ロック探偵のMY GENERATION

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ハロウィン2023

2023-10-31 23:34:28 | 時事


今日は10月31日。
ハロウィンです。

ハロウィンといえば、日本ではすっかり仮装イベントとして定着しており、今年は「渋谷にこないで」というメッセージでも話題となりました。
前々から問題視する声も多く、韓国での事故のことなんかもあって、特にカオスになる渋谷では神経をとがらせているようです。
その甲斐あってか今年の渋谷はさほど混乱していないようですが、過剰対応という批判も出ていると聞きます。
祭りというのは、世間のルールを一時的にリセットして蓄積している歪みを清算しようというエントロピックな事象なので、カオスになってしまうのはしょうがない……というようなことは前にも書きました。そもそもカオスを招来するためのイベントである以上、カオスを避けようとするのが間違っているわけです。そこで「迷惑になるから禁止」という考え方で果たしていいのか……ということも考えます。

ウェブの記事によると、今年の渋谷では、3ⅿおきに警官が立ち歩行者が立ち止まらないように「歩いてください」と声をかけていたといいますが……これを読んで私は、新宿フォークゲリラのことを思い出しました。
このブログで前に何度か書いた、69年新宿のフォークゲリラです。
「地下広場」は「地下通路」となり、警官が配置されて「立ち止まらないでください」「歩いてください」とアナウンスするという……
たしかに自由はときに暴走するし、人に迷惑をかけることもあるでしょう。しかし、だからといってその自由の場をつぶしてしまうことが果たして妥当な解なのか。それによって失われるものも相当に大きいのではないか、ということです。自由の場を封殺してしまうことは、むしろ自由の暴走を誘発する要因にすらなりうるのではないでしょうか。

では、なにが妥当な解なのか。
ここでちょっと違う視点から見ると、世間のルールがキャンセルされた状態でこそ、個人の倫理観が試されるという側面もあるのかな、というふうなことも思いました。
日本社会の倫理というのは、かなりの部分が“世間の目”に依拠している。だから、“世間の目”が無効化された状態では、たががはずれたように倫理が崩壊する……とか。
“世間の目”で維持される秩序というのは、実はかなり脆弱であると思われるのです。
たとえば、社会が全体主義化していったときには、“世間の目”という倫理規範でそれを止めることはできないでしょう。全体主義化していく社会では、“世間の目”はむしろ全体主義化を促進する力として働くと想像されるためです。だから、戦前の日本はあんなふうになっていくのを止められなかったんではないか、と。
そこで問われるのは、個人の倫理――みんながそうしているから、とか、そうしないと非国民扱いされるか、とかいうことではなく、己の信じる理にしたがうという倫理観でしょう。
ここで、このブログでちょくちょく書いているテーマにつながってくるわけです。

社会を大きく変化させるのは、祭り的なカオスのエネルギーだと思われるのです。
しかし、カオスのエネルギーは、硬直した制度を解体することはできても、新しく構築することはできません。構築という段階では、それを善い方向へ導く倫理が必要なのです。そしてその倫理は、カオスのなかでも消えてしまわない倫理でなければならない……ここにおいて、個の倫理が必要とされるわけです。

では、その「個の倫理」とはなにか。

わかりやすい例として、公園でボール遊びをするということを考えてみましょう。
公演に「ボール遊び禁止」という立札が設置してあって、それで禁止されているからボール遊びをしないというのは、世間のルール、外的なルールです。いっぽうで、別に禁止されてはいないけれど、周りに子どもや年寄りがたくさんいて危ないからやめておこうと自分で考えるのが「個の倫理」ということになります。

ハロウィンの話に戻ると、外的な規制というのは公園に禁止の立札を立てることに相当します。
たしかにそれで公園の秩序は維持されるでしょう。しかし、そこでは「個の倫理」が涵養されません。ここにあるのは、あくまでも「ルールで決まってるからそれに従う」という倫理規範です。平時のときにはそれでよいでしょうが、社会の大きな変革期、あるいは、社会全体がおかしな方向に動いてしまっているときには、その考え方ではうまくいかないということです。

カオスに流されない、群衆に埋もれてしまわない倫理……それはむしろ、自由のなかでしか培われないのではないか。そういう意味で、ならぬならぬの発想ではいかんのじゃないかと思います。




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2 コメント

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Unknown (sakaki45)
2023-11-03 08:54:19
結局、渋谷がハロウィンを規制した件、
仮装する人が後を絶たなかったようで。
それ以外にも、路上飲酒でゴミが散らかり放題の問題もあったりで、
頭を抱えるのもわかります。

そもそもハロウィンは仮装をする日ではないはずなのに、
変な方向にいってしまったのはいつからでしょう?
ハロウィンにしてもクリスマスにしてもバレンタインにしても、
マスコミが変に煽って大騒ぎになるようにして、
自分達がネタにしたら後は知らんぷりっていうのがおかしいと思うのは自分だけでしょうか?
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Re:sakaki45さん (村上暢)
2023-11-19 22:31:51
コメントありがとうございます。

まあ、ハロウィンの狂騒をどうとらえるかというのは人それぞれあると思いますが……私の感覚としては、そこにあらわれる混沌、無秩序は、“自由”というもののもつ一側面ではないかと。
自由というのは、美しく尊いだけでなく、ときに醜いものでもある。しかして、その醜い側面をみせられたときに、では自由じゃないほうを選ぶのか。
おそらく、自由を認めればその濫用が一定程度出てくることは避けられないでしょう。自由で無秩序な社会と、不自由で規律のある社会のどちらかを選ぶしかないとしたら、前者のほうがよいのではないか……まあ、たかがお祭りの話で大げさかもしれませんが、そんなふうにも私は考えています。
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