ロック探偵のMY GENERATION

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最初のペンギン

2018-05-16 22:34:50 | 時事
最近このブログで、パンクにとって日本は不毛の地だ……という話をしてきました。

今回は、もう少し話のスケールを拡大して、日本という国のあり方そのものについて書こうと思います。


“最初のペンギン”という言い回しがあります。

氷塊のふちにたどりついたペンギンたちの群れが、海に飛び込んでいいものか逡巡している。
海で魚を取りたいけれど、ひょっとすると海の中にシャチのような危険な相手がいるかもしれない……

そんなときに、はじめに飛び込むペンギンがいます。
そのペンギンの様子をみてから、ほかのペンギンたちも後に続いて海に入っていきます。

このことから、“最初のペンギン”というのは、危険をかえりみない向こう見ずな挑戦者、先駆者、といった意味で使われるのです。


以前、異端者が重要な働きをすると書いたのは、こういう意味です。

おそらく、最初のペンギンになるようなペンギンは、ふだんは群れのなかであまり協調性がなくてトラブルを起こしてばかりいる奴だったりすると思うんです。ほかのペンギンとしょっちゅうけんかするとか、魚をとるのがあまり上手じゃないとか。

しかし、そういうペンギンが、いざというときに大きな働きをするんじゃないか。
普段は周囲がもてあますような無軌道な奴こそが、集団が進むべき道を見失って立ち往生したときに道を切り開いてくれるんじゃないか。

そしてこの国には、そういう存在が欠けているんじゃないか。

日本史上でそういう例を挙げるとしたらたとえば坂本龍馬なんかだと思いますが、その龍馬も結局はこれからというところで殺されてるわけなんですよね。

最初のペンギンになるような者を、矯正してしまう。矯正できないようなら、徹底的に排除してしまう。そうして、最初のペンギンたりうるものに、最前線に立つ余地さえ与えない。
日本の社会……というか、日本的組織の構造がそんなふうになってるんじゃないかと思えるんです。
そしてそのために、大きな転換に踏み出すことができず、時代に取り残されていくのではないか。
近頃の日本を見ていると、私は、この国がまた取り残されるフェーズに入ってきているような気がしてならないのです。


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