ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
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ロイヤルウェディングに流れた「スタンド・バイ・ミー」

2018-05-21 17:00:05 | 音楽批評
ハリー王子の結婚式で、「スタンド・バイ・ミー」がゴスペルで披露されたそうです。

スタンド・バイ・ミー。

不朽の名曲ですね。

ベン・E・キングがリーバー&ストーラーコンビと共作した曲です。ジョン・レノンがカバーしていることでも知られます。


   夜がやってきて あたりは真っ暗
   見えるのは月の灯りだけ
   そんなときでも僕は 怖くはない
   怖くなんかない
   ただ君がいてくれたなら
   だからダーリン 僕のそばにいて

   もしも僕らの見上げる空が落ちてきて
   山が海に崩れ落ちたとしても
   僕は泣かない 泣いたりしない
   一粒の涙だって流しはしない
   ただ君がいてくれたなら
   だからダーリン 僕のそばにいて

シンプルな曲で歌われるこの歌詞は、変に飾り立てたラブソングよりもよっぽど力強く心に響いてきます。なにがあっても絶対に壊れることのない絆が歌いあげられているのです。映画『スタンド・バイ・ミー』のテーマ曲としても知られていますが、まさにあの映画にぴったりでした。
お騒がせなハリー王子の、これまでの経緯や、批判も受けた異例の結婚……その一連の経緯にも、この曲はマッチしてますね。

『笑ゥせぇるすまんNEW』

2018-05-20 21:37:28 | アニメ


『笑ゥせぇるすまんNEW』を観ました。

去年放映された、新しいバージョンの『笑ゥせぇるすまん』ですね。
私、amazonプライムの会員になっているのですが、そこで視聴できるようになっていたので、シリーズ全話を視聴しました。

例によってレビューを観てみましたが、結構評価が割れていますね。
リメイク版の常で、どうしても旧作と比較されてしまう。そして、やはり旧作との違いを批判されていることが多いようです。

私個人の感想としては、いまの時代に喪黒福造を描こうとした意気込みを買いたいと思います。

“ブラック企業”や“断捨離”といった現代のキーワードを盛り込み、スマホやインターネットといった旧作の時代にはなかったものを取り入れる。そうして、21世紀の喪黒福造を描き出そうとしたのでしょう。
ただ、各回2話構成で、1話目が原作アリ、2話目がオリジナルとなっている(最終話だけなぜか逆)のは、ある種の“保険”なんでしょうか……

変更点としてもっとも気になるのは喪黒福造の声ですが、これは、もともと声をあてていた大平透さんが亡くなられたためであり、やむをえない話です。
あの大平さんのインパクトが強すぎて、ほかの声優で代役なんかできるのかという懸念があったと思うんですが、玄田哲章さんというのは、針の穴を通すような絶妙のキャスティングでした。

音声の面では、旧作で使われていた田中公平さん作のあのテーマ曲が引き継がれており、懐かしさを覚えました。OP曲のスタイリッシュな感じは、『笑ゥせぇるすまん』のOP曲としてはどうなんだろうというのはありましたが……

しかし私としては、むしろ絵のほうに違和感を持ちました。

全体として明るすぎるように思え、『笑ゥせぇるすまん』のあの無気味な雰囲気が出ていないように感じられるのです。

まあ、そこも制作陣が意図的に挑戦した演出なのでしょうが……
私個人の感想としては、このクリーンな感じだと「ドーン!」の説得力もいま一つではないかと。

『フレディvsジェイソン』

2018-05-18 16:05:43 | 映画
 


『フレディvsジェイソン』という映画を観ました。

最近よくある夢の対決モノの先駆けになったような映画ですね。

エイリアンvsプレデターぶりにこの手の作品を観ました。

観始めてから、そういえば『エルム街の悪夢』も『十三日の金曜日』もちゃんと観たことがない……ということに気づきました。
あまりにも有名なんでなんとなく知ってる気になってるけど実際には観たことがない、というたぐいの映画になってしまっていたんですね。

やっぱり、夢の対戦というのは、双方のこれまでの活躍を知っていてこそ熱くなれるというものでしょう。
その意味では、AVPの場合、私はエイリアンもプレデターもシリーズ全作観ていたので、存分に楽しめました。今回の『フレディvsジェイソン』も、きちんと“予習”したうえで観たほうがよかったなあ……と思います。

とはいえ、『フレディvsジェイソン』もそれはそれで充分に楽しめました。

序盤の、ホラーものにありがちなフラグ満載の展開は、ある種の様式美さえ感じさせます。

その序盤から息もつかせぬ殺戮劇が展開され、クライマックスまで一気に疾走。最後は、タイトル通りにフレディとジェイソンが激しい戦いを繰り広げます。
果たして勝つのはどちらか……そこは、ネタバレになるので、書くのを控えておきましょう。
しかしともかくも、両方とも不死身だということだけはわかりました。
一応、続編もアリという終わり方にはなっています。
AVPには2もありましたが……まあしかし、公開から15年も経ってるんで、さすがに続編はないですかね。あるとしたら、別の組み合わせでしょうか。いっそ、フレディ・ジェイソンタッグでMARVELヒーロー軍団と戦うってのはどうでしょう?



最初のペンギン

2018-05-16 22:34:50 | 時事
最近このブログで、パンクにとって日本は不毛の地だ……という話をしてきました。

今回は、もう少し話のスケールを拡大して、日本という国のあり方そのものについて書こうと思います。


“最初のペンギン”という言い回しがあります。

氷塊のふちにたどりついたペンギンたちの群れが、海に飛び込んでいいものか逡巡している。
海で魚を取りたいけれど、ひょっとすると海の中にシャチのような危険な相手がいるかもしれない……

そんなときに、はじめに飛び込むペンギンがいます。
そのペンギンの様子をみてから、ほかのペンギンたちも後に続いて海に入っていきます。

このことから、“最初のペンギン”というのは、危険をかえりみない向こう見ずな挑戦者、先駆者、といった意味で使われるのです。


以前、異端者が重要な働きをすると書いたのは、こういう意味です。

おそらく、最初のペンギンになるようなペンギンは、ふだんは群れのなかであまり協調性がなくてトラブルを起こしてばかりいる奴だったりすると思うんです。ほかのペンギンとしょっちゅうけんかするとか、魚をとるのがあまり上手じゃないとか。

しかし、そういうペンギンが、いざというときに大きな働きをするんじゃないか。
普段は周囲がもてあますような無軌道な奴こそが、集団が進むべき道を見失って立ち往生したときに道を切り開いてくれるんじゃないか。

そしてこの国には、そういう存在が欠けているんじゃないか。

日本史上でそういう例を挙げるとしたらたとえば坂本龍馬なんかだと思いますが、その龍馬も結局はこれからというところで殺されてるわけなんですよね。

最初のペンギンになるような者を、矯正してしまう。矯正できないようなら、徹底的に排除してしまう。そうして、最初のペンギンたりうるものに、最前線に立つ余地さえ与えない。
日本の社会……というか、日本的組織の構造がそんなふうになってるんじゃないかと思えるんです。
そしてそのために、大きな転換に踏み出すことができず、時代に取り残されていくのではないか。
近頃の日本を見ていると、私は、この国がまた取り残されるフェーズに入ってきているような気がしてならないのです。

The Star Club, Maveric

2018-05-15 15:00:59 | 音楽批評
以前このブログで、日本はパンクにとって不毛の地だと書きました。

今回は、そのあたりのことについてもう少し書きたいと思います。

(昨日投稿した記事ですが、編集上のミスで一部が欠落した記事なっていたので、修正のうえ再投稿します)

紹介するのは、スタークラブというバンドです。

 

日本のパンク/ハードコアバンドですね。

おそらく、聞いたことがないという人がほとんどでしょう。

しかし実は、このスタークラブというバンド、結成されたのは1970年代のこと。つまり、セックス・ピストルズやクラッシュといった“本場”のパンクバンドと同世代なのです。
ということは、もう40年も活動しているわけですが、表の世界ではほとんどまったく名前が出てきません。実をいえば、私もつい最近まで知りませんでした。
ここに、日本がいかにパンクにとって不毛の地であるかということが示されています。
まあ、パンクとかハードコアなんてのは、程度の差はあれたいていどこの国でもアングラな存在になっていると思いますが……日本ではそれがきわめて顕著ではないかと。

スタークラブに、Maveric という曲があります。

Maveric というのは、「一匹狼」「異端児」といったような意味の言葉ですが、まさに日本におけるパンク/ハードコアの位置づけを言い表しているようなタイトルといえるでしょう。

歴史を大きく転換させるのはそういう存在だと思います。

日頃そういう人たちは周囲から厄介者扱いされていますが、いざ何かが大きく動く時には、その異端者のエネルギーが大きな役割を果たす。そうして歴史は動いてきたと思うんです。

日本という国がしばしば歴史の転換をフォローできずに取り残されていくのは、異端児を徹底的に周辺に追いやる風土の故ではないか……私は、常々そう思っています。