今回は、映画記事です。
かなりひさびさに、ゴジラシリーズとなります。
先日、三石琴乃さんの「おやすみ、ゴジラ」という歌のことを書きましたが……実はあの歌、いずれゴジラ映画にからめて紹介しようと思っていたものでした。たまたまニュースで三石琴乃さんの名前が出てきたのでああいうかたちの記事になりましたが、まあことのついででもあるので、このあたりでゴジラ映画シリーズを再開しようかと。
しかしながら――ここで登場するのは日本のゴジラではなくアメリカ版のGODZILLA。しかも、最近のいわゆるモンスターバースのほうではなく、1998年版です。
先にいっておきますが、私の中では非常に評価が低い作品です。
まあ、一般的にもそうでしょう。
この映画を高く評価する意見はあまり聞いたことがありません。興行成績は決して悪くないものの、ゴジラファンの間では、あれをゴジラとは認めないという評が大勢じゃないでしょうか。
そういう作品であれば別にスルーしてもいいんですが……しかしこの作品は、日本ゴジラ第二期と第三期の間に公開された作品であり、この作品の存在自体が日本ゴジラのシリーズ展開にも影響を与えていたりして、ゴジラシリーズについて書くならスルーというわけにもいかないのです。
日本ゴジラシリーズの展開に与えた影響というのは、たとえば第二期シリーズの最後の二作。
以前ちょっと書いたと思いますが、第二期は本来『ゴジラVSメカゴジラ』で終結する予定だったといいます。ハリウッド版ゴジラの話というのはそのときからあって、ここで日本ゴジラをいったん終了してアメリカのゴジラにバトンタッチというような意図があったとか。しかし、そのハリウッド版の制作が遅延し、そのためにあと二作を作ることになったという話です。
結果、GODZILLAはゴジラの死を描いた『ゴジラVSデストロイア』のあとに公開。日本ゴジラのプロデューサーとして知られる田中友幸さんはその直前に亡くなっていて、スタッフロールに田中さんへの献辞が入るということになりました。
メガホンをとるのは、ローランド・エメリッヒ監督。
ハリウッドでは大物いっていいでしょう。『インディペンデンス・デイ』や、『デイ・アフター・トゥモロウ』などの作品で知られます。この二作からもわかるとおり、ディザスター系の巨匠というイメージです。
GODZILLAもまた、その系統といえるでしょう。
なにがしかの危機が襲来し、人間たちがあわてふためきながらそれに対処するという基本構造があります。
本作のゴジラは、ニューヨークを襲撃。
そして、米軍がそれを迎え撃つことになります。
この非常時にも、選挙のことしか考えていない市長。そして、現実をしっかり見据えて対処する現場の指揮官――このコントラストのつけ方が、良くも悪くも、いかにもローランド・エメリッヒらしい演出です。
そして、暴走するマスコミ……しかし、いくらなんでも個人的な話に終始しすぎではないか。自分のキャリアのことなんかいってる状態じゃないでしょうに。
こういうのも、エメリッヒ作品の特徴だと思いますね。すさまじいディザスターが展開しているにもかかわらず、主人公たちはどこか他人事という……エンターテイメント性を追求しすぎ、いろんなことを割り切りすぎた結果の罠にはまっているように見えます。
『インディペンデンス・デイ』やこの『GODZILLA』は広い意味でディザスターものといっていいと思いますが、主要な登場人物は死なないみたいなことが暗黙の前提になっていて、それが作品の空気を弛緩させているように思えるのです。
ディザスターが行きつくところまで行きついたエメリッヒ作品として『2012』がありますが、あれをみていて私はそれを実感させられました。追いつかないように追ってくる地割れ、当たらないように飛んでくる火山弾……そんな演出ばかり見せられていると、もうハラハラもドキドキもしないわけです。主人公とその仲間は基本的に死なないことになっていて、途中で死ぬキャラは最初から「死亡要員」としてそれ相応の扱いを受けているという……それは安心して観ていられるエンターテイメントということなんでしょうが、しかしよくよく考えてみれば、「安心して観ていられる」というのはディザスターパニックということと根本的に矛盾しているわけです。予定調和に従うのなら、それはディザスターとは呼べないでしょう。ディザスターが大規模になるほど、この矛盾が顕在化してくる……GODZILLAの段階で、それがもう無視できないレベルになっていると思われるのです。
そんなこともあって、最初に書いたように、この映画の評価はゴジラファンの間でも決して高くありません。
そして、この映画に対する評価が日本ゴジラを復活させることになります。
ハリウッド版ゴジラはその後シリーズ化も見据えていたようですが、ゴジラファンのリアクションが悪かったことでその構想はとん挫(ただし、後に続編としてテレビアニメが作られている)。ならば……ということで、日本で新たにゴジラシリーズが作られることになるのです。
そうしてはじまるのが、第三期、いわゆるミレニアムシリーズです。
ということはつまり、98年版GODZILLAは、多くのゴジラファンにとって駄作であると同時に、ミレニアムゴジラという新シリーズの生みの親でもあるという……そういう奇妙な存在なのです。
その点に対する複雑な感情もあってか、ミレニアムシリーズの作品のなかでエメリッヒのゴジラはちょくちょくネタにされています。
そのあたりについては、またいずれこのブログの記事で書いていくことにして……今回はこのへんで。