人たち。そんなもんどっちもどっちだろ。
ゆとり世代なんて勝手なレッテル貼らせて、どう責任取るんだ。ちゃんと面倒みてやってくださいよ。


言葉の持つ印象が変わることは、良しにも悪しにも動くのです。なるべくなら、良しへと振れるように、「ゆとり」の言葉がまたプラスな意味になるくらいに、「ゆとり世代」の皆さんには頑張って欲しいというのが、今回ここで言いたかったこと。なのかどうかはよく分かりません。





「ゆとり:物事に余裕があって窮屈でないこと。余裕。」


非難されようが、けなされようが、「余裕」ぶっこいて構えていられるくらいの大物になってくださいな。漢字くらい読めなくたって卑屈になりなさんな。パソコン主流の世の中、漢字読めても書けない人ばっかだから。

ドラゴンボール第4巻『大決勝戦』を読んで。

2007-09-08 04:16:46 | なんとなくマンガ。
さて、感想文の更新をする前に、またもや雑談から入ります。


結構前のことになりますが、2007年7月14日に発売された「週刊プレイボーイ」31号にて、あの「ワンピース」で有名な尾田栄一郎さんがインタビューを受けていました。

以下、そこから少しだけ抜粋させていただきます。

インタビュアーの、「他のマンガのように、人が生き返る世界観を採用しなかった理由は?」という質問に対して、尾田さんはこう答えました。


「だって不自然じゃないですか、人が生き返るのは。僕は、こてこてのファンタジーは好きじゃないんですよ。だから話の中で細かくいろんな事に理屈をつけたいんですけど、死んだ人が生き返るぐらいだったら、最初から死ななきゃいい。死ぬような目にあっても、うちのキャラクターは死なないんです。」

非常に軽い受け答えだなぁとは、最初思いました。
そもそも、質問の「人は生き返る世界観」のマンガって、世の中マンガは星の数ほどあれど、はてそんなにたくさん採用されてましたっけ?



ドラゴンボールしか浮かばないっすよ、即席だと。


これは明らかに、ドラゴンボールと対比しての質問でした。この記事に対して他の人がどう思うかは知らないけれど、僕にはとってもどうでもいい記事に思えました。

このインタビューは、全く尾田さんの内面を描き出せていないし、ドラゴンボールファンに対しての挑戦状にも成っていないし、ほとんど何の意味も持っていません。そこがプレイボーイクオリティ(褒め言葉)



ドラゴンボールでは、人がバンバン死んで、ガンガン生き返ります。
ワンピースでは、人が死なないけれど、大人も感動する物語を真正直に描けています。
どちらもとても面白いマンガです。
ただ、それだけなんですよね。どちらに良し悪しもありませんよね。


ただ巷で言われることに、人の死に対して軽く見るような傾向が、さらに、人は死んでも生き返ると思っている子供すらいるという現実がある、ってのは無視できません。それらの要因は、最近の死を軽んじたマンガや何回もリセットできるゲームにあると、大人たちは勝手に指差しますが。

マンガオタクでゲームフリークな僕は、もちろん反対したくなります。以下、とてつもなく危険で若さ故の駄文です。


日本において、60年位前までは、死は生の完成と考えられていました。潔く死ぬことで、その人物の生は評価される。その考えが覆され、命を本当の意味で尊重するようになったのは、戦争に負けてマッカーサーが日本に上陸した頃でした。

60年かけてようやく、この考え方が根付いてきて、世間ではそれを逆手に取った、人の死をさらっと書き上げてお涙ちょうだいな作品が氾濫するに至ったと、偏見家の僕は考えます。


60年前の、死に対するスタンスに比べたら、今の子供たちの危険な人生観なんて屁でもないと思いますよ。子供が勘違いしている分にはいいんです、大人が正しく導けるんだから。一番怖いのは、大人が勘違いしちゃってる世の中の方です。具体的に今がどんな世の中かは、また別の話。





「人が死なない」で言えば、例えば「クレヨンしんちゃん」がそうでした。映画も人を死なせずに感動を誘っていましたが、なぜか11作目の「あっぱれ戦国大合戦」でひっくり返されました。また最近では、雑誌「アクション」の方で、「クレヨンしんちゃん」の内容が酷くなっているというファンの嘆きがちらほら聞こえます。登場人物がテロで死ぬっつう何とも、現代を穿った陰湿な展開です。一体クレしんに何があったのでしょう・・・。まじどうしたんだろ。


さらに、かつての「クレヨンしんちゃん」を見習って、富野由悠季氏が満を持して発表した新ロボットアニメが「キングゲイナー」でした。

冨野アニメは、「ガンダム」からも窺えるように人がバンバン死ぬ。
しかしこの「キングゲイナー」、ロボットアニメでありながら人っ子一人死にません。なのにロボットアニメとして、熱い。冨野作品の最高傑作だと思うのですが、知名度は高くなくて残念です。


まぁ要するに、そういう試みもあるってことです。人の死ばかり描いていたのに、突然人の死なない作品を出してみたり。そういう風に、裏の裏を取ったものも世にたくさん出ているわけです。その一つに「ワンピース」も位置するのだと勝手に考えます。





そろそろ、本題にからめていきましょう。



今回は第4巻の感想文で、まだドラゴンボールは人の生き死にを描いてはいません。

今後たくさんの人が死に、そしてドラゴンボールの力で生き返ります。このことに関しては賛否両論です。
僕はジャストドラゴンボール世代で、人の生き返る世界観にもすんなり入っていけました。「すんなり」とは勿論、「アニメでは人が生き返るけど、現実はそうじゃないんだ」と「すんなり」飲み込めた、ということです。かめはめ波は出せると本気で信じていましたが。


人が生き返るには、ドラゴンボールのような神聖で超常的な力が必要である。この前提があるからこそ、僕らは理解できたんだと思います。どんな願いもかなえてくれるというドラゴンボール。夢があっていいじゃないですか。



ま、そういうことにしておきましょう。さらなる勝手な評論は、またいずれするってことでご勘弁を。じゃないと、マンガ風にいえばページが足りません。そろそろ4巻の大まかな内容を。


1回戦を突破したクリリンに続いて、第2試合はヤムチャVSジャッキー・チュン。ヤムチャがダシに使われる展開もそろそろ定着してきた頃ですね。
ジャッキー・チュンの正体は、皆さんご存知亀仙人。弟子の悟空・クリリンが優勝するのを自ら防ぎ、世の中には上がいるということを教えるためにわざわざ変装して参加しています。実はここら辺、ドラゴンボールの影(?)の主題に迫っています。


「かなり実践できたえてあるようじゃが、動きにムダがあるのがおしいのう・・・」

ジャッキー・チュンによるヤムチャ評。ああもう、とりあえず頑張れヤムチャ!


んまぁこの戦いはあっさりジャッキー・チュンの勝ちで決まります。


さっさと第3試合。今度はナムVSランファンという脇役カード。ランファンの悩殺攻撃に対し、ナムは目を閉じ煩悩を払うことで見事勝利します。


第4試合。いよいよ悟空の活躍の時です。相手は竜族のギラン。ギランのグルグルガム攻撃でピンチに陥る悟空ですが、突然シッポが生え戻ったお陰で窮地を救われます。結果ギランの棄権で、悟空勝利!


これで2回戦を突破した4強が決まりました。

第5試合はジャッキー・チュンVSクリリン。この戦いは中々見ものです。流れるような戦闘シーンの構成力は、格闘マンガの教科書ですよね。


ジャッキー・チュンのエロさを見抜き、知能プレイで一時は押せ押せムードのクリリンでしたが、最後は実力差で敗を喫します。


第6試合は悟空VSナム。名勝負数え歌。記憶に残る一試合です。何と言ってもナムの必殺技、その名も「天空×字拳」。これを見逃すわけにはいかない。
天空に舞い上がり、落下するスピードを利用し、両手で作った×字で思い切り相手にアタックする。まさに名前のまんまな技なのです。

これをまともに受ければ10日は目覚めない・・・・はずがたった10コマで起き上がる悟空。勝負ありですね。最後は悟空の完勝に終わります。







さて、ここからは余談。今回もだいぶ長くなってしまっていますが、更に寄り道させてください。そろそろ終わりますから。


このナム選手。実は村の水不足を救うべく、賞金を手に入れて水を買うためにわざわざ天下一武道会へ参加したそうです。
結果準決勝で負けるわけですが、亀仙人の粋な手助け(といってもただ井戸の水をホイポイカプセルに入れる便宜を図っただけだが)により、村は一時的に難を逃れることになります。

実は、アニメ版では後日談がありました。確かこの天下一武道会編のすぐあと、レッドリボン軍編に入る直前だったと思います。悟空は偶然にもナムの村に訪れるのです。ホイポイカプセルのおかげで一時しのぎにはなっても、結局は日照り続きの村。悟空は原因を探るべく、突然流れの止まってしまった川の源流へと筋斗雲を走らせます。そして、山の源流近くにあったのはなんとギランが住む村。ここら辺、わざわざ天下一武道会編のために集めた声優陣を使いまわそうとした大人の事情が垣間見えなくもないです。

ギランたち竜族は、水を独占するために、確か(あくまでも昔の記憶なので定かではないですが)グルグルガムを使って川の流れをせき止めていたのです。


悟空にコテンパンにされたギランですから、あっけなくガムによるダムは決壊します。これでナムの村に水が戻ってきてめでたしめでたし。
そんな物語が延々30分。ほんとどーでもいい1ストーリーでした。この頃すでにアニメは原作に追いついてしまっていて、少しでも話を伸ばそうと頑張っていたのです。今も昔もほんとやることかわんねぇなぁ、集英社。




以上余談でした。尚、記憶違いも多分に考えられるので何かありましたらご一報いただけると幸いです。



さて、ついに決勝戦ですね。悟空VSジャッキー・チュン。つまりは対亀仙人の師弟対決です。


経験と年の功で積極的に攻めるジャッキーこと亀仙人ですが、悟空の奇抜な反撃に翻弄されます。展開は悟空が一歩リード、というところで4巻終了です。


いやあ、熱いですね。師弟対決ってのはかなり好きです。ジャッキー繋がりではないけれど、香港映画では磐石の師弟対決。同じ流派の対決ってのは、武道の極みを視ている気がします。しかも下が上に克つかどうかの展開はたまりませんね。


というわけで、次回は決勝の中盤戦から入ります。今回はいつも以上に長かったです。付き合ってくださった方、ここまでお読みくださり本当にお気の毒様でした。マジで感謝。

大島の写真・追記

2007-09-06 00:35:06 | どーでもいいことつらつらと。
昨日は動物オンリーでしたが、今日はそれ以外にもいくつか。





大島に上陸して一番最初に撮った写真がこれ。シュールこそ僕の求める世界なのです。






シュノーケリングの際にゲットしたでっけぇホラ貝。地元の人もビックリするくらいのサイズでした。



夜には「夜光虫ツアー」なるものにも参加しました。

釣り船に乗って、夜光虫を観察するツアー。無数の夜光虫が船の波にかきたてられ光る光景のなんとロマンティックなこと。生き物のフシギに迫る一夜となりました。







最後に番外編として可愛くない動物を一枚。俺は好きだぜぃ。

大島の写真

2007-09-05 00:21:20 | どーでもいいことつらつらと。
2週間遅れではありますが、大島旅行の写真をアップしたいと思います。いくつか観光名所を回ってまいりました。









リス村にはたくさんのリスがいました。いかにも「観光!」って感じがムンムンの楽しい場所です。






エサのひまわりの種をあげると素早い動きでそれをすくい上げ、器用に殻をむいて黙々とむさぼります。爪が鋭く腕を軽くひっかかれました。エサへの執念が半端ないです。






なぜかウサギもいました。ウサギっぽくないけどウサギです。







ついでにアヒルも。















動物園にもいきました。人が少なく穴場感満載です。



なんとこの動物園には・・・






レッサーパンダがいるのです!!しかもエサあげたりできるってんだからもうタマランっ!





めっさ近いレッサーの図。凶暴と聞いていましたがここのはかなり温厚。写真撮影にも快く対応してくれました。


他にも色々と動物触り放題でした。てか自由度高すぎでした。エミューも放し飼いって危険だと思うのだが。






ロバ君も大人しくて素敵です。















最後は野生の島猫。どの子も結構逃げやがるので撮るのに苦労しました。



以上、大島の写真でした。


って、動物ばっかじゃん。もっと海とか山とか綺麗な景色撮れって話ですよね。



勿論、海にも潜りました。人生初のシュノーケリング。綺麗な魚と一緒に群れて泳ぐのは貴重な体験になりました。かなり体力使いましたが。


伊豆大島は車で一周2時間程度の小さな島ですが、東京都の一部です。島のメインストリートでグルッと一周しましたが、結構カーブのきつい道もあって中々のドライブになります。中央にそびえ立つ三原山に登るのもまた一興。今回は海で精根果てましたが、次回は山も攻めてみたいです。とても良い旅行になりました。