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ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
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カルメン・マキをもうすこし

2021-05-18 21:20:44 | 日記


先日、カルメン・マキさんについての記事を書きましたが……

なんと、彼女は今日が誕生日なのだそうです。
古稀を迎えらえれるということで……

そんなわけで、カルメン・マキの歌をもう少し。



45周年時のライブから「六月の詩」。
まさに預言者のようなオーラが漂っています。

六月の詩



若いころ。
ブルース・クリエイションとの Mean Old Boogie です。

Mean Old Boogie

この曲でのボーカルは、ちょっとLOVE PSYCHEDELICOのKUMIさんっぽくも感じられます。
このときは二十歳頃で、どこかあどけなさのようなものも覗かせる歌声です。
それがブギスタイルでの陽気なガールズロックという感じにしっかりハマっているうえに、この曲もバックの演奏が素晴らしい。まさに、日本ロック史に残る至宝です。



ちなみに……

今日は、木田高介さんの命日でもあります。
ジャックスの音楽的リーダーであり、かぐや姫「神田川」のアレンジを手がけた、あの木田高介さんです。彼は、1980年の5月18日にこの世を去ったのでした。

カルメン・マキと木田高介――いずれも最近このブログで名前が出てきた人たちですが……前回記事の最後で予告したミュージシャンは、この二人ともつながってきます。
ということは、やはり相当のレジェンド……と、あらためて思わせぶりなことをいっておきましょう。





カルメン・マキ 「時には母のない子のように」

2021-05-16 23:51:37 | 音楽批評



今回は、音楽記事です。

寺山修司関連アーティストということで、今日はその第二弾……

前回の浅川マキからのマキつながりで、カルメン・マキさんです。

この方は、『天井桟敷』の団員として、舞台に立っていました。
こんな人です。

 

 一見して混血であることがわかる容貌ですが、ウィキペディアによると、アイルランド人、ユダヤ人、そして日本人の血を引いているということです。

その多国籍性――というよりも無国籍性といったほうがいいでしょうか――は、カルメン・マキという人のキャラクターを象徴しているようにも思われます。
その声にはある種の中性性が感じられ、また、妖艶でありながらどこかにイノセンスを秘めた歌声……カルメン・マキは、相反する二つのものを兼ね備えたような、そういう、境界を超える存在なのです。
境界を超えるということは、まさに劇作家としての寺山修司が目指していたことの一つであり、カルメン・マキという人は、それを体現するミュージシャンといえるでしょう。

その長いキャリアにおいて、ジャンル横断的な活動をしてきたこともその表れです。
初期のころはアングラフォークという感じでしたが、やがてロックの方向にも進出。とりわけ、カルメン・マキ&OZは、日本のロック史において大きな存在感を放っています。
そのカルメン・マキ&OZは、近年再結成し、昨年は再結成後初となるライブも決行。
その一部の動画が公開されているので、リンクさせておきましょう。

カルメン・マキ & OZ 2020 「閉ざされた町」~コロナの時代を超えて再び~ 11/29メルパルクホール東京

ここで鍵盤を担当しているのは、忌野清志郎のバックバンド NICE MIDDLE にも所属していた厚見玲衣さん。
浅川マキと同様、やはり伝説は伝説を呼ぶということで、カルメン・マキの周囲には名うてのミュージシャンが集まってくるのです。
それはたとえば、近田春夫さんだったり、B'z の松本孝弘さんであったり……
45周年記念となる2014年のライブでは、それが如実に発揮され、Char Special Band を引き連れて登場。ギターには、Char さんに加えて木暮“shake”武彦さん、さらにはゲストボーカルに金子マリさんを迎えるという豪華さです。
そのステージでの一曲「1999」の動画をリンクさせておきましょう。

1999



「時には母のない子のように」は、彼女のデビュー曲です。
その動画を貼っておきましょう。

時には母のない子のように

これもデビュー45周年時のものなので、ちょっと枯れた感じの声になってきていて、若いころとはまた違った味わいがあります。
もとは、1969年、17歳のころに発表した歌で、これが大ヒットして彼女は紅白歌合戦にも出場しました。



寺山修司のもとにはもう一人の“マキ”がいるわけですが……
二人のマキは、同じようなところから出てきた人たちなので、そのレパートリーにかぶっている部分もあります。

たとえば、「それはスポットライトではない」。
浅川マキの訳詞で歌っています。

それはスポットライトではない

そして、「聖ジェームズ病院」。
こちらは、ブルース・クリエイションとともに活動していたときのもの。

St. James Infirmary

話のついでに、同じくブルース・クリエイションとの Motherless Child という曲も紹介しておきましょう。
邦題は「時には母のない子のように」で、カルメン・マキのデビュー曲は、ここから着想を得たものともいわれています。
このアレンジと、ジャニス・ジョプリンの影響を色濃くうかがわせるカルメン・マキの歌……神すぎる一曲です。

Motherless Child

ちなみに、ブルース・クリエイション期には、全日本フォークジャンボリー(中津川フォークジャンボリー)に参加したりもしていました。
しかも、1971年のことなので、あの“ステージ占拠事件”が起きた、ある意味伝説の第三回です(ちなみに、その前年の第二回には浅川マキも出演していました)。
時間関係からして、カルメン・マキさんがステージ占拠事件と直接関係しているわけではありませんが……この事件の背景には、フォークの祭典なのにフォーク以外のミュージシャンが多数出ていることに対するオーディエンスの不満があったといわれていて、そういう意味ではフォークからロックに“転向”したカルメン・マキという存在は、間接的に影響を与えているかもしれません。

その関係の有無はわかりませんが……話を寺山修司に戻すと、このステージ占拠事件というのは、じつに寺山修司的な事態ではないかとも思えます。

演者と観客の間におけるコミュニケーションとディスコミュニケーションによって、ステージと観客席の境界が破壊されてしまうという……意図せずして、というよりも、意図しないことによって、寺山修司的な状況がそこに現出したのではないかと思えるのです。

そういうことが起こりうる時代であり、空間だったということなんでしょう。

ということで、次回の音楽記事では、寺山修司つながりで、かつ、このステージ占拠事件に深く関係しているといわれるミュージシャンについて書こうと思います。





5.15事件

2021-05-15 22:27:37 | 日記


今回は、ひさびさに近現代史について書こうと思います。

近現代史記事としては、このところは日付にリンクさせるかたちになっていて、前回は血盟団事件について書きました。

そして今日は、5月15日……ということで、5.15事件です。

一応簡単に説明しておくと、昭和7年の5月15日、海軍将校らが首相官邸に乗り込み、犬養毅首相を殺害したという事件です。一般的に、この事件によって政党政治が終焉したといわれます。

三月事件、十月事件など、前年から起きてきた事件と基本的には地続きです。
とりわけ、血盟団事件とはかなり直接につながっています。
この事件に関与した軍人らや、民間グループとして加わった愛郷塾の橘孝三郎などは、井上日昭とつながりがありました。


ただ、5.15事件がそれまでと決定的に違うのは、実際に国家改造主義者が国家の中枢に入り込み、総理大臣を殺害してしまったということです。
三月事件や十月事件は未遂に終わったクーデターであり、血盟団事件はあくまでも民間人が相手でした。しかしここで、現役軍人による直接行動が起こされてしまうのです。
それ以前にも首相の暗殺はありましたが、それらは個人による単体の攻撃であって、国家改造主義者たちのグループによる行動ではありません。国家改造主義者が集団として政治テロを計画し、それが未遂に終わらなかったという点で、5.15事件は重大なのです。

クーデターが成功したとはいえませんが、この事件が昭和史の大きな転換点となったのは誰しも認めるところでしょう。

5.15事件によって、政党政治は終焉したといわれます。
犬養首相が「話せばわかる」といったのに対して襲撃者が「問答無用」と銃の引き金を引いたエピソードは、しばしばその象徴ととらえられています。

以前犬養毅に関する記事でも書いたように、その背景には、国民のあいだに広がっていた政党政治不信がありました。

それが、事件首謀者に対する減刑嘆願書といったかたちで表れます。
国民の多くは事件の首謀者に同情を示し、犬養死後の後継をめぐっては、「政党政治絶対反対」と主張するグループが存在しました。そして、それがさらに国家改造主義者たちの暴走をエスカレートさせ、実際に国家は改造されていってしまいます。暗黒の世界へと……

その後の歴史をみれば、5.15事件を支持した人々は、自分の首をしめるようなことをしていたとみえます。
仮にその人たちは後に暗黒時代がやってくることを覚悟のうえだったとしても、結果として無謀な戦争で日本が焦土になってしまっている以上、国の進む道を誤らせたという誹りは免れないでしょう。

これは、単なる結果論ではありません。

無謀な戦争を起こして焼け野原になったのは、国家改造主義者たちが実際に国を運営するようになった時点で、もはや必然でした。
血盟団事件の記事でも書きましたが、彼らの思想や行動原理はたぶんにカルト宗教的なところがあり、大きな組織を動かすにはあまりに危険すぎるのです。まして、国家の舵取りなどというのは論外。その論外な人たちが国を動かすようになってしまったのが昭和日本の悲劇ですが、5.15事件は、その大きな転換点といえるでしょう。
そういう意味では、この事件は“政党政治の終焉”というにとどまらず、“近代国家としての日本の終焉”を象徴しているとも思えます。
実際、この頃を境にして、国際連盟の脱退や、天皇機関説排撃など、いろんな部分でおかしな動きが目立つようになっていきます。近代国家という装いを脱ぎ捨て、もはやその体裁を取り繕おうとさえしなくなったというか……これはまさに、船の針路がとんでもない方向に向けられているということであり、その行きつく先は氷山との衝突とか、座礁とかそういうことになってしまうわけです。

日本の近現代史をみていると、ときにそういうカルト気質が顔をのぞかせることがあります。

これは、思想の右左とかいうこととはあまり関係がありません。
戦前の国家改造主義者のなかには左派系の人も多くいました。また、戦後の話でいうと、たとえば連合赤軍なんかも私にいわせれば国家改造主義者と同じカルト気質の一表象です。
克服すべきは、このカルト気質なのです。
それは、サリン事件の例からもわかるとおり、いつまたふいに噴出してくるかもわかりません。そうした思想の持ち主がまかり間違って権力の座につくようなことがあれば、国がめちゃくちゃになってしまうのは時間の問題です。とにかく、そういう勢力が権力を握りそうになったら、全力で阻止しなければならないのです。



キングコングとゴジラの戦いを振り返る

2021-05-14 16:11:17 | 過去記事

『キングコングvsゴジラ』
ひさびさに映画記事を書きます。 映画系記事では、vsモノを扱ってきましたが、その流れで、今回とりあげるのは『キングコングvsゴジラ』です。 日本代表のゴジラと、アメリカ代表......



過去記事です。
映画『キングコング対ゴジラ』について書いています。
この記事を書いていた頃にはまだ記事に動画を貼り付けるという習慣がなかったんですが……ここで予告動画を貼っておきましょう。

「キングコング対ゴジラ」 | 予告編 | ゴジラシリーズ 第3作目

以前映画を観た時には意識していなかったんですが、この予告動画を観ていて、若林映子さんも出ているということに気づきました。
ということは、浜美枝さんとあわせて、後に『007は二度死ぬ』でボンドガールをつとめる二人がここでそろい踏みしているということになります。

ちなみに、元記事で“ハリウッド版リメイク”のことにも言及していましたが……
それが、『ゴジラvsコング』です。
どうやら、リメイクというよりも、ゴジラとキングコングが戦うという設定が共通している新しい映画といったほうがよさそうですが。

映画『ゴジラvsコング』日本版予告編

日本では今日5月14日に公開される予定で、この記事もそれにあわせてアップするつもりだったんですが……これが新型コロナの影響で延期になってしまいました。
新たな公開日時はいまのところ未定。
まあ、緊急事態宣言も広がっていく現状ではやむをえないでしょう。果たして公開はいつのことになるやら……



三たび福岡に緊急事態宣言

2021-05-12 21:22:49 | 時事



東京などに出されていた緊急事態宣言が延長され、わが福岡県も今日から対象となりました。

まあ、福岡県もなかなか厳しい状況になってきていたので、やむをえないことではあるでしょうが……

しかし今回は、どうもこれまでとは様相が違っています。
先行して緊急事態宣言が出されていた地域をみても、あまり効果が出ていないようです。

これはやはり、緊急事態宣言というものの限界を示しているのでしょう。

そもそも飲食店の時短営業に意味があるのかとこのブログではかねがね疑念を呈してきましたが……やはり、時短そのものに大した意味はなく、緊急事態宣言はむしろその宣言による注意喚起効果と、そこから誘導される一般市民間の相互監視によって効果を発揮していたのだろうと思われます。
宣言とその延長が何度も繰り返されることによってその効果が弱まり、ある種、赤信号をみんなでわたる状況が生まれてしまっているために、もはや緊急事態宣言もさほどの効果を持ちえないとみるべきではないでしょうか。
だとすると、この国のコロナ対策は、いよいよなすすべなしということになってきます。
ワクチン接種も、依然として状況は改善されていないようです。
首相答弁で国会騒然だとか、内閣官房参与による「さざ波」ツイートとか……なるほどこれでは対策も進まないはずだと思わせるニュースばかりが目につきます。

菅総理は、来月シンガポールで行われる「アジア安保会議」への出席を予定しているそうですが……コロナ対応の迷走ぶりをみていると、果たしてこの政府に有事対応なんてできるのだろうかと皮肉の一つもいいたくなるのが人情というものでしょう。